第七十話 いざ、帝国へ
メルセデスが最後に振り下ろした刃はフレデリックの命を奪わず、四肢の神経だけを切っていた。
彼にはまだ情報源としての価値があるし、殺してしまうとメルセデス自身の立場も危うくなるからだ。
その後は駆け付けてきた騎士団にフレデリックを渡し、ひとまずこの学園での騒動はこれで解決した。
騎士団の到着がやけに遅かったが、学園モンスターが授業の一環なのかどうか区別がなかなか出来なかったというのが真相らしい。
モンスターと化した学園そのものは早い段階で騎士団から見えていたのだが、これが事件なのかどうか判別できずにまず調査兵がやってきて、生徒や教師を襲う姿を見て事件であると確信して本部へ戻り、伝達。そこから隊を編成して出撃、という流れだったらしい。
確証がなければ迂闊に動けないのは、どこの世界の軍事組織も同じだ。
もっとも、今回ばかりはその愚鈍さのおかげでメルセデスは守護者の試し撃ちが出来たので結果オーライというところだろう。
とはいえ、これで全てが解決したわけではない。
フェリックスとハンナは敵国に攫われたままで、フレデリックを倒したところで二人が戻ってくるわけではないのだ。
二人を取り戻さない限りこの一件は終わりではない。
ジークリンデは早速騎士達に命じているが、それですぐに軍が動くわけではない。
軍を動かすというのは、つまり戦争だ。
ならば、それを行うだけの大義名分と理由が必要になる。
向こうが先に手を出してきた“かもしれない”。要人が攫われた“かもしれない”で軍を不用意に動かす事など出来ないのだ。
当然ながら戦争は基本的には避けるべきものであり、ましてやそれが万一誤解であれば最悪だ。大義名分すら失ってしまう。
それどころか、確証を仮に得ても軍が動く可能性は低いだろう。
何故なら、結果論ではあるがジークリンデは無事なのだ。
ならば冷たい言い方になるが、ハンナとフェリックスを見捨てて戦争を回避した方が犠牲は少なくて済む。
故に軍は動かない。
まずは裏を取り、次に抗議文を送り……そこから事態は進展しないだろう。
何故ならハンナもフェリックスも、要人には違いないが国を戦火に包んでまで救うべき存在かと問われると、そうではないからだ。
あるいはベルンハルトが『大事な後継者だから取り返せ』と主張したならば、軍は動くかもしれない。
彼の発言力は王無き今のオルクスにおいて、何者にも勝る。
しかしベルンハルトはまず、それをやらない。
何故なら彼が後継者にと考えているのはフェリックスではなくメルセデスであり、ハンナならば自力でも逃げてくるだろうと確信しているからだ。
故にこそ、ここで誰かが動かなければ事態は好転しないだろう。
「ジークリンデ」
騎士達を相手に何とかならないかと話しているジークリンデへとメルセデスが声をかけた。
誰も動かないし、動けない。
だからこそ、ここは自分が動くしかないと思ったのだ。
「私を抗議文を送る使者に任命しろ。そうすれば私は王女の名の下に、帝国へ行く事が出来る」
ベルンハルトはフェリックスとハンナを助けるために動かない。
だからこそ、自分が動く意味があるとメルセデスは考えていた。
効率と理性で考えてしまえば、メルセデスが動く意味は薄い。
フェリックスに死なれると困るのは事実だが、一国を敵に回すリスクを冒してまで助けるべきかというと疑問が残るだろう。
だからここでの正解を選ぶならば、見捨ててしまうのが正しいのだ。
ハンナはどうせ自力で戻ってくるし、彼女が帰還した後にその証言を元にして帝国を糾弾した方がいい。
しかしだ。捕まっているのは自分の兄と伯母なのだ。
思い入れなどないが、それでも自分の親族を見捨てるような冷血な者にはなりたくなかった。
(つくづく……打算でしか動けんな、私は)
自分でも分かっているのだ。
この判断自体が既に、自分の事だけを考えた上で下されたものである事など。
ハンナを心配したわけでもなく、フェリックスの身を案じたわけでもなく。
ただ自分が冷血になりたくないから、自分の為だけに二人を助けるという判断を下した。
メルセデスの本質は、どこまでいっても利己的で自分本位だ。
他人の身を案じているようで、その実いつだって自分の事しか考えていない。
自分の利になるか、害になるか。その部分でしか考えていない。
利にならない判断をするとしても、それは情に突き動かされたものではなく、そういう判断が出来る自分に酔いたいだけ……情があるようなふりをして、自らを慰めている。
そんな自分が……切り離して考えているはずの、他人のはずの前世から何も変わっていない自分が……本当に、どうしようもない程に汚らわしいものに思えてしまう。
フレデリックにヒストリエを試し撃ちして、改めて分かった事がある。
……自分は壊れている。
かつてヒストリエと戦った時、ヒストリエの精神攻撃が全く自分には通用していなかった。
ただの強力な攻撃にしか思えなかった。
ヒストリエの攻撃は精神破壊だ。故に、最初から壊れている者には通じない。
最初から溶けて液体になっている水を溶かす事は出来ない。
既に燃えているものを燃やしても意味はない。
それと同じだ。もう壊れているのだから、壊せない。
最初から真っ当な精神を構築していないのだから、破壊など通じるはずがないのだ。
ヒストリエが精神にあそこまで働きかける恐ろしい魔物だったという事すら、今の今まで知らなかったのだ。
だが、それでもだ。
偽物だって突き通せば本物になれるかもしれない。
『異常者を演じ続ければ本当に異常者になる』という言葉をどこかで聞いた。
ならばその逆だ。
健常者を演じ続ければ、本当に健常者になれるかもしれないだろう。
他人から満月に見えたなら、本当に満月なのかもしれないだろう。
だから、そう……あえて利のない方向へ進む。そこが自分の向かうべき道だ。
「しかし、メルセデス……それは危険だ」
「危険だろうが、誰も動かぬ以上は私が動くしかない。
それに、これでもシーカーだ。荒事にはそれなりに慣れている」
「な、なら護衛と一緒に……」
「要らん。一人の方が身軽でいい」
「ではせめて私が……」
「駄目だ、お前は国にいろ」
危険だと言うジークリンデだが、それでも自分のせいで捕まってしまったフェリックスとハンナを助けたい気持ちは強いはずだ。
つまり絶対に見殺しという選択肢を彼女は取れない。
全くもって愚かだとは思うし、上に立つのに向いていないとも思う。
だが彼女は指針になる。
驚くほどお人よしで、真っすぐで、情に厚くて……そんな彼女だからこそ、満月へ続く羅針盤になれる。
「だ、だが……」
ジークリンデからすれば、メルセデスはまさにこの状況に最も適した人材のはずだ。
すぐに動けて、実力も学園長を叩き伏せるレベルと申し分なし。
だから、ハンナ達をすぐにでも助けたいジークリンデが迷う理由はない。
少なくともメルセデスがジークリンデならば、迷わず命令を出すだろう。
しかしこういうところで悩むのが、人というものなのかもしれない。
「心配は要らん。必ずハンナとフェリックスを連れて戻ってくる。
お前はただ、私を信じて送り出せばいい」
だからジークリンデの決断を促すように、自信を感じさせる声で言う。
信じろと。
私は必ず二人を取り戻すと、力強く言うことで彼女の迷いを取り除いた。
自分自身が誰も信じていないのに信じろとは滑稽だな、と少しだけ内心で自嘲する。
「……本当に、大丈夫なんだな?」
「ああ。任せろ」
ジークリンデの真っすぐな瞳と、メルセデスのガラス玉のような瞳が向き合う。
やがてジークリンデは折れたように、メルセデスへの命令を発した。
「分かった……君を使者に任命する。
だが、絶対に無理はしないでくれ」
これで国の命令として動く事が出来る。
少しばかり学業から離れるのは痛いが、そこは後で取り戻せば何とかなるだろう。
それよりも王女であるジークリンデの信用を得ておく事は将来的に必ずプラスに働くだろうし、外国を今から見ておくのは決して無駄ではない。
当初はブルートを離れればいい程度に考えていたが、この国全体がベルンハルトの影響下にあると分かった以上、国を出る事も考えなければならない。
となれば、今のうちに下見をしておけば後で役立つはずだ。
そこまで考え、メルセデスは思わず苦笑した。
まただ。結局、思考が打算の方向へと動いてしまっている
本当に自分という奴は、骨の髄までどうしようもないらしい。
ベンケイ「ようやく学園を離れた!」ガタッ
クロ「出番きたこれ!」ガタッ
シュフ「私の出番のようだな」ガタッ




