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第六十九話 心を抉る巨人

 ――ベルンハルト・グリューネヴァルトはダンジョンを所有している。

 それは一部の高位貴族達の間で真しやかに囁かれていた噂話だった。

 出所の分からない莫大な資金。ブルートにとって余りに都合のよすぎるプラクティスダンジョン。

 コネもなく、一代にして公爵家への昇格を認められた異例の出世。

 原因不明の王からの優遇、特別扱い。

 それらが噂の信憑性を高めた。むしろそうでなければ不自然ですらあった。

 一代で男爵家から公爵家になるなど、どう考えても普通ではない。

 いかに戦争で獅子奮迅、一騎当千の活躍をしてもそこまで優遇はされない。

 だが前王はそれをやってしまった。何故か?

 それはベルンハルトが、王に匹敵する権威を持っていたからではないか。

 ベルンハルトは既にダンジョンを手にした王であって貴族ではなく、先王はそれを知っていたから彼にそこまでの権威を与えて味方に留めようとしたのではないのか?

 貴族達はそう考え、フレデリックもまた同じ意見であった。


『まさか……そんな……そんな馬鹿な!

父だけではなく……娘の方もか!』


 フレデリックは自分が今見ている光景が信じられなかった。

 いや、信じたくなかった。

 メルセデスがハルバードから出したそれは魔物であって魔物ではない。

 真のダンジョン攻略者のみが使役出来るという『守護者』……王族ですら、呼び出すことは出来ない、一国の軍に匹敵する怪物だ。

 勿論、そうだと判断するに足る根拠があったわけではない。メルセデスの口からそれが守護者だと言われたわけでもない。

 だが分かるのだ。

 その圧倒的な存在感が……威圧感が……否が応にも、それが何なのかを痛感させてしまう。


『どこまで……どこまでお前達は不公平なんじゃ!

この……この、才能の化け物どもめが!』

 

 フレデリックが激昂し、植物に覆われた学園の手がメルセデスへと迫った。

 だがそれを前にメルセデスは動かず、代わりにシュバルツ・ヒストリエが行動を開始した。

 腕に巻き付けられていた包帯が解け、黒い炎に包まれた腕が学園の腕を掴む。


「序章――アルム・バンダージェ(鎮まらぬ腕)」


 ヒストリエの低い声が響き、腕を燃やし尽くした。

 そればかりか黒炎は腕を伝って本体へと迫り、フレデリックは咄嗟に腕を切り落とす。

 しかし切り落として終わりではない。

 失われたはずの腕は驚くべき速度で成長し、再生を始めている。

 だがそれが終わるよりも、ヒストリエの二撃目の方が早い。


「二章――リュックザイテ・ゼルプスト(存在しない闇の人格)」


 ヒストリエの何もない顔から光が放たれた。

 それを浴びたフレデリックは……次の瞬間、若き日の教室に立っていた。

 そこでは若々しかった頃の自分がいて、そしてフレデリックを見て嘲笑した。


『おいおい、何だよそのヨボヨボの姿は。

なっさけねえなあ。お前生きてて恥ずかしくねえの?

あーやだやだ、老いっていうのは見苦しいねえ。俺ならそうなる前に自殺しちゃうよ』

「お、おお……これは……」


 それはフレデリックの中にいる、もう一人のフレデリックであった。

 老い、衰えた自分を笑うフレデリック自身であった。

 若き日の自分に縋る、紛れもないフレデリック本人の姿であった。

 フレデリックは力なく膝をつき、若い自分からの嘲笑に心が砕けそうになる。

 だが止まらない。哀れな老人へ、ヒストリエは更なる追撃を行った。


「三章――ミットライト・アオゲ(哀れむ周囲の目)」


 教室にいた同級生達の服装が変わり、何人かは成長して大人となった。

 そしてフレデリックは、彼らの中心に立たされて、哀れまれていた。

 かつて同じ時間を過ごした者達だった。

 だがフレデリックの時間だけが進み続け、彼だけが老人となってしまった。


『可哀そうに……』

『あれ、フレデリックなんだよな?』

『ああなっちゃおしまいだな』

「やめろ……やめろ……」


 フレデリックは涙を浮かべ、逃げようとする。

 だが足がもつれた。

 枯れ木のように細くなった足は走る事も出来ず、無様に倒れこんでしまう。

 そんな彼へ手を差し伸べたのは、かつて成長しない事を馬鹿にしていた相手……ハンナだ。

 彼女は心底からの同情の視線でフレデリックを見下ろしている。


『大丈夫? フレデリック君。

ほら無理しないで……貴方はもう、お爺ちゃんなんだから』

「やめろ! 儂を哀れむな!」


 ハンナの手を弾き、フレデリックは這いずるように逃げた。

 そんな彼を数多の眼が囲み、哀れみの視線を向け続ける。

 しかしそれらの眼が突如消え、今度は暗闇へと突き落とされた。


「四章――アインザームカイト(孤独を気取った孤立)」


 何も見えない。何も聞こえない。

 哀れみの眼から一転して孤独へ突き落とされたフレデリックは精神的に不安定な状態へと追いつめられた。

 まるで、もう何時間もここにいるような錯覚に囚われる。

 時間感覚が曖昧になる。

 吸血鬼(ひと)は高度な社会性を持つ生き物である反面、孤独というものに酷く脆い。

 そこに例外はなく、たとえ他者との関わりを心底嫌うような孤高の者であっても、数時間……数日、あるいは数週間と誰もいない環境に置かれ続ければ精神に異常をきたしてしまうのだ。

 神がかつて行った実験にこのようなものがある。

 それは、一切の音を遮断する無響室に人を置いて、どれだけその環境に耐えられるかというものだ。

 結果は……45分間。

 そんなまさか、と思うだろう。45分くらい何も考えずに過ごすなり妄想するなりして過ごせばあっという間だと考えるだろう。

 だがそういうものなのだ。人という生き物は、一切の刺激がない空間には耐えられない。

 視覚、聴覚、触覚……それらに一切刺激が与えられない。何もないだけの空間。

 精神が高度であればあるほど、それが驚くほどに心を打ちのめす。

 そして、(ひと)に似せて創られたファルシュも例外ではない。

 フレデリックは何もない空間の中でもがき、焦燥していく。

 彼の心が弱いわけではない。むしろ常人以上の根性はあるだろう。

 だがダメなのだ。正常な者ではこの環境に絶対に耐えられない。

 もしもこの技を受けて、それでも平然と冷静に判断を下して対処してしまえる者がいるとしたら――きっとその者は、最初から何か大事なものが欠落してしまっている、正常ではない(欠けた)者なのだろう。


「五章――ヘフティヒ・グリュック(激しい後悔)」


 フレデリックには何が起こっているか分からない。

 音も光も奪われた彼はもう、外で何が起きているかを認識出来ない。

 今まさに、愛する学園が紅蓮の炎で焼かれている事すら彼には把握出来ないのだ。

 それは何と悪辣極まる攻撃だろうか。

 骨の髄まで焼き尽くすような火炎を浴びせながら、肝心の攻撃されている本人が何も感じていないのだ。

 自分が攻撃されている事すら理解させない。何も感じられない孤独の闇に突き落とし、完全な無力化を図る。

 それこそがシュヴァルツ・ヒストリエの恐ろしいところであった。


「六章――ウンフェアエンダーリヒ・アインスト(過去は変わらない)」


 孤独の中でフレデリックは、己の半生を追体験していた。

 もしもあの時こうしていれば……ああしていれば……。

 誰もが一度は考える、『過去に戻りたい』という願望。

 それを彼は、幻覚と虚構の中で叶えさせられていた。

 まるで過去に逆行し、人生をやり直しているような経験……限りなくリアルな幻覚。

 その中でフレデリックはもがいた。

 女遊びにうつつを抜かさぬようにした。他者をもっと尊重するようにした。

 己の今の実力に甘んじずに鍛錬を積み、勉学に励んだ。

 だが……何度繰り返しても同じ結果に終わる。

 誰よりも老けて、誰よりも惨めになり、誰よりも負け犬となる。

 そして最後には、才能の怪物に夢を断たれて終わるのだ。


「終わりだ、フレデリック学園長」


 いつの間にかフレデリックの前にまで来ていたメルセデスがハルバードを構えて立っていた。

 もうこれで何度目かも分からぬ敗北だ。

 先ほどからずっと、フレデリックは繰り返す追体験の中でこうしてメルセデスに負け続けてきた。

 だからこれが現実なのか、それでも幻覚なのかすら彼には判別できない。

 ただ――へし折れてしまった心は『ああ、またか』と思うだけで、もう抵抗の意思すら見せようとしない。

 ただ虚ろな瞳で、繰り返されてきた過去を眺めるだけだ。

 ……それが、現実であると認識すらしないまま。



 終章――アインスト・リフレイン(過去は繰り返す)



 壊れた老人へ、幾度も見せつけられた『過去』が『現在』となって振り下ろされた。


*


 シュヴァルツ・ヒストリエの持つ最大にして最悪の能力。それが『アインスト・リフレイン』だ。

 その効果は、ナノマシンを介した完全催眠である。

 前六章の攻撃によって精神を弱らせ、現実感を奪い、その上で五感を完全支配した後に限りなくリアルな幻覚を見せ続けて敗北の過去を与える。

 抵抗の意思を見せる事もあるだろう。心が強ければ足掻く事もあるだろう。

 だが無駄なのだ。何故なら全てはヒストリエの創り出した幻であり、その中では何をしても絶対に勝てない。

 そして諦めるまで延々と創り出された『過去』を追体験させられ、その後に現実が襲いかかる。

 だが攻撃を仕掛けられている者にはそれもまた続いてきた過去のうちの一つにしか思えない。『ああ、またか』と受け入れてしまう。

 言葉で説明すれば何とかなりそうな能力ではある。

 現実が襲い掛かってきた時に正気を取り戻せば何とかなると言われてしまえば、確かにその通りだ。何とかなる。

 諦めなければいつかチャンスが訪れると言われれば、それもまた正論だろう。

 実際、すべての過去に抗い続けて諦めなければこの能力を打ち破れるだろう。

 だがそれが出来る者がどれだけいるというのか。

 仮に、本当にそんな事を可能とする者がいるならば、それは正常な精神ではない。


 即ち、『アインスト・リフレイン』とは――正常な心を持つ者では絶対に攻略出来ない、不可避の精神破壊である。

生徒A「やめろォ! 忘れていた過去をほじくり返すな!」

生徒B「違うんだ! あれはちょっとそういうお年頃だったというか……やめろ! 俺をそんな目で見るな!」

生徒C「あああぁぁあああああぁぁああ!」ゴロゴロゴロ

生徒D「あの時は本当に恰好いいと思ってたんだよおお! 厨二病とか知らなかったんだよおお!」

生徒E「ラブレターと言う名のポエム渡してすんませんしたあああああ!

何であの時の俺、ポエム書いちゃったかなああああああ!

君の瞳にlove☆ゲッチュー! 僕のハートはスレイブさ! とか……馬鹿なの! 俺馬鹿なの!?」

生徒F「事あるごとに髪をかきあげたり、流し目したり、当時の私って端から見たら完全に変な子よねえええ!」


メルセデス(い、一部の生徒が巻き添えに……)

ヒストリエ「学園長だけを狙ったのに何で食らってるんすかねえ……」

ツヴェルフ『よほど恥ずかしい過去があったのでしょうねえ……』


学園長だけを狙ったのに余波だけで悶える生徒が数人出た模様。

思春期だからね、仕方ないね。

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やめろ!その攻撃は俺に効く!
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