第六十八話 フレデリックの抵抗
(選択を誤ったか)
部屋を覆いつくす植物を見ながらメルセデスは自らの失態を内心で認めていた。
それは先制攻撃をした事への反省ではない。
先制攻撃に『蹴り』などという温い攻撃を選択した事が誤りなのだ。
敵である事が確定したのだから首を落としてよかった。そうでないにしても腕くらいは切り落として然るべきだっただろう。
しかし攻撃の一瞬、メルセデスの中に迷いが生じたのだ。
裏切り者だろうが学園長は学園長。それに深手を負わせたり、ましてや殺しなどしたら退学処分を受ける可能性がある。
閉校してしまう可能性も無視出来なかった。
ここで学べる事はまだ沢山ある。
この世界の常識、歴史。正当な教育でのみ得られる正しい知識。技法。
それらは独学で生きて来たメルセデスにとって、何にも代えがたい財産だ。
積み木は基盤がしっかりしているほど高く積める。
故にこそ、たとえ自分より弱い者達が教師だとしてもメルセデスはそれを軽視してはいなかった。
だから少しだけ、迷ったのだ。
ここでフレデリックを殺す事で、それが失われてしまう事を。
(しかし首を落とせば後々立場が悪くなるかもしれないな……四肢を砕くだけに留めるのが吉だろう)
メルセデスはそう判断してフレデリックへと飛び掛かった。
彼女を迎撃するように蔓が伸びるが、それよりもメルセデスがフレデリックとの距離を潰す方が早い。
フレデリックの肩を掴んで握力任せに砕き、続けざまに蹴りで股関節を破壊した。
老人の身体が枯れ木のように吹き飛び、天井に当たってから床に落ちた。
しかしフレデリックは痛みなど感じていないようにブツブツと呟いている。
「わしの学園じゃ……わしの全てじゃ……渡さぬ、渡さぬぞおお……」
蔓が伸び、フレデリックを覆い隠した。
すぐにメルセデスは風の魔法で植物を切り裂くが……いない。
まるで消えてしまったかのようにフレデリックがそこから完全にいなくなってしまっている。
学園全体が地震のように揺れ、部屋を覆う植物の量が益々増えた。
「……ちっ」
ここに留まるのは敵の腹の中にいるようなものだ。
そう判断したメルセデスはジークリンデを掴み、ポケットから火の魔石を取り出して窓のあった方向へ投げつけた。
ついでに爆炎に紛れてマイクとスピーカーはダンジョンへ戻しておく。
爆発によって植物に穴が空き、それと同時に窓を蹴破って外へ脱出。
最上階から地上への落下となるが、メルセデスにとってそれは大した問題にならない。
やや五月蠅い着地音を響かせて地面へ降り、それから学園を見た。
『儂の……儂の学園じゃああああ!』
学園は……最早、完全にフレデリックの植物に覆われていた。
いや、それだけではない。
学園を覆いつくした植物が学園を地面から引き抜き、完全に飲み込んでしまっている。
両側から生えた木々が腕を形成し、下から生えた根が絡み合って足を形成する。
上から生えた木々は複雑に絡み合って頭となり、その形状はフレデリックの皺だらけの顔とよく似ていた。
学園内からは取り残されてしまった生徒や教員の悲鳴や混乱の叫びが聞こえるが、とりあえずすぐに殺されてしまう事はなさそうだ。
「なんだあれは……魔物か!?」
運よく外で授業をしていた何人かの生徒や教員は変わり果てた学園の姿に戦き、萎縮している。
確かにあれではもう、ただの魔物だ。
狂気の老人が作り上げた、植物のモンスター。
全長にして20mはあるだろうその姿はお世辞にも美しいなどとは呼べず、老人の哀れさと醜さだけが感じられた。
『おお……まだ外に出ている生徒がおったのじゃなあ……さあ中へお入り……』
「こ、この声って……嘘だろ?」
「学園長……?」
植物モンスターの顔が笑顔の形に歪み、生徒達へ向けられた。
勿論、そんなのはただ恐ろしいだけだ。
しかし学園長はそんな事にも気付かず、蔓を生徒や教員へと伸ばしていく。
「メルセデス、皆が……」
「……ああ、そうだな」
メルセデスの本心は、生徒が襲われている隙に攻撃をするべきだと思っている。
しかしここで無関係の生徒達を見捨てるのは非人道的だし、それは人らしくない。
自分は感情のない機械ではなく、心のある人なのだから、ここは助けるべきなのだろう。
それが正しい姿のはずだ……そう考え、メルセデスは蔓を風の刃で切断した。
『マスター、進言します。
フレデリックは生徒や教師に危害を加える意思がありません。
ここは一度取り込ませてしまった方が、遠慮なくダンジョンの力を使用出来るので有利になります』
(ああ、分かっている)
ツヴェルフの進言は至極全うで、メルセデスもそれこそ正しい意見だと認める事が出来る。
現状での最善手……それはメルセデスがダンジョンの力を使用し、フレデリックを物量で叩き潰してしまう事だ。
何ならシュバルツ・ヒストリエの試し撃ちをしてもいい。
しかしそれをするには周囲の目が邪魔で、ダンジョン所有者であると今知られるのは好ましい事ではない。
勿論ジークリンデも邪魔だ。口止めしておけば黙っていてくれるだろうが、しかしあの正直さではどこかでうっかり口を滑らせかねない。
だから一番いいのは、この場の生徒も教師も、ジークリンデさえもフレデリックに捕まってしまう事だが……黙ってそれを見ているのは非人間的で、まるで効率だけを考える機械のようだ。
(しかし感情のある者というのは時に、効率や正しさを度外視して情に突き動かされ、正しくない行動をしてしまうものだ。
ここで学友や教師をただ見捨てたのでは、私に心が無いみたいだろう。
ならば、少しくらいは足掻いてみせなければな)
決して得意ではない風の魔法で蔓を斬り、自らに振り下ろされる剛腕を避ける。
戦況は劣勢。その気になればいつでも逆転出来るが、しかし足手まといを庇っている為に不利を強いられている。
しかしそれはじり貧で、一人、また一人と生徒達が蔓に捕まって学園へ取り込まれていく。
(残り五人……四人……)
減っていく生徒をカウントしながら、メルセデスは逸る気持ちを抑えた。
まだだ。まだ動いてはいけない。
早く捕まえろなどとも思ってはいけない。
あれらは足手まといで、しかし守るべき対象で、守りながら戦うのは人として正しい事なのだから。
決してメルセデスは手加減しているわけではない。
いくつかの肝心な札を伏せたままではあるが、手持ちにある札の中では本気で戦っている。抗っている。
生徒達を守ろうと本気で戦い、その末に力及ばず守り切れず、生徒の数が減っている。
だからこれは仕方ない。
人として正しい行動をした上で足手まといが消えるならば、それは不可抗力だ。
人として何も間違えてなどいない。
(三人……二人……)
更に生徒と教員は減り、それを守ろうとしていたジークリンデは学園に殴り飛ばされて地面を転がった。
動きは……ない。どうやら意識を失ったようだ。
実に都合がいい。
(一人…………ゼロ……)
これで守るべき対象は守り切れずに全員がいなくなった。
故にここから先の戦いを見る者はもういない。
観客がいないならば……もう、正しくなくてもいい。
人としての正しさを捨てて、効率としての正しさを取る事が出来る。
『いなくなったのォ……皆、いなくなってしもうた。
どんな気分じゃ? 守ろうとしていたものを奪われる無力感は。
援軍は期待出来んぞ……皆、儂の中でぐっすりと眠っておるからのお』
フレデリックの言葉を確認するように耳を澄ませた。
確かに、先程まで聞こえていた声が一切聞こえない。
なるほど、丁寧に中の人質は眠らせてくれたわけか。何と有難い。
「……ああ、そうだな。貴方の言う通りに私は守り切れずに皆が捕まってしまった。
ジークリンデも意識を失い、孤立無援となったわけだ。
思いのほか、長くかかったな。もう少し早くこの状態にして欲しかったのだが……」
『……なんじゃと?』
「貴方がこの場の全員を排除してしまったのは私にとって好都合だ」
『それは……どういう……』
「――思い切りやれるからさ」
観客はいなくなった。故にここから先はもう、人として正しく振舞う必要はない。
マスターキーをハルバードへ変化させ、地を蹴って飛び出した。
まず狙うは足!
重力魔法を乗せた斬撃で強引に根を断ち切り、自らよりも巨大な学園の体勢を崩す。
続いて蹴り。
己の何十倍もの巨体を蹴りで浮かせ、今度は重力で下へ叩き落す。
『お、おい! 儂の中にはまだ生徒が……教師が……』
「それは貴方が守るだろう?」
フレデリックは学園に異常な執着を抱いている。
ならば彼は、自分の中の生徒や教師を全力で守るだろう。それらを失っては学園ではないのだから。
だからこそメルセデスは、躊躇なく攻撃を加える事が出来た。
お荷物を抱えて戦いに臨んだのはメルセデスではない……フレデリックの方だ。
「さあ、出番だぞ……出ろ、『シュバルツ・ヒストリエ』!」
ブルートアイゼンを掲げ、その中に眠っている守護者へ出撃命令を与えた。
すると学園にも負けぬサイズの、白い巨人が姿を現す。
背中には三対六枚の翼。左側は白く輝く天使の翼で、右側は暗く濁る悪魔の翼。
顔はなく、背中には輝く光輪。
全身を黒い炎で包んだ、メルセデスの知る限りで最大の強敵。
それが腕を組み、絶対の力をもってフレデリックを見下ろしていた。
ヒストリエ「まあ見下ろすも何も俺、顔ないんだけどね」




