第五十六話 悪意ある善行
領主には義務がある。
それは己の治める土地を守る義務だ。
例えば魔物があまりに増えすぎれば兵士を派遣しなければならないし、野盗が出ればそれを討伐する必要もある。
オルクスは比較的平和だが、この世界は常に大体どこかの国が戦争をしており、オルクスやベアトリクスほどの大国ならば滅多なことで戦争はしないが、小国ともなれば土地や食料を奪い合って殺し合うなど珍しい事ではない。
そして戦争が起こればそこには敗残兵が生まれ、敗残兵は生きる為に村を襲って食料を強奪するようになる。
つまり野盗が増えるわけだ。
その討伐はシーカーの仕事ではない。領主の仕事だ。
シーカーに依頼する事も出来るが、まず誰も受けないと考えていいだろう。
報奨金を出そうと、それでも受けるのはごく一部の腕に覚えのある者だけだ。
何故かと言えば、単純にリスクが大きすぎるからである。
野盗に落ちぶれようと相手は元兵士。戦争の経験者で、どんな形であろうと戦争という名の地獄から生還した猛者である。
野盗と言えば統率の取れないならず者の集団と思われるかもしれない。
だが実際は全くの逆。戦場で戦った戦友同士であるが故に連携が取れているし、その中に小隊長クラスでも混じっていようものならばそれはもう軍の一個小隊と比べて何ら劣るものではない。
野盗とは地に落ちただけの兵士なのだ。素人ではない。
つまり、シーカーにしてみれば魔物よりも余程恐ろしい存在であり、その討伐には命を張る必要がある。
命がけという点で言えばダンジョンの魔物もそうだが、あちらは浅い階層には弱い魔物しか出ないし、引き際も自分で選ぶ事が出来る。
ならばダンジョンに潜っている方が遥かに楽で旨味がある事は明白であり、少しまともに考える事が出来る者ならばまず野盗討伐の依頼など受けないのだ。
故にどの領地でも野盗対策は必須であり、同時に領主の頭を悩ませる難題であった。
そんな中にあってオルクスは不気味なほどに野盗被害が少ない。
その理由はベルンハルトによる迅速な討伐によって、野盗の報告が上がると同時に狩られてしまうからだ。
その動きは迅速にして迅雷。
ベルンハルトはこの手の判断が異常に速い。
他の領主ならば派遣する兵士の数や、被害や、あるいは敵の規模などを見て最悪の場合は村の一つくらいならばと見捨てる事すらある。
だが他の領主が悩むそのタイムロスがベルンハルトにはない。
そして加えて語るならば、そもそも野盗を発見する速度そのものが異常に速かった。
吸血鬼達は恐れた。あの男は未来でも予知出来るのかと。
千里眼でも持っているのかと、誰もが怯えた。
無論、ベルンハルトにそんな能力などない。
ただ彼には、オルクス中に目と耳があるだけだ。
命すら賭して忠義を尽くす無償の密偵が各地に紛れているだけだ。
それほどの密偵が一体どこから沸いてきたのか。
その理由はベルンハルトが経営する孤児院にあった。
この男が孤児院の経営など何の冗談かと思う事だろう。どう考えても似合わないし、そんな慈善事業をするタイプではない。
事実、善意の行動ではない。優しさなど欠片もない。
ベルンハルトにとって孤児とは、いわば『育っていない駒』だ。
幼いうちから教育を施せば裏切りのリスクは減り、英才教育によって優秀な兵士や密偵に育てる事が出来る。
ベルンハルトにとって孤児院の経営とは、いわば『未来への投資』。
親のいない子供ならばどう扱っても評価が落ちる事はない。
むしろ孤児院などを経営して衣食住を与える彼を周囲は愚かにも『立派だ』と称えすらする。
彼は孤児院という場所を用意する事で孤児という雛を得て、その雛に餌を与えて調教する事で従順な駒へと変えている。
どのみち放っておけば野垂れ死にしていただろう子供達だ。事実、他の領では捨てられた子供の餓死が後を絶たない。
それらを拾い、育てているのだから傍目からは聖人にすら見えているだろう。
だが事実は全くの逆。
悪人だからこそ善行を行う!
悪行しか行わない悪党は三流だ。何故ならそれは、自分は悪人だから捕まえて下さいと吹聴しているに等しく、先を考えていないからだ。
刹那的な快楽しか考えていない愉快犯と同列の愚者である。
周囲を巻き込む腐った木など誰でも切り倒す。
悪行を隠す悪党は二流だ。多少は身の振り方も上手いが、悪行を隠す森を用意していない。
どんなに上手に隠そうとしても、荒野に木が一本だけ生えていればそれは目立つだろう。
隠せているうちはどうにかなっても、一度『そこに木があるかもしれない』と思われてしまえば調べられて簡単に尻尾を出してしまう。
少量の悪行を多くの善行で隠す悪党は手に負えない。上手い政治家は大抵このタイプである。
多くの木を用意して森と為し、その中に少量の木を混ぜる。
表面的に森を構成している木々は善行だから民衆は『あの人は立派だ』と思い疑いすらしない。
多少疑う者が出ても、その森が生み出す蜜の恩恵を受けて甘味を知ってしまえば黙秘してしまう。
何故なら指摘して森を失う事は自らが甘味を吸えなくなる事と同義だからだ。
疑いを通り越して確信に至っても尚排除出来ない。
何故なら真意はどうあれ、実際に国に貢献しているからだ。
打算だろうと悪意が見え隠れしていようと企てがあろうと、それでも善行は善行なのだ。
これを排除してしまえば、その森から生まれる恩恵に肖っていた者達から大きな反発を受けるのは間違いなく、悪党を排除するメリットよりも、その悪党を排除する事で生まれるデメリットの方が遥かに大きくなってしまう。
ならば出来る事は悪行を見なかったことにして、せめて敵にならぬように囲うしかない。
それこそ先代の王がやった事であり、ベルンハルトを囲う為に用意した柵こそが公爵の位だ。
言うならばそれは、王が膝を屈したも同然。
貴方の悪事を咎めません。だから敵にならないで下さいと懇願したようなもの。
ベルンハルトは王ではない。
だが実際は、先代の時代で既に王などとっくに踏み越えている。
そして今宵もまた、善行の皮を被った悪意が執行された。
ベルンハルトは迅速に野盗を狩る。捕らえる。
これは領の平和に繋がり、領民はますます彼を信頼する。
しかし繰り返すが、この男は善意では動かない。もしこの男が動いたならばその裏には打算と悪意が隠れていると考えていい。
野盗の発生はベルンハルトにとっては極めて都合のいい事件だ。
他よりも豊かな彼の領、特にブルート付近には蜜に誘われるように野盗が集まって来る。
それを捕らえる為に、都合よく彼等の寝床になるような洞窟なども用意した。
下手に放置するより、巣を作ってやる方が虫は捕まえやすい。
そうして集めた野盗を一網打尽にし、生死問わず捕獲する。
そしてベルンハルトが向かったのは……プラクティスダンジョンだ。
「ふむ……随分減っているな」
拘束された野盗を連れてベルンハルトがダンジョン内を歩く。
奇妙な光景であった。
ダンジョン内の魔物はどれもベルンハルトに攻撃を仕掛けず、それどころか野盗を牽引する役目を買って出る者すらいた。
「ほう……なるほど? 一気に十五階層まで走破した者がいたと。
なかなか腕の立つシーカーもいたのだな。使えるかもしれん。
そいつの特徴を教えろ。場合によっては引き抜く。
ふむ、そいつは魔物を引き連れて……いやまて、それはひょっとして青い髪の小娘ではなかったか?」
野盗達に、ベルンハルトは恐ろしく不気味なものに見えた。
何せ、誰もいないのに一人で話しているのだ。
おかしくなってしまったとしか思えない。
しかしベルンハルトはそこに、目に見えぬ誰かがいるようにしっかりと受け答えしている。
「ククク……やはりそうか。全く困った奴だ。
まあ知らぬのならば無理もないが、この程度のダンジョンでは腕試しにもなるまい。
そうだな……おい。次にメルセデス……ああ、そうだ、その小娘の名だ。
そいつが来たら十八階層まで解放しろ。
問題ない。奴にとっては丁度いい訓練にしかならんだろう。
コストはかかるが、まあその分は……」
ベルンハルトはそこまで言い、野盗を見た。
冷たい眼であった。
凡そ、同じ吸血鬼に向けるような眼とは思えない、無機物でも見るような視線であった。
「こいつらに払ってもらおう」
野盗達は確信した。
この先自分達に救いは訪れないと。
何か、とてつもなく恐ろしくておぞましい事に使われるのだと。
その予感は正しく的中し、次の瞬間にはダンジョンの壁や床から一斉に生えた鉄の槍が彼等全員を串刺しにしていた。
「……全員合わせてもたかだか250Pか。今回はハズレだな。
まあ、いい。代わりなどいくらでも沸いて来る。
また持って来る。失った魔物と罠はすぐに補充しておけ」
ベルンハルトはそれだけを言い、ダンジョンから去った。
彼が一体何と話していたのかは、彼自身にしか分からない。
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何故かというと、ぶっちゃけストックが尽きました。
それと野生のラスボスの方の書籍化作業やらなろうコン応募用作品の書き溜めやらも重なっています。
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