第五話 最初の仕事
ペットショップ半月堂へ入ったメルセデスが見たのは、意外と清潔な店内であった。
ガラスケースの中には動物の赤ん坊がおり、思ったよりもずっと可愛らしい。
大きさはどれも、地球の成猫や成犬くらいか。一番大きいのでも大型犬くらいの大きさだ。
赤ん坊でこれか、と思わされるがこれくらいならば全然可愛がれるサイズだ。
しかしやはりというべきか、扱ってる動物達はどれもこれも魔物と言っていい。
赤い目が特徴的な黒い子犬は品書きにヘルハウンド種とか書かれているし、隣のケースの子犬は頭が三つある。これはケルベロス種のようだ。
頭が二つに尾が蛇になっているのはオルトロス種。
暗緑色な事以外は普通の犬に見えるのはクー・シー種というらしい。
どれも神話で一度は聞いた事がある名前だが、恐ろしい怪物達もこの大きさの赤ん坊ならば可愛いものだ。
シーカーの中にはこうしたペット達を探索の相棒にしている者も多いらしい。
メルセデスも、金に余裕があれば一考してみようと思いつつ店を後にした。
これから向かうシュタルクダンジョンは36km離れた位置にある。
徒歩の時速は吸血鬼も人間とそう変わらないので時速7kmといったところだ。
受付は大体五時間くらいと言っていたので、計算も合う。
馬車なら時速10kmといったところなので、3時間半くらいで着くだろう。
遅い気もするが、急行馬車でなければこんなものだ。
だがそんな事をしていては往復で6時間以上かかってしまうし、昼になってしまう。
なのでメルセデスは、自分の足でこの距離を縮めてしまう事にした。
都の外に出たメルセデスは軽く屈伸運動をして身体をほぐし、地図で方角を確認する。
そして地図を片付け、思い切り地面を蹴って走った。
後方に突風の如き風を巻き起こしてその場から消えたように加速する。
景色が高速で後ろへと流れ、時折進路上に現れる岩や木々を跳躍して飛び越える。
障害物が多い時はベフライエンを発動して浮き、そこから空中ダッシュ。
まるでアクションゲームの主人公にでもなったような感覚を楽しみながらメルセデスは自身の出せる最高の速度を保ち、ダンジョンへと向かう。
メルセデスの現在の最高速度は大凡、時速1150kmといったところだ。
これ以上を出してしまうと自身に凄まじい衝撃が跳ね返り、無用なダメージを負ってしまうのだ。
恐らくこれは音の壁というやつなのだろう。現状、メルセデスはこれをノーリスクで超える方法を身に着けていないのでここが今の彼女の限界だ。
とはいえ、それでも一時間あれば1000km以上進める速度というのは十分過ぎる。
走り出してより僅か120秒、二分後にはメルセデスは目的地であるシュタルクダンジョン前へと到達していた。
障害物などによるタイムロスをもう少し縮める事が出来ればもっと速く来れるかもしれないが、とりあえず及第点といったところだろう。
「さて……」
ダンジョン前に着いた所で、一度周囲を見る。
ここはどうやら草原のようだ。昼寝をすれば心地よさそうである。
少し離れた位置には集落のようなものが見えるが、あれはシーカーの為の中継地点だろう。
ダンジョンの近くにはああいう休憩スポットを造り、休憩を挟みながら攻略するのだと本にも書いていた。
だがメルセデスは今の所疲れていないので、立ち寄る必要もなさそうだ。
続いてダンジョンを見る。草原の中に一つだけポツンと石造りの入り口があるのは違和感があるが、ダンジョンとはそういうものなのだろう。
どうやら入り口だけが外に露出していて、地下へ地下へと潜っていくタイプのようだ。
メルセデスは一通り入り口の観察をした後にギルドで渡されたマッピング用の羊皮紙とペンを取り出し、足を踏み入れた。
ダンジョン内は、何と言うかこれぞダンジョンという感じの石造りの迷宮だ。
歩く度にコツンコツンと足音が響き、不気味に反響する。
光源はなく、入り口から差し込む光で僅かに照らされるだけで真っ暗だ。少し角を曲がればもう暗闇だろう。
これはしまったな、とメルセデスは思った。次からはランタンくらい持って来ようと決意する。
いくら吸血鬼でも、光が全くない暗闇では何も見通せない。
仕方ないので一度引き返し、ダンジョンの外にある木から適当に頑丈そうな枝を何本か折ってからまたダンジョンへと入った。
そして二本の枝を交差させ、左手を高速で引いて摩擦熱を起こす。
最初は上手くいかなかったが、何度か試すうちに木が熱くなり、やがて炎上を始めた。
「よし、行くか」
これでとりあえず光源は出来た。
あまり長続きはしないだろうが、枝が残っている間は探索出来るはずだ。
それにしても片手に火種を持ったままマッピングしつつ探索するというのは思いの外面倒臭い。
書く時には火種を無重力状態にして浮かして書いているが、効率がいいとは言えないだろう。
ランタンを買うならば、腕に引っ掛けておける物にするのがいいだろう。
そうこうしているうちに、まだ少ししか書いていないのに枝が燃え尽きてしまった。
「参ったな。どうしたものか」
探索のやり方を変える必要がある。メルセデスは早くもその必要性を感じていた。
暗闇の中で目を閉じて思案するが、いい方法が思い浮かばない。
せめて自分の使える魔法が火だったならば光源にも困らなかったのだが、残念ながら地だ。無いものねだりは意味がない。
「……属性、か」
ギルドで探索者となった時に貰ったカードには自分の属性が書かれていたのを思い出す。
一つは地で、もう一つは風であった。
意図せずして属性を知る事が出来たのは僥倖だ。この風の属性を使って何か出来ないものだろうか。
そうして考えていると、どこか遠くから石が落ちるような音が聞こえて来た。
吸血鬼の聴覚は人間であった頃よりも遥かにいい。集中すれば些細な物音であろうと拾う事が出来る。
この時、メルセデスの頭の中には一つの妙案が浮かんでいた。
「やってみるか」
己の属性は風であると自覚した今、今までよりも強く風の力を感じ取る事が出来る気がする。
メルセデスは息を吸い込み、魔力を喉に溜める。
そしてイメージするのは、音だ。口から発する音が空気を伝い、風のようにこのダンジョンを駆け抜けて、反射して戻って来るのを脳内に描くのだ。
「――――!」
人の耳では聞き取れないだろう音波を発し、全感覚を耳へと集中させる。
戻って来た音波の方向、音が戻って来るまでの時間、それらを受け取る事でメルセデスの頭の中にこのダンジョンの構造が浮かび上がって来た。
そうして脳内で地図を作製した後に素早く火を起こし、羊皮紙にマップを描いていく。
流石に一度で全体全てを知る事は出来ないが、大分楽になった。
これを何度か繰り返せばダンジョンの全体像を描く事が出来るだろう。
◆
三十分が経過し、メルセデスは場所を移動しながら音の反響を繰り返す事で一枚目の羊皮紙にほぼ完璧な地図を描く事に成功していた。
下へと続く階段も既に発見しているが、今はまだ降りない。マップの作製が先だ。
これで1階では最後になるだろう音の反響を行い、跳ね返って来た音を拾う。
その際、メルセデスは自らへと近づいてくる2mほどの物体の存在を感知していた。
足音を響かせながら現れたのは、左目に傷のある二足歩行のモグラのような生物であった。大きさは2m近くある。
友好的に話し合いに来た……という雰囲気ではなさそうだ。牙を剥き、こちらを激しく威嚇している。
身長130程しかないメルセデスにとって、この魔物は見上げるほどに大きい。
ましてや前世は平和に生きた日本人であり、自分よりも遥かに大きい動物など動物園という安全が保障された場所でしか見た事がなかった。
普通ならば気圧されるのが普通だろう。だがメルセデスは自分でも不思議に思う程に脅威を感じていなかった。
「なるほど、まさにファンタジーだな。
まあ、シーカーをやる以上いつか戦う時が来るとは分かっていた。
……来い。私の強さをお前で試させてもらうぞ」
「ゴルルアァァ!」
メルセデスの手招きに応じるように巨大モグラが吠えた。
振り下ろされる爪を妙に落ち着いた気持ちで見ながら、爪の一本を軽く掴んで攻撃を止める。
そのまま力比べになるが、モグラは腕を全く動かせない。
いくら力んでもメルセデスの細い腕から逃れる事が出来ず、プルプルと震えていた。
逆にメルセデスは余裕の表情で握力を強め、掴んでいるモグラの爪を罅割れさせた。
そして力を軽く込めてゆっくりと爪を下へと降ろしてやれば、それに合わせてモグラの腕も下がり、メルセデスに跪くような姿勢を強要される。
「ゴアッ!」
空いている方の腕がメルセデスを襲うが、こちらも難なくキャッチ。
ならばと口を開き、モグラはメルセデスの肩へと喰らい付いた。
それに対しメルセデスは肩に力を込め、あえて噛み付きを受ける。
結果……モグラの鋭利な牙はメルセデスの肉どころか皮膚すら貫けなかった。
いくら顎に力を込めても、まるで鉄を噛んでいるようで噛み砕ける気がしない。
メルセデスはそんなモグラを見ながら、自分と相手との間にある力の差を理解し、そしてこれ以上はただの弱い者いじめだと考えて止めを刺す事にした。
……一瞬、躊躇に腕が止まる。いくら凶暴な魔物とはいえ、命は命。奪う事に躊躇いがないわけがない。
しかし、それだけであった。
メルセデスは己の甘さを振り切るようにモグラの無防備な腹に膝蹴りを叩き込んだ。
凄まじい力で腹部を潰されたモグラは口から血を吐き出し、メルセデスの肩から離れる。
それと同時にメルセデスも右手をモグラから離し、拳を握った。
骨が軋む音が鈍く響き、腕に血管が浮き出る。
――殴打。
踏み込んだ床が罅割れ、殴られたモグラの牙が血と共に宙を舞う。
そしてモグラは壁を砕いて反対側の通路まで飛ばされ、更にもう一度壁を貫いて更に向かい側の通路へ。
そして三枚目の壁に衝突した所でようやく止まり、白目を剥いて倒れた。
モグラはもう、ピクリとも動かない。
「……死んだ、のか?
いや、私が殺したのか……」
生き物を殺した。
その事実を認識したメルセデスは静かに目を閉じて黙祷をした。
それから、僅かに震えている自分の手を見て思わず笑ってしまう。
よかった、と思う。自分は生き物を殺した事に僅かではあるが動揺を感じている。
この冷め切った心にも、まだ少しは人間らしさが残っていてくれた。
「そのうち、慣れて何も感じなくなるんだろうな……」
自らを嘲るように笑い、汗を拭う。
これがこの世界で生きるという事。これが殺すという事。
いつか心は麻痺し、前世から希薄だった人間らしさがますます遠ざかっていくのだろう。
だが全ては自分で決めた事だ。自ら決めた道を今更引き返す気などない。
前へ、ただ前へ。
止まる気はない。道は続いているのだから。
1階部分のマッピングを終えたメルセデスは、立ち止まる事なく二階へ続く階段を降りて行った。
モグラ「止まらない限り……道は続く……。
だからよ……止まるんじゃねえぞ……」
メルセデス(……? あんな変なポーズで死んでたっけ?)