第四十二話 帝国の思惑
ベルンハルトは私室で一通の契約書を見ていた。
それはイザークの私室の金庫から出て来た物で、今後の国の行方を左右するほどの内容が記されている。
ベルンハルトは一つ疑問に思っていたことがある。
それは、『何故今だったのか』だ。
ジークリンデを殺すタイミングなど、今までにも幾度となくあったはずだ。赤子の頃に殺す事だって出来ただろう。
しかしイザークはそれをしなかった。
その理由は血だ。王剣を扱えるのは王家の血筋のみであり、ジークリンデとその母をおいて他はない。
イザークはジークリンデ親子を飼い殺しにし、定期的に血を採取していた事が調べによって判明している。
そしてその血を我が子に与えていた事もまた、ハンナが王城勤めの料理人から聞き出した。
……余談だが、その料理人は情報を吐かせるだけ吐かせた後にハンナの手によって処刑されている。
代わりにハンナが外から雇い入れた料理人が、グリューネヴァルト家の料理長であるシュフだったので、これにはベルンハルトも驚いたものだ。
とにかく話を戻そう。
あの愚かな男は、ジークリンデの血を我が子に与え続ける事でいつか王剣を使えるようになる可能性に縋っていたのだ。
勿論そんな方法でダンジョンの所有権が移るはずなどない。
だが結果的にはその愚かさがジークリンデ親子の命を繋いでいた。
それが何故、今になって殺そうという考えに至ったのか。
それもただ殺すだけではない。わざわざベアトリクス帝国の暗殺者に殺させるという回りくどい方法を選んだのか。
殺すだけならば秘密裏に始末してしまえばそれで済んだはずだ。
そこまで考えた時、ベルンハルトはイザークとベアトリクス帝国の間に何らかの裏取引が交わされたのだろうと察した。
彼はすぐさまイザークの私室を徹底的に調べさせ、結果、地下室へと続く隠し通路を発見した。
そこにあった金庫に隠されていたのが、この契約書だ。
『血の契約』の証である血判が押されており、これを裏切る真似をすれば吸血鬼社会の鼻つまみ物になるだろう。
「……愚者めが。いいように騙されおって」
その内容は、要約すれば『ジークリンデ王女を王子の影武者として学園に送り、これをベアトリクス帝国の者が始末して死体も回収する。その代わりベアトリクス女王17世は神に誓って、オルクス王国に手を出さず、これを支え、守る事を誓う。また、イザーク王が民に認められるように魔物も貸し出す』といった内容だ。
問題なのは、手を出さないと誓っているのはベアトリクス女王17世であって、ベアトリクス帝国ではないという点にある。
契約書は無駄に専門用語を並べ立て、回りくどい言い回しを多用して文を引き延ばし、余計な補足や蛇足を交えて目を疲れさせるようにして、肝要な点に気付きにくくされている。
だがそれでもだ。それでも、こんな子供騙しにかかる阿呆がいるか、と呪いたくなった。
(……目的は暗殺ではない。それならばイザークに殺させればいいだけだ。
何か、自分達の手で仕留める理由があったのだ……)
ベルンハルトは考える。
思い出せ。何処かに見落としがあるはずだ。
メルセデスから聞き出した話を記憶から掘り出し、事の発端に至るまでの説明を何度もリピートする。
メルセデスは言った。学園に向かう最中にジークリンデを狙う白装束達の言葉が聞こえたのが始まりだったと。
その時の言葉は確か…………。
――間違いない、オルクスの第五王子だ! 何としても捕まえろ!
(……読めたわ! ベアトリクス帝国の真の狙いはジークリンデ王女の暗殺ではない。
確保だ! 学園で王女を襲ったアシュタールも、恐らく狙いは殺す事ではなく連れ去る事……!
そう考えればこの遠まわしな手段も得心がいく!)
そう、殺すだけなら容易かったはずだ。
食事に毒を混ぜればいい。遠くからマスケット銃で撃てばいい。
だがそれをしなかったのは、なるべく傷付けずに連れ帰りたかったから。
だから奴等は過激な手段を取らなかったのだ。実際……ジークリンデ王女は何度か襲撃されているものの、傷一つ負ってはいない。
(傷を負わせなかった理由は何だ? 連れ去るだけならば手荒でもいい。
……なるべく悪感情を持たれたくなかった、とすればどうだ?
考えろ……今まで自分の正体も知らず影武者として育てられた王女……しかも11歳の小娘が連れ去られ、攫われた国で真実を知らされたらどうだ? 王家を恨むのは間違いないだろう)
ベルンハルトは情を持たない。
だからこそ、冷静に客観的に、あらゆる視点から考える事が出来る。
(そして自分を“救い出してくれた”ベアトリクス女王に恩を感じ、信を寄せるのではないか?
契約書にあった『ベアトリクス女王17世は神に誓って、オルクス王国に手を出さない』という一文……これは後で、ジークリンデが手を出すという意味ではないか?)
ベアトリクス帝国の目的が読めた。
奴らの目的は、王剣とそれを扱える血筋の確保。
ジークリンデを救い出すことで味方とし、自分達の国に二本の王剣を保有する事こそが狙いだったのだ。
イザークなど、その為に用意された悪役に過ぎない。
全てはジークリンデを主人公としたシンデレラストーリー。
高貴な生まれの王女は身分に気付かず暮らし、そこに現れた救世主に救われて王女に返り咲き、悪者を倒してベアトリクス帝国と仲良くする……子供が好みそうな二流脚本だ。
そしてその実、ヒロインの少女の末路は傀儡。ベアトリクス帝国の言いなりになる、『信頼』という名の鎖で縛られた忠実な手駒となるだろう。
(ククク……見える見える……そのまま同盟からの属国化まで一直線というわけか。
まさに戦わずして勝つ……上手いやり方を考えたものよ。
こう考えると、イザークは最初から奴らの選んだ駒だったと考えた方が自然だな。つまり11年前から既に始まっていたわけだ。
……フェリックスの誕生祭での一件は、邪魔になるだろう私の権威と影響を墜とす為のもの……。
いや、あれだけでは不足だな。あの一件は私自身よりも、フェリックスを焦らせる為のものと見るべきだろう。
となると、奴らが次に唆す相手はフェリックスである可能性が高い。
……これで本当に踊らされる愚か者ならば、手切れ金を渡して追放してしまうか)
危ないところだった、とベルンハルトは敵の手腕を称えたくなった。
あわや、戦いすらせずに負けるところだった。
流石に自分でも帝国とオルクス同盟に加えての王剣二本は相手に出来ない。
それがたとえ、本来から大幅に機能を制限されたものであろうとも。
(だが脚本は寸前で書き替えられた。
王女を救い出す救世主はメルセデスにすり替わり、王女の信頼も娘が勝ち取った。
更に素晴らしい事に、メルセデスは私と同じで情に流される事はない。信頼を得ても、相手を信頼する事は決してない。
そして――)
ベルンハルトは笑みを抑えきれなかった。
彼の中には既にパズルのパーツが出揃っている。
10歳にして既に財を築き、上質な衣装に身を包んでいたメルセデス。
あの他を寄せ付けぬ力。執事が一度見たという鎧の魔物と黒い狼。
消えたシュタルクダンジョン。
全てが、理想以上の状態で一致する。符号がピタリと噛み合う。
「いい……いいぞ……実にいい……!
流れが来ている……時代の流れだ……。
このままいけば、三つ……いや、それ以上のダンジョンを一勢力としてまとめる事が出来るやもしれん」
メルセデスは知らない事がある。
それはダンジョンの所有者が後継者のいない状態で死んだらどうなるか、だ。
その場合ダンジョンは未攻略の状態となり、どこかに復活する。
だがダンジョン所有者がダンジョン所有者を殺した時に限り、ダンジョンは強奪する事が可能なのだ。
更にもう一つ。攻略者の血縁者に過ぎない者を下位権限、攻略者本人を上位権限と呼び、下位権限のマスターは同意の下で上位権限のマスターにダンジョンを譲渡する事が可能である。
ベルンハルトはその事を知っていた。
とはいえ、無論娘を殺す気はない。あれほどの逸材を死なせる程ベルンハルトは愚かではないのだ。
王女も今のまま行けば、勝手にメルセデスに協力するだろうから、やはり必要ない。
そんな事をせずとも、これに対抗出来る力など皆無だ。
それに上手く誘導すれば、メルセデスにダンジョンの権限を譲渡させる事すら出来るかもしれない。
「クハハ……見えるぞ。ベアトリクス帝国が……否、フォーゲラもエルフェもシメーレも、その全てが平伏す光景が。史上かつて誰にもなし得なかった世界統一の未来が」
ベルンハルトの顔が喜色に染まる。
三つのダンジョンの力を束ねれば抗える敵はいない。瞬く間に全ての国を蹂躙し、支配出来る。
世界から戦争はなくなり、高貴なる者が全てを支配し管理する理想郷が待っているのだ。
最初は無論反発もあるだろうし、混乱もあるだろう。
だが、ベルンハルトにはあえて王にならず領地経営を続けた事で培ったノウハウがある。
村を、都市を、国を富ませる自信がある。それをブルートという大都市で既に実践もしている。
彼の治める都市のブルートは世界全体で見ても有数の豊かな都市だ。これは全てとまでは言わないが、ベルンハルトの手腕によるものである。
そして民というのは現金なもので、富みさえすれば掌を返して支持するものだ。
「王になるのが私か、あるいはメルセデスかは分からぬが……見えて来たぞ、理想の未来が。
いつまでも前進せぬこの世界を。この私が……あるいは我が血を最も色濃く受け継ぐ者が終わらせ、そして変えるのだ!」
ベルンハルトは野心を燃やし、一人笑い続ける。
今はまだ静かに。
だがやがて、その狂える野心の炎は世界全てを巻き込むだろう。
その時は――そう、遠くない。
ベアトリクス女王「そうや! ジークリンデに恩売って傀儡にしたろ! これで王剣確保や!」
ベルンハルト「そうや! ジークリンデに恩売って傀儡にしたろ! これで王剣確保や!」
敵も味方もロクなのがいない王女の明日はどっちだ。




