第三十八話 命乞い
第一王子の誕生日を祝う会場は今や喧噪に包まれていた。
オルクス国の中でも最も力を持つ貴族であるベルンハルトのまさかの暴挙に国王は追い詰められ、貴族達は事態についていけず茫然としていた。
しかし全員が棒立ちをしていたわけではない。何人かは迅速に動き、ベルンハルト側と国王側に別れて争いを開始した。
ここでベルンハルトに味方する貴族が多く出てしまう辺り、今の王がいかに不満を持たれていたかが分かる。
戦いは一方的であった。王が突然の事態に対応出来なかったが故の数の差もあるが、それ以上にグリューネヴァルト親子が頭抜けている。
メルセデスがハルバードを薙ぐだけで兵士が紙のように飛び、近付く事さえ出来ない。
ベルンハルトはポケットに手を入れたまま魔法を行使し、床からは次々と鋼の槍が生えて王側の兵士を串刺しにした。
護衛の兵士も決して無能というわけではないのだ。
仮にも国王の身の安全を守るという大任に就いている以上、相応の実力を備えている。
特に国王の側に控えていた近衛隊長は、かつてAランクのシーカーだったという折り紙付きの経歴の持ち主だ。
他の近衛騎士も選りすぐりの精鋭だけを選んだエリート集団である。
だがそれが、まるで相手になっていないのだ。
片腕を犠牲にメルセデスに近付いた騎士は頭を床に叩き付けられて失神し、仲間を踏み越えてベルンハルトに近付こうとした騎士は彼を一歩も動かす事なく槍に貫かれた。
(凄まじい精度だな……)
ベルンハルトが行使しているのは鉄属性の魔法だろう。
メルセデスは未だ土属性の先に行けず、鉄属性を使えない。
それを父は軽々と使いこなし、驚くべき精度で敵を蹴散らしているのだ。
大口を叩くだけの事はある。メルセデスはベルンハルトへの評価を上方修正し、改めて厄介な男だと再認識した。
今は暫定で味方だが、いつか敵として戦う相手だ。
やはり最初に会った時点で敵対しなかったのは正解だった。
ダンジョンを使えばあの時の自分でも負けはしなかっただろうが、戦えばベンケイやクロを失っていただろう。
いや、未だベルンハルトがその全力を見せていない事を思えば、負けていた可能性すらある。
認めるしかない。ベルンハルトはダンジョンを攻略出来る実力がある、と。
ハルバードを軽々と振り回して敵を蹴散らすメルセデスを見ながらベルンハルトは思った。
やはり学園に入れて正解だった、と。
身体の動きや武器の使い方が随分と様になっている。
元々荒削りながらセンスはあったが、正当な教育機関に入れた事で技を手に入れ、研ぎ澄まされている。
元々Aランクシーカー以上の力はあったが、その成長は留まる所を知らない。
それが嬉しくもあり、同時に厄介でもあった。
今は大人しくしているが、我が子はいつか牙を剥く。
そうとも、このベルンハルトの血を引く子なのだ。大人しいままで終わるわけがない。
仮に自分が二人いれば、必ず殺し合いになるという確信がある。
それと同じ事。
メルセデスは喜ばしい事に、ベルンハルトの血を色濃く受け継いでいる。
だからこそ必ず反逆する。
今ならばまだ、メルセデスに隠している力でもない限りは自分が勝つという自負がある。
だがこの先どうなるか分からない。
今ここにいる兵士や偽の王などベルンハルトにとっては敵でも何でもない。
真に警戒すべきは、いずれ牙を剥く我が子である。
メルセデスとベルンハルトは共闘しつつも互いを観察していた。
今戦っている兵士など眼中にない。視界には映っていても敵と見做していない。
二人の目は共に、そう遠くない未来に待っている父と娘の戦いへと向いているのだ。
「ひ、ひいい!」
そして現国王――イザーク・アーベントロートは腰を抜かして情けない声をあげていた。
全ては上手く行っていたはずであった。
男児に恵まれなかった王家に婿として迎え入れられ、王の地位を手に入れた。
妻は幽閉し、王になる以前から付き合っていた今の妻と息子達を新たに妃として迎え入れた。
赤子だったジークリンデからは名を奪って娘に与え、代わりにジークリンデには影武者として育てていたと嘘を教えた。
無論問題はあった。王家の血を追放して乗っ取ってしまった以上、誰も王剣を使えない。
ここでジークリンデを我が子として育て、王剣を使わせるだけの度量があればまだ違ったのかもしれない。
しかし彼は恐れたのだ。ジークリンデの反逆を。
何より、前の妻の子など今の妻が許さない。
だがその問題も、ベアトリクス帝国と手を組むことで解消された。
魔物を閉じ込める封石を大量に提供され、偽の王剣を使う事で皆を欺けばいいと教えられたのだ。
更に唯一王家の血を受け継ぐジークリンデは学園に影武者として放り込めば、後はベアトリクス帝国の者が始末してくれると言ってくれた。
そうなれば表面的には、『影武者が役目を果たして死んだ』としか見えない。
誰も『本物の王女が死んだ』などと思わないだろう。
全ては上手く行っていた……そのはずだったのだ。
だが彼はこの国の貴族を舐めすぎた。
自らも吸血鬼でありながら、吸血鬼の上に立つという事の意味を理解出来ていなかった。
弱い王など必要とされない。それが吸血鬼という種族だ。
以前からも一部の過激派から疑われていた事は知っていたし、過激派筆頭であるベルンハルト卿の事は特に恐れていた。
ベルンハルト・フォン・ブルート・グリューネヴァルト……国内最強にして最悪の吸血鬼。
その性格は残忍にして冷酷。
八十年前の戦争では英雄グスタフと並んで多くの獣人を始末し、『串刺し卿』の異名で恐れられた男だ。
その功績を認められて公爵に陞爵し、今では王を凌ぐ発言力と権力を持つにまで至っている。
通常、権力を持てば誰でも腐るものだ。吸血鬼といえど安寧を得てしまえば研磨を忘れ、弱くなっていく。
だがベルンハルトだけは違う。彼は権力を得た今でも『串刺し卿』のままだ。
堕落をよしとせず、己を律し続けてきた。
ベルンハルトは残酷な男である。冷酷な悪党である。
他者を軽んじ、良心は欠け、自分以外は誰も信じない。
他者の人生を狂わせても罪悪感の一つも抱かず、殺めても何かを感じる事はない。
だが悪には悪なりの美学がある。矜持がある。
それは『力』だ。
強い者こそが貴く、強者にこそ価値がある。否、強者にしか価値はない。
それ以外など全て餌だ。血を吸われ、搾取される為の食料に過ぎない。
そこに例外などない。妻だろうが我が子だろうが――王だろうが。
力を示せなければそれは無価値な存在だ。王剣を使えないならば、それはもう王ではない。
故に殺める事に何ら躊躇はない。
最も吸血鬼らしい吸血鬼。
心の欠けた情無き男。
強さこそが貴さであり、それを最も体現している大悪党。
それがベルンハルト・グリューネヴァルトであった。
(ベルンハルトが強いのは分かる……分かるが……どうなっている!?)
ベルンハルトが強い。そのくらいは分かっていた。
だが問題は、もう一人の方だ。
ベルンハルトとまるで似ておらず、しかし彼の面影を確かに感じさせる少女が兵を次々に蹴散らしているのは一体どういう事だ。
悪夢でしかなかった。まるでベルンハルトが二人に増えたような錯覚すら感じられた。
やがて青髪の悪魔二人は、屍の山を踏み越えながらイザークへと近付いてきた。
恐怖で滲んだ視界のせいで表情は分からない。
だが、黄金の瞳だけがこちらを見据えているのだけは分かった。
まるで塵でも見るような冷たい四つの眼が、イザークの恐怖を駆り立てる。
先程『まるで似ていない』と思ったが……まるでモノを見るような、その瞳だけはそっくりだった。
「どうした? 何を恐れている?
立て、王よ。貴様は王なればこそ、立たねばならぬ」
歩みながらベルンハルトが言う。
立てと。立って戦えと。
戦って死ねと告げる。
「国を売ってまで得た地位だろう? ならばせめてしがみ付いてみろ。
下衆ならば下衆なりの矜持を示せ。意地の一つくらい通してみせろ」
メルセデスが王の前に立ち、最後の抵抗をしろと命じた。
この王が小物なのはもう分かっている。だがこんな塵にも劣る小物に人生をいいようにされたジークリンデが哀れだ。
だからせめて少しくらいはマシな姿を見せろと思った。
ただ震えて止まっているだけの塵ではなく、それなりの意地を持った悪党ならば、まだ少しは慰めになるだろうから。
「……た、たすけ……お願……します。
何でも……何でも言う事を聞きますから……妻も子もさしあげます……。
だから……だからどうか、わしの命だけは……」
だが口から出たのは望んだ言葉ではなく、どこまでも失望させてくれる薄汚い命乞いであった。
メルセデスとベルンハルトは同時に舌打ちをし、その瞳が侮蔑に染まった。
こんなものなのか。本当にこの程度の三下――いや、三下未満の塵なのか。
こんなモノが今まで国の頂点だったのか。
こんなモノに国は脅かされたのか。
ならばこれはもう害でしかない。こいつを生かす事による利が何も見えない。
「意地すら張れん小物か。何ともつまらん」
ベルンハルトが呆れたように言い、槍を造り出して手に取った。
「耳障りな鳴き声だ。豚の方がまだ気品がある」
メルセデスが武器を握る。
――もういい。お前は死ね。
同時に吐き捨て、メルセデスとベルンハルトは同時に武器を振り下ろした。
壇上のオーク「お待ちくだされ。その豚への熱き風評被害、わたくし黙っていられませぬ」
メルセデス「!?」




