第二十八話 学業
エーデルロート学園での授業はメルセデスにとって苦となるものではなかった。
あえて言うならば必修科目の算術が少しばかり退屈ではあるが、それは仕方のない事だ。
この国は大半の者が字の読み書きすら出来ない。そんな国では当然四則演算など一般人に望むべくもなく、全体的にレベルが低い。
この学園でも一応算術を教えてはいるが、そのレベルは日本の小学校低学年で教わるレベルにも劣るだろう。
これはメルセデス達の年齢が11歳だからというだけではない。
エーデルロート学園は七年制であり、十八歳で卒業を迎える事となる。
しかし、十七歳や十八歳といった高学年でも教わる内容は日本の小学生レベルすら超えていないし、九九もない。単純にこの国……というよりはこの世界全体の数学レベルが低いのだ。
なので、メルセデスにとって授業で教わるような算術など何の力にもならない。
この世界の計算が十二進法だったりしたならば、まだ学ぶ事もあったのだろうが、生憎と十進法が採用されている。これではメルセデスが学ぶ事など何もない。
しかし反面、歴史や魔法の授業などで得る物はメルセデスにとっても今後役に立つものが多い。
なので総合的に考えれば、学園での日々は概ね充実していると言えた。
「さて、今日はこのレッド・プラネットの成り立ちを教える。
今から2万年程前、この世界は生物が住める環境ではなかったという。
だがそこに、エデンから神々がやってきて、この世界を創り変えた。そしてこの世界は生物が住めるようになったのだ」
その日の最初の授業は歴史であった。
Aクラスを担当するグスタフは教壇の上でこの世界の成り立ちを語る。
メルセデスはそんな彼の話を聞きながら、内心複雑であった。
ダンジョンを攻略した時に知ってしまった真実の一端……この世界で謳われる神とは恐らく人間の事である。
だとすれば、今まで自分が月だと思っていたあのエデンは地球である可能性が極めて高い。
しかし疑問も残る。あれが地球だとすると、ここは一体どこなのだろうか。
レッド・プラネットという名前的に火星を連想するが、火星から見える地球はあんなに大きくないはずだ。
ならばこの世界は一体何なのか……疑問は尽きない。
「先生、だとすると今もエデンには神々が住んでいるのですか?」
「いや……神同士で争い、“神の火”で互いを滅ぼしてしまったと言われている。
だが、あんな球体の上に住み、空を渡ってこの世界にまで来られる力の持ち主だ。もしかしたらまだエデンで生きている神がいるのかもしれんな」
「そんな凄い神様なのに、滅んじゃったんですか?」
「いくら神といえど、同じ神の使う火には耐えられなかったのだろう。神を滅ぼせるのもまた、神だったという事だ」
生徒の質問に答えるグスタフの声を聞きながら、メルセデスは考えた。
強すぎる力は自らを焼く。神……人間はきっと、発展しすぎた事で自ら滅びの道を歩んでしまったのだ。
ただの殴り合いならば、死に至る可能性は低い。大怪我で済むかもしれない。
だが刃を持てば殺し合いとなり、数が集まれば戦争となる。
剣や火縄銃程度の武器で戦うならば滅亡に繋がる事はないだろうが、それが戦車や戦闘機、ミサイルになれば被害は増え、そしてその威力を更に高めてしまえば、待つのは自滅だけだ。
「この地に降り立った神々は自らの姿を模して知恵ある生物を創造した。
それがファルシュであり、俺達吸血鬼もファルシュの一つに含まれる。
また、神々はエデンから生物の種を持ち込み、この世界に多様な生物を作り出した」
まるでノアの箱舟だな、と思いながらメルセデスは手元の羊皮紙に書き込んでいく。
歴史の授業は学べる事が多い。思うに全てが事実ではなく、後世になってから誇張されたり勝手に付け足されたりしたものもあるだろうが、それでも歴史を学べば世界の全体像も何となく見えてくる。
戦学も中々面白いものがある。
教わるのは主に領主となった後の兵士の動かし方などであり、内容のレベルが高いか低いかで言えば恐らく低いだろう。
仕方のない事だ。中世真っただ中のこの世界の戦術と、近代になってから研究され尽した戦術で差が生じるのは当たり前の事である。
しかし、だからといって侮れるものではない。
時には、メルセデスが想像もしなかったような吸血鬼ならではの身体能力や魔法を前提に置いた奇抜な陣形や戦術などが飛び出してくる事もある。
更に相手側の事も考えねばならないので、人対人のセオリーが絶対正しいわけでもない。
例えば敵を包囲するのは有効だが、フォーゲラなどの空を飛べる相手を包囲しても意味は薄い。
むしろ相手側の戦術に、あえて包囲させてから狙い撃ちするといったものがあるかもしれない。
実技は生徒同士の模擬戦や教師を相手にした訓練。そして弱い魔物を相手にしての実戦などがある。
メルセデスとしては、シュタルクダンジョンの一階に出てきたモグラの魔物程度の強さを想定していたのだが、実際に授業で出てきたのは気が抜けそうになるほど弱い、狼男であった。
以前捕獲したヴァラヴォルフ・ブラウよりも更に一回り小さく、子供と同じくらいの身長しかない。
この魔物を相手に授業で学んだ技などの練度を試すのだ。
魔物は恐らくシーカーギルドなどに依頼して手に入れているのだろう。
「次、グリューネヴァルト」
訓練用の剣を渡され、前へと出る。
メルセデスの前に立つのは自分よりも頭一つ大きい程度の、小柄な狼男だ。
十一歳の子供に刃物を持たせて魔物と戦わせる辺り、やはり日本とは常識が異なる。
だがメルセデスにとって、魔物との戦いなど今更だ。
この国で教えられている剣術は五つの構えから成り、その五つで十分であると教わる。
まず基本である『不定』の構えは剣を中段に構える形であり、正眼の構えといった方が分かりやすいだろう。どの形にも素早く移行出来る最もスタンダードな構えだ。
『鷹』の構えは頭上に剣を構える形であり、叩き切る事に向いている。
『猛牛』の構えは頭の左右どちらかに剣を構え、切っ先を相手の顔へと向ける、突きに向いた構えだ。
『犀』は腰に剣を構えて切っ先を敵へと向ける構えで、切り上げへ移行し易い。
『蛇』は下段に剣を構え、切っ先を地面へと向ける守りの型だ。体力の消耗を抑えつつ、突き、切り上げ、更に足元への攻撃と幅広く移行出来る。
以上五つが、この国の剣術の構えである。
このうち、メルセデスが好むのは『猛牛』と『犀』の構えだ。これらはハルバードの扱いにも応用出来るので、今から練度を上げておきたいと考えている。
「ふっ!」
猛牛の構えを維持したまま敵へと飛び込み、片手平突きへと移行。
狼男の首を突き刺し、一撃で絶命させた。
この程度の魔物ではメルセデスの速度には追いつけず、彼女の膂力に耐えるだけの強靭さもない。
技術などなくとも苦戦する事はないだろう。
メルセデスは顔色一つ変えずに武器に付いた血を拭き取り、そのまま生徒達の中へと戻る。
グスタフも特に言う事はないようで、手元の紙に何かを書き込んでいた。
生徒達はメルセデスの実力を前に沈黙しており、敬意と恐怖が視線となって彼女に集中している。
「次、ジークハルト・アーベントロート」
「はい!」
メルセデスの後に出たのは、現在この学年で最も注目を浴びている生徒だ。
ジークハルト・アーベントロート……この国の第五王子であり、あの日にメルセデスが賊から救った少年でもあった。
継承権は低いが、それでも王子様だ。成績は優秀であり、入学試験ではメルセデスと並んでトップ。顔立ちも幼いながら秀麗で、銀色の髪がよく似合う。
将来はきっと、物語のようなハンサム吸血鬼となるだろう。
そんなわけで彼はとてもモテていた。爆発して欲しいほどにモテモテであった。
動作の一つ一つは気品に溢れ、その顔は常に優し気な微笑みに彩られていた。
同じく洗練はされているものの、どこか野生味を感じさせる上に冷たい印象を与えるメルセデスとは真逆の少年だ。
無論優雅なだけではない。今も、不定の構えから素早く『鷹』へ移行し、魔物の頭を叩き割っている。
今の所、生徒の中で一撃で魔物を屠っているのは彼とメルセデスだけだ。
同じ瞬殺でもメルセデスと違い、彼を取り巻くのは賞賛だけだ。そこに恐怖はない。
ジークハルトは生徒達の輪へと戻り、すれ違い様にメルセデスへと微笑んだ。
しかしメルセデスは微笑まれる意味が分からないので、これをスルー。
ジークハルトは少し傷付いた顔になった。
◆
選択科目のエルフェ語は、この世界で最も知られている言語だ。
この世界の言語は多岐に渡り、例えば吸血鬼の言語だけでもこの国で使われているオルクス語の他に様々な言語があるとされ、その数は十を超える。
シメーレやフォーゲラも似たようなもので、言語の統一化が全く為されていない。
だがエルフェだけは違う。彼等はこの世界で最も繁栄しているファルシュでありながら、言語が完全に統一されている。
例えばオルクス語を話せたとしても、別の国に行けば同じ吸血鬼なのに話が通じない事がある。
しかしエルフェはそうではない。エルフェ語さえ習得していれば必ず会話が通じる。
なのでエルフェ語の汎用性は高く、エルフェ以外のファルシュでもギルドの職員などがエルフェ語を覚えている事は多い。
言葉の通じない異国に行っても、エルフェ語さえ習得していれば何とかなる可能性が高いのだ。
この学科だけは流石にメルセデスも余裕とはいかなかった。
前世の知識が一切役に立たない未知の言語など簡単に習得出来るものではない。
メルセデスの実家には他の吸血鬼の国の言語を記した本はあったし、メルセデスもそれらを読んでかろうじて話す事くらいは出来る。
しかしそれは、同じ吸血鬼という事でオルクス語と似通った部分が多くあったからだ。
だがエルフェ語はこの学園に来てから初めて学ぶ上に、オルクス語とは言語体系が全く違う。
ある意味では、初めて他の者と同じスタートラインに立って始める勉学と言えた。
しかしメルセデスは手こずる事を苦とは思わなかった。分からなかった事が分かるようになるのは充足感を与えてくれる。
彼女は基本的に勤勉であり、知識が増える事に喜びを見出すタイプだ。
なので、これは彼女にとって全く苦痛ではなかった。
エーデルロート学園に入学してより一月。
メルセデスは何だかんだで、この生活も悪くないと思うようになっていった。
ヘ○ヘ
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【鷹の構え】




