第二十二話 歪な親子
魔法の発動時に手などで指向性を与えずとも発動が出来るとメルセデスが気付いたのは修練で自らに重力をかけている時であった。
魔法というのは通常、手などから発するイメージがある。メルセデスもそれは例外ではなく、前世で見たフィクションなどの影響から自然と手などから指向性を与えて発する物であると誤認していた。
だがそうでないと自身が魔法を習得して初めて気が付いた。
魔法の発動に必ずしも手を翳す必要性はない。その方が発動し易く、魔力を練り上げる事が出来るのは事実だ。
より強く魔力を集積し、威力を高める事が出来るのも確かだ。
だが魔法を発動するだけならば手は要らない。目で見るだけで……否、念じるだけでも狙った場所に魔法を発動させる事は出来る。
そして、今使用した居合の拳もそれを応用した技術の一つだ。
目だけで指定した場所に微弱な引力を発生させ、自らの腕を引き寄せる事で自動防御、及び自動攻撃を成立させた。
さらに抜拳の際にポケットの中で斥力を形成し、拳を反発させる事で加速させる。
今はまだ未完成で安定性に欠ける故に名前を付けていないが、完成すれば強力な武器となるだろう。そうメルセデスは確信していた。
未完成の居合拳でベーゼデーモンを沈めたメルセデスは、とりあえず彼に止めを刺さずに連れて行く事にした。
ボリスだけではどう考えてもこの魔物を連れて来る事など出来ない。
あの封石の出所も気になったメルセデスは、とりあえず彼から情報を絞ろうと考えたのだ。
気絶しているベーゼデーモンを掴み、そのまま引き摺って歩く。
本当はダンジョンに封じてしまえば一番簡単なのだが、人目のある所では流石に控えておくべきだろう。
「ま、待ってくれ。君は一体……」
フェリックスがメルセデスを呼び止めるが、メルセデスはそれを一瞥しただけで横を通り過ぎた。
一体何者だ、とでも問いたかったのだろうがそれは答えに困る問いだ。
何者だと言われても答えようがない。単なる側室の子で、フェリックスの腹違いの妹で、そしてこれからはグリューネヴァルトではなくなる者。全てフェリックスも知っているだろう既出の情報だ。
「さて、パーティーは終わりと考えていいでしょう。私達も帰りましょうか、母様」
「そうねえ、と言いたいんだけど……どうもあのファッキン……じゃなくて、お父様が何か貴方に用があるらしいわよ」
メルセデスとしてはここにもう用はないので早々に帰りたいのだが、リューディアに言われて後ろを振り返るとベルンハルトがこちらに歩いてきているのが見えた。
彼はそのまま傷を負っている我が子を一瞥すらせずに横切り、メルセデスの前に立つ。
「何か御用ですか? グリューネヴァルト卿」
メルセデスは実の父に対し、あえて露骨なまでの他人行儀な呼び方をした。
自分は本妻ではなく側室の子であり、今となっては母と共にいつでもこの都市を出ていけるので今すぐにグリューネヴァルトの名を剥奪されて追放されても全く困らない。
今までに固めた地盤がある故に媚を売る必要もない。
何より、今更になって初めて会った男を父と呼ぶ気になどなれない。
それらの事から、メルセデスは意図的に壁を作ったのだ。
今日初めて会った父は、改めて見ると確かに自分の父なのだろうと強く再確認出来る。
青い長髪。美形というよりは野生の獣を思わせる厳つい顔立ち。飢えた猛禽類のような黄金の瞳。
顔立ちは母側の遺伝子が仕事をしてくれたらしく全然似ていないが、髪と瞳の色が完全に一致している。
更に両者の纏う空気が酷似している事にも周りの者達は気が付いた。
「メルセデス……だったな。見事な戦いだったぞ、我が子よ」
メルセデスは父の発言に目を細めた。
どういうつもりだ? 今更になって我が子呼びなどと……。
いや、それ自体はおかしな事ではない。長年放置されていようと、メルセデスが彼の子である事実は変わらず、そう呼ぶ権利が彼にはある。
しかし今になって突然そう言いだす事にメルセデスは不気味さだけを感じていた。
「宝石というものは思わぬ所から出て来るものだ。
血筋を厳選し、徹底した教育を施したはずのフェリックスのあまりの不出来さに辟易していた。
もう一度子を為し、後継者に相応しい者が現れるまで待つべきかとも考えていた。
いやはや、側室の子と思って侮るものではなかったな。もっと早くに気付くべきであった。
こんな所に、望んだ我が子がいようとは」
その言葉は、明らかにおかしなものであった。
それはまるでメルセデス以外を子とは思っていないような口調であった。
まるで、メルセデスだけが自分の子であるかのような語りであった。
フェリックスすらも含めて、他の子供達を完全に無視しているような……異常さを感じさせる言葉だった。
「後継ぎはフェリックス……兄上だったと記憶していますが。
私などを気にしている暇があるなら、兄上の心配をするべきでは?」
「いいや、違う。お前に兄などいない。
真にお前の兄ならば……我が子ならば、あそこまで無様であるものか。
アレは我が子と呼ぶにはあまりに血が薄すぎる」
ベルンハルトはフェリックスやボリスを一瞥し、軽蔑し切った目を向けた。
それは明らかに父が我が子に向けるものではなく、本妻であるはずの女性すら含めて何の情も抱いていないと確信させるに十分なものだ。
優れていないから我が子ではない。無様だから自分の血を引いていない。彼はそう語っているのだ。
その歪さにメルセデスを除く全員が絶句する中、彼の語りは続いた。
「血筋を重んじた。私には劣るなれど、貴なる血筋の女であれば我が血を色濃く残す子を為せるかと期待した。
しかし生まれた子は驚くほどに私の血を全く継いでおらず、いくら金を投じて教育しようと私に近付かん。
私は失望した……もう一度、母体を厳選して初めからやり直す事も考えた」
(こいつ……本人の前でぬけぬけと)
言葉をまるで選ばぬ父に、メルセデスは若干の不快感を感じた。
フェリックスもその母も、メルセデスにとっては他人だ。
他人が誰にどう言われようと、それで心を動かす程メルセデスは慈悲深くはない。
例えば家の外で見知らぬ誰かが見知らぬ誰かに罵詈雑言を浴びせられているとして、それで何かを感じるだろうか。
精々が、酷い事を言うな、可愛そうだな、と思う程度だろう。心からの怒りや哀れみなど抱きはすまい。
もしも見知らぬ他人の為に本気で怒り、泣けるならばその者はきっと善人なのだろうが、メルセデスは違う。
しかしそんな彼女でも、ベルンハルトにこうまで言われた本妻とフェリックスの事は哀れむ他なかった。
「だが、この無意味としか思えなかった宴にて私は見付けたぞ。
最も色濃く私の血を継ぐ、私と同じ存在を。
ああ、私は今歓喜している。子を持つ親の喜びとはこういうものか。
初めて会えたな……我が子よ」
「……今まで共に過ごして来た妻や、子への愛はないのですか?」
「これは不思議な事を言う。お前自身が分からぬ物を、私に問うのかね?」
ベルンハルトの言葉にメルセデスは息を呑んだ。
それは咄嗟に反論の言葉が思い浮かばぬ程に図星だったからだ。
メルセデスは愛というものを知らない。そういうものがある事は知っているが、その感情を抱いた事は一度もない。
前世から……そして転生してからはより一層、心が薄くなってしまった事を自覚している。
この世に生んでくれた母には感謝している。こんな自分を育ててくれた事への恩義を感じている。
彼女の娘として母に報いたいという義理を感じている。娘として母をこの生活から逃したいという責任感を感じている。
だがメルセデスが母への愛を感じた事は一度もない。
世話役の老婆にも感謝している。恩に報いたいと思っている。
だが彼女にも愛を感じた事はない。
マルギットの事は可愛い妹だと思っている。
不幸にはなってほしくないし、幸せになって欲しいとも思っている。
だから手を貸したし、独り立ち出来るように協力もしている。
だがそれは、見捨てれば自分が後味の悪い思いをするからやっている事だ。
妹を見捨てる外道になりたくないから助けた。自分にも情があると思いたいから、情がある振りをして手を差し伸べた。
そこに愛や情など、本当はない。
前世から、何かが他人と違っていた。
大事だと思えるなにかと出会えなかった。
何をしても心から楽しいと思えなかった。
決して楽しめないわけではないのだ。少しくらいはそういう感情もあるし、心のゆとりを保つ為にそういう娯楽が必要だという事も知っている。
だがそれでも、他人と比べてメルセデスは何かを楽しむ事が出来ず、楽しめないのだから利の多い方を優先してしまう。
メルセデスは努力をする才能があるわけではない。
物事を楽しむ才能がないのだ。
メルセデス・グリューネヴァルトは人として大切な何かが生まれながらに……否、生まれる前からずっと欠けている。
彼女は決して満月にはなれない、歪な欠けた月だ。
「同じだ、私達は。情などという不確かな弱い物を持たぬ強者なのだ。
お前の目を見た時から思っていたよ。
ああ、初めて私は私と同じ心を持つ理解者に会えたのだと」
メルセデスは無言であったが、しかし胸中では賛同していた。
確かに、メルセデスもまたベルンハルトを見た時に鏡を見たような錯覚に陥ったからだ。
この男は自分の同類なのだと、本能で理解してしまった。
嫌な事だが、元々似ていた上に血まで継いでしまったせいだろう。
認める他ないほどに、メルセデスとベルンハルトは親子であった。
「これからは共に暮らそう、我が子よ。
お前こそが私の求めた、私の後継者だ」
「そのように突然掌を返されて、私がそれに応じるとでも?
今の今まで父に放置されていた子が反発しないと何故思うのかが不思議ですが」
「言っただろう、お前は私と同じだと。
お前は私に反抗心など本当は抱いていない。抱いている振りをしているだけだ。
何故ならお前は最初から親の愛など求めていない。求めていないのだから、与えられなかった事への怒りなどあるはずがない。
そしてお前は必ず私の手を取る。何故ならこの手を取るメリットと、取らぬ事によるデメリットのみで物事を考えているからだ。そこに感情などという物をお前は挟まない。
お前は最後には必ず『利』を選ぶ」
……これも、図星であった。
メルセデスは確かに父への怒りなど全く感じていない。
何故なら彼の言うように、愛など最初から求めていなかったから。
だからメルセデスは今までずっと、父の事を他人と同程度にしか思っていなかった。怒りも不満もなかった。
更に彼の言う通り、メルセデスが今考えているのは、この手を取る事によるメリットと、取らぬ事によるデメリットだ。
その二つを秤に乗せ、下手にここで反発して逃げて、それで動きにくくなるよりも、開き直ってこの父を利用した方が遥かに得であると結論を出してしまっている。
グリューネヴァルトの名は利用出来る。
これがあれば、今まで受ける事の出来なかった正規の教育や訓練を受けて基礎を固める事が可能だ。
更に貴族しか入手出来ない多くの本や知識を取り込む事が可能になる。
父に人生を狂わされた母を哀れだとは思っている。ああ可哀想だなと思う。
報われて欲しいし、こんな不憫な境遇から脱却して欲しいと思う気持ちに嘘はない。
マルギットも、他の兄弟達も皆被害者で父が加害者だ。分かっている。
だがそこに怒りはない。
そもそもここで怒りを覚えて何か得をするのか?
一時の感情に身を任せて自ら不利になり、何も得ず、得るはずの利を失うのは愚かな事ではないか。
先の結果を考えて自分に有利なように動く。それは間違えていないはずだ、正しいはずだ。
この判断に何ら誤りなどないはずだ。何故ならこの方が絶対に有利に働くのだから。
敵を無理に作るより、この男を利用する。あえてこの誘いに乗る事で母や妹への待遇の改善を引き出す。その方が絶対に正しい。
…………正しい、はずだ……。
「……なるほど、貴方の言う通りだ、父上。
確かに私は貴方の娘らしい。嫌になるくらいに思考が似通っている。
本当はすぐにでもこの都市を出ていく気だったのですが……私もまだ幼い。もう少しこの都市に腰を落ち着けて研鑽に励む方が結果的にはよい未来を手繰り寄せるでしょう。
ああ、認めましょう。貴方の提案は私にとって渡りに舟だ。貴方を利用させて頂きますよ、父上」
メルセデスのその言葉にベルンハルト以外の者がぎょっとした。
口調こそ丁寧なままだが、メルセデスはここにきて完全に猫を被るのを止め、堂々と父に利用すると言ってのけたのだ。
だがこれにベルンハルトは気分を害した様子はなく、むしろ愉快そうに笑みを深くした。
「それでこそ我が子だ」
歪んだ父の差し出した手を、歪んだ娘が取った。
互いに相手への愛などない。一片もない。
ただ、冷たい同調があるだけだ。
その異様な在り方を見てフェリックスは心底から思う。
――この二人は普通じゃない。
Q、ベルンハルトさん、フェリックスの何が気に入らんの?
ベルンハルト「マトモすぎるし常識的すぎる。あんなん俺の子ちゃうわ」




