第十九話 フェリックス・グリューネヴァルト
タイトルをまた変更しました。
コロコロ変わって申し訳ありませんが、これで最終決定とします。
吸血鬼の国における新聞というものは一部の貴族や商人の読み物である。
活字印刷の技術が確立していない為に本などを全て手書きで造らなければならず、十分な数が用意出来ないからだ。
更に言うと、そもそも識字率が低いので新聞を発行しても殆ど読まれないというのもある。
しかし、だからといって人々が情報を入手出来ないというわけではない。
街角では毎夜、同じ時間に新聞を大きな声で朗読する者がいて、人々に情報を伝える。
識字率が低いからこそ成り立つ職業だ。
「トライヌは時間を容器に封じ込める技法を発見した。
この技法を使えば、季節に影響なく、春夏秋が容器の中で訪れ、農産物が畑にある状態で保存できる。
もう食料を保存するのに薫製や酢漬けにする時代は終わりを告げたのだ。
美味な物が美味なまま保存出来る。これは今後の航海に大きな影響を及ぼすであろう」
そんな活気に満ちた夜道を一台の馬車が通った。
中にいるのはメルセデスと、その母であるリューディア・グリューネヴァルト。そしてお付きの老婆の三人だ。
ベンケイとクロは万一を考え、現在はダンジョンごとハルバードの中に入っている。
余談だが、メルセデスはこのハルバードとは長い付き合いになると考え、『ブルートアイゼン』という名を付けた。
いつまでもただのハルバード呼びでは味気ないと考えての事だ。
「それにしてもメル、貴女こんな馬車を借りる事が出来るようになったのねえ」
「ああ。シーカーの仕事が上手くいってるんだ」
リューディアがのほほんと尋ね、メルセデスもそれに穏やかな声で答える。
メルセデスは普段は抜き身の刀のような鋭さと、冷たい氷のような態度を崩さないが、それは相手を信用していないからだ。
逆に言えば相手を信頼しているならば刀は鞘に納めるし、氷も溶ける。
決して本心から冷たいだけの吸血鬼というわけではない。
「それにしても、まさか儂等がパーティーにお呼ばれするとは思いませなんだ。
何か、よからぬ企みがないとよいのですが」
「心配はいらないよ、婆や。本妻の子が自分の優秀さを参加者達に見せ付けて後継者の座を固めようとしているだけだ。
ま、程々に付き合って、負けてやれば向こうも満足するさ」
今回の茶番で、メルセデスは勝つ気など全くなかった。
下手に勝って逆恨みされたり、権力闘争に巻き込まれるのは面倒臭いだけだ。
それよりはある程度相手に付き合って、適当な所で負けてやるのが一番楽でいい。
グリューネヴァルトの跡など、元より継ぐ気はないし、自分を良く見せようとも思わない。
負けた結果、僅かな手切れ金を渡されて放逐されるならばそれで万々歳。喜んでグリューネヴァルトの名を捨てよう。最悪手切れ金はなくてもいい。
これは別に父が外道なわけではない。
時代が中世で止まっているこの世界の貴族社会において、跡継ぎ以外の我が子を僅かな手切れ金で放逐するのは至極当たり前の事であった。
食い扶持を減らす為に我が子を戦争に送り出す事すら普通の事である。前世とは価値観が全く違うのだ。
グリューネヴァルトの本邸は流石に豪華な物であった。
屋敷の大きさや煌びやかさというのは、貴族にとって自分の力を示す意味を持つ。
なので貴族は基本的に屋敷を大きく、派手にする。そうする事で力を誇示するのだ。
シャンデリアの輝きに照らされたホールには招待された多くの貴族が集まり、グラスを片手に雑談に華を咲かせている。
こういうパーティーは普段は殆ど会わない相手と交友を結ぶ商談の場にも使える。
なので貴族達はこれだと思った相手に積極的に話しかけていくのである。
そんな中でメルセデスは予想通りにほぼ放置状態であった。
対照的に人だかりが出来ているのは、同じく招待されていたらしいトライヌのいる場所であった。
彼の元には代わる代わる貴族が訪れ、休む暇すらなさそうだ。
彼は貴族ではないのだが、缶詰の発売などで今や一躍時の人だ。
ホールの端には以前も会った他の側室の子らが固まっており、メルセデスを見ると慌てて目を逸らした。
マルギットも反対側にいて、目立たないように縮こまっている。
このホールは普段はダンスにでも使うのか、中央がやけに開けている。
恐らく今夜は、あそこでフェリックスと戦う事になるのだろう。
まあ、どうせわざと負ける戦いだ。自分にとってはどうでもいい。
そう考え、メルセデスはとりあえず料理に手を付ける事にした。
メニューはアルコール度数低めのビールに、ソーセージ、ジャガイモ、それから白パンだ。
白パンが出る辺りは流石貴族といったところだが、それ以外は割と拍子抜けしそうなメニューである。
しかしそれも仕方のない事だろう。
吸血鬼の国は大地が痩せている為、小麦を殆ど育てる事が出来ない。
また、水も貴重でなかなか手に入らないので腐りにくく保存が効くアルコールが水分補給として主に用いられていた。
ジャガイモは痩せた大地でもよく育つのでこの国には貧富の差なく重宝され、ソーセージは冬を越す為に農家が豚を余す所なく使用して作り上げた。
ソーセージとは決して、豚のどんな所でも美味しく食べようというグルメな精神から生まれたものではない。
内臓や余った肉ですら使わなければ冬を越せない切実さから生まれた料理なのだ。
これだけの数を招待してしまった以上、料理がそうした貧相なもので占められてしまうのはある意味では当然の事であった。
だが何よりの問題は、吸血鬼は血さえ飲んでいれば生きていけるという事だろう。
血を混ぜれば大体の物は美味しく感じられるから料理文化が全然育たないし、保存食も発展しない。
干し肉をわざわざ作って食べるくらいなら、シーカーが捕まえてきた冬に強い魔物から死なない程度に血を抜き取って飲む方が早いし健康にもいい。
だからソーセージくらいしか料理らしい料理がなく、この国の料理事情は驚くほど貧相であった。
ソーセージですら、発案したのは吸血鬼ではない。そんなものなくても吸血鬼は血さえあれば冬を越せる。
ソーセージを作り上げたのは、獣人だ。というか大体の料理は吸血鬼以外が作り出しており、吸血鬼の国発祥の料理など一つもない。
チョコレートがあれほど売れたのも、そういう背景があったからかもしれない。
そんな中で吸血鬼が好むのは豚の血液を使ったブラッドソーセージだ。
味はレバーのようであり、栄養価も高い。基本的に飲血を好まぬメルセデスも、まあこれならば、と抵抗なく食べる事が出来る逸品だ。
そうして料理を食べながら待つ事数十分。やがてこのパーティーの主役が現れた。
「皆様、ようこそお越しくださいました」
現れたのは十四歳から十五歳ほどに見える金髪の美青年であった。
男の不老期は女性と比べるとやや遅い傾向があるのか、彼もまだ不老期には入っていないと見える。
隣にいるのは二十代半ばから後半という感じの男性だ。
背が高く、髭を生やしているので見方によっては三十代くらいに見えても不思議ではない。
髪の色は青く、痩せた頬と尖った顎が特徴的だ。
だが何よりも目を引くのは、何も信じていないような冷たい金の瞳だった。
(……あれが本妻の子と、私の父か)
何気なく父を見ていると、不意に彼と目が合った。
初となる父と娘の邂逅だが、しかし互いに向けているのは相手を信じていない氷の瞳であった。
まるで道端の石でも見るように金の目が互いを観察し、やがて興味を失ったように両者が視線を逸らした。
その間にも何やらフェリックスが演説していたらしく、彼は大仰な身振りを加えながら誕生会に集まった貴族達への感謝を述べている。
そのまま終わってくれればよかったのだが、残念ながらそうはいかない。
フェリックスの話はやがて、以前にボリスが語った通りに他の側室の子を巻き込む物へと変わっていく。
「皆様も既にご存知の通り、今回、会場には僕と同じくグリューネヴァルトの血筋に連なる我が兄弟達が訪れています。
そこで一つ、催しとして僕と彼等で力を競い合う事にしました」
言うまでもなく、この催しの狙いを参加者達は分かっている。
他の兄弟を打ち倒す事で自分こそが跡継ぎに相応しいと周囲に思わせる事。そして他の兄弟に諦めさせる事。そんな狙いがある事など、阿呆でもなければ簡単に分かる。
しかし誰もそれを口にはしない。この催しはいわば儀式のようなものだと思っているからだ。
普通に考えてフェリックスが勝つのは至極当然の事だ。だから本当ならば戦う必要性すらない。
要するにこれは、『参加者達がフェリックスを認めた』として振る舞う為の儀式なのだ。
だから彼等は余計な事を口にはしない。口々にそれは素晴らしい、面白そうだと囃し立てて茶番に付き合うのだ。
「さあ、兄弟達よ。前へ!」
面倒臭い、心底面倒臭い。
そう思いながらもメルセデスは席を立って前へと歩み出た。
だがこれに参加者達とフェリックスは僅かに意表を突かれた。
てっきり、ある程度緊張をするか、あるいは周囲を気にしながら出て来ると思っていたら緊張感など微塵も感じさせずに堂々と出て来られたのだ。
その後に続くようにボリスやゴッドフリート、モニカ、マルギットが歩み出る。
彼等はメルセデスと違って若干緊張しているのか、顔が強張っている。
マルギットなど泣き出しそうだ。
「この勇敢なる五人の兄弟達が僕と力を競い合います。
しかし、僕は女の子相手に暴力を振るう男ではありたくない。
そこで、妹達三人に対し僕は一切反撃せぬ事を約束致しましょう。
彼女達は一撃ずつ僕に攻撃を行い、それに僕が耐える事で力を示してみせます」
メルセデスはその言葉に若干の安堵を感じた。
よかった……もしもここで、自分の為にマルギットのような怯える少女を人々の面前で叩きのめすような外道だったならば予定を変更して恥をかいてもらわなければならなかった。
だが最低限の紳士としての気概は持っているらしい。
これならば安心して負ける事が出来る。
「さあ、まずは君からどうぞ」
まずフェリックスが指名したのはマルギットであった。
マルギットはおどおどしながら周囲を見て、最後にメルセデスを見る。
メルセデスが頷くと、意を決したようにフェリックスへパンチを繰り出した。
たかが幼女のパンチと侮るなかれ。吸血鬼である彼女の膂力は人間で言えば総合格闘技世界王者を一撃で悶絶させるくらいは出来る。
しかしフェリックスは笑顔を浮かべたままそれを受け、何事もなかったようにマルギットを抱き上げた。
「はい、ありがとう。皆様、小さな勇者に拍手を!」
まあ、これは当たり前の事だ。
吸血鬼とはいえ、幼女のパンチ一発でダメージなど受けるわけがない。
フェリックスは宣言通りに反撃を行わず、優しい兄として振る舞う事で自分の紳士ぶりをアピールする。
恐らく後二人の妹に対しても同じようにする気だろう。
続けて二番手のモニカがマルギットよりも鋭く、ドロップキックを放った。
だがフェリックスはこれにも耐え、同じように彼女を抱き上げる。
「さあ、次は君だ。きたまえ」
「…………」
メルセデスは少し困っていた。
どのくらいの力で攻撃すればいいのかがよく分からないのだ。
よく考えてみれば同じ吸血鬼を相手に攻撃するのは初の事。
吸血鬼なのだから、相手も強いと思って間違いはない……多分。
しかも英才教育を受けたエリートだ。もしかしたら自分よりも普通に強いかもしれない。
(……とりあえず三、いや、二割くらいで殴ってみるか)
二割の攻撃ならば、とりあえずモグラや骸骨剣士といった弱い魔物がギリギリ一撃死する程度だ。
ベンケイやクロなら耐え、シュバルツ・ヒストリエに至っては効きすらしない。そんな威力の攻撃だ。
これくらいならば問題ない、とメルセデスは考えた。
(ま、耐えるだろ……多分)
メルセデスは大して気負わず、自然体でツカツカとフェリックスとの距離を詰めた。
その余りに自然な動作にフェリックスは意表を突かれ――。
内臓ごと潰すかのような、凄まじい衝撃が腹部を貫いた。
一体何が起こったのか、すぐに判断する事は出来なかった。
内臓が潰れたかと思った。骨が砕けたかと思った。
それでも膝を突かなかったのは、多くの貴族や、何より父が見ているからだ。
そうでなければ苦痛に屈し、その場に倒れていただろう。
「……~~ッ!
み、見事な一撃だった……皆様、この勇敢なる挑戦者に拍手を!」
フェリックスは倒れそうになりながらも必死に虚勢を張り、何でもないかのように振る舞う。
だからこそ周囲の者達は気付かない。今、彼がどれだけ苦しんでいるのかを。
気を抜けばすぐにでも嘔吐してしまいそうなのを堪え、苦痛を顔に出さずに振る舞う事がどれだけ難しいか……そういう意味で言えば、フェリックスのこの虚勢は賞賛されて然るべきものであった。
(ほう、流石エリート。これならもう少し力を入れてもよかったかな)
当のメルセデスは少し加減し過ぎたかと反省していたが、まあ元より勝つ気などない。
それにこれ以上の力で殴っていたならば、フェリックスは虚勢すら張る事が出来なかっただろう。
フェリックスはゆっくりと自分の腹を見る。
余りの衝撃に、腹が破れて内臓が零れ落ちてしまっているのではないか……そう不安になったのだ。
しかし腹は破れておらず、しっかりとそこに残っている。千切れてもいない。
だが、そう本気で思ってしまうだけの打撃を受けたのは紛れもない事実だ。
そんな彼の前でメルセデスはぬけぬけと言う。
「流石は本妻の子だ。ビクともしないな。
参った、降参だ。私の負けだよ。やはり後継者には貴方こそ相応しい」
言うだけ言って勝手に負けを認めたメルセデスは早々にその場から離れた。
そんな彼女の背を見ながらフェリックスは背筋に冷たい物が伝うのを感じていた。
彼には分かったのだ。実際に拳を受けたからこそ確信出来た事がある。
(今の攻撃……彼女は、本気ではなかった……)
……もしも彼女が本気を出していたら、自分はきっと死んでいた。
その事を理解し、フェリックスは冷や汗が流れるのを止められなかった。
吸血鬼の国の料理事情
他種族「美味い物食べたいから料理開発するで!」
吸血鬼「血より美味いもんなんてないわ! 料理なんかいらんかったんや!」
他種族「もっと美味しいパン食べたいから研究するわ。生地が云々、焼き時間が云々、分量が云々」
吸血鬼「血かけりゃ美味くなるで! 工夫なんかクソや!」
他種族「作物が育たなくてこのままじゃ冬を越せない……なんとかせなアカン」
吸血鬼「寒さに強い魔物飼って、そいつらから血吸えばいいじゃん!」
他種族「小麦が育たない……何か他に作物はないか!」
吸血鬼「パンがなければ血を吸えばいいじゃない」
他種族「水が寄生虫だらけで飲めない……酒飲むしかないわ」
吸血鬼「水がなければ血を吸えばいいじゃない」
他種族「毎日の食事と栄養バランスを考えなければ病気になるで」
吸血鬼「ワイら血だけ飲んどきゃ基本的に健康優良児やで」
他種族の医者「栄養をしっかり採る事で病気が治る事もある!」
吸血鬼の医者「はい、悪くなった場所を切除しますよ。再生は自分でやってね。死にさえしなきゃそのうち治るでしょ」
これがこの国の食糧事情です。基本的に血さえ吸ってればそれでOKなので料理とか考えません。
パンはエルフェの国、ソーセージはシメーレの国、ワインはフォーゲラの国からの輸入品です。自分で作ってすらいません。
この種族、変にチート成分入ってるせいで逆に工夫とか全然しないんです。
他の種族が困難を乗り越える為に新発見や新開発している間、血だけで解決してしまう吸血鬼は前進しません。これはひどい。
Q、血に寄生虫とか入ってたらどうなるの?
A、飲んだ血ごと消化して栄養に変えます。血が主食な分、血液感染する病気や寄生虫などは基本的に効きません。