第十七話 ダンジョンの真実
シュバルツ・ヒストリエを倒したメルセデス達の前に、更に一つの扉が出現した。
それはこれまでのような巨大なものではなく、むしろ酷く質素に思える鉄の扉だ。
メルセデスは地面に落ちていたコートを羽織り、前のボタンを留める。
羞恥心は薄いが、しかしだからといっていつまでも下着姿でいる趣味があるわけでもないのだ。
念を入れて回復の魔石を使用して全員の怪我を癒し、鉄の扉を開いた。
そこにあったのは、奇妙な光景であった。
大広間と呼んでいいだけの開けた空間にはいくつもの木が生えており、木の中心部分は丸い水槽を嵌め込んだようになっている。
そして、その中にいるのは……魔物だった。
モグラの魔物に狼男、ゲリッペ・フェッター、ゼリー……アシュラオーガにシュヴァルツ・ヴォルファングまでいる。
何気なくモグラの魔物を見れば、目元にはやはり傷が付いていた。
それを抜けた先には台座があり、台座の上にはゲリッペ・フェッターの剣やベンケイが最初に使っていた剣と同じ物がある。
台座の下には穴が開いており、しばらく眺めていると、驚くべき事に台座にセットされているのと全く同じ武器が穴から吐き出された。
ゴボリ、と音がして振り返ると木の根元から魔物が沸いており、生まれたばかりの魔物は虚ろな目で門の外へと歩いていく。
間違いない……複製されているのだ。魔物も、武器も。
「こいつが真実とやらか。魔物も道具も複製し放題だな」
『はい。そして今より、ここの施設の全てが貴女の物でございます……ダンジョンマスター・メルセデス様』
誰かへの問い、というわけではなかったのだが、メルセデスの言葉に答える声があった。
それは最初にも聞いた、あの女性の声だ。
しかし声はすれども姿はせず。肝心の声の主がどこにも見えない。
「お前は?」
『私は製造№12、識別コード“ツヴェルフ”。
貴方達が今いる、このダンジョンそのものです』
ツヴェルフ、と名乗った声の自己紹介を聞き、メルセデスは流石にこれには動揺した。
それを表に出す事はしないが、驚愕を隠しきれずに若干表情が引き攣ってしまった事を自覚し、自分もまだまだであると自戒する。
そんな彼女の前で一人の女性が現れ、一礼をした。
黒髪を束ねた白衣の女性で、顔には眼鏡をかけている。
美人ではあるが、メルセデスが驚いたのはその外見特徴だ。
耳が尖っていない、獣の特徴もない、鳥の特徴もない、そして吸血鬼特有の瞳孔もしていない。
……人間だ。ファルシュではない。
学名ホモ・サピエンス。前世ではメルセデスもそうであった、ヒトと呼ばれる生き物だ。
「人、間……?」
『それは正解でもあり、間違いでもあります。
確かにこの姿はヒトの姿でありますが、貴方達と話しやすいように私が映し出した立体映像に過ぎません。
そしてこの姿は私自身の姿ではなく、私を創造した神々のうちの一柱を模倣したものでございます。
……それにしても驚きました。貴女は神々の名を知っておられるのですね』
「……本で読んだだけだ」
『そうですか。旧き時代に神々の名と姿を記した文献は全て処分されたはずなのですが、まだ現存していたのですね。
ファルシュにかけた思考のロックが世代交代で弱まったのでしょうか……ファルシュは姿を記した文献などを作る事を無意識下で避けるように出来ているはずなのですが……』
メルセデスの知る限り、人間は神ではない。
神話などでは人間は神の姿を真似た生き物だという話はよく出るが、それでも人間そのものはただの生き物のはずだ。
これは彼女にとって無視出来ない出来事であった。
たまたまこの世界を創った神々が『ニンゲン』という名だったのか。
それとも自分の知る人間が神を名乗ったのか……似ているようでも全然違う。
メルセデスは思う。今まで自分はずっと、ここを元の世界とは無関係の異世界だとばかり思っていた。
だがもしかしたら……ここは異世界などではないのかもしれない、と。
「ここが私の物になると言ったな。それはつまり、これからは私が魔物も道具も生産し放題という事か?」
『はい、その通りです。ただし無限に生産出来るわけではありません。
魔物や道具の複製にはエネルギーが必要となりますので、それが足りない場合は複製出来ません』
「それはどうやって増やす?」
『時間と共に自動で大気中に散布されたナノマシン……貴方達の言葉で言えばマナを吸収し、チャージされていきます』
メルセデスは頭が痛くなった。それは実質無限と言っていい。
そして突込みが追いつかない。何だ思考ロックって。何だ、ナノマシンって。
どうしたものか。確かに真実を求めたのは自分だが、まさかこんな物が出て来るとは思わなかった。
魔物も道具も複製し放題……これは使い方によっては一国に匹敵する軍事力だって得る事が出来てしまう。
そして更にもう一つ不味いのが、ダンジョンの真実に到達した者が過去にいる以上、そうした者達もまたこれを抱えていると考えていい。
何故表舞台に出て来ないのかは分からないが、一国すら滅ぼせる力を持つ個人が確実に、この世界には何人かいるのだ。
『まずはマスターキーをお受取り下さい。
マスターキーは決して壊れる事のない金属で出来ており、自己修復機能も有しておりますので通常の手段ではまず壊れません。
神々の戦において使用され、一国すら滅却したという“神の火”に耐えたという記録もあります』
ツヴェルフがそう説明すると同時にメルセデスの前に一つの宝石が現れた。
震える指先でそれに触れると、宝石が淡く輝く。
『マスターと認証されました。続いて待機モードと鍵モードの形状を決定して下さい』
「待機……? 鍵、モード?」
『マスターキーは持ち運びに優れた待機モードと、鍵として使用する際の鍵モードの二種類の形態がございます。鍵モードは武器としても使用出来ますので、剣などの形にする事を推奨します』
「鍵の時も小さくはならないのか?」
『技術の問題上、どうしても鍵の役割を果たす際には刀剣サイズになってしまいます。限界まで小型化はしているのですが、これ以上は不可能だったようです。申し訳ありません』
メルセデスはふむ、と頷いてツヴェルフの説明を理解する事に務める。
理由は分からないが待機モードと違い、鍵として使う時は大きくする必要があるらしい。
恐らくそれは、必要とする役割の差なのだろう。
技術的に小型化不可能なのではなく、鍵の果たす役割が大きすぎて小型のままではそれを為せないのだ。
半面、待機モードは何もしなくていいのだから小型にしてしまって問題ない……という所か。
「なら、ハルバードがいい。私が使っていた物と同じような形状で頼めるか?」
『了解致しました』
メルセデスの前の宝石は物理法則を無視して大きくなり、やがてそれはメルセデスが使用していたハルバードと全く同じ見た目となった。
手に馴染む感じも前と同じ……いや、むしろ前よりも手に馴染む気すらする。
『待機モードと鍵モードの切り替えは手にした状態で念じて下さい。そうすれば鍵は変化します』
「ふむ……確かに」
言われたままに念じると、面白いようにハルバードと宝石の形を往ったり来たりする。
とりあえず宝石のままだと落としてしまいそうなので、後でこれを嵌め込める鎖付きのアクセサリーでも造ろうとメルセデスは決めた。
変にひけらかしているとスリに狙われるかもしれないので、ベルトと鎖を繋いでポケットの中に入れておく形がいい。
『その鍵があれば、貴女はダンジョンを持ち運ぶ事が出来ます。
鍵モードにしたまま“圧縮”と宣言して下さい。それでダンジョンは鍵の中に封じられます』
「……それをした瞬間、私達まで一緒に中に封印されたりしないか?」
『封印すべきでない物をイメージして頂ければ、それは収納の対象外となります』
「なら……“圧縮”」
メルセデスは次の瞬間、軽々しくそれを試した事を軽く後悔した。
ダンジョンがまるでハルバードに吸い込まれるように景色が歪み、メルセデス達を残してその場から嘘のように消失してしまったのだ。
ただ消えたのではない。ダンジョン全てが、まるでモデリングの最中の3D映像のようになり、現実離れした光景で消えていった。
後に残されたのは、ただの草原となってしまった場所に取り残されたメルセデス達だけだ。
扉の前に残していたクライリアは何が起こったか分からないという顔でメルセデスを見ている。
『どうでしょう? 実感頂けたでしょうか?』
「ええと、ダンジョンを出す時はどうするんだ?」
『“解凍”と宣言して下さい』
とりあえず騒ぎになる前に一度ダンジョンを戻そう。
そう考えたメルセデスであったが、しかしもう遅かった。
近くにあるシーカーの集落が騒がしい。こちらに近付いてくる気配も感じる。
それはそうだ、いきなりダンジョンが消えたら誰だって驚く。
「……ベンケイ、逃げるぞ」
「は、はい!」
とりあえず、この場は姿を見られる前に逃げだ。
メルセデスはその場から全速力で逃走し、後にベンケイ達も続いた。
どうも、予想以上に厄介な物を抱えてしまったようだ。
◆
メルセデスがダンジョンを攻略してから一週間。都は大騒ぎであった。
何せこれまであったダンジョンが突然消失したのだから、当然誰かが攻略したという事になる。
一体誰が攻略したのだろう? 何故その人物は出て来ないのだろう? そうした話題が都市の至る所で交わされ、メルセデスは肩身の狭い思いをしていた。
そんな中で当然シーカーとしての仕事など出来るはずもなく、そもそもやる必要性がもうない。
何せ、ダンジョン丸ごと手に入れたという事はつまり、黄金の扉の先にあったお宝も丸ごとメルセデスの物になってしまったという事だ。
今まで財を得てきた挑戦者達は持てる搭載量の限界などから、全てを手に入れたわけではない。
ほんの僅かに、持ち帰れる量だけを持ち帰って来た。
勿論そこには搭載限界を増やす為の運搬用の魔物などもいて、かなりの量を持ち帰っていただろうが、全体から見ればほんの僅かだ。
だがメルセデスはその全てを得てしまった。
正確な額は計算していないが、国家すら転覆させかねない額だろうとメルセデスは考えている。
実際にあの後、黄金の扉の奥を見てメルセデスは開いた口が塞がらなかった。
広さにして体育館が大体三個分といったところだろうか……その広大な空間を埋め尽くすように金銀財宝が漫画のように積まれていたのだから。
天まで届くような金貨の山など現実に見る事は絶対にないと思っていたのに、まさか自分がそれを手にする日が来ようとは……。こんなものを渡されてどうしろと。
他にはダンジョンキーの持ち主であれば、ダンジョンを出現させなくてもダンジョン内を見る事が出来るのも分かった。
意識する事で鍵の持ち主にだけ見える立体映像としてその場に展開されるのだ。
だが何より驚かされたのは、このダンジョンには鍵の持ち主が好きにデザインなどを変える事が出来る拡張機能まで備わっている事であった。
更にサイズも変える事が出来るが、これにもマナを使う為、無限に大きくするとかは出来ない。
ただし、今ある物を削ったり狭くしたりする事でマナを回収出来るので、二十五階層の広さを一階層に集めて広くする事ならば可能だ。
「なるほど……いくらダンジョンが攻略されても、新しく出現するわけだ」
『挑戦者が金の扉を選んだダンジョンはその場から消え、ランダムで再構成されてから別の場所に出現します。なので正確には新しく出現しているわけではありません』
「同じダンジョンが何度もデザインを変えて現れていたわけだ……」
ダンジョンが増える理由が、こんな単純な事だとはメルセデスも思っていなかった。
増えていたのではない。同じダンジョンが使い回されていただけなのだ。
ダンジョンの攻略は世界全体で見ても僅か三割と言われているが……実際は三割どころか、一割すら攻略されていないのだろう。
大抵の者はきっと、あそこで金の扉を選んでしまうだろうから。
「……だが、妙だな。私如きでも試練を超える事が出来たのだ。
ならばもっとダンジョンは攻略されていてもいいはずだし、私と同じく黒の扉を超える者がいても不思議はない」
メルセデスが不思議に思ったのは、あまりにも攻略者の数が少ない事であった。
どちらの扉を選ぶかはともかくとして、自分のような小娘でも扉の前には行けたのだ。
ならばもっと、大勢が扉の前に到達していてもおかしくないのではないか?
それどころか、黒の扉を超えてダンジョンを得た者がもっといてもいい。
しかしその問いに、ツヴェルフの若干呆れたような声が返ってきた。
『マスターはどうも、ご自身を低く評価しておられるようです。
思うに、身近に比較対象がいなかったのではないでしょうか?』
「まあ、私以外の吸血鬼が戦う姿というのを近くで見た事はないな」
『マスターが従えているアシュラオーガやシュヴァルツ・ヴォルファングは鍛えられた吸血鬼が数人いてようやく戦える強さに設定されています。
分かりやすく言うならば、ランクAのシーカーが数人いてようやく倒せる……下手をすればそれでも全滅しかねないレベルです。
試練のシュバルツ・ヒストリエに至っては軍を相手に戦う事すら出来るでしょう』
ツヴェルフの言葉をメルセデスは大げさだと思った。
確かに自分はきっと強いのだろうという確信は既に抱いていたが、いくら何でも軍と戦えるというのは言い過ぎだ。
第一、ここは吸血鬼の国だ。か弱い乙女ですら平然と百kgの重量を持ち上げたりする種族が吸血鬼である。
そこらを歩いている老婆が本気で走れば人間の短距離走世界記録など軽く塗り替えてしまえるのが吸血鬼である。
それが兵となり軍となれば、強さは考えるまでもない。
自惚れかもしれないが自分は強いのだろうと思っている。
しかし、いくら何でもそこまで強いと己惚れるのは難しい。
メルセデスの強さへの認識は未だズレたままだ。
比較対象がいないが為に、彼女は自身の異常さを未だ正確には把握していなかった。
メルセデスがチート化しました。
実質的に無限の軍勢を得たので、国相手に喧嘩を売って勝てます。
Q、これダンジョンマスター同士が戦ったらどうなるの?
A、お互いに魔物を(ほぼ無限に)出しまくるので戦いを通り越して戦争になります。戦ってはいけません。