第十五話 二択
荷物持ちを任せる魔物を選ぶにあたって真っ先にメルセデスが思い付いたのが馬だ。
馬は古くから移動や運搬に重宝されてきた家畜であり、その発達した足は重い荷物を背負ったまま長い距離を移動するのに適している。
運搬に使用される動物を駄獣。駄獣として使われる馬を駄馬と呼ぶくらいには馬は使われていた。
勿論これは駄目な馬という意味ではないが、駄馬には背の低い馬などの乗用に劣る個体がよくつかわれた事から転じて、今の駄目な馬という意味の間違えたイメージに繋がってしまったのだろう。
しかしダンジョンに入る上で馬が向いているかといえば、あまり向いてはいないだろう。
密閉された空間の中では馬の力を出し切る事は出来ないし、もしかしたら狭くて通れない場所もあるかもしれない。
後はロバ、牛、鹿、ラクダ、リャマなどが駄獣としては有名か。要するに足がしっかりしていて重荷を持ったままの長距離移動に耐えられる動物が望ましい。
しかしどれもダンジョンに向いているかというと微妙だ。
「店主、荷物を運ばせるのに適した魔物はいないか?
出来ればダンジョンのような閉鎖空間でもストレスを感じずに活動出来るのがいい」
檻に閉じ込められた魔物達を見ながら、メルセデスは店主へと尋ねる。
すると店主は心得たもので、すぐに一つの檻を示してくれた。
「それならば、『クライリア』をお勧めします。
ダンジョン内での荷物運びに最適な魔物です」
流石にこういう時の返事が早いのはプロならではだろう。
今までにもメルセデスと同じ目的でこの店に来た客が多くいたに違いない。
それはそうだ、荷物持ちもまた重要な役割の一つである。
ファンタジー系のライトノベルだと、大体主人公が無限にアイテムを入れる事の出来る袋などを所持していて無視されてしまう役割だが、本来はこういうのがいるかいないかで大分変わる。
店主に案内された檻の中にいたのは、メルセデスの身長と同じくらいの高さの妙な魔物であった。
全体的なフォルムはサイなどに似ているだろうか。岩のような肌とがっしりした四本の足が目を引く。
口は鳥の嘴のように尖っており、鼻先に一本、頭部に二本の角を備えている。
首元には急所を保護する役割を持つだろう襟巻があり、まるで前世の図鑑で見たトリケラトプスをそのまま小さくしたような外見であった。
目は穏やかで、檻の中で草をもしゃもしゃと咀嚼している。
「こいつがクライリアです。
気性は穏やかで飼い慣らしやすく、言う事もよく聞きます。
持久力に優れ、重い荷物を持たせてもビクともしません。
また、普段は大人しいですが本気で走った時の速度は馬を軽々と抜き去ります」
「いいな。こいつを買おう、いくらだ?」
「三十万エルカになります」
荷物持ちとして小型トリケラトプス……もとい、クライリアを即決で購入。これで荷物持ちも確保した。
ここでメルセデスはすぐにダンジョンに潜らずにその日は一度帰り、数日かけてクライリアを躾ける事にした。
躾ける傍ら、ハルバードを手に馴染ませる訓練をしたり、ベンケイやクロも交えて模擬戦を幾度か行う事で戦力の底上げを図る。
そうして準備をしっかりと固め、遂にメルセデスはダンジョン最下層を目指すべくシュタルクダンジョンへと突入した。
◆
今回の目的はマッピングでもなければ魔物の捕獲でも、素材集めでもない。
目指すのは最下層ただ一つ。故に余計な戦闘や寄り道はせずに真っすぐに最短ルートのみを進む。
これまで何度も潜ることで作ってきた地図を見ればどこを通るべきかはハッキリと分かる。今までの行動は全て無駄ではなかったのだ。
消耗は最小限に、戦闘も最小限に。
どうしても倒さなければならない相手だけを倒し、メルセデス達は驚くべき速さでダンジョンを走破していく。
「プルプル、僕悪いゼリーだよ」
「またお前か。今回はダンジョンを攻略しに来た。もう会う事もないかもしれんな」
「プルプル、頑張ってね!」
「ありがとう」
このゼリーは必ず通らなければならない位置にいるので嫌でも会う事になる。
メルセデスは彼のコアをハルバードで斬り、先へと進んだ。
下へ、下へ、ひたすら下へ。
どういう仕組みかは知らないが奥に行くほど一階層の広さが変わり、迷宮のようになっていく。
なるほど、トライヌが食料を尽かしてしまったわけだ。常に最短の道を進むメルセデスも流石に一日で攻略とはいかない。
ベンケイが道を知っているので地図のない場所でも簡単に次の階層へ続く階段を発見出来るのはありがたい事であった。
しかしそれでも奥に行くほどに難易度は上がり、迷宮は複雑化していく。
メルセデスは事前の下見やマッピング、ベンケイという味方を得る事でスムーズに進んでいるが、そうでなければ攻略は困難を極めただろう。
初見でこれをいきなり攻略出来る奴は化物と断言していい。
だがメルセデスの歩みもシーカーの常識から見れば十分に飛び抜けた速度だ。
ダンジョンに潜って五日。たったのそれだけで、既に一行は最下層の手前まで到達していたのだから。
「主。次の二十五階層が最下層となります。
その前に一度休むべきかと」
「分かった。なら今日はここで休み、明日に最下層を制覇する」
アイテムは一切使わず、食料にもまだ余裕が十分ある。
これならば後三往復くらいはしても問題ないだろう。
メルセデスは缶詰を開けて、そこに入っていた魔物の肉をフォークで食べる。
それから板チョコを一枚平らげ、その日は寝る事にした。
見張りは交代制で、一人四時間寝るようにしている。
そして翌日――メルセデス達は目的である門の前で、ベンケイと名付けられる前のアシュラオーガと対峙していた。
「よくぞ来た、宝を求める者よ。しかしこの先には俺がいる限り進ませはせん」
「なるほど、本当にお前がいるな、ベンケイ」
「主」
「分かっている。任せた」
アシュラオーガの前にベンケイが歩み出る。
同じ存在なのだろうが、しかし二者には一目で分かるほどの違いがあった。
アシュラオーガはメルセデスが出会った時そのままの外見で、武器も六本の剣だけだ。
対し、ベンケイは全身を鎧で包み、武器も剣以外に様々な物を装備している。
メルセデスとの出会いで変わったベンケイと変わる前のベンケイ。過去と現在。
その差は明確に現れ、戦闘は終始ベンケイが圧倒した。
二人が互いの武器を振るい剣戟を繰り広げるも、武器の性能が違う。
アシュラオーガは次々と武器を叩き落され、距離を開ければ槍やクロスボウによる遠距離攻撃を受ける。
やがてベンケイは一度として危うい場面を見せる事なく、過去の己の首を斬り飛ばした。
「見事だった。お前の成長を見せてもらったぞ」
「これも主と出会えたからこそです」
武器の差はあった。だがそれ以上に開いていたのは技量の差だ。
そう、単純にベンケイはあのアシュラオーガよりも強くなっていたのだ。
メルセデスは確信する。いける。私達は強い。
謙虚は美徳であり、慢心は悪徳である。
だが自信すら持てない者がどうして勝利を掴めよう。
勝てると思わずしてどうして勝てよう。
だからここは自信を持つべき場面だ、自分達は強いと己に言い聞かせるべきだ。
気は持ちよう……行き過ぎた謙虚はただの卑屈である。
だからメルセデスは慢心に近い感情であると分かっていても、自分は強くなったと素直に考える事にした。
見上げるのは、大きさにして10mはあろうかという門だ。この先に何かがある。
何があるかは行ってみなければ分からないし、困難がある事だけは確かだろう。
「さあ、行くぞ。この先に何があろうと、私はもう引き返す気はない。
地獄の底までついてこい」
「御意」
「ワォン!」
扉に手をかけると、呆気ない程簡単に扉は開いた。
中は黄金で塗装された絢爛な一本道がある。そしてその先にはベンケイが言ったようにもう一つの扉があったが、メルセデスはこれも臆せずに開いた。
そしてその先にあったのは――大広間と、更にそこにあった二つの扉だ。
右の扉は黄金。左の扉は漆黒。
それはまるでこの先の分岐点を示しているようで、メルセデスも知らず緊張に喉を鳴らしていた。
『よくぞここまで到達しました。探索者よ』
声が、広間に響いた。
意外にもそれは女の声だ。もしかしたら少年の声なのかもしれないが、メルセデスは第一印象でとりあえず、この声の主を女だと思う事にした。
『貴女の前には二つの扉があります。開けるのは一度のみ。
名誉と宝を求めるならば黄金の扉を開きなさい。そこには栄光が約束されています。
困難はありません。貴女は成し遂げたのです。
そこにある宝を好きなだけ持ち帰り、名誉と栄光に溢れた生涯を送るといいでしょう。
地上へと続く、魔物のいない通路も用意してあります。
ただし、この扉を選択した者は二度と黒の扉を開けません。黒の扉がその者の前に現れる事も二度とありません。
黒の扉の存在自体を記憶から抹消し、貴女は永遠に真実へ続く道へは入れなくなる。
これは、このダンジョンのみでの話ではなく、どのダンジョンに入っても同じ事です。真実への扉が開かれるのは一度のみ』
『真実を求めるならば黒の扉を開きなさい。そこには困難と試練が待っています。
命を賭し、試練に打ち勝てたならば貴女は世界の真実の一端に触れる事が出来る。
ただしこの試練に情けはありません。敗れれば貴女は命を落とし、全てを失います。
さあ選びなさい。真実を得るか全てを失うか。それとも栄光を手にするか。
選べるのは一度のみ。ここで引き返せば扉は二つとも、二度と開きません』
メルセデスは声を聞き終え、そして思う。
何とも意地の悪い二択だ。
普通に考えれば、悩む必要すらない……黄金の扉一択だ。
それはそうだ。大抵の者はここに来るまでに体力も使い果たしているだろうし、アイテムや食料だってほとんど残していないだろう。
その状態で更に困難と戦えと言われても、そんなのは誰だって嫌だ。
いや、それしか道がないならば意を決して挑むかもしれない。
だがここにはもう一つ、安易なゴールが存在している。
黄金の扉を選べば、何のリスクもなく宝を手にする事が出来る。
元々、ダンジョンに潜る者の目的など最初から奥に眠ると言われている宝の山なはずだ。
ならば初志とも一致するし、わざわざ死ぬ可能性のある黒の扉を選ぶ理由がない。
過去にダンジョンから宝を持ち帰ったという僅かな成功者達は恐らく、ここで黄金の扉を選んだ者達なのだ。
そしてきっと……黄金の扉を選択されたダンジョンは後で復活する。
だからダンジョンは未だに七割も攻略されずに世界に残ったままで、あるいは今もどこかに出現しているのだ。
逆に完全攻略され、復活する事もなくなった三割は……黒の扉を選び、困難に打ち勝った?
そう考えれば、ある程度の説明がつく。
「……ベンケイ、クロ。覚悟はいいな」
「はっ」
「ばう!」
メルセデスは一度後ろの一人と一匹に確認し、それから前を向いた。
「――黒の扉を開いてくれ。試練とやらに挑もう」
クライリア(勘弁してくれよ……)
メルセデス「お前は扉の前で待機」
クライリア(よっしゃああああ!)