第十四話 戦力強化
ギルドを後にしたメルセデスは報酬から半分を引き、それをマルギットへと渡した。
112万5千エルカ。これがメルセデスとマルギットが得た額だ。
この額は大体、大人が命を張らない中では実入りのいい仕事をして半年くらいあれば稼げるという額だ。
ただしこの世界には当然サラリーマンなどないので、本当の意味での平均的な収入など分からない。
「あ、ありがとう。でもこんなに貰っていいの……?」
「ああ。それはお前が稼いだ正当な報酬だ」
マルギットが得たこの金があればしばらくは問題なく暮らせるだろう。
彼女の母にも美味い物を食べさせる事が出来る。
しかし逆を言えばそれで終わりで、数か月もすればまた元通りになるのも目に見えていた。
なので、まだここで終わりではない。
これはあくまで当面を凌ぐ為の金でしかない。
「まずはその金で何か食べ物でも買うか。お母さんに美味しい物を食べさせたいんだろう?」
「うん!」
メルセデスはマルギットを連れて大型雑貨店へと行く。
そして食材を買い込み、決済を済ませた。
ただし食材を買うのはマルギットだけで、メルセデス達は見ているだけだ。
変な物を買おうとした時は横から口出しくらいはするが、基本的には彼女にやらせておく。
質問されれば答えるが、質問されない限りはあえてあれがいいこれがいいとは言わない。
マルギットもそこは分かっているようで、不器用ながら一生懸命にどの食材がいいかを選びながら買い物を済ませていた。
それを終えれば、次にメルセデスはマルギットに一冊の本を購入させた。
名を『さるでもわかる かんたんな もじのよみかた かきかた 著者・ゴリラ』。突込み所しかない。
名前は酷いが、字の読み方について詳しく書かれた勉強用の本だ。
以前、この世界の本には挿絵がないとメルセデスは考えたが、もしかしたらこれは唯一の挿絵付きの本なのかもしれない。
勿論絵などは全くないのだが、分かりやすく図などが描かれているのである意味挿絵と言える。
メルセデスも家にあるこれと同じ本で文字を覚えた。一度この著者とは会ってみたいものだ。
「これで文字を読み書きできるようになれ。そうすれば代書人の職に就く事が出来る。
代書人はシーカーやランツクネヒト、兵士などの命を張る仕事を除けば、安定して稼げる仕事の一つだ」
メルセデスがマルギットに勧める稼げる仕事は代書人と呼ばれるものであった。
これは様々な文書、恋文、嘆願書などを代筆する仕事であり、識字率がそれほど高いわけではないこの世界ではかなり稼ぐ事が出来る。
現代日本のように誰でも文字を読み書き出来るわけではない社会において、こういう代わりに文字を書いてくれる仕事というのは大きな需要があった。
彼等は主に屋台などを引いて街中で仕事をしているが、中には仕事場から動かずに仲介を通して仕事を受ける者もいる。
マルギットは見た目が幼過ぎる事もあって下手に彼女自身が屋台など引いてウロウロすればならず者のいい餌でしかない。
なのでメルセデスは誰かに仲介人をやらせつつ、彼女に代書人をやらせようと考えた。
これが上手くいけば彼女は安定して稼ぎを得る事が可能になり、父から見捨てられても生きていくことが出来るようになるだろう。
「私も時折そちらに行って教えるが、いつでも行けるわけではない。
最初は自力でやれる所までやってみるんだ……出来るか?」
「う、うん。頑張ってみる」
「よし、いい返事だ」
その後メルセデスは彼女を家にまで送り届け、その日は宣言通り本当に何の手助けもせずに帰路についた。
まずは自分でやらせてみる。その上で彼女の覚える速度などを知り、計画を立てる。
いきなり助けてしまう事は彼女自身の成長を潰す行為だ。まずは自分で出来る所までやらせるべし。
冷たいようだが、これがメルセデスなりの思いやりでもあった。
◆
トライヌ商会からチョコレートと缶詰で得た売り上げの一部が届けられた。
……総額で数億エルカを越えていた。本当に一体、いくらで売っていたんだ、あの男は。
契約によりメルセデスは売り上げの一割を得る事になっているので、最低でも数十億をトライヌ商会は得ている事になる。
それだけ聞くと少なく感じるかもしれない。例えば日本ではバレンタインデーのチョコレートの年間売上額は五百億にも上るという。
だがそれは日本の人口が多いからこそのものだ。
このブルートは確かに大都市には違いないが、それでも日本ほどの人口はない。
というか日本はあんな狭い島国にぎゅうぎゅう密集しすぎなわけだが、それは置いておくとして、このブルートの総人口は大体十万人ほどである。
少ないわけではない。文化などを考えればむしろ多すぎるくらいだ。
かつて中世においてドイツは最大規模の都市でもその人口は精々三万人程度とされ、他の都市は精々五千以下、多い所でも一万に届けばいい方だったという。
これは当時の死亡率の高さも影響しており、平和で物資に富んでいるという事はそれだけ人も死なないから増え続けるという事だ。
ここで話をこちらの世界へ戻すが、そういう意味では一都市に十万人は破格も破格。驚く程死んでいない事になる。
こんな魔物が存在する世界であっても、中世時代の西洋よりも死亡率が低い辺りは流石に吸血鬼といったところか。
しかし現代と比べればやはり少ない。
そんな人口僅か十万人の都市で、しかもこの短期間で売り上げが数十億を越えるというのは尋常な事ではない。
今は物珍しさによる初回販売ブーストがかかっているだろうし、しばらくすれば売り上げも落ち着くだろうがトライヌも上手くやったものだ。
ターゲットを完全に貴族に絞り、こぞって買い争わせたのだろう。
(恐らく、自らの資産を見せ付ける目的で買い占めている貴族もいるな、これは)
板チョコ一枚を一万エルカのぼったくり価格で売るとして、単純に一万枚売れれば一億エルカの売り上げとなる。
この都市に貴族は百人くらいしかいないし、メルセデスの父であるベルンハルト卿以外は全員領土を持たない法衣貴族である。
それはそうだ。この土地を所持し管理しているのがグリューネヴァルト家なのだから、それ以外に領土を持った貴族がこの土地にいるわけがない。
しかしそれでも貴族は貴族。一般人よりは金を持っているわけで、そういう輩に限って自分の財力をひけらかしたがる。
多分そういう連中が買い占めたり、大量に購入したりした結果がこの数字なのだ。
要するにただのカモである。
缶詰の方は流石にチョコレートほど売れてはいない。
しかし一部のシーカーや他の商人などが価値に気付き、買ってくれているようだ。
後は……あまり好きではないがどちらの商品も転売目的で多く買っている商人がいると予測される。
転売ヤー死すべし、慈悲はない。
「これで資金は整った。装備も新調し、今度こそ最下層を目指すのもいいか」
ここまで来ればもう、装備品の代金をケチる必要はない。
金に糸目など付けずに性能を最優先に買う事が出来る。
とはいえ、ただ高い物を買えばいいというわけではない。例えば宝石を無意味に付けた装飾用の剣などは論外中の論外。金の無駄だ。
見た目は地味でもいい。とにかく性能と機能美を追及した装備に拘り抜く。
「街に出るぞ、ベンケイ、クロ。お前達の装備も変えよう」
ベンケイとクロを連れて都市を回り、様々な武具を見て回る。
まず最初に今まで使っていた武器は一つの例外もなく全て売る。もうこれらは要らない。
そうしてからまずメルセデスは自分用にハルバードを購入した。
自分の戦闘スタイルと相談し、愛用とする武器はハンマーか斧がいいと最初から考えていた。
力任せに叩き付ける武器の方が重力魔法との相性もいい。
だがメルセデスはリーチの短さという弱点を補う必要もあった。後で成長するかどうかは知らないが、吸血鬼なので下手するとこのまま子供の姿で不老期を迎えてしまうかもしれない。
そうなるとやはり、このリーチ不足を補う武器が必要だ。
ならば理想は槍だが、槍は力任せに叩き付ける武器ではないので相性が悪い。
剣は別にいい。しばらく使ってみてわかったが向いていない気がする。
そこで目を付けたのがハルバードであった。
槍の長さと斧の切れ味を持ち、重いので自分の戦闘スタイルとも合っている。
何よりデザインがいい。
白兵戦黄金時代の中で生み出された、賢者の英知と愚者の愚かさを纏めたような全乗せ具合が心を擽る。
槍は長いけど、突くだけではなく斬るも欲しい。
相手が鎧や兜を着けていたら厄介だから、それを壊す鉤爪も欲しい。
そうだ、全部くっつけりゃ最強じゃね?
実際にこんな馬鹿な発想で生み出されたかどうかは知らないが、メルセデスはこういう頭の良さと頭の悪さが混在したようなハルバードのデザインを美しいとすら思っていた。
要するに九割くらいはデザインで決めていた。
一つ一つを手に取り、一番手に馴染んだ赤いハルバードに決定する。
名を『ハルバード・ウルツァイト』。太古の時代、この星に降り立った神々が使っていた中でも最も硬いとされた物質の名を取った逸品だという。ただしそれは現存していないので実際は別の素材で造っているらしい。酷い名前詐欺だ。
長さは大人の吸血鬼ほどもあり、刃の部分は人など一撃で真っ二つに出来そうなほどに大きい。
そして重い。重すぎて誰も買ってくれないくらいに重い。
だがメルセデスはそれを購入した。片手で持ち上げた時の店主の顔は少し見ものであった。
次にコート。
今までの黒コートと似たデザインの物を選び、対刃性に優れているという物を選んで購入した。
コートの下のベストなどは特に変化なし。こちらは動きやすくて特に不満もないので、予備として新しいものを数点購入しただけだ。
というか高い防具はどれもこれも立派な鎧だったりするので、メルセデスの武器である身軽さを殺してしまうのが難点だ。それにサイズも合わない。
自分の装備を整え、次はベンケイ。
ベンケイには自分が着る事の出来ない立派な黒い鎧を買ってやった。
更に彼は腕が六つもあるので別売りの腕を保護するガントレットなどを購入して装備させる。
更に兜はフルフェイス。街を歩く度にジロジロと角を見られて目立っていたので、それを隠す意味もある。……まあ余計に目立ちそうな気もするが。
結果として歩く鎧のようになってしまったが、彼はスピードタイプではないので防具でガチガチに固めるくらいで丁度いい。
それにどうやらこの程度の重さは苦ではないらしく、今まで通り軽快に歩いていた。
武器はとりあえず全乗せで色々買ってみた。
これからは依頼の内容に合わせて彼の装備を変える事が出来そうだ。
クロの装備は……でかい狼用の鎧が一応ある事はあったが、逆に動きを阻害しそうなので止めておいた。
装備が終われば次は消耗品だ。
食料は既に持っているので飛ばし、回復用の道具などを探す。
この世界に使用すれば都合よくHPが速攻で回復するような薬や薬草などない。
ポーションという名の薬品は一応あるが、単なる傷薬である。勿論即効性はない。
しかしこの世界には魔法を閉じ込めておける魔石という便利な物がある。
つまり、当然回復魔法を閉じ込めた魔石もあるわけで、そういう物はシーカーに人気があった。
メルセデスはこれをとりあえず二十個購入し、更に様々な魔石を買い揃えていく。
強力な凍結魔法の魔石や炎の魔石、水の魔石など、主に自分では使えない物がメインだ。
荷物が増えてしまったので大型バックパックをもう一つ購入し、こちらはクロに持たせる事にした。
「主、進言がございます」
「何だ?」
「我等は主の剣となり戦う事もあります。しかしこのような物を持ったままでは全力を出せない。
そこで、荷物持ちだけを行うメンバーを新たに入れるべきかと」
「ふむ。確かに」
元々メルセデスは一人では荷物を持ちきれず、武器と両立出来ないという理由で荷物持ちとしてベンケイを引き入れた。
しかしベンケイも何だかんだで戦力だ。普通に使える。
クロは速度が速く、メルセデスを乗せて戦う事も出来る戦力だ。荷物を持たせるのは賢い事ではない。
「戦闘に参加せずに荷物を持つ事に専念するメンバーは確かに欲しいな。
分かった。ペットショップに行こう」
メルセデスは以前までは味方を増やす際にはダンジョンへと潜って自分で捕獲していた。
しかしそれは金がなかったからだ。
金があるなら、わざわざそんな手間は踏まない。
戦力が欲しいならば自分で深い階層まで潜って捕獲するのもいいが、荷物持ち程度ならばペットショップの魔物で十分だ。
そう判断し、一行は次にペットショップへと向かった。
尚、当然ながら歩く鎧と化したベンケイは酷く目立った。
トライヌ「いえ……いえ……ぼったくりなど……とんでもない……っ!
お値段はいたってリーズナブル……良心的でございます……!
この価格でも売れる……飛ぶように……! 止まらん……笑い……!
コココ……カカカ……!」
メルセデス(こいつ、これが本性かな?)