第十二話 歪な文化
「あの連中とは縁を切れ。他二人は知らんが、リーダー格が致命的に駄目だ。
あれは失敗するタイプだぞ」
メルセデスは都を歩きながら、連れ出したマルギットと話していた。
腹違いの妹と言うだけあって、何となくメルセデスと似た所が……いや、ないか。全然ない。
髪の色は違うし、顔つきも異なる。
両方とも美しい顔立ちである事は違いないが、メルセデスは目付きがあまりよくない。
例えるならばマルギットは疑いを知らない子猫の瞳だが、メルセデスのそれは野生に帰った野良猫の瞳だ。
年齢も九と十でそれほど離れていないし、まだ不老期に差し掛かっていないのでどちらも年齢相応の外見をしている。
だがそれでもメルセデスは外見年齢以上の落ち着きと雰囲気がある為、見た目通りの年齢には見えない。実際ギルドの受付もメルセデスの年齢詐称を全く疑わなかった。
一方マルギットは、むしろ年齢よりも更に幼く見えてしまう。
無理もない。スタート地点が同じでも中身が違うのだ。
両者共、母は側室の中ではあまり優遇されていない方だ。家も粗末で生活レベルも貴族とはとても言えない。
しかしメルセデスには前世の記憶があり、底辺からのスタートだろうと苦にしないだけの下地が最初からあった。
だがマルギットはそれがない。武器の無い状態でこんな環境に放り込まれれば臆病に育ってしまうのも仕方のない事だろう。
「でも、上手くいったら生活をよくしてくれるって……そうすれば、お母さんに美味しいご飯を食べさせられるって……」
「なるほど。そちらもやはり粗末な黒パンとジャガイモ、具のないスープが基本か」
メルセデスの家での主なメニューは今、彼女が口にした粗末な食事だ。これに時々野草のサラダも入る。
これは世話役の老婆や母が料理下手というわけではなく、そんなものしか買えないのだ。
もっともこれに関してはメルセデスがある程度自由に動けるようになってから、食べられる野草やキノコ、川で獲った魚、仕留めた獣などを持ってくるようになった事で改善されている。
そして今となっては資金にも余裕があるので更に改善は進み、トライヌ商会から売り上げの一部が支払われれば一気に富豪に早変わりするだろう。
メルセデスの地盤固めは五年の月日を費やして、極めて順調に進行している。
知識がなければ、自分もこうだったのかもしれない。そう思うと、あまり好きではない前世にも感謝しなければならないのだろう。
そうこう話していると、マルギットの腹がきゅるると鳴った。
やはり、あまり食べてはいないようだ。
「これでも食え。腹に溜る」
メルセデスはポケットからチョコレートを取り出し、包みを破ってマルギットへと渡した。
自分用の携帯食だが、まあ一枚くらいは構わないだろう。
チョコレートを受け取ったマルギットは目を丸くし、驚きをみせている。
「わあ……これ、チョコレート? 食べていいの? こんなに?」
「何だ、知ってたのか?」
「うん。モニカ様がね、最近都で流行のお金持ちしか買えない高級なお菓子だって言って少しだけわけてくれたの!」
……あのトライヌ野郎、一体いくらで売りさばいているんだ?
メルセデスは思わず溜息が出そうなのをぐっと堪えた。
前世では100円で売られていたような板チョコ以下のクオリティなのに、金持ちしか買えない高級品て……。
メルセデスが造りたかったのは手軽に安く買える高カロリーな携帯食兼非常食なのに、それを高値で売ってどうするのか。
しかし権利はもう売った後だ。
したがって、いくらで売ろうともそれはトライヌの自由である。
そして一つだけ情報が入った。モニカというのはあの縦ロールの子だったか……見下した態度が目立ったが、そんなに悪い子でもなさそうだ。
「でも、本当にいいの? これ、高いんでしょ?」
「構わん。訳あって在庫は山ほどある」
それに発案者なので、トライヌに言えばいくらでも格安で売ってくれる。
流石に売り物なので初回のあの贈り物以降は無料という事はないが、それでも値引きはしてくれるだろう……多分。
まあ、この分だと値引きしても変な値段になっていそうだが。
マルギットは子供らしい笑顔でチョコレートに齧り付き、しばらく夢中で食べる。
やはり子供というのは何処でも甘い物が好きなようだ。
メルセデス自身も前世では塩辛い物が好物だったはずなのだが、この身体になってからは甘い物がやけに美味く感じられる。
チョコレートに関しても当初は単に高カロリーで携帯し易い食料という事で造ったはずだが、今となっては単に食べたいから造っただけのような気もしてきた。
「ところでマルギット……だったな。
何か得意な事はあるか?」
メルセデスはあそこにいたら駄目だと思い、マルギットを連れ出した。
しかしこのまま帰しても何も意味もない。また奴等に利用されるのが目に見えている。
何故ならマルギットの生活は苦しく、それを改善しない限り何一つとして解決出来ていないからだ。
だからメルセデスは、何かマルギットでも出来る事はないかと考えた。
彼女自身の手で僅かなりとも稼げるようになれば、ボリスの誘いなどに惑わされる事はなくなるはずだ。
ボリスが破滅するのは勝手だが、それに罪のない幼い少女を巻き込むのは流石に見過ごせない。
……メルセデスが金を渡して救うという手は最終手段だ。
それをやってしまえば最悪、彼女は自立心を失ってしまうだろう。
だから彼女自身が自分で稼げるようになるのが一番だ。
「ええと……お絵かきなら。友達もいないから、毎日石で地面に色々描いてて……」
「絵か。悪くないな」
何か悲しい事を言っているが、そこにはあえて触れないようにした。
それにメルセデスも同年代の友達など作らずひたすら修行修行&修行の日々だったので、人の事は言えない。
他人との必要以上の関わりを嫌うメルセデスは重度のぼっち体質であった。
「これに何か描いてみてくれ」
「う、うん」
メルセデスはポケットから羊皮紙とペンを取り出し、マルギットに渡す。
どうでもいいが、羊皮紙とは言っているが実は材料は羊や山羊の皮ではない。
ダンジョンなどにいくらでも沸き、倒してしまっても全く問題ないどころか賞賛される生物……即ち魔物が羊皮紙の主な材料だ。
生きていると害なので倒す。倒した後は骨を装飾品や装備品に。肉は食料に。そして皮は羊皮紙になるようなら羊皮紙に。
魔物とはこの世界の人々にとって害獣であると同時に、ある意味いなくてはならない存在でもあった。
「出来たよ」
マルギットが描き終えた紙を受け取り、メルセデスは瞠目した。
そこに描かれていたのはメルセデスであった。
それも一目で自分が描かれていると分かる程度には特徴を捉えていて上手い。
絵を見ながらメルセデスは考える。以前ギルドで依頼書を見た時に、分かりやすい絵か写真が欲しいと思った。
そしてギルドはダンジョンのマッピングを依頼として出すくらいにはダンジョンの情報を欲している。
更に一つ。メルセデスは家にあった魔物の本を読んでいるが……というよりも様々な本を見て気付いた事だが、この世界の本はどういうわけか絵というものを一切載せていない。
「……まずは情報収集だ。一度ギルドに行こうか」
◆
「本に絵を? そういえばあまり見た事ないわねえ……何でかしら?
まあ、あえて言うなら本は文字を読む物。絵は風景や人物を描く物、と思っているからかしら。
変に住み分けちゃってるのね。多分それが理由よ。
それと本を読めるって事は文字を読めるって事でしょう? つまり文字を読める高貴な者が読む物ってイメージもあるからね。絵なんて余計な物は要らないとか思ってるんじゃない?
まあ、私は実際に本を書いてるわけじゃないから、あくまで推測だけどね」
絵を載せた本というものが何故ないのか。
それを聞いてみた結果、受付から帰って来た答えがこれであった。
何の事はない。単なる固定観念だ。
絵は芸術。文字は学。ジャンルが違うのだから一緒くたにするという発想そのものがない。
それにしても挿絵くらいはあってもいいだろうに。
地球では挿絵の歴史は書物の歴史とほぼ同時に始まっているというのに。
「では特にやってはいけない、とかはないんだな?」
「聞いた事がないわね。けど私はいいと思うわよ、絵の付いた本。
そりゃあヘッタクソな絵なんて付けられた日には邪魔にしかならないだろうけど、上手く組み合わせれば字の読めない吸血鬼だって本を読めるじゃない」
やってはならない深い理由も特になし。
これが例えば法律だとか宗教的な理由だったりしたら、諦めなければならない所であった。
だが、ただの固定観念だというならば問題はない。壊してしまうのに何の躊躇いもない。
無論、これまでの既存の本を読んでいた者達からは反発を受けるだろうし画家からは『絵はこちらの分野なのに』と文句を言われるだろう。
だが新ジャンルの開拓というのはいつだってそうだ。変わる事をよしとしない旧体制派の反発を受けながら進むのである。
(……にしても、絵本が無いのは分かる。あれは十八世紀から登場したものだ。
文明が中世で止まっているこの世界にまだ無くても不思議はない。
だが挿絵がないというのは一体……)
本に文字と一緒に絵を載せるという文化がない事。
それ自体は好都合だ。おかげでマルギットに稼がせる方法も見えてきたし、挿絵付きの魔物図鑑は自分も欲しい。
しかしどうも腑に落ちない。この吸血鬼の国の文化の特色といってしまえばそれまでなのだが、普通に考えて本に付けるだろう……挿絵の一つくらい。
絵というのは旧石器時代から人類が獲得していた意思疎通の手段だ。もしかしたら、もっと早くから絵を描く事を覚えていたかもしれない。
いくら文字があるからといえ、それを使わぬというのは不自然極まる。
言葉では上手く伝えられない抽象的な事を伝えるのに絵はこの上なく効果的だ。魔物の図鑑などを書くなら尚の事必要だろう。
小骨が喉に引っかかったような違和感を感じる。
だが歴史などというものは紐解いてみればアホみたいな事がアホみたいな理由で発展していなかった事もあるのだ。
ならばあるのかもしれない。こういう事も。
そう無理矢理に自身を納得させ、メルセデスはこれ以上考えるのを止めた。
メルセデス「…………」←自分でも絵を描いてみた
受付「なあにこれえ」
メルセデス「……一応猫……のつもりだ」
受付「新種のモンスターにしか見えないわよ」
ベンケイ「その……なかなか独創的ですな……」
通りすがりの猫「ニャーン」
訳:ワイらこんなブッサイクちゃうわ。舐めとんのか。
メルセデス「…………」