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【超短編】バード・マイグレーション

作者: 髙木建之介




「あなたは誰にでもそうやって優しいのね?」パンの耳でもかじるみたいに言った彼女の表情には疑いの念が(にじ)んでいた。




「そうかもしれない」とぼくが肯定すると、やっぱりねと彼女は言った。




「でも、ぼくが一番優しくする女性は君だと思う」




彼女はくすりと笑って「ウソばっかり」と言った。言葉とは裏腹に嬉しそうに相好を崩している。




ぼくらは彼女の部屋で昼下がりの情事に勤しんだあとで、二人とも上には何も着ていなかった。




ベッド脇に置かれたガラスのローテーブルの上には口紅の付いた煙草が春の野原のつくしみたいに何本か乱立して、それはちょっとした木立のようにも見えた。鳥のさえずりでも聞こえてきそうだ。




彼女はいつも一本の煙草を数回吸って捨ててしまう。だから灰皿の上にはつくしのような煙草が残るの。なにしろそれは細い煙草なのだ。




「ねぇ、知っているかい?」その日の定常行為が終わったあとで、ぼくは彼女に訊ねてみた。彼女は僕の乳首の横あたりに鼻をあてている。




「イギリスのある小さな島にね、毎年決まった時期に繁殖のためにやってくる鳥がいるんだ。彼らは繁殖を行うためにやってきて、繁殖が終わるとまた元の場所にそれぞれ帰っていく」




それがどうしたの? と彼女は言った。




「オスとメスは普段別々の場所に住んでいるんだ」と僕は言った。「それぞれとても離れた場所にね。そして毎年お互いの場所から数千キロ離れたイギリスの小さな島までやってきて繁殖をする。しかも毎年同じ相手と後尾をするんだ」




「同じ相手と?」




「そう。同じ相手と。しかもこのペアは毎年ほぼおなじタイミングでその小さな島に到着して、再会を果たすんだ」




「そんなロマンチックなこと、できるとは思えないけど」と彼女は言った。「少し早く着きすぎたり遅れちゃったりしたらどうするのよ?」




「イギリスに着くまでの途中の地点で休んだりして時間を調整するんだ」




「それ本当なの?」




「本当だよ。あまりに衝撃的だったから25歳になった今でも覚えているんだ」




彼女は信じられないわと言って煙草に火を点けた。「でも、ロマンチックね」




「彼らは毎年おなじタイミングでやってきて、おなじペアで子供をつくる。そして(ひな)が巣立つと、またそれぞれの場所にもどっていく」




ぼくはテーブルの上に置いてあったミネラルウォーターを口に含んだ。そして、これってすごいと思わないかい? と彼女に訊ねてみた。そうね、と彼女はそっけなく答えた。




「考えてもみなよ。『来年の暖かくなった()()()の時期に、渋谷の()()()でまた会おう』なんて言われて待ち合わせをするようなもんだよ?」




彼女はしばらく黙っていた。眠ってしまったのかとも思ったがそれは違った。彼女は無言で煙草を唇に運んでいる。彼女の吐いた煙が何度か宙に舞って音もなく左の方に流れていった。




煙の向こうには金縁の絵画が飾ってあって、ぼくは煙越しに見えるその絵をぼんやりと眺めていた。彼女の夫が海外で買い付けてきたものだ。




「どうかしたの?」少ししてから僕は言った。




「たいしたことじゃないわ」




彼女は二、三度吸った煙草を灰皿にこすりつけた。今回のそれで灰皿の上に立っていた吸い殻はみな頼りなく倒れてしまった。




「少し考えていたの」と彼女は言った。「ハチ公前で何日も待ちぼうけているわたしの姿をね。わたしはその日のために新調した黄色いスプリング・コートを着てずっと待っているの」




「ぼくは君を待たせちゃっているんだね」




「そうよ。13歳も年上の女性をあなたは待たせてるの。わたしに残された猶予は次に旦那が帰国するまでの3日間。それまでにあなたが来なければもう会えないの。なぜ会えないかわかる?」




僕は黙っていた。




「だって次に彼が海外に出張に行くのはきっと『暖かい季節』を過ぎてからだもの」そう言って彼女は身体を起こしてぼくの上にかぶさってきた。




「もしもよ」彼女はぼくを見つめて言った。それはまるで子供のような目だった。




「もしもその相手が、なにかの理由で来れなかったらどうするの? もう片方はそれを何日待っていればいいの? 相手が来なかったらやっぱり別の相手と一緒になっちゃうの?」




少しうろたえたぼくの顔が彼女の瞳に映っている。




「それは追加で研究をしてみないとわからないよ」とぼくは言った。そんなことわかるわけがない。でも何かをぼくは言うべきだと思った。




「もしかしたら、その年はパスして来年まで待ち続けるかもしれない」




そうやってぼくは思ってもないことを言った。




「あなたは誰にでもそうやって優しいのね?」彼女はぼくの方にもたせかけていた身体をもとに戻した。




「そうかもしれない」とぼくは再び肯定してみた。やっぱりね、と彼女が言った。




彼女はそう答えると、シーツを身体に巻き付けてベッド脇にあるリモコンを取り再生ボタンを押した。いつの間にか止まっていた「未完成」がまた流れ始める。




彼らはまたイギリスでおなじ相手に出会えるのだろうか。(おわり)

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― 新着の感想 ―
[良い点] 渡り鳥の話、良いですね。
2018/04/10 21:58 退会済み
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