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改革者たち  作者: いつみともあき
8/8

終章 六無斎

   1

 寛政四年(一七九二年)の年が明け、閏如月の末になっていた。

「叔父上。障子を開けて、庭をご覧くだされ。梅が見事に咲いておりまするぞ」

 障子越しに、友道の声がした。診察に出る前に、梅が目に付いたのであろう。

「心遣いは有難いが、儂は、花見に興じて良い立場ではあるまい」

 子平は薄暗い部屋で書見をしていた。仙台を飛び出す前に、住んでいた部屋である。

 昨年の霜月に江戸で捕われた子平は、仙台の兄友諒の屋敷に預けられ、蟄居処分を受けていた。

『海国兵談』は元より、以前に出版した『三国通覧図説』も発禁処分となり、版木は全て幕府に没収されている。

 子平自身は命まで取られなかった故、構わぬ。が、須原屋市兵衛は幕府から重い過料を負わされた。あれほど迷惑を掛けぬつもりであったのに、申し訳なく、合わせる顔がなかった。蟄居では、働いて返す誠意も見せられぬ。

 蟄居といっても、見張りは厳しくない。外出しようと思えば可能であるし、いつでも逃げ出せた。が、今度こそ、友諒や友道らに累が及びかねないため、子平は大人しく日々を過ごしている。

 散々に迷惑を掛け続けてきて、その上に友諒の平穏な生活を壊すなど、とてもできぬ。子平の弱点を知り抜いておる故、伊達家も特に監視を置かなかった。

 友諒らと子平の出版の関わりを一切否定し、蟄居処分に甘んじている状況を世に示すため、 

「親も無し 妻無し子無し版木無し 金も無けれど死にたくも無し」

 と現状を嘆く句を作った。六無斎と己を自嘲して、世捨て人を装ってもいる。

 しかし、実際は諦めてはおらぬ。

 子平は、発禁処分を受けた『海国兵談』と『三国通覧図説』の副本を隠し持っていた。 

 毎日、暇を見つけては密かに書き写している。二度と陽の目を見る機会はないやもしれぬが、生ある内は決して諦めぬと、川柳に誓った。

 また、自惚れではないが、自著が将来、日本国のために役立つと、固く信じてもいた。

「子平。気にせずに、たまには外に出ろ。全く陽に当たらず部屋に籠り切りでは、気が滅入るし、そのうち病になるぞ」

 今度は、友諒が廊下を歩いてくる音がした。子平が蟄居となり、一番に気遣ってくれている。

 友諒の情深さには、いつも心が震えた。齢と今の境遇が、余計にそうさせるのやもしれぬ。

「それでは、しばし、お言葉に甘えさせて頂きましょう」

 子平は立ち上がり、腰高障子を開いた。

 廊下に立つ友諒の背後の庭には、白い花弁を付けた梅の木が佇み、傍らから友道とお昌たちが見上げていた。

 友道の背丈はお昌の頭二つは出ていた。立派な医師になったと思う。友道は既に嫁を貰い、子も四人いる。

 ――妻無し子無し……。

 人生を懸けた書さえ発禁処分にされた今は、せめて家族がいれば、と考える機会があった。が、叶わぬ夢だから、恋しくなるものだ。

「何も、屋敷内で遠慮する必要はない。蟄居と雖も、自由に暮らしておれ。外に出なければ、伊達家や御公儀も、特に目くじらは立てぬ」

「そういう訳には参りますまい。壁に耳あり、障子に目あり。これ以上、兄上たちを困らせたくはござらぬ」

 子平のいる場所と、庭に広がる世界は、まるで景色が違った。

   2

 神無月になった。

 蟄居処分の子平の日常には、特に変わりはない。

 が、蝦夷で動きがあった。ロシア帝国から日本に通商を求める船が、長月初めに根室に来航したのである。

「子平。お主の予想が、ついに真になったではないか!」

 伊達家に齎された情報を聞きつけた友諒は、屋敷に戻るなり、声を弾ませた。まるで我が事のように、涙ぐんでいる。

 定信を始めとした幕閣は、松前家からの通報を受けて、大慌てであった。あれほど嘲った子平の言が、真になったのだ。

 日を置かずして、徳内から文が届いた。

 徳内は蝦夷でアイヌが蜂起した後、急遽、幕臣に取り立てられていた。その背景には、此度のロシア船来航の噂があったようだ。

 現在は樺太を調査中で、ロシア船の来航に出くわしたらしい。

――定信も、ある程度は危機を予測していたのか。

 毛嫌いしていた蝦夷検分隊の一員であった徳内を用い、再度の蝦夷調査を命じていた。もちろん信頼できる情報を掴んだ理由もあろうが、意次の政策を頭ごなしに否定していてはいかんと、気付き始めてくれたのやもしれぬ。

 子平は、少し嬉しくなった。子平に下した処罰を悔いて欲しいとは思わぬ。定信自身が心を入れ替え、国の舵取りを進めてくれれば、それで満足だ。

 ロシア船来航の一報があってから、伊達家の対応、いや、子平を取り巻く環境が変わり始めていた。

 さすがに、おおっぴらではない。が、子平の意見が正しかった状況が証明され、周囲から同情的に思われていた。

 もっとも、外に出られぬ子平は、友諒などから聞かされているだけなのだが。

 しかし、しばらくすると、心ある蘭学者や伊達家の家臣などが秘かに屋敷を訪ねてきては、子平の話を聞くようになった。『海国兵談』と『三国通覧図説』の写しも、信の置ける者には、貸し出している。

 子平は時折、川柳の最期の言葉を思い出していた。

『一度でも灯した火は決して消えず、此の国にとって必要ならば、いつかきっと燃え上がる』

 多少なりとも沸々と勢いを増した炎が、どこまで燃え広がるかはわからぬ。が、少なくとも、熱き志を持った憂国の士が育ちつつあった。

 ――川柳先生。これで、宜しいのですな。

 子平の薄暗い部屋の隅には、季節の花が一輪挿しに活けられていた。川柳の庵を真似ている。 

 子平は川柳を思い出す度に、一輪挿しに目をやっていた。

 覗いた花弁の模様や色合いを眺めていると、川柳の大きな体躯、頬、見開いた眼、お玉やお春、久米吉たちと過ごした日々が、瞼に浮かんだ。

 子平は蟄居の身でありながら、ようやく満たされた日々を送れるようになっていた。

 が、そんな矢先、子平の体に異変が起こった。

    3

 寛政五年(一七九三年)の夏を目前にしていた。

 庭先の木々の新芽が数えられぬほどとなり、草花が色鮮やかになっていた。袷も不要になるほど暖かく、どこか気が抜けていたのやもしれぬ。

 その日は、朝方に目が覚めて天井を見上げると、目の前が真っ暗であった。

 目が開いておらぬのかと思い、子平は瞼を持ち上げようと試みた。が、どうも体に力が入らぬ。

 しばらく動けず、声も出ぬために、助けも呼べなかった。

 じっとしていると、そのうちに屋敷内の音が耳を騒がせるようになった。もしかすると――と思い、体に力を入れると、まず、手が動いた。

 それならば、と、子平は起き上がろうとした。が、体に上手く力が戻らなかった。

 結局、それ以来、首から上と手は動くが、他の体の部分がよく働かぬ。故に、毎日のほとんどを床で過ごす他なくなっている。

 お昌が子平の世話を嫌がった故に、友諒が下女を一人、付けてくれていた。四十を越えた出戻り女だが、気立ては優しく、よく気が利く。名を、お楽といった。

 お楽は子平に食事をさせ、下の世話まで、嫌がらずにしてくれている。特に数多く言葉を交わす訳ではないが、食事の味付けや天候の話など他愛のない会話が、子平には新鮮であった。

 ――体は不自由になったが、悪くない。

 齢五十六にして、初めて夫婦の真似事をしている気分であった。

 しかし、寝込んでからの子平の体は、自分でも止めようがないほどに、どんどん衰えていった。

 微熱が毎日のように続き、時折には高熱を発した。その都度、体が痩せ細っている。 

 夏が過ぎ、水無月を迎える頃には、子平はもはや起き上がることすら、できなくなっていた。

「兄上。何も御恩をお返しできずに先に逝きますが、お許しくだされ」 

 子平は、己の死期が迫っておる状況を悟っていた。意次や川柳が自分の死期を理解していた理由が、今ならわかる。加えて、子平は医師である。

「恩などと……。兄が弟を応援して、恩義を感じる必要はない。つまらぬことを考えず、養生に努めよ。九つも下のお主が、儂より早く死ぬ道理があるまい」

 枕元に居並んだ友諒と友直も、当然に子平の死を予期していた。さすがにお昌も、神妙な表情で、子平に視線を向けている。

 月の半ばを過ぎると、子平は度々、意識を失うようになった。眠っている訳ではなく、起きて人の話を聞いている際にも、急に目の前の景色が真っ暗となり、意識がなくなる。

「お楽。儂には、もうじきお迎えが来るようじゃ。お主にも、真に世話になった」

 機会を逃せば申せぬと考え、お楽にも礼を言った。若かりし頃であれば、違った言葉になっていたやもしれぬ。が、死を間近に控えて、それでいいと思い至っていた。

 ――何度やり直そうが、儂には此の生き方しかできぬ。

 己の一生を貫いて、何の不満があろうか。

 数日後、思わぬ人物から文が届いた。定信である。

 友諒が最初、偽の文ではないかと疑った。まさか、蘭学者を毛嫌いして、子平を処罰した老中首座から文が届くとは、信じられなかったのだろう。

 が、確認したところ、間違いなく定信の自筆の文であった。

『子平先生。お加減は、如何にございましょうや。突然の文に、さぞかし驚かれたと存ずる。昨年、ロシア船が根室に到着した一件は、既にお聞き及びと存ずる。儂は只今、海防のために走り回っておりまする。いざ異国の脅威が迫ると、まるで憑き物が落ちたような気分で、ふと思い出したのが先生にござった』

 読み聞かせていた友諒が、子平の様子を窺いながら息を吐いた。

「兄上、ちゃんと聞いておりまする。先を」

 視線を返した子平は、先を促した。

定信は既に、子平が病床にある状況まで掴んでいる。ひょっとすると、かなり危ないと思って、文を届けてくれたのやもしれぬ。

『先生の申された通り、儂は主殿頭への恨みから、執政の視野が狭くなっておりました。今更、謝っても仕様がないが、真に申し訳ござらぬ。一言、これだけは申さねばならぬと、思った次第。もはや、お会いする機会はないでしょう。が、川柳先生や子平先生と交流できたのは、若かりし頃の儂の財産にござった。夜の句会は、真に楽しゅうございましたな。夏の蚊には、毎回、辟易させられましたが』

 友諒が涙ぐみ、洟を啜っていた。子平も、目頭が熱くなっている。

『最後に、くれぐれも体を労われるように』

 定信の文は締めくくられた。

 童の頃、白河に養子に入る際の凛々しい若殿、老中首座にまで登り詰めた姿。

子平は、定信の成長の軌跡を見てきた。が、文にもあったように、皆で句会に出て、先々の夢を誓い合った頃の思い出が、一番に印象に残っていた。

「子平と侍従様、川柳先生は真の友であったのだな。いろいろな確執はあったようだが、最期に和解が成って、良かったのう」

 友諒が赤らめた目に、にんまりと笑みを浮かべた。細い目に、滴が溢れている。

「掛け替えのない時を、一緒に過ごさせて頂きました。主殿頭様もそうですが、儂の一生で、財は成せませんだが、真に人には恵まれました」

「それは間違いない。お主の人生は、他人の何倍も内容が濃かったに相違ない」

「ですが、一番の人は兄上にござった。改めて、礼を言わせてくだされ」

 友諒の助けなしでは、とうに野垂れ死んでいただろう。

「ばっ、馬鹿を申すな。主殿頭様らと儂を同列にするものではない。からかうな」

 友諒が頬を歪め、声を震わせた。くっくっと、呻き声を洩らしている。

「もう、何も思い残しはござらぬ。侍従様も返事は望んでおられぬ。後は、侍従様に全てをお任せしましょう」

 定信が本腰を入れて海防に取り組んでくれたら、子平は安心であった。憂国の士たちは芽吹き、やがては此の国で花を咲かせるだろう。

『木枯らしや あとで芽をふけ 川柳』

 生前、川柳が詠んだ句を思い出した。子平の想いも、いずれ芽を吹いてくれればいい。

 子平が身罷ったのは、水無月の二十一日であった。

 日中、急に暗闇に覆われて意識を失った後、なぜか国後のコタンの中にいた。

 子平はコタンから出て、真下に広がる港を見渡した。陽射しの中、水際でお春と久米吉、川柳が立って蝦夷の海原を眺めている。

 子平は、皆が微笑んで見詰める先に視線を飛ばした。

 そこには、波打ち際で遊ぶ、和人とアイヌの童がいた。お春と久米吉の子らも、混じっているのだろう。


   完


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