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改革者たち  作者: いつみともあき
3/8

第三章 異国への夢

   1

 神無月も下旬であった。

 友諒の文には、『築地に面白い男がいるから、会いに行くように』と、用件だけが手短に書かれていた。気持ばかりの金子も、挟まれている。

 が、たった数行の行間から、離れても弟を気に懸けてくれている兄の心情が読み取れた。仙台に未練は残さずに出てきたつもりであったが、友諒の存在は有難かった。

 面白い男の名は、工藤平助(当時は出家して周庵)であった。伊達家の江戸詰の御殿医である。 

 平助は、伊達重村の覚えがめでたく、御殿医でありながら屋敷外に居を構える贅沢を許されていた。

 友諒の文が届いてから聞き調べた事柄であるが、平助は博学多才で、人柄も親しみやすく、築地の屋敷には、ひっきりなしに人が訪ねているそうだ。

 故に、子平も訪ねれば、何かの開眼があるやもしれぬ。少なくとも、無駄にはならん、と思ってくれたのだろう。友諒の心遣いが、子平の心に沁みた。

 今日は患者の予定がなかったので、築地に向かった。

 恵比須講は終わり、巷では大相撲の秋場所と紅葉が話題を攫っていた。久米吉とお春から、上野の紅葉を見に行かないか、と誘われている。

 両国、日本橋と南下するうちに、だんだんと南に江戸湾が広がって見えるようになった。やがて八丁堀を横切り、築地に入る。

 築地は、明暦三年(一六五七年)の大火の際に焼失した浅草の東本願寺の移転のために、佃島の住人によって造成された。つまりは、埋立地である。

 築地は、月島から大川を挟んで北にある。周囲を川に囲まれ、水路が張り巡らされている。そのため、小舟から大船まで、さまざまな舟の往来が盛んであった。此処では、舟が交通の主役である。

 平助の屋敷は、東本願寺の西に広がる武家地の中の、木挽町三丁目にあった。松平和泉守の広大な屋敷が、町のほとんどを占める一角にある。

 紀伊國橋を右手に、水路沿いを、三丁目まで南に下った。まずは和泉守の屋敷の塀が並び、途切れた所に、工藤平助の屋敷はあった。

 平助の屋敷は、決して小さい訳ではなかった。子平の長屋と比べるまでもない。敷地は、少なくとも三百坪程はありそうだ。

   2

 屋敷の前に立った。無造作に、門が開け放たれている。

 水路から門内に流れる風が、子平の袴の裾を靡かせていた。海から吹くのか、築地の風は重く、しっかりとしている。

「先生なら、中にいるぜ」

 子平が佇んでいると、町人風の男が門から出てきた。

「工藤先生は、御在宅か。今、儂が訪れて、御邪魔ではないかな」

 子平は、浅黒い男の顔に声を飛ばした。

 男は、きょとん、と目を見開いたかと思うと、ケタケタと笑い始めた。

「あっははは。あはは。あんた、平助先生を訪ねるに、遠慮は無用だぜ。儂も数年来、此処でお世話になっているが、『御邪魔ではないか』なとど気を遣って、門前で立っていたのは、あんたが初めてだ。ああ、可笑しい」

 男は目を細め、子平を眺めた。邪気のない笑いだが、子平は不快であった。

「こらお主! それ以上、儂を愚弄すると、許さぬぞ」

 腹を抱えんばかりに笑い続ける男に、声を荒げた。久しぶりに、短気の虫が騒いでいる。

 いや、川柳や賢丸、意次といった才人たちとの出会いで、子平は焦っていた。子平だけが取り残されているような気がして、苛立っていた。

 薬箱を持たぬほうの手で拳を握り締め、一歩、男に踏み出した。

 途端に、男の笑いが止んだ。男は頬を引き攣らせ、後退りしている。

「じょ、冗談だよ、医師の先生。そんなに怖い顔しなくても、いいじゃねえか」

「おいおい、人の屋敷で喧嘩などするな。やるなら、他所でやらんか」

 屋敷の土間に人影が見えたと思ったら、ずんずんと門まで歩いてきた。

「平助先生! あっしが仕掛けたんじゃ、ありやせん。この先生が、怖い顔して」 

 目の前の男は、工藤平助であった。逞しい肩を厳らしている。

 子平は、平助の頭の先から爪先までを、ざっと見渡した。

 ――医師というよりは、柔術でもやっていそうな……。

 頑丈な丸太が、着物を着ている態であった。手の平も分厚く、一本一本の指が太い。

 顔は目尻が下がっているせいか、柔和な造りであった。

 子平の推測は後日になってわかるが、当たっていた。 

 平助の実父は武芸に通じ、長兄は柔術に、次兄は弓術に優れていた。養父の工藤安世も武芸の達人であり、医師でもあった。このような生育環境で、平助が武芸を嗜まぬわけがない。

「若い故、血が滾って抑えられんのだろう。お主も医師か」

 平助の野太い声が、飛んで来た。

「林子平と申す。工藤先生と同じく、兄の林友諒は、伊達家のお抱え医師でござる。兄の勧めで、この屋敷を訪ねて参りました」

「ほう、国許の……。『林子平』の名は、どこぞで聞いた覚えがあるな」

「国を無二無三に出ました故、どうせ良からぬ噂しかありますまい」

 伊達家中に、敵を作った覚えはたくさんあったが、味方は皆無である。思わず、苦笑した。

「まあ、そんなことはどうでもいい。今日は患者が多い。医師ならば、喧嘩なぞしとらんで、手伝ってくれ」

 平助は短く吐き捨てると、子平を目で促した。平助は背を向け、再度ずんずんと土間から屋敷に入っていく。

「工藤先生。儂は診立てを手伝うために来たのでは、ありませぬが」

 平助の背を、声で追い掛けた。足も釣られて、土間から屋敷に上がる。

「無駄話はいい。見ろ、あれだけの患者が待っている。つべこべ言わずに、手伝え」

 平助は有無を言わさずに、子平を診察の間に誘った。

 なるほど、そこかしこの居間には患者が溢れ、一部は廊下にまで食み出していた。

 ――いずれにせよ、患者を片付けねば、平助と話もできぬ。

 子平は、腹を括った。 

    3

 最後の患者を診終わって薬の調合をする頃には、既に陽が暮れていた。

 引き潮のように患者が去った後の診察間は、がらんとして、どこか、そら寒かった。

 平助は、診察間の奥で熱心に薬研を動かしていた。 

 子平は手持ち無沙汰で、静かになった診察間の内を見渡している。

 弟子たちは、忙しく片付けに追われていた。

「疲れたかな、子平殿」

 平助は薬研を止めずに、口だけを動かした。目には、笑みが浮かんでいる。

「いえ、疲れはありませぬ。繁盛しておる医師ならば、当たり前の状況でしょう。儂が驚いたのは、御殿医をされながら、先生がこれだけの患者を診ておられる状況です」

 御殿医は、伊達家から役料を貰える。当主のお気に入りならば、役料だけでも食うに困らぬはずだ。

弟子を多く抱えているとは申せ、平助の精力的な働きぶりには、目を瞠った。

「医師じゃからな。医師は多くの患者を診て、己の技量を磨く。御殿医だからといって、殿様しか診ぬようになっては、もはや医師とは言えぬ。大きな声では申せぬがな」

 御殿医になった途端に、高貴な者だけを診て、庶民には目を向けなくなる医師も多かった。平助は、そういう輩とは、明らかに一線を置いている。

「その合間には、これら蔵書をお読みになられておりますか」

 平助の屋敷には、至る所に蔵書の山が積まれていた。医学書がほとんどであろうが、蘭書の数も圧倒されるほど多数である。

「此処には医師だけでなく、大名、武士、町人、百姓、役者、芸者、侠客と、さまざまな者たちが訪れる。その者たちから教わることもあれば、自分の知っている知識を教える機会もある。幅広く人と付き合うには、それなりの知識がないと、やっていけんのよ」

 書物により博学なだけではなく、生の情報も豊富なのだ。

 平助の屋敷には、下手な大名たちより、情報が集まるやもしれぬ。

「妾は、医師に嫁いだつもりだったのですが、今では旦那様が何者なのかわかりませぬ」

 平助の妻のお遊であった。医師の娘で、診立てもできる。

 お遊は、平助と子平の前にそれぞれ湯飲みを置き、茶を注いだ。格子柄の着物から伸びた細い首筋が、印象的だ。

 がっしりとした平助と対照的に、お遊は全体的に細く、手足が長かった。背も、女子にしては高い。

 子平は湯飲みを手に包み、縁側に腰を下ろした。

「読みたい書物は、好きなだけ読んで構わぬ。が、持ち帰りは厳禁だ。中には、特に蘭書だが、借り物も多いからな」

 平助も、湯飲みに口をつけた。ふう、と息を吐き、熱を和らげている。

「耕牛先生に、また、どやしつけられますからね」

 お遊が、話を取った。過去を思い出したか、何やら嬉しそうだ。

「耕牛先生とは、もしや蘭学の」

 ぴんと、子平の心に響く名であった。

 ――蘭方医の吉田耕牛ではあるまいか。

 吉田家は代々、長崎のオランダ語通詞であり、耕牛も若くして大通詞になった。

 耕牛は、蘭方医としては、異国から得た知識で、梅毒を水銀で治療する方法を広めた。

 また、耕牛はオランダ語、医術に加えて天文学、地理学、本草学などにも通じており、蘭学を志す者に、己の知識を教授した。主宰する成秀館には、全国から蘭学を志す入門者が、引きも切らないと聞いている。

「そうでございます。江戸に来れば、必ず此処に、立ち寄ってくださいます」

 お遊が、探し物を見つけたかのように、両手を鳴らした。 

   4

 子平が平助の屋敷に入り浸るようになり、一年余が過ぎた。

 明和五年(一七六八年)の如月も半ばになっている。築地の川沿いに植えられた桜も、ちょうど見ごろを迎え、鮮やかな花弁が、時折、水面に浮かんでいた。

 日々のだいたいは、長屋での診察を午前で終え、午後から夜遅くまでは平助の屋敷にいた。

 診察がない日は、それこそ夜明け頃に長屋を飛び出して、日の出から夜まで築地にいた。

 初めのうちは、蔵書の乱読が主な目当てであった。が、屋敷に出入りを続けるようになると、同じく平助の屋敷に入り浸る知己が増え、交流が盛んになった。

 平助は寛大で、門弟や屋敷に出入りする者たちには、飲み食いを許していた。むろん、食費は工藤屋敷が持っている。

 中には、飲み食いを目的にしているのではないか、と思われる者も混じっている事例もあった。

が、そういう輩は、いつしか消えて、いなくなった。真面目に医術や学問を志している者の中にいても、居心地が悪く、やがてはつまらなくなるらしい。

 診察が早く終った日には、決まって宴会が開かれた。その都度、学問や政について、喧々諤々の議論が交わされた。

 今宵は花見という訳ではないが、酒宴であった。平助の屋敷も、幾本かの桜を咲かせている。

 少し肌寒いが、居間を開け放って、篝火で照らされている庭の木々を眺めていた。

 薄紅色の花弁を見詰め、酒を呷っていると、不思議と議論に波風が立たない。桜の魔力は、論客の舌鋒をも鈍らせるか。

「子平殿。今年の夏には、耕牛先生が江戸に来られるそうだ。その際に、貴殿の願いを話してみようと思う」

 赤黒い顔の平助が、銚子で盃を満たし、子平にも促した。

 子平は両手で受け、恐縮する。この頃には、すっかり平助の弟子になっていた。

「是非とも、お願い申し上げます。儂も、お会いできたなら、直にお願いする所存でござる」

 子平は、平助の屋敷で蘭書を貪り読み、蘭学者たちと議論するようになって、異国への関心が高まった。いつしか、異国に行ってみたいとも、思うようになっている。

 しかし、幕府の許可なしに異国に渡れば、国禁を犯す所業となる。子平自身はともかく、類は親族たちにも及ぶ。

 故に、長崎に行って異人たちの文化に触れ、より多くの知識を得たい、と思っていた。平助には常々、機会があれば長崎に行きたい、と伝えていた。

「ふん。長崎なんぞに行くより、京の都におわす天子様を敬うべきだ。異国を学ぶより、余程に大事にござる。そうではありませぬか、平助先生」

 鋭く言い放ったのは、高山彦九郎であった。齢十九で、かの楠木正成に憧れ、各地で勤皇を説いて回っている。

 酔うといつも、太平記と勤皇の話を始める、一風変わった男であった。

    5

「日の本の国で、天子様を敬わぬ者はおらぬ。お主は、如何にして天子様のために働けるかを、考えるがよい」

 平助が分厚い手の平で、彦九郎の背中を叩いた。

 子平もそうだが、平助の屋敷に集まる者の多くは、彦九郎のように己の道が何かを見極めんとする若者ばかりであった。

 特に、地方出身の者が多かった。若さ故に迸る体内の覇気を、どう使えばよいのか持て余し、逃げるようにして江戸に出てきている。

 彦九郎は、漠然と、熱い勤王の志を抱いていた。が、具体的に己が何を為すべきかは、図りかねている。

 平助は、弟子たちの考えを一切、否定しなかった。何かを強制する訳でもない。常に、弟子たちが各々で、自ら何かを悟るまで、温かく見守っている。

 彦九郎は、絡み酒になっている状況が気まずかった様子で、徳利を持って立ち去った。

 彦九郎は常日頃は博覧強記で、子平も認めていた。ただ、才人にありがちだが頑固で、取っつき難い。子平がいえた義理ではないが、師である平助の意見以外は、誰の意見も聞かなかった。

 春の残滓に浸る間もなく、急激に夏空が広がった。江戸中の木々で蝉が羽化したと疑わずにはいられぬほど、朝から晩まで鳴き声が響いている。

 水無月の二十日を過ぎた頃、平助の言葉通りに、吉雄耕牛が工藤屋敷に姿を現した。

「耕牛先生が参られた!」

 来客を告げる知らせを聞いて、古くから耕牛と顔見知りの弟子たちが、ざわめいた。

 患者の診立て中であった平助の代わりに、お遊が手を置き、門に走っている。

 子平はちょうど、別の居間で書見をしている途中であった。が、慌ただしくなった屋敷内の様子に、耳を尖らせている。

内心は、心が騒いでいた。蘭学を学ぶ者にとって、耕牛は憧れの存在であった。

ドタドタと、廊下を鳴らす音が診察間に向かった。

「平助殿、久しいな」

 子平は手元の書を閉じ、耳を欹てた。平助と耕牛が、再会を喜び合っている。

 ひょっとしたら呼ばれるかもしれぬ、と考えぬ訳でもなかった。が、診察が終わるまでは、平助は手が離せぬようだ。

 耕牛は恐らく、お遊に奥に誘われたのだろう。屋敷内は再び静かになり、蝉の声が轟くようになった。

 案の定、その日の診察が終わると、宴会の準備が始まった。子平も他の弟子たちに混じり、準備のために酒を買いに走った。

 木挽町三丁目から新橋を渡り、町屋の集まる尾張町界隈まで歩いた。

 武家地から町屋に出ると、商いの活況ぶりが目に入った。大店の酒屋に入り、酒を注文する。

 酒屋の中から通りを眺めても、往来の激しさに目を瞠る。武家よりも、町人たちの羽振りのほうが、よほどに良いに違いなかった。

 意次の狙いが当たっていた。商人たちの商いが活発になり、江戸の町全体が賑やかになりつつある。

 ちなみに、意次は側用人となって家禄も倍増され、従四位下、二万石の大名になっていた。大名になって十年足らずで、石高が倍増している。川柳が予言したように、老中になる日も近いかもしれぬ。

 となれば、日の本の国も、随分と変わっていくだろう。

   6

 耕牛は、長崎の出島の商館長であるカピタンの江戸参府に付き添って来ていた。

 船旅の疲れを見せず、黒光りした肌から、白い歯を並べて笑っている。

 大酒飲みなのは、間違いない。先ほど来から、お遊の注いだ盃を、炒豆でも口に放り込むように干していた。

 齢は平助の十ほど上と聞いているから、子平より干支の一回り以上は上であった。が、見た目は若い。平助と並んで酒を酌み合う姿は、同年代と偽っても、疑われないだろう。 

 異国の最新の知識を得て、医術も実践し、多くの弟子を指導している身には、老いなど訪れぬのであろう。

「子平殿、参られよ」

 平助の声が、居間に響いた。

 夜でも、寝苦しい程の暑さが続いていた。肩寄せ合って酒を酌み交わす皆の顔には、じわりと汗が滲んでいる。

 それでも、当代一とも言える蘭学者との邂逅のひと時は、誰にとっても貴重であった。

 子平が平助の傍らに立つと、お遊が席を空け、座すように促した。

「忝い」と、お遊に礼を言い、胡坐を掻く。

 途端に、平助が盃を差し出したので、受け取った。

「耕牛先生、此方が、予てより文で申しておった、林子平殿にござる」

 平助が、子平を紹介した。

「林子平にございます。お見知りおきくだされ。耕牛先生の御尊名は、かねがね耳にしておりまする」

 深く、頭を垂れたところ、

「吉田耕牛でござる。ささっ、一献」

 銚子を握った耕牛が、有無を言わさずに、子平の盃を満たした。

 恐縮しつつも、盃を干した。すかさず銚子を取り、返盃を促した。

「これは、有難い。では」

 耕牛も、一気に干した。

「耕牛先生もな、堅苦しいのはお嫌いじゃ」

 平助がにんまりと、二人の様子を見ていた。

「特に江戸参府は、お城の中まで付き添うからのう。平助殿の屋敷まで来て、堅苦しい挨拶は敵わぬ。気楽に行こう」

 耕牛が、目尻に皺を寄せた。黒目と同じくらい、肌も黒い。元から南国生まれと聞いておるから、肌の黒さは生まれつきやもしれぬ。

「では、儂も遠慮なく」

 子平は手酌で盃を満たし、呷った。

 子平とて、仙台を出てからは気楽な浪人医師暮らしであった。此方のほうが、性に合っている。

    7

場が煮詰まった頃、子平から耕牛に切り出した。

「耕牛先生。儂をどうか、成秀館に置いてくだされ。本場の長崎で、蘭学を学びとうござる」

平助からも話は伝わっているが、やはり己の情熱を見せねばいかんと考えた。

 子平の体内に入った酒は、かなりの速さで蠢いているらしく、心ノ臓の音が、やたら喧しかった。

が、酔った勢いではなく、耕牛の下で学びたい、という強い一念は、しっかりと意識している。

 同じく、浴びるほどに飲んだ耕牛が赤黒い表情で、ぽかんと目を見開いた。

「……今更、そのような話をされてもな」

 耕牛の視線が、困ったように平助に飛ぶ。平助が、にんまりと口を歪めた。

「子平殿。耕牛先生は、とうに、そのおつもりなのだ。故に、貴殿の人柄を見極めようと、こうして飲んでおる」

「それでは、連れて行って頂けるのですね」

 否、と言われても、押し掛けるつもりであった。が、確認せずにはいられない。

「子平殿さえ宜しければ、此度の参府の帰りにでも、一緒に行きますか。うちは、此処の屋敷と同じで、来る者は拒まず、去る者は追わず故」

「えっ、此度、でござるか……。して、いつごろ帰途に就かれまする?」

「江戸滞在は、あと数日の間だ。それまでに始末を終えられるのであれば、ご一緒致そう」

 まさか数日後に長崎に発つとは、予想だにしていなかった。

せっかく江戸での医師暮らしも成り立ち、川柳やお春たち友人ができ、平助の屋敷にも知己が増えていたが……。

「是非とも、ご一緒致したく存じます。御出立までには、必ずや間に合うように後始末をつけまする」

 飛躍する機会は、何を置いても掴まなければならない。浪人医師である子平がこのような幸運に恵まれる機会は、そう滅多にあるものではなかった。

 また、物事の時機を逸すれば、たとえ次に機会が訪れたとしても、何も成し遂げられぬような気がした。

 ――いずれにせよ、子平の長崎行きは、今を置いて他にない。

「やはりな。子平殿ならば、即決するだろうと思うてな、耕牛先生に頼んでおった」

 平助が、頷きながら盃を含んだ。武骨な手で、干物を齧っている。

「旦那様は、寂しくなりますね。優秀な弟子を、耕牛先生に連れて行かれて」

 お遊が、平助の傍らで微笑んでいた。

「工藤屋敷の俊英を、一時、お預かりするだけよ」

「そのように仰られると、恐縮にござる。愚昧の身にござれば」

 成秀館には、子平とは比べ者にならぬほどの秀才たちが犇めいているに違いなかった。勢い込んで行ったは良いが、恥を掻くだけやもしれぬ。

「励まれよ。儂のように御殿医なんぞをやっておると、行きたい所があっても、自由には行けぬ。言わば、町医者の特権じゃ」

 平助が憂いを見せた表情を、初めて見た。傍目には順風満帆にしか見えぬ平助であったが、心の内で思い悩む事柄があるのだろうか。

 子平は無言のまま、平助に頭を垂れた。

   8

 二年ほど落ち着いた長屋を、隅から隅まできれいに掃き清めた。荷物の整理には、さほどの時間も必要なかった。元から、持ち物は多くはない。

 部屋を片付けて出て行く有様を客観的に眺めれば、仙台を飛び出す時の状況が思い出された。

 伽藍堂になった住処は、何かの終わりと同時に、始まりを予感させた。江戸暮らしに落ち着き、安定していた心の内は、期待と不安が混濁している。

 ただ、あの時と異なる状況は、子平の旅立ちを惜しんでくれる者たちがいる。

「子平先生。すっかり、片付けちまったね。あーあ、本当に行っちまうんだ」

 襷掛けに布を頭に被せたお春が、呟いた。今朝から、久米吉と共に、子平の長屋を訪れてくれている。

「せっかく、何かの縁で、こうして知り合えたっていうのによぅ……」

 久米吉も、鼻を顰めている。

 二人に長崎行きを伝えると、自ずから長屋の片付けや、懇意にしていた患者たちへの挨拶回りを買って出てくれた。時間があれば子平が行うつもりであったが、耕牛の出立が迫っている。好意に甘えることにした。

「急で、すまぬ。儂も、江戸に来てお主らと出会えなんだら、途方に暮れておった。真に感謝している」

 久米吉、お春、川柳と繋がった縁から、随分と暮らしが明るくなった。

子平一人であったなら、せいぜい長屋で書物と格闘しているのが関の山であったろう。

「難しい学問は儂にはよくわからねぇが、江戸で学び続ける訳にはいかんのですかい」

 久米吉が、悔しそうに吐き捨てた。大きな両頬が、赤らんでいる。

「長崎には、多くの異人がおる。書物だけではなく、生の学問が学べるのだ。しかも、耕牛先生は通詞だぞ。これ以上の蘭学を学ぶ環境は、他にあるまい」

「久米吉さん。もうよしなよ。子平先生だって、一生を長崎で暮らす訳じゃあないだろう。また、江戸に戻って来るさ。ねえ、先生」

 お春が、じっと見詰めてきた。うなじから顔に掛けての色の白さは、出会った頃から変わらぬ。

 その時、半開きの腰高障子の前で、人の気配がした。気づかなかった理由は、蝉の鳴き声で足音が掻き消されていたからだろう。

忙しく床や壁を拭いていた三人は、土間に入ってきた草鞋を確認して、視線を顔に向けた。

「間に合って、良かった」

 編笠を取り、汗みずくになった川柳であった。目尻には、いつもの穏やかな笑みを湛えている。

「川柳先生。お越し頂いて、真に忝い。今夜にでも、儂からご挨拶にお伺いしようと思うており申したが」

 子平は、明日の午後に発つ予定であった。今宵からは、平助の屋敷に泊まりこみ、耕牛からの繋ぎを待つ。

 平助の屋敷に入り浸るようになって以来、時折にしか川柳をお訪う機会がなかった。此処の所はしばらく、無沙汰をしている。

しかし、必ず別れの挨拶を伝えなければならぬ、恩人であった。

    9

 お春と久米吉が餞別に持参した団子と酒を、皆で呼ばれた。

 昼間から酒を飲む状況は、額に汗して通りを過ぎる百姓や商人たちからすれば、不謹慎に思われるかもしれぬ。が、今日は良かろう。

「お玉も、寂しがっており申した。ですが、子平先生には、またとない機会。是非とも、精進してきて下され」

 川柳が盃を手の平に包んだまま、前方を見詰めた。

 四人は上がり框に並んでいるので、前方には開け放たれた腰高障子がある。炎天下の中でも、人が行き交う足音がした。

 長屋の住人たちの職業は様々で、朝が早い者もいれば、陽が暮れてから出ていく者もいる。故に、ひっきりなしに人の出入りがあった。

「先ほど、お春と久米吉にも申したところですが、川柳先生とお玉殿を始め、皆様には大いに感謝しております。仙台にいた頃には味わえなかった心の安住を、束の間なれど、頂きました。後ろ髪を引かれる思いは多々ありますが……」

 改めて川柳に別れを切り出され、明日には去る身だと実感した。またいつ、江戸に戻ってくるかわからぬ旅である。思わず、言葉が詰まった。

「いつの日か、また子平先生と一緒に、主殿頭様や賢丸様と句会を催す日を、楽しみにしておりますぞ」

 川柳が子平に視線を向け、力強い声を発した。

「あっしらも当然、鑑賞させて頂きますんで」

 久米吉が、ヘヘヘと、照れたような笑みを浮かべた。傍らのお春は、無言で頷いている。

「儂との再会を、これだけ楽しみにしてくれる人がいてくれるだけで、励みになり申す。必ずや、今より大きゅうなって、皆様と再会を致しますぞ」

 子平は盃を上げ、皆を見渡した。

 暮れ六つまでには平助の屋敷に着こうと思い、酉の刻前に長屋を後にした。川柳たちとはとうに別れ、一人で大川の流れに沿って歩いている。

 蔵前の辺りに差し掛かると、一目で羽振りの良さそうだとわかる商人たちが、多くの供を連れて辻を跋扈していた。札差であろう。たったの百人程度で札差仲間を作り、巨万の富を独占している。

 小平の長屋の周囲や、久米吉やお春夫婦もそうだが、毎日を額に汗して稼いでも、札差たちの一着の着物代にも遠く及ばぬ稼ぎであった。

 札差は極端な例だが、商いの行き過ぎは、また新たな問題を抱えている気がした。が、やはり米の時代は、もう完全に終わっている。

 予定通り、暮れ六つ前には築地に着いた。

 夕暮れ時を迎えても、陽光は一向に衰えを見せぬ。子平は途中で何度も汗を拭い、竹筒を口に含んだ。

 水無月ももう終わりとは申せ、暑さはまだまだ続くやもしれぬ。まして、子平は長崎に向かう。

 当然に、江戸よりは暑さが厳しいであろう。

   10

 突然に、出発が早まった。

 目が覚め、朝餉が終わらぬ内に、耕牛からの使者が屋敷を訪れている。

 昨夜は案の定、酒宴が催され、工藤屋敷の皆と別れを惜しむ機会があったから良かったものの、出立前に言葉を交わす暇すら儘ならぬ仕儀となった。

「平助先生。では、行って参りまする」

 最後に、平助とお遊にだけは挨拶をして、急ぎ手配した駕籠に乗り込む。

 オランダ商館長一行が定宿にしている長崎屋(後世の中央区日本橋室町四丁目二番)では、朝から行列を整えていると聞く。出発が早まった理由は、カピタンの気紛れか何かであろうか。

「子平殿!」

 駕籠に乗り込んだ途端に、呼びかけられる声がした。

 つと振り返り、駕籠から首を伸ばすと、辻に彦九郎が立っていた。突発的に駆け出して来たようで、袴の裾が乱れている。

「己を、貫け。貫き通せ!」

 彦九郎は拳を掲げると、鋭い視線を向けて来た。間もなく、皮肉な笑みを浮かべたかと思うと、最後に子平に一瞥をくれて、大股で門内に入っていく。

 平助夫婦は一瞬、呆気に取られたようだ。が、去り行く彦九郎の背に目をやった後、子平に笑みを向けてきた。二人を、微笑ましく思っている様子だ。

 彦九郎とは、それほど打ち解け合っていた訳ではなかった。が、互いに大望を抱いている胸の内は、理解していたと思う。

 彦九郎は恐らく、子平を励ますようでいて、己にも言い聞かせたのではないだろうか。

 巨大な江戸城の輪郭を左手に仰ぎ見ながら、日本橋を渡った。

 橋上の往来の凄まじさにも驚かされたが、真下を流れる日本橋川には、荷を積んだ船や急ぎの猪牙舟が、溢れ返っている。

――よくあれで、ぶつからんものだ。

 と、船頭たちの腕に関心していたところ、本石町三丁目(中央区日本橋室町四丁目五番付近)の小路に出た。

 此処に、江戸庶民に時刻を知らせる『時の鐘』があった。

 徳川家康とともに江戸に入った辻源七が鐘つき役を任命され、代々その役を辻家が務めている。

 長崎屋のちょうど、裏手である。

『石町の鐘はオランダまで聞こえ』と、後世の川柳にも詠まれていた。カピタンの定宿である長崎屋の存在を、意識した句である。

 いずれにしても、鐘の音は、江戸庶民の生活の一部であった。

 黒板塀がえんえんと続いた先に、本陣構えの門が見えてきた。『長崎屋』である。

 門前には幾つもの乗物が用意されていた。子平の乗ってきたような駕籠とは異なり、どれも煌びやかな装飾が施され、漆塗が黒光りしている。

「よくぞ、参られた。が、今は皆が慌しい時じゃ。カピタンにだけ挨拶をして、子平殿も立つ準備に加わってくれ」

 耕牛は直ぐに、カピタンの居間まで連れて行ってくれた。耕牛が一緒なので、何の誰何も受けぬ。

 ヤン・クランスがカピタンになるのは、三度目であった。第百二十五代目のオランダ商館長である。

 とにかく、大柄な男であった。髪は赤茶色で、何かを突き刺せそうな鷲鼻をしている。 

 下は袴の裾を引き絞ったような、上は肌に密着した着物を身に着けていた。

 耕牛がオランダ語で子平を紹介すると、両手を広げて鷲鼻を歪め、居間に響き渡る声で笑った。 

 子平が裾を正して辞儀を仕掛けると、手を握られた。思わず、クランスの顔に目をやる。

 クランスはにんまりと、笑っていた。赤茶色の髭の隙間から、白い歯が覗いている。オランダ人も、歯は白い。

 西洋の挨拶で手を握り合う慣習があるのは知っていたが、実際に握られると、どうも違和感があった。

が、これから長崎で異国人たちと交わりに行く身である。郷に入れば、郷に従え。慣れる必要があった。

 どうも馴染める気はしなかった。だが、一つ、良い点を見つけた。こうして手を握られると、歓迎を受けているような気分になる。

 見ず知らずの人間、しかも異国人に初めて出会って、歓迎されていると思える状況は、有難かった。

 カピタンや耕牛たちが乗物に乗り込んだ。子平たち供連れは、先導する者と乗物の周囲に侍る人数を除いて、行列の後ろに従っていく。

 長崎屋の前には、オランダ人を一目でも見ようと人だかりができていた。人だかりを目当てに来た者たちが、さらに見物に加わり、数はどんどん増えている。

 商いの途中や通りがかりの侍、はては、童を肩車した父親までが、行列の出発を心待ちにしていた。

 なかなか人が立ち去らない原因に、オランダ人たちの愛想の良さがあった。喊声を上げる民衆に対して、オランダ人たちは手を振り、笑顔で応えている。

 大名行列に侍っている侍たちの無愛想ぶりを思い出して、可笑しくなった。

主君を守るために警戒している面はもちろんあったが、笑みを湛えて童に手を振るような者は、全くおらぬ。

 ――目や髪の色が違うだけでなく、やはり、異国人なのだ。

 子平は、ますますオランダ人たちへの関心が高まった。長崎では、多くの異国人たちと関わろうと思う。

 先頭が合図を出し、乗物が一斉に担がれた。ゆっくりと、一行が進み始める。

 民衆からの喊声が大きくなり、子平の視界は、無数の顔だらけになった。

 傍を歩くオランダ人は笑みを浮かべて相手をしていたが、子平はどうも同じようにはできぬ。やはり、文化や慣習が違う。

 恥ずかしいので、編笠を深く被り、通り過ぎた。

 ――郷に入ろうとは思うが、元々からの気質は、変えられそうにない。

 行列は江戸城の北を通って甲州街道に出て、陸路を大坂まで向かう。

 兵庫からは海路を取り、小倉から長崎までは、再び陸路を取る予定であった。

 のんびりした旅である。行く先々で大名家などに立ち寄り、歓迎を受けるという。

 長崎に着くまでには、三月ほどを要した。

   11

 さぞかし暑さが厳しいものと思って旅立ったはずであったが、長崎に着いた頃には、神無月を過ぎていた。

 ちょうどよい気候である。

 江戸であれば少し肌寒く、仙台であれば初雪の降る頃であった。

 しかし、耕牛の屋敷(後世の長崎市万才町・長崎県警察本部がある)は海沿いにあるにもかかわらず、暖かかった。出島まで、三町もない距離にある。

「江戸の初冬より、随分と暖かく感じますな」

 子平は、耕牛の屋敷を見上げた。江戸の平助の屋敷より、一回りは大きい。

「沖を温かい潮が流れておるので、陸もなかなかに冷えぬ」

 耕牛は地理学にも長けている。短く応えると、真っ先に門を潜っていく。

「お帰りなさいませ!」

 耕牛が一歩、足を踏み入れると、居並んだ女中や弟子たちが、出迎えた。

 屋敷内の成秀館には、常時二、三十人の門弟が出入りしていた。吉宗の飢饉対策で名を馳せた『甘藷先生』こと青木昆陽も、かつて訪れている。

 子平も屋敷内の廊下を歩きながら、弟子たちと挨拶を交わした。

「物凄い数の蔵書ですね。平助先生の屋敷でも驚かされたものですが、これはまた……」

 一流の蘭学者の屋敷故に、ある程度の予想はしていたが、度肝を抜かれた。と同時に、学問で一流と認められるためには、此処まで打ち込まねば到達できぬ、と教えられた。

「子平殿。長旅、ご苦労でござった。まずは、ゆっくりと旅の疲れを落とされよ。子細は、追々に。あとは幸吉に任せるので、指示に従うてくだされ」

 耕牛は踵を返し、奥に向かって歩いた。

 耕牛も、久方ぶりの帰宅であった。子平と異なり、往復なので半年以上を掛けての旅である。まずは、家族に会いたかろう。

 子平は耕牛の背に頭を下げた。顔を上げ、幸吉と呼ばれた男を見る。

「何卒、良しなにお頼み申す」

 尾藤幸吉と名乗った弟子は、やはり医師であった。阿波出身である。高名な耕牛を慕って、成秀館の門を叩いている。

 黙々と、幸吉に従いて行った。

 が、庭園に目をやっていると、何か違和感があった。

「違いが、お分かりになりましたか。儂も、初めて来た際には、そうでした。もっとも、儂の時は春先でしたので、原因はわかりましたが」

 幸吉が振り返った。一瞬は驚いたが、誰もが通る疑問なのだろう。

「どこか、普通の屋敷の庭とは違う、と感じています」

「オランダ式なのですよ。春や秋であれば、花が咲き乱れていて、それは見事にござる」

 幸吉は、思い起こすように庭の裸木を眺めた。

「庭だけではござらぬ。此の屋敷は、周囲からは『オランダ屋敷』と呼ばれております」

 幸吉は子平と並び、歩き始めた。

「外からは、庭しか見えませぬから。屋敷内は、そうでもありませぬのに」

 子平も幸吉に歩を合わせる。

「庭は、ほんの序の口にて。二階の座敷には、耕牛先生が集めたオランダの品々が、山となって積まれておりまする。恐らくは、屋敷を訪れた客人たちが、吹聴して回っているのでしょう。周囲には、屋敷全体がオランダの物で満たされている、と思われている」

「二階も、是非とも拝見しとうござるな。オランダ国は、何もかもが、我らより進んでおると申す故」

    12

 明和五年は霜月の二十四日((一七六九年一月一日)になった。

 此の日は、オランダ人たちが使うグレゴリオ暦では元旦である。 

 耕牛の屋敷では、『オランダ正月』が催され、多くの人間が詰め掛けていた。

 二階の座敷に置かれたテーブルには、豚や牛の料理、パンなど珍しいオランダ料理が並べられていた。ギヤマン・グラスには、ワインが注がれている。

 耕牛の趣向で、全てオランダ式である。会食の際には、蝋燭も多く点される。

 耕牛ら通詞は少し前に出島で催された『オランダ正月』に招かれていた。カピタンたちが幕府の役人を持て成すために始めたらしく、出島ができて以来の慣習である。むろん、カピタンたちも、本当の正月は今日、祝う。

 耕牛家族を始めとして、招待した客人や弟子たちが、相伴に与った。

 庭では、弟子が手分けをして、近隣住民への御裾分けを振る舞っていた。カステラを心待ちにして、毎年、欠かさず訪れる童たちもいる。

 子平は庭で、目の前の長い列と向き合い、パンと少量のワインを配っていた。

「何も宣伝しておらぬのに、皆はどこで知ったのだ」

 忙しく手を動かしながら、隣の幸吉に声を投げた。普段はあまり出くわす機会もない近隣住民が、湧いて出てきた感がある。

 幸吉はすぐ隣で、童らにカステラを配っていた。

 童たちは先を争うようにカステラを奪おうとしていた。列に割り込む者もおり、抗議できない幼い子らが、べそを掻いている。

 幸吉は、迫り上がった額に汗を浮かべて、「順番を守れ。守らぬと配らんぞ」などと、皆を宥めていた。

 そう、少し動けば汗を掻くほど、冬が温かい。

 長崎の町では、年に一度、雪が降ればいいくらいだと聞いた。秋から冬の間中、溜息を吐きながら灰色の空を見上げなければならぬ仙台の冬とは、大違いである。

 耕牛に言わせれば、沖の潮のおかげなのであろう。

「耕牛先生は、通詞になってしばらくしてからずっと、続けておられる。かれこれ二十年くらいになるそうじゃ。きっかけは、カピタンたちの『オランダ正月』に招かれて、大層に気に入ったようだ」

「町衆にも、すっかり馴染んでおるのだな。新参者の弟子である儂のほうが、よほどに珍しく感じておる」

 子平は、微笑ましく庭を眺めた。大人も童たちも、皆で楽しんでいる。

 異国人と直接の交流ができる訳ではないが、広い日本で貿易を許された、たった四つの内の一つの町であるため、どこか異国文化の影響を受けておるような気がした。

 ――それに、町全体が富んでいる。

 貿易は、儲かる。蝦夷でも感じた状況だが、長崎に来て、より確信に至っている。

 長崎奉行の懐が温かいのは、つとに有名であったが、荷を扱う商人はもちろん、耕牛のような大通詞はさておき、並みの通詞や小振りな商人たちまで、羽振り良かった。貿易の利が、関わる者に順々に回っているという態である。

 長崎の飯屋や物売りの多くが繁盛しており、飢饉に喘いでいた東北を見てきた子平には別世界に思えた。

 江戸に行く機会があったら、意次に長崎貿易の様子を、語りたかった。少しは、政に役立てて貰えるやもしれぬ。噂では、意次は来年にも老中に推挙される勢いだ。日の出の勢いとは、このような状況をいうのだろう。

 もっとも、店々の客は、異人ではない。

 貿易が盛んといっても、街中をオランダ人や唐人が闊歩している訳ではなかった。オランダ人は出島で、清国人は唐人屋敷のみで生活を強いられる。

 幕府は、キリスト教の布教と密貿易を警戒していた。出島や唐人屋敷の出入りにも、厳しい監視の目があった。

 故に、大通詞である耕牛が出島に入る際にも、供連れや荷に対する監視が厳しかった。各々皆に札が渡され、出る際に役人に返さなければならない。

   13

 明和六年(一七六九年)の年が明け、弥生に入った。

 子平は弟子に入って初めて、出島での供を許された。

 耕牛の後に続き、子平たち供連れも札を受け取る。番所を抜けて、頑丈な鉄扉の大門を潜った。

 ずどん、と南端まで一本の道が伸びており、東西には広場があった。東の広場には、赤・白・青のオランダ国旗が掲げられている。季節柄が良いので、広場には色とりどりの花が咲き誇っている。晴れ渡った空と海の青に囲まれて、色合いがさらに映えていた。

 しばらく前の子平ならば、見たこともない花々であったが、耕牛の屋敷の庭にも、多くが植えられている。

 出島は真ん中に、東西を走る通りがあり、ほぼ四区画に分かれていた。

「大名屋敷の中に、すっぽりと町を作ったようです」

 町といっても、人工的に埋め立てた島であった。それほど大きくはなく、せいぜいが中程度の大名屋敷くらいである。

「そうであるな。故に、カピタンたちは日々、退屈しておる」

 耕牛が、東西を貫く通りに寄り添うように建つ、一際ぐんと大きな屋敷に目をやった。カピタンの屋敷である。

 オランダ商館に住むオランダ人たちは、荷の出入りと江戸参府の時以外は、のんびりと生活していた。荷の出入りについても、幕府の厳しい制限があり、年に二度ほどだと聞く。

 それ故に、出島の中には、オランダ人たちを慰める遊女もいた。

 広場で花を愛でながら散歩しているオランダ人や、ビリヤードといって、台の上で玉を突いての遊びに興じている者もいる。

 子平にとっては、初めて垣間見る異国人たちの生活ぶりであった。

「ホッホッ、物珍しいか。儂の家は代々が通詞なので、当たり前になっておったが」

 子平が無言で目をぱちくりとさせていると、耕牛が笑った。

 耕牛がカピタンの屋敷に入ったので、子平は出島内を見て回った。

 水無月にオランダからの船が入るまでは、本当にのんびりしている。広場で遊女と戯れるオランダ人も見えた。

 西の荷揚げ場の傍にある監視小屋には役人たちが詰めていたが、船が入っておらぬため、通りがかった子平に、少しの警戒も抱かなかった。

 出島から見渡せる湾内の波上には、多くの和船が行き交っていた。が、今はオランダ船はもちろんのこと、清の船も見当たらぬ。

 ――早く、異国船を間近に見たいものだ。

 航海術の進んだオランダ船には、和船にはない装備があった。願わくば船内を見せて貰いたいが、幕府の許しが必要であった。

 むろん、耕牛の弟子に過ぎぬ子平に、許しが出る訳がなかった。

 東の端にも足を伸ばした。牛・豚・山羊などが飼われ、オランダ人たちの食用にされている。

 出島の端から端まで、ほんの一町程度であった。

 しかし、正に異国である。

    14

 水無月半ばに、二隻のオランダ船が、長崎港に姿を現した。

 空は晴れていたが、薄い煙幕のような白い雲が、陽の射し込みを邪魔していた。七分咲きの花弁のように輝いた海面に、赤・白・青のオランダ国旗が靡いている。

 子平の目には、オランダ船がじりじりと摺り足で近づいてくるように見えた。が、だんだんと船体が顕わに大きくなっている様は、相当な速度で水を切って走ってきている証拠であった。

 子平はオランダ船が入港すると聞いて、耕牛の屋敷から三町ほど離れた高台に来ていた。 

 他の弟子たちや町の皆には当たり前の出来事であった。湾内に姿を現したからといって、特に関心を示す訳ではない。通りにいた童の一団が、遠くを指差しながらヤンヤと喝采している他は、静かなものである。

「子平殿。急がれよ、耕牛先生がお呼びだ。出仕のお供であろう」

 幸吉が、子平を探しに来た。尖った眉を、風が震わせている。幸吉が、目を細めた。

「儂が! オランダ船を見られるのか」

 まさか、連れて行って貰えるとは、考えていなかった。子平より先輩の弟子は多いし、そもそも子平は、オランダ語がそれほどできぬ。

「先生は、お主に翻訳の手伝いは期待してはおらぬだろうよ。お主の才覚は他にある、とお考えなのやもしれぬ」

 幸吉が細い目を見開き、首を微かに振る。子平のオランダ語下手をからかうように、ふざけている。

 オランダ船が到着し、積み荷や乗組員の検査が終わった後、通詞たちは手分けして、積み荷の中の書物を翻訳する。

 耕牛の高弟たちも、かなりの分量を担当するのだが、とても子平に役割はこなせそうになかった。

「どうでもよい。とにかく、儂はオランダ船を見たい」

 子平は、丘の下り道を駆け、屋敷に急いだ。

 子供のように小さい和船群に曳航されたオランダ船が、豪快な祝砲を発した。湾内に轟音が響き、喊声がそこかしこで湧いている。この頃になると、町の皆も足を止め、船の入港を眺めている様子だ。

 子平は、耕牛一行に混じり、出島に赴いた。

 この時ばかりは、いつもののんびりとした雰囲気は消し飛び、ぴりりとした緊張感が島内に漂っている。オランダ人も日本人も、忙しなく辺りを動き回っていた。

 大門や監視小屋での詮議も、いつも以上に厳しい。あわよくば、オランダ船の船内を見たいと思っていたが、このままでは夢のまた夢で終わりそうであった。

 耕牛に付き添い、カピタンの屋敷に入った。

「此処で、待たれよ。用事を済ませてくる故」

 耕牛と高弟たちが、二階に上がった。子平と数人は、一階の溜まり場で待たされる。

 しばらく待った。外はオランダ船の到着に沸きかえっている様子で騒がしく、行き交う人々の足音や、荷車が土を撥ねる音が響いている。

 やがて、役人たちが数人で屋敷に入ってきて訪いを告げると、二階に伴われた。長崎奉行の配下の者たちである。

「作業の始まりだな」

 弟子の一人が、呟いた。

「もう、荷が着いたのでござるか」

 入港して間もないはずであった。書物が運ばれてくるには、早すぎる。

「違う。先に、乗組員から此度の荷の目録と風説書が手渡される。それから真っ先に、翻訳に取り掛かるのよ。荷降ろしが本格的に始まるのは、二日、いや三日後くらいになる」

「御役人たちの詮議は、そこまで厳しゅうござるか」

 長崎奉行配下の検視は厳しいとは聞いていたが、そこまで詮議に時間を掛けるとは思っていなかった。

   15

 子平は、港を見学に来ていた。

 予定通り、三日後から荷揚げ場にオランダ船が着けられ、一斉に荷を降ろし始めた。

 水門は開け放たれ、小舟に乗ったオランダ人の乗組員たちが、続々と出島に上陸していた。

 耕牛はカピタンに従いて通詞に追われ、高弟たちは翻訳作業に取り掛かっている。

 湿り気を帯びた生暖かい風が、潮の香りを乗せて吹いていた。出島にぶつかる波が、ときおり、飛沫となって散っている。

 監視の目が、相変わらず厳しかった。乗組員と役人以外は、全く船に寄りつけない。

 監視小屋の前を通りがかろうものなら、すぐに誰何を受けるだろう。己だけの問題で済めば多少の冒険も辞さないが、今の状況では耕牛に迷惑が掛かった。

「彦蔵。オランダ船には皆、あのように大砲が備え付けられておるのか」

 顔見知りの乙名を見つけたので、声を投げた。何度か耕牛に付き添う内に、出島で働く者たちにも、ぽつぽつと知り合いが増えている。

 子平は、港に着けられたオランダ船を近くで見て、瞠目した。商船と聞いていたはずなのに、立派な大砲が甲板上に備えられている。

 祝砲を耳にした時は遠目で気づかなかったが、日の本の大名でも持っておらぬほど立派な大砲に見えた。

 少なくとも、伊達家の大砲は、大坂の陣で家康公が使用したものと、同程度の威力しかなかった。

 とすれば、東北の雄であり、日の本有数の大名の装備が、オランダの一商船に劣る次第となる。

 むろん、オランダ船は、バタビアから遠路はるばるやって来るため、途中で海賊などに遭う危険があった。武装の必要が高い状況は、否めない。

「あっしが乙名になって見たオランダ船は、全てにあのような大砲が載っけてありやしたぜ。毎回、入港の際には号砲を撃ちますしな」

 子平の咽喉元に、変な違和感があった。いや、負けん気といおうか。

 ――あの商船と差しで戦えば、伊達家の大砲が負ける可能性があるのか。

 やはり、オランダ船の中を見たくなった。

「彦蔵は、オランダ船の中を見た機会は、あったか」

「とんでもない。お許しが得られる訳がありません」

 彦蔵が、慌てて手を振った。

「では聞くが、船の中を見たいと思うか」

 子平自身は、どんどん乗り気になっていた。

    16

 二日ほどで、二隻のオランダ船の荷が全て降ろされた。

 時機を見計らったかのように、全国から出島に商人が集まって来ていた。鼻が効く、どころではない。恐らくは、それぞれの商人が独自の情報網を持っているのであろう。

 これから、運ばれた荷を商人たちが目利きをして、入札によって順々に荷を引き取っていく。全ての取引が終了するまでに、二、三か月を要する。

 それ故に、オランダ船は長月頃までは逗留する予定であった。乗組員たちは、出発までを狭い出島の中で過ごす。

 子平は、なるべく耕牛の出仕に付き添うように務めていた。出島内で退屈にしている乗組員と、何とか親しくなれないか、と考えている。

 が、概ねは彦蔵の手助けを期待するしかなかった。

 乙名は、出島の貿易事務を扱う町人である。出島を築いた出島町人の家系から選ばれるため、島内にはかなり顔が効く。

いや、絶大な権力を握っていると言えた。輪番制で役目を担う三人の乙名の取次がなければ、乗組員などのオランダ人とは、原則として接触ができなかった。

 彦蔵は荷が降ろされてからは、乙名として荷の仕分けや管理の仕事に追われていた。

 しかし、子平から何としてでもオランダ船の中を見たい、と告げられて、協力を申し出てくれた。彦蔵も、以前からかなりの興味を抱いていたらしい。長年、ずっと見続けてきた異国船の中を覗いてみたい、という願望は理解できる。

 また、万が一にも役人の誰何を受けたとしても、彦蔵は乙名の職務のために、子平は通詞として付き添ったと申し出れば、何とか言い逃れができそうであった。

「子平先生。乗組員は退屈しておりますし、銭になるのであれば、協力してくれる状況は間違いありませぬ」

 広場の近くで、彦蔵と立ち話をした。彦蔵が、黒く焼けた頬に笑みを浮かべた。

「おおっ、それは有難い。彦蔵。お主に感謝じゃ」

 これほど簡単に計画が進むとは思っていなかったので、声が弾んだ。出仕の付き添いの度に、遠くからオランダ船の外観を、指を銜えて眺めていた。

「まあ、お待ちくだされ。恐らくは大丈夫でございますが、時間は掛かり申す。そうですなぁ……。札指しが頃合半ばに達した葉月頃なら、儂の仕事も落ち着きますし、役人たちの監視も緩みまする」

「全く構わぬ。船内に入れるとわかれば、じっくりと腰を落ち着けて待とう。何分にも、良しなにお頼み申す」

 子平は背筋を伸ばし、彦蔵に頭を垂れた。

 侍を離れて、もう久しい。町人に頭を下げる状況など、何の躊躇もなくなった。有難いと感じた時には、誰にでも感謝の意を表すように努めるようになっている。

 ふと、川柳の丸顔が浮かんだ。いつも笑みを絶やさず、誰とでも分け隔てなく接している姿は、確実に子平に影響を与えていた。

 ――心に、多少は余裕ができたやもしれぬ。

 仙台にいる時には、常に物事の結果を追い求めていた。何かを思い付けば、すぐ実現しようと努めた。それがまた、周囲との摩擦を頻繁に起こした。

江戸に出て、また、此の長崎に来てからも、以前のように変人扱いを受けぬようになった。歳を経たせいもあるが、人との付き合いを、旅の途中で学んだ。

 自分が変われば、周囲との関わりも変化する。

    17

 葉月は二十一日であった。

 秋の終わりらしく朝晩は涼しい風がそよぎ、昼間は陽が燦々と輝いていた。もうしばらくすると、過ぎ去る秋と共に急に冷え込みがきつくなり、皆が一斉に衣替えをする。

 坂の多い長崎、特に耕牛の屋敷付近は、海から吹き上がってくる風の影響を受ける。

「子平殿。何やら落ち着かぬの。具合でも悪いのか。だったら、儂が供を変わってもよいが」

 朝餉の後、屋敷の庭を彷徨い歩いていたら、幸吉が寄って来た。心配そうに、怪訝な目を向けてきている。

「大丈夫だ。具合が悪ければ、このようには歩き回れぬ。有難いが、お主は医師にしては、ちと心配症だのう。人の体は、それほど柔にはできておらぬ」

 落ち着きない様を怒られた童のようであった。本当は、人の良い幸吉に感謝しているが、意地悪に返した。

 彦蔵から今日、オランダ船の中に行けそうだ、と告げられていた。それ故に、落ち着きをなくしている。

 幸吉は今に気づいたようだが、実は昨晩からあまり眠れておらんかった。

 起床後に書見をしても頭に文字が入ってこず、弟子仲間と話をしても、上の空になっていた。

 いつものように大門で札を取り、出島内に入った。チラと、西の水門付近に目を遣る。

 ずっと動かぬ庭の石灯籠のように、二隻の船が佇んでいた。なぜか、少し安堵する。

 耕牛はカピタン屋敷に行く。屋敷前まで供をして、見送ろうとしている。

「何やら……」

 屋敷の戸を潜り掛けた耕牛が、ふと子平を振り返った。額から首筋に掛けて陽が当たり、黒光りしている。

 ――もしや、何かを覚られたか。

 耕牛に迷惑を掛けるつもりはなかったので、何も伝えていなかった。耕牛は笑みを湛えていたが、子平の握った手の平には、じっとりと汗が滲んでいる。

「ほどほどに、な」

 耕牛は、ぽつねんと呟くと、二階へ昇る階段に足を進めた。

 去っていく耕牛の背を見送り、一息を吐いた。耕牛の言葉の意味を考えていた。

 彦蔵から、何か聞いたのか。子平などより、耕牛のほうが、余程に彦蔵との付き合いは古い。が、彦蔵には男気があり、容易に秘密を洩らすような男ではなかった。

 とずれば、幸吉にも気づかれたくらいである。耕牛は子平の様子がおかしいのに気づき、釘を射したか。もしくは、ほどほどまでなら、見て見ぬフリをしてくれるという許しであろうか。

 都合が良いとは思うが、後者と考える結論を取った。耕牛の湛えた笑みは、否定ではないと信じる。

 川柳、平助、耕牛。子平が師と仰ぐ男たちは、皆が懐の深い人物であった。

 潮風の心地よさ、ほどよく降り注ぐ陽光が、子平の心持ちを前向きにしていた。

   18

 出島の最西端にある建物の一番船の船頭部屋と水門の間で、彦蔵と待ち合わせた。船内には調べに入る建前故に、堂々と水門を潜って船に向かう計画である。

 彦蔵の傍に、赤ら顔の大男が立っていた。尖った鼻と縮れた髭、赤茶けた髪の色は、オランダ人の船頭に共通である。

 子平は会釈し、名乗った。言葉が通じるとは思えぬが、名乗らなければ、人間同士の出会いは始まらぬ。

 聞き取りにくいほど低い声で、「ブロウヘル」と、大男は名乗った。手を差し出して来たので、子平も手を合わせて握手している。

 長崎に来た当初は大分に戸惑ったが、手を握る習慣にも、徐々には慣れている。

「今から見る船の、副船長でござる。快く、引き受けて下された」

 彦蔵が、子平には聞き取れぬオランダ語で、ブロウヘルに囁いた。

 彦蔵は代々の乙名なので、オランダ語が堪能であった。実際に子平が通詞する状況などは、何もない。むしろ、子平がブロウヘルと話す際に、通詞をしてもらわねばならぬ。

『快く』ブロウヘルが引き受けた背景には、彦蔵が媚薬を効かして金子を使った状況に、間違いなかった。

「ダンキュ・ウェル」

 子平は、未だにぎこちないオランダ語で感謝を述べた。

「ネイ」

 と、ブロウヘルは大げさな笑みを浮かべながら、首を振った。両手を広げ、手の平を上に向ける仕草は、オランダでは、大した仕事ではない、という意味を表現している。

「万事、儂とブロウヘルが表に立ちます故、子平殿は黙って従いて来てくだされ」

 彦蔵が、監視小屋や周囲を気にして、小声になった。表情にも締りがあり、緊張感が漂っている。

 そうなのだ。出島のどこか緩慢で、異国の雰囲気が漂う様に身を置いていると忘れがちになっていた。が、改めて、下手をすれば国禁を犯している状況である旨を認識した。

 幕府はオランダ人と日本人の接触を、極度に警戒している。出島での彦蔵や耕牛の力の強さから簡単に考えがちであったが、要らぬ疑いを受けると、誰何だけではなく、捕縛される可能性もあった。

「相分かった。全てをお任せする故、良しなに」

 子平も態度を正した。自分にできる動作は、少しでも役人に疑われぬよう、隙を作らぬことである。

 彦蔵とブロウヘルが並んで歩き、子平は後から従った。

 監視小屋の前で、彦蔵が船内への調べに向かう旨を告げた。ブロウヘルは、髭の間から白い歯を出して、愛想を振り撒いている。

 もっとも、本人は、そうは思っていないだろう。

 江戸の長崎屋を出発する際にも感じたが、オランダ人は概して、日本人より愛想が良かった。観察していると目に付くが、人と話す際には、自然と笑みになるようだ。

 特に誰何は受けなかった。

 彦蔵の申し出の後、役人たちはブロウヘルと子平を一瞥しただけで、「通ってよし」と許した。

 たとえ長崎奉行の配下と雖も、乙名には一目を置いていた。それに副船長のブロウヘル、耕牛の弟子の通詞とくれば、疑う余地はないだろう。

    19

 子平たち三人は、小舟に乗り込んだ。オランダ船の横に着けて、縄梯子を下ろしてもらう。

 船内に残っているのは、ブロウヘルの部下だけなので、まずは安心であった。

 陸地で駕籠に揺られているよりも、波は穏やかであった。銀色の光が海面を突き刺し、水面の輝きは揺れている。

 頬に触れた潮風が、つんと、鼻の奥にまで入り込む。潮水に手をやり、舌で舐めた。海を感じる。

 オランダ船の性能は、和船より格段に優れていると聞いていた。間近で眺めると、大きさは二、三千石積みの弁材船くらいはある。

「入港時から気になっておったが、オランダの船には帆柱が多いな」

 和船は通常、帆柱が一本に、木綿の帆を精一杯に張って風を切る。が、オランダ船には、三本の帆柱があった。いや、後方にも小さい帆柱がある。

 彦蔵が隣のブロウヘルを向いた。

「スクーナ」「スパンカ」など、子平には理解できぬ言葉のやりとりが交わされた後、彦蔵が頷いた。

「ブロウヘルが申すには、オランダ船は和船と異なり、縦に帆を張って進むそうです。スクーナー船と呼ばれているようですな。後方の帆は、ス、スパンカとかどうとか」

 子平は、伊達家に仕えている時に、弁材船に乗った経験があった。

 記憶では、確かに、進行方向に向かって両手を広げるように帆を張り、風を受けていた気がする。

「儂が聞いてもよくわかりませぬが、縦に帆を張ったほうが、風を操りやすいようですな。オランダ船は航海の期間が長いので、速さよりも、自由に風を操れる機能を重宝している由」

「ブロウヘルに聞いてくれ。同じくらいの大きさの和船と比べれば、それほど動きに差があるものか、と」

 再び、二人のやりとりが始まった。

 ブロウヘルがまた、何やら両手で大袈裟な素振りを見せる。が、あまりの大袈裟ぶりで、理解できた。

「彦蔵。今の仕草で、儂にもわかった。きっと、相手にならぬ、と申したであろう」

「少なくとも、大人と子供くらいの差はあるようです。速さは、和船のほうが勝る場合もあるようですが」

 子平は船乗りではないが、自国の船が子供扱いされると、良い気はしなかった。

ブロウヘルには悪気はない。ただ、事実を述べているに過ぎなかった。

甲板に上がった。

荷も人も、ほとんどが陸に上がっているので、がらんどうのようだった。帆は畳まれており、オランダ国旗だけが、帆柱の先で毅然と存在を示している。

 そこで、甲板の両端に、等間隔で並んだ大砲が目に付いた。潮風を嫌うてか、全てに布が被せられている。

 ――子平が一番、気になっていた物だ。

   20

「乗組員の皆が、大砲を扱う訓練を受けているのか」

 子平は、光る砲身を撫でた。砲身長は、二間近くはありそうだ。

 ブロウヘルが声を発しながら、胸元を叩いた。オランダ人は素振りが大きいため、言葉が通じぬとも、大まかな意思は理解できる。

 彦蔵も、子平の表情を伺い、通詞は不要と判断していた。

 それにしても、商人が大砲を扱えるとは、日本では考えられなかった。戦闘行為は武士だけの特権というのが、我が国の常識である。

 もっとも、今の日本に、大砲を扱える侍がどれほどいるか。伊達家もそうだが、どこの大名家でも、砲術指南役以外は、使える者はほとんどおらぬと思う。

 ――戦を生業とする侍が、であった。

「カルバリン砲だと言ってます。大坂の陣で、大権現様がお使いになられた物からは、随分と威力は上がっておるようで」

「なれど、どこの大名も、大坂以来は戦が絶えて、大砲は換えてはおらぬだろう。これも、大人と子供くらいの差があるのか」

 ブロウヘルから、彦蔵に目を投げた。

「仰るとおりのようですな。このカルバリン砲なれば、昔の物が届かぬ距離まで弾が届き、威力も格段に勝る。和船が近づく前に、恐らくは沈められる」

 彦蔵も、自国の船の不甲斐なさに、顔を顰めた。ブロウヘルだけは、悪気なく、にこにこと笑みを浮かべている。

「彦蔵よ、今のがどういう意味か、わかるか」

「いえ。儂はただ、日本の船は頼りないな、と……」

 彦蔵が頬に皺を寄せて、思案顔になった。

「差しで遣り合えば、オランダの商船に、侍の乗った軍船が沈められる、という事実だ。侍の魂とも言うべき刀を抜く間もなく、な」

 子平は、周囲の海を見渡した。のどかな海上では、しきりと大小の和船が往来を繰り返している。

 具体的には思い浮かばぬが、危機と焦燥を感じた。日本を統治する侍たちが、異国とは申せ、商人に負ける状況など、あってはならぬ。

「儂も良い状況とは思えませぬが、御公儀はお知りではないのでしょうか」

「耳には入っておろうが、今の我らが感じておるようなもどかしさとは、無縁であろう」

 江戸にいては、わからぬ事実もあった。

 彦蔵が思い立ったように、ブロウヘルと会話を交わした。彦蔵の目が、驚きに変化した。

「子平殿。ブロウヘルの雇い主であるインドには、このような商船が百以上、さらに装備の整った軍船が五十以上はあるようにござる。さらには、他の地域や本国であるオランダで所持する船は、数え切れぬとか」

 オランダやポルトガルが、世界各地で領地を獲得している状況は、書物などで学んでいた。

 長年の間、日本とオランダは出島で貿易をして友好関係を築いてきた。それ故、オランダが日本を攻める状況は考えられぬ。

 しかし、人と人との関係と同じく、国同士の好も、いつ、何時に崩れる機会が訪れるかもわからぬ。また、オランダ以外の国も同様の海軍を保持しているとしたら……。

 考えただけで恐ろしかった。

    21

 長月の二十日に、二隻のオランダ船は出島を去った。

 初冬を知らせる海風が、出島に吹き込んでいた。潮の匂いも、夏の濃いものではなく、淡くなっている気がする。そろそろ、海の色も深い青になるだろう。

 ブロウヘルは去り際、子平と彦蔵にわかるように、三本の帆を揺らして見せた。祝砲を撃つ際も、甲板で何かしらの合図をしている様子であった。どこまでも、陽気なオランダ人である。

 オランダ船が去った翌日であった。

 抜け殻になった出島の広場で、彦蔵と話し込んでいた。

「彦蔵。儂はとにかく、もっと異国の、世界の状況を調べて見るつもりだ。お主とブロウヘルとオランダ船を見て、どうすれば良いかはわからぬが、このままではいかんような気がした」 

 出島内は皆が気が抜けて、呆けたようになっている。これから来年のカピタンの江戸参府の準備に掛かるまでは、のんびりとした毎日となる。

 長崎は暖かいとは申せ、海辺は風が強い。彦蔵は、袷着の袂に手を入れている。

「儂も何やら、あれ以来はもやもやと、胸の奥に引っ掛かっております。ですが、儂はただの乙名に過ぎません。何かを考えて成されるのは、先生のような賢い御方だ。儂にできる手伝いなら、何でも言ってください。協力します故」

 彦蔵が、じっと黒目を向けてきた。すぐに、笑みに変わる。

「危ない橋を渡らせて、すまんかった。が、お主らのおかげで、儂は大いに刺激された」

 素直に、大いに頭を下げた。

「とんでもない。先生の意気込みに打たれたまでです。確かに、オランダ船の中を見たい、と最初に言われた時は、驚きました。が、儂もずっと興味がありましたし、大きな声では憚りがあり申すが、御公儀の監視の厳しさには、長崎の者たちも内心は嫌気が差しております」

 彦蔵が声を潜め、辺りを窺った。役人が傍におらぬかを、気にしている。

 子平は今まで、政全体に関心を抱いていた。医師としての技量も、町医者の域を出ておらぬ。加えて、オランダ語も下手だ。

 つまりは、一つの内容に関心を抱き、深く掘り下げた経験がなかった。オランダ語以外の全てが満遍なく、そこそこにできている。

 此度、オランダ船の内部を見た経験によって、軍事に強い関心を抱いた。牛歩の一歩かもしれぬが、微かに己に道が開けた気がする。

 耕牛の弟子になってから、かなりの書物を読んでいた。

 が、子平は決意を新たにして、これまで以上に学問に励んだ。

 もちろん、耕牛の屋敷に訪れる患者の診立ては手伝い、出島での供連れなどの役目もこなしながらである。

 多くの弟子に埋もれ、同じように学問と寝食を繰り返していた日々に、変化が出ていた。



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