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改革者たち  作者: いつみともあき
2/8

第二章 前句付け

   1

 明和三年(一七六六年)は、卯月を迎えていた。

 子平は日光街道を、草加宿(埼玉県草加市)から千住宿(東京都足立区)に向かって、ひたすら南下していた。

 薬箱を片手に、黙々と前だけを向いて早足で歩く医師態の男に、誰も関心を持たなかった。傍から見れば、急ぎの往診か何かに見えるだろう。

 仙台を発った後の子平は、奥州各地を回り、陸奥から松前にまで渡った。

 奥州各大名家は、宝暦の飢饉(一七五三年~一七五七年)の爪痕が色濃く残り、どこの民も貧苦から抜け出そうと、毎日を必死に生きていた。が、各家とも、仙台と同じく財政は窮乏しており、有効な政策を立案し、実行できている家は皆無に感じられた。

 もっとも、伊達家のように内から見た訳ではなく、外面を舐めただけである。内面などは、執政の奥深くに潜り込まねば、見えぬ。

 子平は他国を旅して、これまで重荷に感じていた家臣の身分がどれほど有難いものかを、感じさせられた。

 無禄の浪人者という身分では、他国に入ることすら難しかった。その上、主要な街道の関所では、必ずと言ってよいほど誰何を受ける。

 家臣の身分の時は道中手形を与えられていたので、どこでもすんなりと通れた。

 それ故、子平は関所などを抜ける際には、友諒から貰った薬箱を手にし、医師の態を装った。医師ならば、急な患者を診るなどと具申すれば、たいていは通してくれる。

 最も印象に残った場景は、海を渡った松前家が、予想していなかったほどに豊かであったことだ。

 松前は米が取れず、幕府に一万石格の待遇を得ていた。が、幕府より蝦夷との貿易独占権を与えられているため、アイヌから昆布や鮭・鱈・熊の毛皮などを仕入れて諸国に売り、莫大な利益を得ていた。僅か一万石格の小さな領内では、誰も飢えていなかった。

 ――米を作らずとも、国は栄える。

 子平には、画期的な発見であった。

 ついでに東や北蝦夷まで足を運んで貿易の様子も見たいと考えたが、そこは松前家の規制が厳しかった。

 少し小耳に挟んだ噂だが、松前家とアイヌとの貿易の実態は、幕府の隠密さえ、なかなか探れぬほどだという。

「ちょっと! そこの先生」

 気が付くと、千住宿の近くまで来ていた。旅籠の留女たちが、我先にと旅人に声を掛けるため、宿から一本橋を渡り、街道にまで出張って来ている。

 でっぷりと腰に肉の付いた中年増が、慌てたように駆け寄って来る。呼び込みにしては、和やかな雰囲気ではない。

 子平は女を見ながら、佇んでいた。難しい顔をして早足で歩いていると、声を掛けられるのも、けっこう珍しい。

「病人が、病人がいるんだよ。先生、すぐに診ておくれ」

 女は息を切らしながら、子平の前に来た。縋るような目をしている。

 子平の医師態を見て、素っ飛んで来たのか。

「旅籠の客がか。わかった、ともかく案内せよ」

 女の形相から、一刻の猶予もない、と判断した。

 女が駆け出し、子平も薬箱を鳴らしながら、後を追った。

    2

 女はお富と名乗り、大通りから外れた新宿にある、こぢんまりとした飯盛旅籠に子平を誘った。草鞋を脱ぎ捨てる暇も惜しみ、上り框を掛けていく。

 薄暗い廊下を通って二階への階段を上がり、四畳ほどの部屋に案内された。

 建付けの荒い障子戸を開けると、煎餅蒲団の上に、童が寝かされていた。熱が高いのか、顔が赤く、息を弾ませている。

「仙吉。医師の先生を連れてきたよ。もう大丈夫だ」

 お富が仙吉の傍らに座し、額に手をやった。仙吉が、薄く目を開く。

「お主の子か。儂が診る故、座を空けてくれ」

 お富を二十も若返らせたら、仙吉にそっくりになるだろう。二人が親子だという事実は、すぐにわかった。

 子平は仙吉の顔を覗き込んだ。掻巻を剥ぎ、小さな手首の脈を診る。

「脈は、きちんと打っておる。仙吉とやら、舌を出してみよ」

 仙吉は指示された通りに口を開き、舌を出した。意識は、はっきりしている。

「うむ、舌形、質ともに問題はない。どこか、痛むか」

「お、お腹が、ぎゅう、と痛みます。それから、水のような通事が止まりませぬ」

 仙吉が顔を顰めながらも、澄んだ声を発した。

 子平は、仙吉の腹を丁寧に擦った。下腹辺りを押した際に、仙吉の表情が歪む。

「昼餉は、何を食った」

 お富の横顔を窺った。

「に、握り飯と、貝汁です。荒川で、今朝に取れたもので」

「貝か……。恐らくは、食中りだろう。大人と同じ物を食しても、童の腹には合わぬ時があるでな。漢方を処方する故、急ぎ煎じて、飲ませてみよ。徐々に腹の痛みが治まり、熱も下がると思う」

 子平は薬箱を開け、中を探り出した。手元が暗い。

 日暮れが近づき、辺りが薄暗さを増していた。客引きの競争が激しくなっているのか、通りから漏れ聞こえる喧噪が大きくなっている。

 お富がハッと気づいたようで、行灯の火を点した。

   3

「もう、大丈夫だろう。が、念のために、明日一杯は薬を飲ませたほうが良い」

 子平は、ぐっすりと眠っている仙吉の顔色、脈などを確かめて、小声で囁いた。

 心配気に様子を覗いていたお富が、肩を撫で下ろしたように弛緩する。我が子を想う母の表情だ。

 医師をしていて、嬉しくなる瞬間であった。

「先生のおかげです。本当に有難うございました」

 改まって姿勢を正したお富が、両手を着いて頭を下げた。

「いや、儂が診なくても、自然に治っていただろう。儂がした治療は、早く快復するための薬を出しただけだ。それほど、大したものではない」

「いいえ。妾たちだけじゃあ、オロオロしちまって、どうにもならんかったです」

 子平は、仙吉の傍にお富を残して、一階の奥部屋に引っ込んだ。此の旅籠に来てから、ずっとこの部屋を使っている。

 畳は、ところどころ黒く染み、柱や欄干にも削れた跡は見られたが、宿としては、充分であった。

 松前や奥州では、野宿も多く経験している。

 仙吉を初めて診察してから、四日が経った。

 仙吉はやはり、貝に中ったに相違なかった。腹痛と下痢が続き、ようやく治まってきている。

 加えて、宿の主人の幸吉も同様の症状になった。仙吉よりは軽かったが、腹痛と下痢、発熱があった。二人の症状の原因の元は、昼餉しか考えられぬ。

 幸吉は高齢で、仙吉は童であった。同じ物を食した女中や手代たちに症状が見られなかった理由は、若くて抵抗力があったからだ。

「先生。酒は如何ですかな」

 幸吉が女中を連れ、酒と膳を運んできた。女中は膳を置くと、すぐさま廊下を去っていく。他の客の相手に、忙しいのだろう。

「お主は、まだ無理だぞ。腹に毒だ」

 子平が盃を持つと、幸吉が酒を注いでくれた。幸吉が物欲し気に銚子を覗き込んだので、釘を刺した。幸吉が鼻を鳴らし、微笑んだ。

「お富は?」

 この四日間、お富は朝から晩まで仕事をしながら、夜通し仙吉の看病に付いていた。子平は、このままではお富が倒れぬか、と案じていた。

「まだ、仙吉の部屋にございます。儂も、仙吉が寝ている時は休むようにと申しておりますが。それが、親心なのでしょう。流行の『誹風柳多留』なんかも、親が子に向ける愛情を、上手い具合に句にしておりましたな」

「またか……。江戸に近づくに連れ、飯屋や旅籠で『誹風柳多留』が話題になっておるのを耳にした。なれど、ただの前句付けであろう。それが今更になって流行っておる状況が、儂には理解できぬが」

 連歌の下の句をお題に、上の五・七・五を考えて技巧を競う遊びを前句付け、といった。 

 子平が道中で耳にした噂では、その前句のみを独立として扱った句が、江戸で爆発的な人気になっていた。昨年に出版された『誹風柳多留』は、前句付けのみを集めた句集で、庶民が句を諳んじるほど売れている。

「何とはなしに、世の中が行き詰っておるからでしょう。皆が、腹に溜まった鬱憤や澱のようなものを、すっきりと吐き出したい、と感じている。そこに現れたのが、五・七・五の、たった十七文字で庶民の気持ちを代弁してくれる前句付けだったのでは。庶民にとっては、連歌などの鯱張ったものより、分かり易くて、馴染むのでしょうな」

 八代将軍の徳川吉宗が享保年間に行った改革が一息吐き、再び世の中に停滞感が広がっていた。

   4

 千住宿を出る際に、幸吉から舟を勧められた。隅田川を下れば、両国や日本橋まで、あっという間に行き着ける。

 が、急ぐ旅ではなかったし、江戸城までにしても、もう二里もないはずだ。じっくりと江戸を見るためにも、子平は己の足で歩くことを選択した。

 それに、子平は人並み外れて健脚であった。剣術で鍛えたせいもあるだろうが、生来から足が頑丈にできているらしく、いくら歩いても疲れない。

 幼い頃から、見たい物や会いたい人がいれば、どこまでも歩いて行った。

 仙台では雪道を物ともせず領内を歩き回り、出奔してからは、それ以上に奥州や蝦夷の雪中を進んた。 

 街道を南下するに連れ、人が多くなり、江戸の代名詞とも言える火の見櫓が多く目に付くようになった。

 明暦の大火(一六五七年)では、江戸の大半が焼かれ、十万人を超える死者を出した。 

 それ以降、御府内各所に火の見櫓が増えている。火事はよく、江戸の華と言われるが、起きて甚大な被害が生じる状況は、政の責任であった。

 半里ほど歩き、上野界隈に差し掛かった。花見の季節はとうに過ぎているが、寛永寺に向かう態の商人などの姿が目に付く。

 神君家康が幕府を開いて百五十年余が経ち、日の本から戦はなくなった。戦場という働き場を失った武士は弛み、ほんとんどは困窮している。

 代わりに、元禄の頃からか商人たちが経済力を背景に、幅を利かせるようになっていた。皮肉な状況だが、一番上の身分の武士は何も生み出さずに禄を食むだけで、厄介な存在になっている。

 ――と、子平はある事実に気づいた。

 街道の両側には古着屋、八百屋、履物屋などが軒を連ねているが、どこの店先の庇にも紙が吊るしてあった。初夏の風に、ひらひらと揺れている。

 子平は早足だったため、たった今、気づいた。が、実はもっと前からあったのやもしれぬ。

 八百屋の前には、小袖姿の鉄漿女たちが、今朝の畑で獲れた芋や大根を品定めして、混み合っていた。そのため、隣の客が疎らな履物屋の前に立つ。

「いらっしゃいまし。草鞋にございますか」

 両頬が金柑の実を付けたように膨れた主が、応対に出て来た。歳は四十歳に満たないくらいだろう。

 子平が旅姿なので、草鞋の替えを求めに来たと思われている。

「いや、これが気になってな」

 子平は、上手く場を取り繕えるほど、口は回らない。正直に、紙を指した。

「なんでぇ、先生。お客じゃないのかよ。で、先生も今夜、行くのかい」

 主は一瞬に顔を歪め、子平を邪険に見た。が、直ぐに親しげな態度に変わった。

 紙には、前句付けの句会が今夜、浅草で催される旨が、書かれていた。

「今、初めて目にした。お主こそ、行くのか」

 上野の街道に連なる店々の軒先にまで、浅草で催される句会が案内されていた。改めて、前句付けの人気ぶりに瞠目している。

「当たり前ですぜ。ようく紙を見て御覧なさい。今夜の点者は、『誹風柳多留』の著者の柄井川柳だ。行かなけりゃ、損でしょう」

 主が自慢げに、笑みを浮かべた。まるで、自分が句会を開くような態度である。

「儂も行こう。此の紙を、貰ってもよいか」

 子平は、これだけ庶民の心を掴んだ前句付けに、関心を持っていた。

 古くから有った前句付けが、柄井川柳という男の手で脚光を浴び、新しい文芸の一つになるやもしれぬ。

 庶民の心を捉える句自体にも興味はあったが、それ以上に、まだ見ぬ柄井川柳に会ってみたかった。

    5

 日が暮れるまで時間があったので、主が『誹風柳多留』を読ませてくれた。主は、なかなか手に入らない『誹風柳多留』を最近、やっとの思いで手に入れていた。

 子平は店の奥で、静かに目を通した。句会を見学する者が、句を詠んだ機会がない状況は、あまりに失礼だと思った。

 もっとも、武家の嗜みとして、一通り、俳諧や連歌には通じてはいた。

『にくそうに もりつたなぞと いうとばゞ』『小侍 夜なべのそばで 墨をする』

 独立した前句付けは、確かに庶民の日常生活の機微を、上手く代弁しているように感じた。

 ありふれた日常生活のささやかな出来事から、何か一つでも楽しみを見つけるような句が多かった。

 また、貧しい庶民や旗本、御家人たちの生活や、どうしようもない嫁と舅の問題なども、悲観的に句にするのではなく、どこか滑稽さを残して表現していた。日常の悲哀や苦難は誰にもあるが、笑い飛ばそうとしているのか。

 紙を一枚また一枚と捲っていると、『誹風柳多留』を詠んだ者が、暗い長屋の一室で、北叟笑む姿が、浮かぶようであった。

 確かに、仕事や家事に追われる毎日の中で、ほっと一息吐いた時に読めば、心が救われる気がするのやもしれぬ。句の中に、自分の今の心情を表しているものを見つけるだけでも、嬉しいものだろう。

 読み終えた子平は、ますます柄井川柳という人物に興味を持った。

 なぜなら、『誹風柳多留』の中に川柳の句はほとんどなく、ほぼ点者に徹していた。

 これは、俳聖と呼ばれた芭蕉などが、己の句で世を圧倒した状況とは異なる。

 ――川柳は己を殺して、前句付けを発展させ、庶民の娯楽として不動の地位を築こうとしているのではないか。

 川柳や仲間たちが、多くの秀逸な句を作ろうとすれば、可能であろう。が、そうなれば芭蕉などと同様、庶民は才ある者が作った句を鑑賞する役割となる。

 川柳たちは前句付けを高尚な位置に置かず、庶民が気楽に詠み、参加できる文芸にすることを目的にしている、と感じた。

「先生。日が暮れましたので、参りましょうか。あっしも、店じまいです」

 主が、居間に顔を出した。

 夕焼けであろう。居間に差し入った陽が、畳を赤く染めていた。 

   6

 宵闇に追われながら、浅草新堀端(東京都台東区)の竜宝寺門前町まで歩いた。柄井川柳の家系は代々、町名主だと聞く。川柳は雅号で、本名は柄井八右衛門正道である。

 子平たちは、竜宝寺から東に行き、大川(隅田川)に架かった橋を渡った浅草阿部川町の本立寺の門前に来ていた。寺の境内で、句会が催されている最中だ。

 しかし、本立寺に近づくに連れて辻は人で埋まり、とても境内に入れそうになかった。

 町人姿の一団が道端で噂している声を耳にしたところ、今夜の句会に集まった句数だけでも三千に上る。全てを評する訳でなく、一人で数句を提出している者もいるだろうが、一度の句会としてはものすごい点数であった。

 門を潜ると、敷き詰められた砂利が見えぬほど人が溢れ、庭の薄暗闇の中で、人々が犇めき合っていた。まるで、暗闇の中で、体を擦り合わせながら潜む蝙蝠のようである。

 一方、遠目だが、本堂の周囲と中では、赤々と篝火が燃えていた。

 十人程度の人が、本堂で向かい合うように座し、それぞれに小短冊を手にしている。

 既に、句会は始まっていた。誰かが句を詠みあげ、それぞれに評している姿が見えた。

 詰めかけた者たちがその都度、控えめな喊声を上げていた。庶民が楽しめる文芸ではあるが、どこか厳かな雰囲気であり、自然と大声などは聞こえない。

「主。これでは、とても近づけぬではないか」

 子平の前には、人の背壁ができており、これ以上は前に進めなかった。

 句会に来たのに、声がよく聞こえぬ場所にいた。思わず、苦笑する。

「あっしも、まさか、ここまで人が集まっているとは、思っても見ませんでした。申し訳ございやせん」

 主が、すまなさそうに声を発した。

「謝る必要はない。責めてはおらぬ。これだけ多くの民衆が集まっている事実が分かっただけでも、勉強になった。して、どれが柄井川柳なのだ」

 子平は、境内の奥に目を凝らした。遠目も、夜目も利くほうである。

「それが、あっしも初めてでして……。見たことは、ございやせん」

 主が再度、申し訳なさ気な声を発した時、

「柄井川柳先生は、あれですよ。本堂から見て左の、一番前」

 隣にいた女子が、本堂を指した。連れはおらず、一人のようだ。

 女の白い指先を辿り、本堂に視線を移した。

 柄井川柳は、最前列でどっしりと構えた、恰幅の良い男であった。顔と目が、大きい。

「忝い。せっかく来たのだ、柄井川柳くらいは見ておかぬとな。ところで、お主はよく、句会に顔を出すのか」

「しょっちゅうで、ございますよ。家が浅草で団子屋をやってるものだから、川柳先生にも、顔を見知って頂いております」

 女は、指先よりさらに白いうなじを、揺らした。鉄漿が目に入る。亭主に店を任せて、出て来た口であろう。

「ちょうど良いや。女。この先生が、偉く柄井川柳先生に関心を持っておられてな。何とかならぬものかな」

 主が、ここぞとばかりに頼み込んだ。子平を句会に誘ったのに、よく聞こえぬ状況に、責を感じている様子だ。律儀な男である。

   7

「お安い御用ですよ。川柳先生もああいう場に出ると、がたいがいいもんだから堅物に見えるけど、普段は穏和で気さくな名主さんです。句会が終わったら、一緒に先生に会いに行きましょう」

 お春と名乗った女は、細面の白い顔を、綻ばせた。暗闇の中でも、色白が映えている。

 お春は、どこか誇らしげであった。川柳と顔見知りな状況は、この町界隈の人にとって、誇りなのかもしれない。

 しかし、句会は点者の評し合いが白熱したのか、二刻にも及んだ。なかなか、終わりが見えぬ。

 亥の刻に入った。町木戸が閉まっては敵わぬと思った者たちが、ぞろぞろと帰宅の途につきだした。

「お春、もう良い。亭主が心配するだろう。我らも、今宵は退散致そう」

 子平の我儘のために、いつまでも人の女房を引き止めてはおけぬ。

「わかりました。じゃあ、明日、改めて川柳先生を訪ねましょう。申の刻には店を抜けられますから、竜宝寺の門前に来てくださいな」

 お春を浅草近くまで送り、子平は履物屋の主と共に、上野まで戻った。近くの旅籠を探そうと思ったが、主の久米吉が、家に泊るように誘った。久米吉も明日、川柳に会いたいからだ。

 旅の疲れが溜まっていたのか、翌朝に目覚めた時には、辰の刻を回っていた。

 薄紙の障子越しに、陽光と往来の声が、入ってきていた。

「先生、お目覚めでございますかい。よくお休みになられましたな」

「ちと、寝すぎてしもうた。お主は働いておるというに、すまんかった」

 子平はそそくさと掻巻を畳み、土間から辻に顔を出した。足元には、履物が並べられている。

 両手を上げ、大きく伸びをした。その間にも、往来の人は、次々に行き交う。

 ――やはり、江戸だな。

 往来の人の多さ、溢れる活気。さすがに花のお江戸だと思った。仙台などとは、比べようもない。

「久米吉。お春との待ち合わせまでは、時間がたっぷりとある。一宿一飯の恩義もある故、夕刻までは店番を手伝おうぞ」

 子平は久米吉の隣に立ち、店を窺う様子の人に、声を掛けた。

が、泰然と背筋を伸ばして構える子平には、近寄りがたい雰囲気が漂っているらしい。客は足を止めず、早々と店先を去っていく。

「先生。それじゃあ、商売上がったりですわ。やはり店は、あっし一人でやりますんで、どうぞ自由にしていてください」

 久米吉が、苦笑した。

「役立たずで、すまぬ。では、お言葉に甘えて、約束の刻限までには戻る故、どこぞを歩いて参る」

 子平は一応、薬箱だけを手に持ち、店を後にした。往来の流れに沿って、江戸の中心に向かう。

 陽気に誘われてか、鳥たちの鳴き声が盛んであった。どこぞの朝餉の残り物でも、漁ってきたのやもしれぬ。

   8

 申の刻前に、久米吉は店を畳んだ。早仕舞である。

 周囲の店からは商売気のない男と思われているかもしれないが、それほど久米吉は川柳に会いたがっていた。

「先生。さあ、今度こそ参りましょう」

 大きな頬を緩めた久米吉と、昨日と同じ道を歩いた。

 明るく強い陽射しが、辻を照らしていた。この辺りは寺社・町家・武家地が入り混じっているので、僧形の者や武士、威勢のいい商人たちが闊歩している。

「それにしても、暑いですな。汗が、止まりませぬ」

 久米吉が懐から手拭を出して、額から首筋を拭った。

「もうすぐ川沿いに出る。さすれば、少しは涼しくなろう」

 子平は編笠を被っているため、久米吉よりはマシであった。が、厳しい寒さの蝦夷や仙台に慣れたせいか、江戸の暑さには弱くなっている。

 川の畔に沿うと、川風が涼を齎した。川面には、猪牙舟、屋根舟、渡し舟などが浮かび、それらの間を縫うように、時折は大型船が通っていく。江戸は、驚くほど水運が発達している。

 ほどなく、竜宝寺の門前に到着した。

 先に気づいたお春が、二人に手を振っていた。昨夜の暗闇の中でさえ白かったお春の肌の色は、透けるようだ。

「先生。待ってましたよ。ちょっと前に、川柳先生が此処を通ったんです。その時に先生たちの話をしたら、家で待っていてくれ、と仰ってくださいました。今はちょうど、門前町界隈を見回っている途中だったようで。ですから、先に屋敷に行って、待たせて頂きましょう」

 お春が小袖の裾を揺らし、先を歩いた。子平と久米吉は、導かれるように後を行く。

 町奉行支配下の町名主は、町を支配する役人である。江戸では、町年寄三家の下の各町に町名主が置かれ、御触の伝達、人別調査、紛争の仲介や訴訟の付添いなどに従事した。 

故に川柳は、欠かさず見回りをして、町の状況を常に把握しておく必要があった。

 川柳の屋敷は、門前町から三町も歩かない場所にあった。屋敷というより、庵である。大きな寺社や武家屋敷の裏に、ひっそりと佇んでいた。

 江戸の名主は、副業を禁じられていた。故に、名主の年の収入は七十両ほどである。月にして、約六両だ。決して、豊かな暮らしではあるまい。

『無名庵川柳』という雅号で、川柳は点者をしていた。己の貧しい庵を、笑い飛ばしているのやもしれぬ。

「御免下さいまし」

 お春が訪いを入れた。

 裏長屋の二部屋くらいの広さである、中まで十分に、声が聞こえたはずだ。

 戸が開き、目鼻立ちのしっかりとした女子が顔を出した。内儀であろう。

 お春とは対照的に、陽に焼けたせいもあるのか、色が黒い。

「どなた様でしょう。……あっ、浅草の団子屋の」

「そうです。お春と申します。先ほど、川柳先生を訪ねる途中で、門前町でばったりお会いしました。その際、先生から、先に行って、家で待っていてくれ、と言われたものですから。厚かましいとは思いつつも、お伺いしました」

 川柳は夫婦で、お春の団子屋に行った機会があるようだ。二人とも、顔は見知っている様子である。

「あら、そうですか。いつものことですから、全く構いませんよ。ささっ皆様、せせこましい所ですが、どうかお入りくださいませ」

 内儀は戸を端まで全て開き、子平たちを誘った。

 子平たちは、気持ばかりの庭の土を踏み、土間に上がる。

   9

「何もございませんが、気楽にお待ちください」

 内儀は、お玉と名乗った。声は若々しく張りがある。が、五十歳を前にした川柳の妻である以上、四十は超えておるだろう。

 川柳が宝暦五年(一七五五年)に名主を継いだ際に嫁いで来たと言うから、夫婦になって十年くらいである。子は、ないようだ。

 居間のところどころには、一輪挿しが置かれていた。紅や白、黄色など、色彩を考えた花弁が選ばれているようだ。

 川柳の好み、もしくは、お玉も風流を解するのか。いずれにしろ、文人らしい住まいに思えた。

「急に押し掛けてしもうて、真に忝い。お玉殿は、我らがいきなり訪ねても驚かれなかったが、よくある状況なのでござろうか」

 赤の他人が、主人の帰りも待たずに家に上がり込んでいる。お玉が少しも動じておらぬ故、口にした。

「はい。しょっちゅうでございます。相談事を抱えた町の人や、川柳仲間などが、休む暇なく、訪れます」

 お玉は小首を傾げ、諦めた様子であった。が、生活に疲れた表情ではなく、川柳への愛情が垣間見えた。

「まったく……。亭主は本当に、自分勝手な生き物ですよね。家の旦那も店ばかり気にして、あたしのことなんか、少しも構いやしない」

 お春が、お玉に同調した。そういえば、お玉にも子がない。

 子平と久米吉は、同時に、無言で茶に手を伸ばした。同じ男を批判されているので、どうも、ばつが悪い。

 酉の刻を知らせる鐘が鳴った頃、川柳は帰ってきた。

「いや、お待たせして、申し訳ありません」

 どっかと子平の前に座した川柳は、穏やかな声を発し、軽く頭を下げた。綺麗に剃り上がられた月代が、汗で光っている。

 八畳ほどの居間に、五人が犇めいていた。夕餉の仕度や、遊んでいた童が家に帰って来る頃で、通りも賑やかである。

 まだまだ陽射しは強く、暑かった。お玉が団扇を持ち、亭主の川柳だけでなく、皆に風を入れている。

自然な所作に、よく出来た嫁だ、と感じた。こうやって、ずっと川柳を支えてきた状況が浮かぶようだ。

「こちらこそ、快くお会い下さり、有難く存ずる」

 子平も丁重に頭を下げ、川柳の人となりに興味を持った理由を述べ始めた。

   10

「川柳先生は、あまり自分では、句を詠まれませぬな。いや、実際は作られておるのでしょうが、表には出しておられぬ。儂は其処に、芭蕉などとは違う意図を感じ申した」

 子平は、川柳の目的が前句付けを庶民文芸として、世に広めることではないか、と投げかけた。

 川柳の表情が、動いた。お玉の入れた茶を一口飲み、大きな黒目で、子平をまじまじと見詰めてくる。

「いや、驚きましたな。初めてお会いする方に、そのような話をされるとは……。確かに、前句付けを世に広め、連歌や俳句と違って民衆が親しめるものにしたい、と我らは考えております」

「やはり、深いお考えがござったか」

 子平は、川柳たちが、ただ名声を望んでいる訳ではない、と思っていた。川柳たちは私欲を捨て、前句付けの発展に尽力しようとしている。

「それほど高尚な意図ではありませぬ。我らが前句付けを始めた当時は、連歌や俳句を嗜む方々から散々に扱き下ろされました。であれば、それらの文芸に普段は馴染のない庶民のほうが、受け入れられやすい、と踏んだのです。自分たちの愛して止まない前句付けの面白さを、どうにか世の中の人にも理解してほしい、という苦肉の策にござった」

「……世の中に理解してほしい一念、でござるか」

 子平の政改革の提言は、重臣たちには一向に理解されなかった。仙台で役所勤めをしていた頃の情景が、瞼に浮かぶ。

 重臣や同僚たちの冷ややかな目、子平の意見が正論だと気づいているのに、沈黙し、身の保全のみを考えていた者たち。

 気が付くと、ひとりでに歯軋りを鳴らしていた。川柳はもちろん、お玉や久米吉、お春が、子平に視線を向けている。

「あっ、いや。川柳先生が、ちと羨ましくなってな。儂は伊達家に仕えていた頃は、提出した意見が、なかなか理解されなんだ。それに比べて、川柳先生が目指す前句付けの面白さは、江戸から端を発し、今や日本中を席巻しようとしている。『誹風柳多留』の句などは、人々の心に、一生残るであろう」

 子平は今なお、流浪の浪人医師であった。自分にも、いつか陽の当たる時が来るのだろうか。

 風を入れるために半分ほど開けられた窓からは、沈み始めた夕陽の残滓が、畳みに落ちていた。昼間はむし暑いくせに、沈み出すと、暗くなるのは早い。

「伝えたい想いがあれば、伝え続ければ宜しい」

 川柳が、ぽつりと呟いた。声は低いが、どこか力強い気がする。今度は皆、川柳の言に耳を傾けた。

「儂には伊達家の事情は、わかり申さぬ。が、失礼ながら、子平先生は、伝え続ける努力を自らお止めになり、投げ出された」

「投げ出したなどと!」

 一瞬、頭に血が昇り掛けて身を乗り出したが、川柳の真剣な眼差しに、平常心を保った。

「……それでは、いけない。あなたはまだ、十分にお若い。儂にしても、前句付けだけを独立させて詠み始めた頃は、周囲の皆に馬鹿にされ申した。しかし、それでも諦められずに、句を詠み、句会を開いた。その甲斐あって今があり、念願であった句集の出版も叶い申した」

 川柳が、訥々と噛んで砕くように声を発した。優しい人なのだろう。子平を、なるべく傷付けぬようにとの気持ちが、伝わってくる。怒りを表し掛けた己に、恥じ入った。

「御忠言、痛み入り申す。確かに、川柳先生の申される内容は、身に覚えがござる」

 子平も、己の気の短さと剛毅さには、反省すべき点もある、と感じていた。出奔して諸国を回ったおかげで、己を見詰め直し、いろいろと感じる事柄もあった。

 此度、改めて川柳に言われてみて思うが、仙台を出奔して流浪した経験も、決して無駄ではなかった。

「見たところ、子平先生には大望がおありのようだ。体から、覇気が漲っておられる。もちろん、それは良い。が、肝に銘じて頂きたい事柄は、最期に勝つのは、ほそぼそとでも、継続した者だということです」

   11

 お春が、息を呑んだ。久米吉も、静かに茶を啜っている。が、お玉だけは、口元に微笑を浮かべて、川柳と子平のやりとりを眺めていた。

 このような状況にも、慣れておるのだろうか。

「ほっほっ。いや、これは堅い話を致しました。普段は世の中を穿った目で見て、笑うて暮らしております故、たまには真面目な話もさせてください。いつの時代も、道に迷って悩み、苦しみ抜くのは、若い人の特権でござる。齢を重ねると、もう何が起きても、笑うしかない。ささっ、辺りも暗くなってきました故、楽しく飲みましょうぞ。お玉。仕度を」

 川柳が大きな目尻を緩めると、お玉が待ってましたとばかりに、いそいそと土間に立った。

 あっと言う間に、酒と摘みが、手際よく並べられた。真に、いつも通りの宴会なのだろう。

 酒が入ると、一転して和やかな雰囲気に変わった。

 皆がいける口らしく、お春とお玉は話を弾ませ、久米吉は、川柳直筆の句集に目を這わせ、喜んでいた。時折、「この下句は、絶品ですな」「どういう意味ですかい」などと、川柳に質問を投げてくる。

 部屋奥に備えた行灯が、ちりちりと音を立てていた。魚油の匂いが、部屋中に漂っている。

「川柳先生。先ほどは、ご教授を有難うございました。儂は、自分の意見が理解されぬ原因を、無能な重臣や、保身に走る同僚たちのせいだと思っておりました。が、先生に戒められたおかげで、己の努力が足りなんだ原因もある、と気づいてござる」

 仙台にいる頃は、自分は誰よりも書物を読み、お役目や政を考えている、と思っていた。が、そこに慢心があり、どこか他人を見下していた面があったと思う。

「よく気づかれた。若い頃は、誰でも周りが見えぬもの。恐らくは、諸国を旅されて、一回り大きくなられたのだろう。儂の言は、気づきの切っ掛けに過ぎませぬ。子平先生は、政の道に大望をお持ちのようでござるな。宜しければ、ちと面白き御方に、お引き合わせ致しましょうかな。間違いなく、将来のご政道を背負って立つ御方と噂されており申す」

 川柳が、上機嫌で盃を呷った。既に、月代まで赤みを帯びている。

「はて、誰にございましょう。とんと、見当もつきませぬが」

 浪人医師の子平に、そのような知り合いがいるはずもなかった。意外なのは、ただの町名主に過ぎぬ川柳に、そのような伝がある状況だ。

「なぜ儂が、そのような高貴な御方と知り合いなのか、ご心配されましたな。前句付けでござるよ。その方は高貴な身分にもかかわらず、庶民に広まっている前句付けに、えらく関心を持たれましてな、何度か句会に顔を出されております」

 子平の心の内を読んだ川柳が、頬を綻ばせた。

「して、その御方の名は?」

 いつの間にやら、お春と久米吉も、顔を向けてきていた。面白そうな話をしておる、と踏んだのか。

「田安家の、賢丸様にござる」

 徳川家御三卿の初代当主・徳川宗武は、八代将軍吉宗の次男であった。

 賢丸は宗武の七男であるが、幼いながらも、聡明さは天下に鳴り響いていた。

   12

 子平は、川柳の口利きで、浅草新堀端の裏長屋の一室を借りた。比較的、作りのしっかりとした割長屋である。店賃は月に九百文で、特別に安い訳ではない。

 九尺二間の典型的な間取りであったが、子平の荷物など、薬箱の他にはほとんど何もなかった。十分に、広く感じて暮している。

 生計は、なんとか成り立っていた。川柳やお春が、子平が医者だと触れ回ってくれたおかげで、長屋や小商いをしている連中が、患者として来てくれる。細々とではあるが、飢える心配はない。

 水無月に入った。

 晴天続きの空を眺めていると、今年はどうやら空梅雨のままで終わりそうだ。雨が少なかった分、百姓たちは秋の収穫を案じている。収穫までに、幾らかの作物が枯れる危惧があった。

「子平先生。お帰りになられましたか」

 あまりに暑いので、昼餉の後で湯屋に赴いた。長屋に戻ると、お春が上がり框に腰掛けて団扇を揺らしている。

「おお、来ておったか」

「先生。家の団子、召し上がってくださいな」

 お春が、傍らに置いた包みを指差した。店から、持って来てくれたのだろう。

「これは有難い。いくらだ」

 子平は、懐の巾着を探った。陽射しのせいで、湯上がりでさっぱりした体が、もう汗ばんでいる。

「お代なんて要りませんよ。亭主からの、お土産です」

 長屋に住み始めてから、お春の店を何度か訪ね、亭主とも顔を合わせている。

 亭主は、お春の自由奔放な性格を受け止められる度量があると見た。

「いつも済まぬ。して、他の用はなんじゃ」

 わざわざ団子だけを、届けに来た訳ではあるまい。一串たかが四文程度の団子が、買えぬ子平ではなかった。

「川柳先生から、言伝があります」

 お春が、周囲の気配を窺った。内密の話であろうか。他人に内密にせねばならぬ話などは、さっぱり思いつかぬ。

「七夕の句会に、以前の話に出ていた田安家の賢丸様が、お忍びで参られるそうです。子平先生も是非、ご参加ください、と。もちろん、妾も行きますし、久米吉さんにも、念のために声を掛けておきました」

 お春が、フフと、鼻を鳴らした。先日来、久米吉とも交流が続いている。

 浪人医師として、突然に暮し始めた街で、気の合う仲間に巡り合えていた。

 ――やはり、儂の中で、何かが変化したのやもしれぬ。

 十八歳まで暮した江戸、その後に仙台に移ってからも、子平はこれほど、他人と付き合う機会はなかった。

 侍の身分でなくなった状況もある。が、子平の内面の変化が、一番大きいような気がした。

「もちろん、儂も参る。また、久米吉の、商売に身が入らぬ日々が続くな」

 子平は、歯を剥き出して笑った。

   13

 七夕の句会は、この前と同じ、本立寺で行われた。酉の刻過ぎには、始まっている。

 七夕だからという訳ではないだろうが、事前に募集した句は、この前以上の一万句を突破したと聞く。投句する時に支払う入花料だけでも、けっこうな稼ぎになるのではないか――と巷では考えられていた。

 しかし、一万句を噛み砕くように詠み、評する作業は、気が遠くなるほど大変だと思う。川柳やその盟友である呉陵軒可有などの点者は、句会前は、ほとんど寝ておらぬ時もあるようだ。

 九間四方の客殿に、川柳ら点者数人が左右に分かれて、句を評していた。

 子平のみは、部屋の隅に鎮座を許された。が、お春と久米吉は、庭園の一番前に蓆を敷き、観覧している。お春らの背後には、大勢の観覧者が、闇に蠢いていた。

 客殿の上座、御本尊の釈迦が安置されている場所に、田安賢丸(後の松平定信)と供連れ衆がいた。じっと、評句を静観している。

 連れの供は、護衛だからか、皆が立派な体躯で、句会には似つかわしくなかった。

 が、賢丸は今なお前髪のままで、上下をきっちりと身に着け、背筋をぴんと伸ばしている。

 切れ長の目によく尖った鼻、白くて細い面は、齢八つにして、学者のようであった。

 ――確かに、いかにも聡明そうだ。

 子平は、齢甲斐もなく、賢丸を試してみたい、と思った。もっとも、子平などが直言できる身分ではないが。

 もちろん、賢丸たちの身分は、一部を除いて伏せられていた。

 詰め掛けた民衆のためにはやむを得ぬが、この季節に煌々と篝火を焚くのは、かなり辛かった。

 川柳ら点者は、額に汗しながら、句に集中していた。客殿を始め、篝火近くに座す庭園の衆も、汗だくになりながら、観覧している。

 皆の汗の匂いを嗅ぎ取ってきたのであろう。庭の繁みのそこかしこからは、藪蚊が這い出てくる。蚊遣だるまを使っているが、さほどの効果はなく、多くの者が、首や手足などを咬まれ、爪で掻いている。

 悪状況の中でも、弛んだ雰囲気にはならなかった。主催した者と、観覧に来た者が、一体となって会を盛り上げていた。

 此処までくる道のりで、川柳たちが努力を怠らなかった結果である。

 句会は、亥の刻過ぎに終わった。前と同じく、木戸が心配な者たちは、とうに帰途に就いた。お春と久米吉も、四半時ばかり前に、会釈を残して去った。

 子平は医師なので、木戸が閉まっても、潜り戸を通れた。

 が、今宵は正直に、番太郎に句会に出る旨を申し出た。川柳と知り合いであり、包を握らせた状況が効いたのか、番太郎は揉み手をせんばかりに頷き、子平が遅くなる旨を快諾した。

 心づけも、番太郎たちにとっては、大事な副業であった。

 ほとんどの者が引き上げた。客殿に残ったのは、川柳、可有、賢丸主従、子平である。

 引き潮のように一気に人波が引いたので、辺りは極端に暗く、静寂が支配している。しんしんと、先ほど来までは耳にせなんだ虫の声まで、気になった。

 寺の小者らが、皆の前に精進料理と、茶を運んできた。これだけ暑いと酒でも飲みたい気分であったが、寺内では致し方ない。

「賢丸様。暑うございましたでしょう。長らくのご観覧、真に有難うございました」

 川柳が賢丸に頭を垂れ、可有も倣った。

「いや、何度こうして参っても楽しいし、句の上手さに感心させられる。庶民の生活の、ほんの細やかな情景の一場面が、鮮やかに目に映るようじゃ。儂の将来にも、必ずや役に立つと思う」

 賢丸が、初めて表情を緩ませた。子供らしく、笑おうと思えば、笑えるのだ。

「ほう、前句付けがお役に立ちまするか。真ならば、嬉しゅうございます」

 川柳も、目を細めた。前句付けを馬鹿にされ続けてきた、高貴な身分の人間に褒められている。嬉しくないはずがない。

「政を為すべき武家が、民の暮らしが分からぬようでは、いかんからな。立派な城の中で、家臣や女中たちに傅かれておっては、民のために善政は敷けぬ」

 賢丸の整った目が、キラキラと輝いていた。初見は冷たい印象を持ったが、案外に熱い血を持っておる。

 子平は、素直に驚いていた。

 僅か八歳で、前髪も取れぬ田安家の七男の口から、『民の為の善政』などという言葉が出た。賢丸は本気で、民の暮らしを、理解しようと努めている。

 伊達家の重臣たちからは、ついに聞けなかった言葉であった。

   14

 精進料理による細やかな食事が始まった。 

 といっても、白飯と漬物、豆腐と汁くらいの物である。賢丸が普段から食している山海の珍味からすれば、とんでもなく貧素であろう。

 が、賢丸は、一言の文句も発しなかったし、眉すら顰めずに、黙々と口に運んでいた。背筋も、ずっと張ったままである。

 心根が腐った大名であれば、庶民が口にする食事など、箸も付けぬやもしれぬ。此処でも、賢丸には感心させられた。

 ――将来が楽しみな逸材であった。

 八つにして、世間が聡明だと、認めるはずである。もはや、試すまでもなかった。

 子平も背筋をぴんと張り、食を口に運んでいた。思わず苦笑する。賢丸の姿勢に、そっくりだと思ったからだ。

 恐らくは、賢丸もかなり頑固な気質を備えておるに違いない。他人の振りを見て、我が身を思った。

 御供衆の教育も行き届いているようで、皆が礼儀正しかった。主は家臣を表し、家臣は主を表す、ということか。

「ところで賢丸様、こちらがお話しておりました、医師の林子平先生です。以前は伊達家で、博識を知られておった御方にござる。真に、政を深く考えておられる。賢丸様の目指す、『民のための政』に、相通ずるものがあると、儂は思います」

 川柳は、己の膳にはほとんど箸を進めずに、他人を気遣った。

「噂は、かねがね聞いておったが。子平先生。伊達家の重臣たちは耳を貸さなんだようにござるが、儂は聞く耳を持っておる。民が喜び、国が栄える提言ならば、どんどん聞かせてくだされ」

 子平は一瞬、ぽかんと口を開け、呆けた面になったのではないか。

 御三卿家の御曹司が、子平の意見を求めているのだから。

   15

「今はまだ、手前が賢丸様にご意見申し上げるのは、憚られます。なぜなら、まだまだ世の中を知らず、知識も未熟な故。ですが、将来はきっと、賢丸様のお耳に入れても恥ずかしくない提案を、申し上げたい」

 子平は、まだまだ、世間を見て回りたかった。己の道も見えぬ者が、国の政を語れるはずもない。

「先生の意見を、心待ちにしておこう。では、少し、儂の愚痴を聞いて貰いましょう」

 賢丸の表情が、翳った。

「賢丸様。壁に耳あり、にござる」

 御供衆の一人が、賢丸を諌めた。他人を憚る内容だろうか。

「構わぬ。此処にいる者は皆、信頼できる」

 賢丸の目に、力が籠った。そのまま皆の顔に、一人づつ視線を順に落としていく。

「儂は、今の御政道の行末を、非常に危惧しており申す。この意味が、先生にはおわかりか」

 今度は、賢丸の鋭い一瞥が、子平を襲った。先ほど来の溌剌とした若者らしさが鳴りを潜め、眼差しに嫌悪が見て取れる。

「今の御政道に詳しくはございませぬが……。お膝元の江戸には、活気が出てきておりますな。奥州を見て回りましたが、宝暦の飢饉の影響から今なお立ち直れず、塗炭の貧苦に喘いでおりました。それに比べれば、江戸は、とても商いが盛んな様子」

 奥州の諸大名は、百姓が国の基本と考えている。それ故に、江戸の商人たちの羽振りの良さが、目に付いていた。

 幕府では、十代将軍家治の信任が厚い御用人の田沼意次が、商いを活発にして国を富ます方策を進めていた。

「その通りでござる。国が富む状況は、もちろん良い。が、成り上がり者の主殿頭が、有徳院様の行われた改革を蔑ろにしておるのが、儂は気に入らぬし、憂慮している。有徳院様は、百姓を国の基本にされた。土を耕し、米を作る百姓がおるからこそ、我ら武士も食うていけるのだ、と」

 賢丸は、吉宗公を尊敬している様子だ。なるほど、賢丸は、吉宗の孫に当たる。

 子平は、どう返答してよいか、逡巡していた。

 確かに、吉宗公の改革は、新田を開発して石高を増やし、幕府の税収を上げた。米作りで、国を富ました。吉宗の改革後には、幕府の石高と年貢収入は、それまでに比べて一割は増している。

 しかし、一方で、極限まで税を搾られた百姓は困窮し、各地で一揆が頻発した。四公六民であった年貢は、、吉宗の改革で五公五民となった上に、享保一七年(一七三二年)の夏には、西国を中心に大飢饉が発生した。

 約二百万人が飢餓に苦しんだ大飢饉に対して、吉宗は囲米などで迅速に対処した。事前に飢饉に備えていた状況は、さすがに名君といえる。が、飢饉の際に大商人などによる米の買い占めなどが起こり、米相場の乱高下を招いた。

 米将軍と渾名されるように、吉宗の改革は、米価を基に財政の安定を狙ったものであった。

 その背景には、明暦の大火や五代将軍綱吉の奢侈によって増大した支出を抑え、破綻し掛けた幕府財政を立て直すことが至上命令だった原因がある。

 一方、支出増大と共に、この頃の幕府は、収入も大幅に減少していた。主な要因としては、佐渡、生野、石見などの鉱脈が枯渇し、鉱山収入が激減していたからである。

 新たな収入源を模索しながら、唯一の財源である年貢米を増加させるしか、吉宗には道がなかった。

 吉宗の後をなぞっても、先は見えぬであろう。今以上の年貢の増加は、見込めぬ。そもそも、年貢が増えても米価が変動し、安定していなかった。米価が下がれば、年貢米の多少の増加など、意味すらなさない。

 ――米の時代は、終ったのだ。

 米を財政安定の基本に据える手段は、通じぬ時代になっていた。

 米の獲れぬ蝦夷の繁栄を間近に見た子平には、農業を重視し、石高にこだわる観念は、既に薄れている。

 ――これも、侍を辞めて諸国を巡って、初めて目を開かれたことであった。

 高貴な身分の賢丸には、子平のように放浪する自由はない。

 そんな中、群上一揆の吟味で卓越した手腕を発揮し、田沼意次は幕政の中核に伸し上がってきた。皮肉な巡り合わせである。

 群上一揆は、宝暦四年(一七五四年)から五年にも及んだ、美濃で発生した大規模な一揆であった。

 事の発端は、金森家の財政が窮乏した状況から、年貢徴収法を、定免法から検見法に改めようとして始まった。

 定免法は、過去数年間の年貢高の平均から、毎年の年貢高を一定に決める方法で、検見法は、現実の収穫高を基準に年貢を決める。百姓たちは、定免法のままを望んだ。年貢が一定であれば、余剰分が出た場合、自分たちの懐に入る。

 群上一揆は、百姓と金森家の対立から始まり、一揆勢が組織的に動いて幕府や老中に直訴に及んだ結果、幕閣中枢や将軍までも巻き込んだ。

 結末として、金森家は改易となり、金森家に肩入れした老中や若年寄、大目付などまでが処罰を受けた。むろん、一揆の首謀者であった百姓たちも、厳罰に処せられている。

 帰結の背後には、幕閣内の意見の対立も孕んでいたようだ。

 吉宗の改革路線を守り、年貢を増徴して米による財政を主とした一派と、田沼意次を筆頭とした、年貢取立てによる財政安定化に限界を感じて、商業を盛んにして増収を図ろうと考えた一派であった。

 前者の幾人かは、金森家に肩入れして失脚した。そのため、田沼意次の存在感が、御政道の中で重きを為す状況になっている。

 いわば、徳川幕府が創始以来、長年に亘って抱え込んできた御政道の歪が招いた一揆から、田沼意次という、新しい政を予感させる男が表舞台に登場していた。 

 場が、静かになった。行灯の燃える音と、供の一人が茶を注ぐ音だけが聞こえる。

「確かに、有徳院様の頃とは、世の中の雰囲気が異なっておりますな。あの頃は、武士は武士らしく剛毅に、百姓や町人は各々の仕事に精を出すよう、教えられました。町奉行所では、越前守様が辣腕を振るわれておりましたしな」

 川柳が気を遣って、割って入った。

 川柳の生まれは、享保三年(一七一八年)であった。ちょうど、吉宗の治政で育っている。一番よく違いがわかるであろう。

「主殿頭も、幼き頃に有徳院様の薫陶を受けておるはずじゃ。それなのに、あ奴は……。上様のお気に入りな状況を利用して、近々には、御用人から側用人になるとの噂もあるくらいだ。そうなれば、ますます間違った方向に、政が動く恐れがある」

 意次は紀州の足軽衆の出自ながら、九代将軍家重の小姓から出世して、今や一万石の大名になっていた。側用人にもなれば、正に、破竹の勢いである。

「異例の昇進の速さは、余程の切れ者なのでございましょうな」

 足軽衆から大名になるのは、並大抵ではない。

 子平は、意次の器量はかなりのもの、と考えていた。群上一揆の手並からではない。子平が蝦夷を見て初めて知った、商で国を富ます方向性を、江戸にいながら実践している点だ。少なくとも、先を見通す目を持っている。

「有徳院様の改革の流れを、受け継がねばならぬ。それが、我ら御三卿家の務めである」

 賢丸が、吐き捨てた。

 御三卿家は、吉宗が創設した。吉宗の敷いた道筋を辿るのが、賢丸の背負うた宿命なのであろうか。

   16

「賢丸様は、有徳院様の政を、目標としておられますか」

 とすれば、将軍職か、少なくとも老中職辺りを狙っている目論見となる。

「もちろんでござる。あれだけの政を成し遂げし某の祖父にござれば」

 賢丸の目から陰りが消え、再び輝きを取り戻した。

「賢丸様ならば、有徳院様に劣らず、立派な為政者になれましょう」

 子平は、素直に思った。八歳にして己を律し、吉宗を目標にしている男だ。

 ただし、吉宗の政をそのまま真似するだけでは、駄目だ。既に、破綻をきたしている。 

 一方で、今後の意次らの道が、全て正しい訳でもないだろう。が、今は少なくとも、国が富み始めていた。

 賢丸ならば、吉宗と意次の方策の両方を、参考にできるだろう。

「子平先生に、そのように褒めて貰うて、嬉しゅうござる。川柳先生の縁に、感謝じゃ。今宵は、忌憚ない話ができた。川柳先生。また是非、句会に呼んでくだされ」

「もちろんにございます。賢丸様こそ、偉くなられても、数々の句に詠まれた民衆の心根を慮ってくださりませ」

「約束しようぞ。儂は将来、必ず御政道に参画し、世の中を変えてみせる」

 賢丸が笑みを浮かべ、茶を呷った。やはり笑うと、子供らしい横顔になる。

「賢丸様が良き御政道を敷かれれば、庶民が詠む句が減るかもしれませぬな」

 子平は、川柳に笑みを向けた。前句付けの中には、世の中への不満や、政を皮肉ったものも多い。

「それはそれで、結構にございますな。悲しみが垣間見える句が減るという状況は、それだけ世の中が良くなっておる証拠です。それは、喜ぶべきにござる。また、庶民が幸せであれば、その手の句が多くなりましょう。のう、木綿」

 川柳が、可有に相槌を求めた。木綿は、可有の雅号である。

「御尤も。その時、その時代の民の声が、前句付けにござる。幸せな句が多くなったほうが、点者としても嬉しい。それにしても、今宵もそうですが、最近は句会に集まる数が凄まじい。少し減ると、助かりますな」

 点者は句会の度に、膨大な数の句を、不眠不休で詠まねばならぬ。点者だけで食っている訳ではなく、他に生業を持ちながらなので、大変な仕事であった。

「賢丸様と川柳先生たちには、確固たる目標があられる。儂も早く、己の一生を懸けて悔いのない何かを、見つけとうございます」

 子平は、己の言を噛み締めた。放浪の浪人医師から見ると、二人が眩しく見える。

 と同時に、己が不甲斐なく思えた。

「此処で、誓おう。それぞれの想いと信念を、必ず貫き通すことを」

 賢丸が、熱く語った。目が活きている。

 思わず、子平の血が滾った。川柳と可有の目も、覇気に満ちている。

 ――賢丸は、多くの人間を動かす器量がある。

 賢丸の純粋で一本気な気質は、人の心を動かす。加えて、聡明さは、群を抜いていた。

 まだまだ、これからだが、吉宗を目指すだけの器量が、本当に備わっているかもしれなかった。

 先が楽しみ、いや、末恐ろしいくらいだ。

 八歳の頃の子平と比べたら、とても及ばぬだろう。

   17

 賢丸主従を、門前まで見送った。お忍びとは申せ、深く頭を下げる。

「先生たちに頭を下げられると、儂が恐縮する」

 賢丸は照れたように笑みを浮かべ、手を振った。御供衆が隙なく周囲を見張り、漆黒の闇に覆われた辻を行く。

 提灯の灯が闇に浮かび、辻の両側に聳える白壁を淡く照らしていた。前方の川面には、夜更けにもかかわらず、幾つもの吊り行灯が見える。水都である江戸では、舟の往来は二六時中ずっと絶えない。

 賢丸たちの背中が視界から消えると、辻には、闇だけが漂っていた。

「どうでした、なかなかの御方でしたでしょう」

 川柳が、踵を返した。ゆっくりと、石畳みを歩み始める。

 子平も倣った。子平たちもすぐに帰途につく予定だが、境内の片付けなどが残っている。薬箱も、寺内に置いたままだ。

 風がほとんどないので、木々はじっと佇んでいた。葉も、ぴくりともそよがぬ。ただ、ひたすら蒸し暑く、虫の声が騒がしかった。

「間違いなく、大成されましょう。ただ少し、有徳院様のご偉業に縛られ過ぎている嫌いはあると思いました。が、それも、いずれお気づきになられましょう」

「心の強い御方です。有徳院様のお孫様である事実に、強い自負がおありなのでしょう。ですが、一方で、非常に素直な面もお持ちです。故に、我らのような出自の者の意見も、お聞きくださる。子平先生の仰るように、これから、まだまだ伸びる御方にござる」

「川柳先生。賢丸様のような高貴な御方にお引き合わせ頂き、真に有難うございまする。今宵は、良い出会いをさせて貰うた。賢丸様ではないが、川柳先生のご縁に、感謝でござる」

 子平は心から、頭を垂れた。

 フフ、と己を笑う。仙台を飛び出す前であれば、これほど素直に、他人に頭を下げられなかった。

 賢丸との出会いは、子平にとって、本当にいい刺激になった。

 天下に名高い賢丸とはいえ、齢八つである。八つにして天才である賢丸と対等に政を話すためには、それ以上の精進を心掛ける必要があった。

 子平は日々、医師業の合間を縫っては、古今東西の書物を読み漁るようになった。

 幸いにも、吉宗の改革で、洋書輸入が一部だが解禁された。江戸の学者たちが、こぞって洋書を研究している頃である。

 何かを目指したい。何を目指すべきか。

 それを探るに、蓄えた知識は、邪魔にはならぬであろう。

 どこか悶悶とした日々ではあったが、己の道を切り開かんとしている時期だと考えると、気力が奮い立った。

 ――いつか、必ず、見つける。

 念じれば、叶う。信仰心が、強い訳ではなかった。

 子平が信じたのは、己である。   

   18

 ガタガタッと、お春が腰高障子を開けて入ってきた。途端、急いで後手を動かし、ぴしゃりと閉める。

 ほんの一瞬だけ隙間が開いたにもかかわらず、からっ風が土間を掃いた。

 書見をしていた子平の膝元を、冷たい風が撫で過ぎる。

 神無月になり、朝晩の冷え込みがきつくなったかと思うと、寒さはすぐに、昼間にまで及んだ。もう、半ばを過ぎている。

「子平先生。川柳先生が、えらいことになっております」

 お春は両腕を抱えながら、手の平で肘を擦った。

「川柳先生がえらいこと、とな。どうされた? お主も、店は大丈夫なのか」

 まだ申の刻に入ったばかりであった。

 お春の店は開いている時刻のはずだし、子平にしても、四半刻ほど前には患者が一人、訪ねて来ていた。

「亭主と手伝いの娘さんで、恙無くやってます。寒くなって団子を欲しがるお客さんが増えたもんだから、同じ長屋の娘さんに頼んだんです。寒いと、焼き立ての団子が、食べたくなるようで」

 お春は、微笑んだ。身入りが増えて、嬉しくない訳がない。が、頬が少し、引き攣っている。

「それは、上々だな」

 子平は、先を促した。話を本題に振る。

「そ、そうなんですよ。川柳先生が昨日、主殿頭様の御屋敷に呼ばれたようです」

 お春は不安気に、眉を寄せた。心なしか、目を潤ませている。

「まだ、帰ってきておらんのだな」

 お春の顔色から、察した。

 よもや、七夕の句会で、賢丸が意次を批判した話を聞きつけられたか、とも思った。

が、考え直した。誰も、話を洩らすような者はおらぬ。

 とすれば、刊行した句集や、句会などで集まった句の中に、幕府や意次を批判する内容の物が含まれていた状況が考えられる。

 それにしても、前句付けで批判された程度で、飛ぶ鳥を落す勢いの意次が、一介の前句付け点者を、呼び出したりするものだろうか。

「案ずるな、大丈夫だ。川柳先生に、何ら咎がある訳があるまい。前句付けの内容だとしても、先生は詠んでおらぬ。選んだだけだ」

 お春の不安を和らげようとした。が、川柳の名で催された句会などであれば、為政者が責を問う場合は、有り得る。

「とにかく、儂は今から、お玉殿に詳しい事情をお聞きしに行く。必要とあれば、神田橋にある主殿頭様の御屋敷まで出向く故、心配は無用じゃ」

 子平は書を閉じ、薬箱を片手に辻に出た。何処へ行くにしろ、医師形であると、何かと便利だからだ。

「子平先生。お気をつけてください」

 お春の声が、背に投げられた。お春の目に頷き、足を急がせる。

 風が、頬を切った。が、少しも冷たさを感じなかった。

 今は、川柳の無事を祈るばかりであった。

 19

「あら、子平先生が駆け付けてくださるほど、大事でしたの。主人は、ちょいと呼ばれたから言ってくる、と申しておりましたが」

 息を切らせて訪ねた子平を見て、お玉が素っ頓狂な声を上げた。

この夫婦にとっては、御用人の屋敷に呼ばれて一昼夜も戻って来ぬ状況でさえ、いつものことなのだろうか。

 お玉は、上目使いに申し訳なさそうな視線を、子平に向けてきていた。

「お玉殿は、川柳先生が主殿頭様に呼ばれた理由も、お聞きにならなんだか」

「はい。主が申さなかったものですから……」

 暢気と言おうか、肝が据わっておると言おうか。何も申さずに出た川柳と、正にお似合いの連れ合いであった。

主が大丈夫と申したから、絶対的に信頼している。

「とにかく、某は、今から神田橋の御屋敷に様子を見に行って参りまする。お春たちも、心配しており申した故」

 軽く頭を下げ、踵を返した。

「宜しゅうお頼みします」

 お玉の声が、背に当たった。川柳を心配しておる故ではなく、子平に申し訳なくて謝っている様子だ。

 浅草新堀端から神田橋までは、一里ほどの距離であった。子平の急ぎ足なら、四半刻も掛けずに着けるだろう。

 両国広小路の喧噪と賑いに、押し潰れそうになりながらも抜け出し、西の神田橋を目指した。

 南にも武家屋敷が密集しているが、意次の屋敷は、西の町家を潜り抜けた武家地にあった。江戸城の、ちょうど北東に位置する。

 神田橋御門の北に広がる武家地には、本多、松平、酒井、阿部など、徳川名門の譜代や大名衆の屋敷が並んでいた。

 意次の屋敷は、錦小路を北に上がった場所にあった。特に、目立っている訳ではない。

 飛ぶ鳥を落とす勢いとは申せ、たかが一万石の大名である。大大名の屋敷とは、比べものにならぬ。

 屋敷の広さについては、幕府が元文三年(一七三八年)に、知行高に応じて基準を定めていた。一万石の意次は、およそ二千五百坪の広さが許されている。ちなみに、十万石の大名であれば、七千坪程度であった。

 徳川幕府は、家格や格式を重んじた。格式で、将軍家の威光を表す意図もある。

 屋敷の門構えにも、石高に応じて形式が定められていた。五万石以下の意次の屋敷は、長屋門で両開き、扉は二間以上の高さである。

 長屋門とは、長屋の一部に門を開いたもので、大名の屋敷を、家臣たちの長屋が取り囲む格好となっていた。さらに大きな大名の場合は、門の番所が両側になったり、番所の屋根の造りが立派になる。大大名となれば、門だけが独立した形になった。

 子平は、二間の門を眺めていた。門の片側が、出格子の番所になっている。

「そこの医師、当屋敷に何か御用であるか」

 番士は、きちんと仕事をしていた。

 物言いがはっきりと澱みがないのは、主か上役の目が、行き届いているからだろう。

 城の警固兵も同様だが、屋敷の門番を見れば、家中の士気や雰囲気が感じ取れる。

   20

 子平が訪いを入れると、番士は邪険な対応もせずに、奥に走った。

 通常ならば、一介の医師が大名屋敷を突然ふらりと訪問するなどは、有り得ぬ状況である。門前払いを食っても、しょうがなかった。

 番士の対応と物言いと同じく、子平は、田沼屋敷に好感を持った。

 少し陽が弱くなってきていたが、人通りは、ますます盛んであった。一日の商いを終えた商人や、勤めを終えた侍たちが、往来する姿が目に入る。

 四半刻弱は待たされたであろうか。途切れることのない人波を眺めていたので、時の経つのを忘れていた。

「子平殿。お通り下され」

 先ほどの番士が潜り戸を開け、子平を促した。子平は一礼し、番士に続く。意外に、すんなりと通してくれた。

「ほう……」

 門を潜った子平は、目を瞠った。

 屋敷の庭には、商人態の男たちが屯していた。中には、百姓や武士などもいる。

 殺風景な庭には、稲荷と小さな池がぽつんと隅にある他は、僅かに松や柊の木などが植えられているだけだ。

 意次は、忙し過ぎて庭を気にする暇もないのか、それとも、風流などに興味がなく、政だけを生きがいにしておるのか。

とすれば、川柳に好意的ではないかもしれぬ。

 屯している者は全て、意次への面会待ちであろう。寒空の下、蓆に座している者もいる。

 顔見知り同士や、待つ状況に慣れた者もいるようで、幾つかの輪ができ、話を咲かせていた。

 煙草を吹かしたり、一人で所在無げにしている者たちは、待ち草臥れた様子であった。 

 皆が、時の人である意次に、少しでも取り入ろうと必死なのだ。子平も恐らくは、その内の一人と、看做されている。

 庭を歩く途中に受けた屋敷の使用人たちの視線から、「またか」と倦んだような心情が読み取れた。毎日、これだけ大勢の人間に押し掛けられては、無理もあるまい。

 むろん、使用人たちが露骨に心情を見せる訳ではなく、子平が感じただけである。表面上では、皆の愛想は良かった。

 さらに用人たちは、待たせている客を失礼のないように持て成し、順々に案内しなければならぬ。

 時には、長い待ち時刻に、怒り出す者もいるだろう。それらの者を宥め、客の間に不公平感を出さぬようにする役目もまた、用人が担っているはずだ。さぞかし、気苦労も多かろう。

「こちらで、履物をお脱ぎくだされ。別の者が、奥まで案内いたします」

 番士は促し、頭を下げた。

「ええっ、宜しいのでござるか……」

 庭で待たされている群れを横目に、子平は屋敷内に上がった。

 庭からの視線は一様に冷たく、嫉妬が混じっているように感じられた。子平としても、後から来ていながら、先に通された状況は、なんとなく後ろめたかった。

「此処からは、儂が案内致しまする。後に、続かれよ」

 羽織袴姿の侍が、立っていた。肩幅が広く、背丈は短い。鍛えているのか、肩と腕には、硬まった肉が付いている。

 生来の無口であろうか。男は黙って、廊下を進み始めた。

 庭には、柊の白い花弁が、見事に咲いていた。眺めながら廊下を歩き、屋敷の奥に向かう。

 部屋を幾つか横切って、再び廊下に出た。今度のは、長い。造りが入り組んでいるのは、外敵の侵入に備えてだろう。

 無言のまま、二人は進んだ。

 廊下の終わりの三間ほど手前で、男は立ち止まった。少し振り返り、子平に頷いた。

 男の頷きは、子平に心構えを促すものであった。まさか、とは思った。が、直後に男が発した「殿」という言葉が意味する人物は、一人しかいない。

   21

 障子が開いた。数人の侍が、隙なく、整然と居並んでいた。

 次ノ間であった。意次の小姓と、護衛の任を帯びている者たちだろう。中には、明らかに手練れであるかのような体格と顔付きの者もいた。

 子平を先導した侍が、護衛たちに目で頷いた。

「殿がお待ちにござる。通られよ」

 腰高障子が開かれた。障子の内側にも二人、小姓が控えていた。

 奥行が四間、横三間ほどの居間の上座には、屋敷の主が座していた。見た機会は一度もないが、意次であることに疑問の余地はない。

 意次の傍らを小姓が固め、一段下がった畳の両端には数人が向かい合って座していた。皆の前には、それぞれに箱膳が置かれている。

 川柳の姿もあった。上座から一番離れた、子平の直ぐ近くである。川柳は、にこやかな眼差しを向けてきていた。

 意次を始め、場の雰囲気も和やかである。

 少し、安堵した。どうやら、子平たちの心配は、取り越し苦労だったようだ。

 四隅の行灯には、既に灯が点っていた。屋敷の中央に位置するからか、陽が届き難いのであろう。

「其方が、林先生か。ささっ、中に入られよ」

 意次が切れ長の目を緩ませた。子平に、川柳の隣席を宛がい、小姓に用意を促す。

「突然お邪魔致して、真に申し訳ありませぬ」

 侍勤めをしていた癖もあるが、さすがに御用人に対しては、礼儀を正した。が、子平の挨拶もそこそこに、

「堅苦しい話は、もう終った。昨日から、川柳先生と話をして、林子平の名と素性は、何度も聞かされておる」

 座した早々、子平の盃に、小姓がなみなみと酒を注いだ。意次が、目で勧めている。

「されば、頂戴致します」

 背筋を張ったまま、一気に呷った。

「大方、川柳先生の身が心配で来たのだろう。が、安心せい。儂は、前句付けに関心があって、先生を呼んだのじゃ。江戸で今、大評判じゃからな。昨夜、先生を帰さなんだは、もうちっと話を聞きたくて、引き止めてしもうた。何の知らせもなしに周囲に心配を掛け、すまんかった。許せ」

 意次は、眉間と目の下に皺を寄せ、軽く頭を下げた。穏やかで、ごく自然な仕草である。

 齢は、川柳と同じくらい、五十くらいであろうか。少しも権力者然とした姿は見せず、折目正しい好々爺である。

  22

「川柳先生は、良き友人を持たれたな。大名の屋敷に単身で乗り込んでくるなど、なかなか、できるものではない。まして、儂は、世間が噂するには、飛ぶ鳥を落とす勢いの成り上がり者じゃ」

 意次はフフと声を洩らし、口元に笑みを浮かながら、子平に視線を向けた。

 へりくだっておる訳ではなく、言いたい者には言わしておけ、という態度であった。穏和な佇まいの奥底には、自己の能力への圧倒的な自信と信頼がある。

 ――さすがだ。

 伊達家もそうだが、多くの者は、己の身分や家格を前面に出して誇り、自己の能力を過大に見せようと画策する。が、今の意次は、自己の才覚のみを拠り所としていた。

 これが、天下を統べる器量だろうか。

 七夕の日、若き賢丸の器量に圧倒された。が、目の前の老政治家の存在も、子平を圧倒するには十分であった。

 ――またもや、川柳の縁だ。

 川柳に笑みを向けると、返してきた。

 ほろ酔い気分で機嫌が良いと思われたであろうが、子平は感謝の気持ちを込めたつもりである。賢丸と意次といった、当世の才人に出会えたのは、川柳のおかげだった。

 和やかな会話が流れていた。

 山芋汁に焼き魚、ごぼうに、鯛の刺身。一つ一つの料理に、凝った跡が見えた。どれも、口の中で舌が痺れそうなほど美味い。子平は、未だかつて、このような御馳走を食した覚えがなかった。

 川柳も同様と見え、口の中から喉を通すのが勿体ない様子で、じっくり味わっていた。

「こう忙しいと、食べるくらいしか、楽しみがないでな」

 二人の様子を見て、意次が口を挟んだ。

「ははっ、我らには、どれもが初めて食すような物ばかりにて」

 川柳が恐縮した。意次を楽しませるような話をして気を遣わねばならぬ場面である状況を、思い出したようだ。川柳は、どこに行っても、素のままであった。

 お玉といい、川柳夫婦の暢気な様子が、可笑しい。

「儂とて、毎日このような物を食しておる訳ではないぞ。普段は、粗食を心がけておる。しかしな、儂は国を富まし、庶民がこれらの物を何でも食せるように、皆が飢えぬようにしていく所存じゃ」

「確かに、江戸の商いは盛んになっておりますな。これも、主殿頭様の政のおかげにござる。今後の政は、米に頼っていては成り行きませぬ。それを看破され、御公儀に提案されて政を進めておるご慧眼には、恐れ入っており申す」

 子平は、己が見てきた蝦夷の繁栄を、包み隠さず語った。米が獲れずとも、国は栄える、と。そのためには、商いを盛んにし、交易が重要である。

 いつの間にか、陽はとっぷりと暮れていた。そういえば、先ほど暮れ六つの鐘が、微かに聞こえた気がする。

 酒宴が長引いておるために、庭で屯していた者たちも、恐らくは帰途についただろう。こうして、己だけが意次と向かい合って酒を飲んでいる状況に、子平は改めて驚いている。

「川柳先生の申された通り、林先生は真に興味深い話をする。儂が慧眼と申したが、実際は異なる。有徳院様は、長年の政の舵取りで、後年には気づかれておいでだったのじゃ。これ以上の年貢の取立ても、米価を公儀が操作するのも、不可能だという状況をな」

 意次の眼差しが、遠くを眺めた。吉宗と、政について話す機会があったのだろうか。

   23

 吉宗が気づき、意次に薫陶を与えておったとすれば、意次は吉宗の改革の後継者ともなり得る。

 とすれば、賢丸が抱いていた、意次は吉宗の改革を蔑ろにしている指摘は、当たらぬ。むしろ意次は、吉宗の改革の後始末、いや総仕上げを目指しておるのではないか。

「有徳院様が成し遂げた政策により、崩れかけた徳川の屋台骨が、再び力を取り戻したのは確かじゃ。儂は、有徳院様の成された良い面は引継ぎ、変えなければならぬ所は、手を入れねばならぬ、と考えている」

 意次の声に力が籠もり、目が凛と、光を帯びた。何かを貫こうとする、確固たる意志が感じられる。

 子平の背筋が、じんと熱くなった。

 意次も、人を動かす力があった。発する言葉が嘘でなく、意志と力を持っている。

 少なくとも、己の保身や出世のみを考えている男ではなかった。

「然らば、交易も盛んにされますか」

 子平が蝦夷に行った時、松前家はアイヌとの交易を盛んにしていた。が、さらに北の千島列島には、ロシア国の民である異国人たちも住んでいる。

 松前家が正徳五年(一七一五年)に、幕府に対し、『蝦夷本島、樺太、千島列島、勘察加(カムチャツカ半島)』は松前家の領国と報告していた。が、それは誤りで、少なくともカムチャッカ半島はロシア国の支配下に置かれている。異人たちは、今や千島の得撫島周辺まで南下し、居を構えていた。

「蝦夷と、か……。今の儂には、どうこうする力はない。興味はあるが、いずれまた、話を聞かせて貰う日が来るかもしれぬ」

 確かに、外交や交易まで口を出せる身分は、老中くらいにまで昇り詰めねばならぬ。

 しかし、近々に意次は側用人になると噂されている。将軍の意見を老中らに伝達する役目に過ぎぬとは申せ、将軍お気に入りの意次であれば、己の意見を具申できるだろう。

 過去には、側用人から老中に昇り、権力を握った者もいた。

「主殿頭様なら、近いうちに、それだけのお力を持たれましょう。意志も、器量もおありだ」

 川柳が、ひょいと、何でもなく、簡単に述べた。意次が、側用人から老中になる、と。

 驚いた子平と意次が、まじまじと川柳を見詰めた。小身旗本から老中になれば、さらに異例の出世である。

 川柳は、陽気な笑みを浮かべたままであった。風雅に生きる川柳にとって、俗世の政など、大したものではないのかもしれぬ。

 いや、世の政が多く詠まれる前句付けだ。点者が、政に無関心ではいられない。 

 川柳は、意次に国の舵を切って欲しいと、願っている。

「川柳先生に言われると、本当に昇れるような気がするから不思議じゃ。真に、有難い。そうなれば、儂の政を、どんどん前句付けに詠んでくれ。批判も、大歓迎じゃ。批判されぬ政は、良くならぬ」

 意次も、さも当たり前のように受けた。否定せぬのは、既にそこまでの野心を持っている証拠だ。

「主殿頭様を批判する日が、楽しみですな。その時は、句会にもお呼び致しまする」

「是非に、呼んでくれ。面白い批判には、褒美を取らすぞ」

 カカカと、意次が高らかに笑った。始終、気さくな雰囲気である。

   24

 意次は、子平と川柳に籠を用意するつもりだったようだが、断った。酔い覚ましに、二人で歩きたかった。

 行きは、それどころではなく通り過ぎた両国の賑いを横目に、辻を闊歩していた。

 かなり風が冷たくなっていたが、腹に流し込んだ酒のおかげで、ちょうどよい。

 通りの茶屋や飯屋から吐き出されて来る赤ら顔も、皆が陽気であった。

時折、川柳の顔を見知った者が、「おっ」と口をぽかんと開ける。中には、声を掛けてくる者もいた。

 川柳は、皆に満面の笑みで答えた。こういう気さくな所も、人気の秘密であろう。

「お春が駆け込んで来た際には、腸が捻れんばかりに驚きました。が、主殿頭様は、本当に大きな御方でしたな」

「儂も良からぬ思案が浮かばぬ訳ではありませんでした。が、前句付けは、儂の命でございますれば。誰に何を申されようと、折れるつもりはありませなんだ」

 川柳が、大川の流れに目をやった。

 黒い水面には幾つもの灯が点り、船の往来が盛んであった。行灯と通りの灯に照らされた船頭が、せっせと櫂をいじっている姿が見える。

 ――信念を持った者は、強い。

 意次と川柳、住んでいる世界は異なる。が、穏やかな心の奥に、一本の筋が通っている点は、よく似ていた。

 翌朝は、まだ陽の明けぬうちに起きた。昨日の興奮が覚めやらず、自然と目が覚めている。

 酒のせいで、少し体が気だるい。

 辺りは薄暗いが、他の住人が起き出し、厠や井戸を使う音が聞こえた。隣が朝餉の支度をしているようで、飯を焚く匂いがする。

 突然、戸を叩く音がした。

 こんな早くに、急患か……。

「誰だ、急な用か」

 外に、複数の気配が感じる。

「子平先生。無事だったんですね。昨日は、ずっと心配でした」

 お春であった。店に行く前に、寄ってくれたのだろう。

「先生。無事で良かった。では、川柳先生も」

 久米吉であった。お春に、連れられてきた様子である。

「二人とも、忝い。川柳先生も、もちろんご無事じゃ。昨夜は、主殿頭様の御屋敷で御馳走になってな。すまぬ、知らせが遅くなってしもうた。今日は、お春の店に寄るつもりだった」

「いいえ。お二人がご無事で、安心しました。そういえば、昨日、先生が急いで出て行った直ぐ後、伊達家のお侍様が訪ねて来られました。たまだま妾が声を掛けられましたので、急用でお出掛けになった旨をお伝えしましたところ、文を預かっております」

 お春は懐から、書状を取り出した。

 手に取った子平は、見覚えのある筆跡に気づいた。兄の友諒からである。

 とすれば、昨日の侍は、国許の兄に、文を言付けられただけであろう。



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