わすれもの
「えっ……マジで……?」
寒さも厳しさを増してきた、二月の一四日。学校から帰宅したオレは、肩に降り積もった雪を軒下で振り払っていた。そんな最中、妹である沙紀から聞いた話に絶句することとなる。
「……まさか、あげなかったの……? お姉ちゃん」
「だってさ、今まであげる立場じゃなかったしさあ……。もらったこともなかったから、自分には関係ないイベントだと思ってたんだよ!」
「呆れた……。お姉ちゃん、一樹兄の彼女なんでしょ? 一樹兄、絶対期待してたと思うよ?」
「うぐ……」
沙紀からのジト目を受けて、オレは項垂れる。
どうして、忘れてしまっていたのだろうかーー。
▽
オレの名前は、小鳥遊貴理。近所の高校に通う、今は女子高生だ。
そう、今は。
何を隠そう、オレは元々男だったのだ。
これまで大きな病気とは無縁だったオレは、昨年の三月頭に高熱を出して入院した。三十九度を超える高熱と、体の節々の痛み。インフルエンザか、と思ったらどうも違うらしく。
医師から聞かされた診断結果は、突発性性転換病だ。
突発性性転換病。近年全世界で発生した原因不明の病気で、罹ると体の性別が徐々に置き換わってしまう。日本でも年間数十例ほど起こっていて、学校の授業でも習うため認知度は高い。主に思春期の男女に起こりやすいとされていて、誰がどのようにして発症するかといったメカニズムは解明されていない。ただし人から人へ感染する病気ではないため、発症後隔離されたりするようなことはない。
そんな病気にまさか自分が罹るとは夢にも思っていなかったけど、罹ったあとはあれよあれよという間に体が変化してしまった。一七〇センチほどあった身長は三〇センチ近くも縮んでしまい、同学年の女子の中でも一番低くなってしまった。
身長だけでなく体格や肉付きまで変わってしまい、道を歩けば中学生、場合によっては小学生に見られてしまうこともあった。
ちなみに妹よりも身長が十センチほど低くなってしまったため、姉妹を逆にみられることもよくある。
名前も喜人から今の貴理へと代えて、新しい生活を送り始めたのはいいもの。体の変化は自分が思っていた以上で、不便を強いられた。
体の急激な変化でしょぼくれていたところ、甲斐甲斐しく面倒を見てくれたのは湊谷一樹だ。男のころから親しい関係で、よく一緒に遊びに行ったり相談事にも乗ったり乗られたり。いわゆる親友だ。
性別の転換で交友関係は微妙になったけど、一樹だけは変わらず付き合いを続けてくれた。
そんなあるときに、オレは一樹に対する恋心に気付くことになる。
まあオレ自身がそれに気付いたわけではなくて、一樹のことを考えると胸が支えるような――よく分からない気分を妹に相談したらそうなんでしょと指摘されて、なのだけど。
そこから紆余曲折を経て、昨年一二月にオレから告白し一樹と恋人同士になったのだった。
元男が男との恋愛なんて、と少し不安にはなった。突発性性転換病に罹った人が、元同性の人と恋愛をするというのはおかしなことではないらしい。そもそも生物学的には完全に性別が変わっているのだから、どう思うかは本人次第との医師からの言葉で踏ん切りが付いたのだ。
とはいえ、関係がそこまで変わった実感は湧かなかった。平日は朝一緒に登校すること、休日は一緒に遊びにいったり、どちらかの家で一緒に居たり。まあ、手を繋いだりするようになったのは、変わったことになるだろう。あとはまあその、たまにキスはするけど。
▽
そんなゆるい意識で過ごしていたからか、オレは今日が二月十四日――バレンタインという一大イベントを見事にスルーしてしまっていたのだ。
くそう、クリスマスは覚えていて一緒に過ごしたのに。
そういえば、少し仲良くなってきたクラスの女子との間でも話題に上がっていたことを思い出す。けどやっぱり、自分があげる側だという意識はなく他人事のように聞いていた。
「ど、どうしよう……!? 期待させてたら、ガッカリさせちまったかも……」
「そうだね、もしかしたら愛想尽かせちゃったかもしれないね…………あ」
妹の言葉にオレは衝撃を受ける。愛想を尽かされるということは、つまり一樹と別れることになってしまうということだ。
その光景を想像しただけで、足に力が入らなくなりよろけてしまった。妹が支えてくれたお陰で倒れずに済んだ。
「お、お姉ちゃん……? 冗談だからね?」
「一樹にもし嫌われたら……! 絶対に嫌だ!!」
「お姉ちゃん落ち着いて! ……はあ、とりあえず一樹兄に連絡しなよ」
「連絡してどうするんだよ!?」
「今から急いで準備するとして……。そうだね、八時に家へ来てもらうようにして?」
「え、流石に来てもらうのって悪いんじゃ……」
「あのねお姉ちゃん、女の子が夜に一人で外に出たら危ないでしょ。一樹兄はお姉ちゃんの頼みだったら、何でも聞いてくれるでしょ?」
「そ、そうか……。分かった」
そしてオレは沙紀に促されるままスマホを取り出し、メッセージアプリを起動させる。
進言通り手短に”夜八時に家へ来てほしい”と送って待つ。すぐに既読が付いて”分かった”と一言返ってきた。
「……どうやら、来てくれるみたいだ」
「じゃあ、急いで材料買いに出るよ。作るものはこっちで決めていい?」
「ああ、助かる」
オレがそう言うと、沙紀は掛けてあったコートを羽織りながらこちらを向く。
「……お姉ちゃん、この貸しは高いんだからね?」
「……分かった、パフェでもなんでも奢ってやるから」
「スイーツパーク。OK?」
「ああ、分かった分かった」
スイーツパークとは、スイーツが食べ放題の飲食店だ。高校生の財布事情としては大変厳しい――千五百円の出費――のだけど、これは致し方ない。貯めておいた小遣いを崩すしかないだろう。
それよりも、一樹に嫌われることは避けなければならないのだ。
☆
そして、近所のショッピングモールで材料とラッピング用品を見繕って帰ってきた。
居間の時計を見ると、五時を回っていた。
時間がないことは分かっていたので、沙紀は短時間でも作れるものを考えてくれた。
普段料理をしないオレでも、失敗しないもの。
単純明快、市販の板チョコをぬるま湯の湯煎で溶かして、型に流し込み冷やすだけ。
固まったチョコを型から取り出すと、デコレーションされたチョコとなるらしい。
――正直なところ、あまりに簡単すぎる気がした。
こんなもので本当にいいのか、と聞いたけど「一樹兄はお姉ちゃんが作ったものなら何でも喜んでくれるよ」と言われた。
そんなものなのだろうか、オレにはよく分からなかった。
☆
そうして夜八時前。約束の時間までもうすぐだ。
お風呂と夕飯を済ませて、自分の部屋で待っている。室内の片付けを軽く行い、チョコの準備も万全だ。
一樹はちゃんと来てくれるだろうか、と少し不安になる。
恐らくチョコを期待していただろう、一樹には悪いことをしてしまった。そこはしっかりと謝らなければならない。
そんなことを考えていると、部屋の外から声が掛かる。どうやら一樹がやってきたようだ。来てくれてよかったという安堵する気持ちの中、部屋の姿見で軽く全身をチェックする。
肩で切り揃えられたサラサラの艶やかな髪の毛。体と同じ小顔で目は大きくぱっちりとしている。美少女といっても差し支えないと自分でも思う。実際、街でナンパされたことは何度もある。
惜しむらくは、幼児体型であることだ。この年齢なら多少服を押し上げていてもおかしくない一部分は、自己主張が乏しいせいで平野のようになだらかだ。風呂で毎日マッサージをしているけど、残念ながら一向に成果は得られない。一樹の好みがどうかは分からないけど、あった方がいいと思っている。
今着ている服は、膝下まで丈のあるワンピースだ。妹のお下がりの服だけど、普段はほとんど着ない。ボトムスはスカートなどズボンじゃないものには中々慣れなくて、自分から着ることはほとんどない。学校の制服は着ているけど。
わざわざこの服を着たのは、沙紀から「こういうときぐらい女の子らしい服を着なよ」と諭されたからだ。
さらに化粧までさせられた。練習はしているものの、まだまだ上手くできないので沙紀に手伝ってもらった。
鏡に映る、ナチュラルメイクをしてもらった自分を眺める。服装と相まって、女の子っぽさが増した気がする。
どこもおかしくない、よな。髪を手櫛で梳かして、玄関へ向かった。
「一樹、ごめんね呼び出しちゃって」
「……おう」
グレーのジャケットに身を包んだ一樹を招き入れる。オレを見たとき少し固まっていたように見えたけど、普段の素っ気ない返事がすぐに返ってきた。少し違和感を感じたけど、たぶん気のせいだろう。
一樹の顔を見ただけで、先程までの不安な気持ちは吹き飛んでしまっていた。思わず顔がにやけそうになるけど、なるべく普段通りを装う。
一樹は今のオレよりも三十センチは身長が高い。男のときは、肩を並べていたのだけど。
そしてはっきり言うとイケメンで、男だったオレよりも遥かにモテる。少し寡黙なところも、格好良さを引き立てているのだ。
そんな一樹が、オレの告白を受け入れてくれたときは本当に嬉しかった。オレよりも女らしくてかわいい子はたくさん居るのにいいのかと思わず自虐してしまったけど、一樹はお前だからいいんだと言ってくれた。そう言われ感極まって泣いてしまったときも、優しく抱きしめてくれて愛おしく感じたのだ。
そんなことを思い出しつつ自分の部屋へと案内し、ベッドサイドに座ってもらう。
「それで、一体どうしたんだ」
「……これ、受け取って欲しい」
オレは棚に仕舞っておいた紙袋を取り出し、一樹に手渡した。
「これは……」
「その、チョコ。……遅くなってごめんね、待ってたよね?」
妹と話すときよりも意図的にトーンダウンして、声量も落として話す。
一樹と居るときは、なるべく女の子らしく話すように心掛けている。一樹自身は別にそんなことをしなくてもいいと言ってくれたけど、少しでも一樹に相応しい彼女になるためのオレなりの決心だ。
「一樹……?」
手に持った紙袋を見つめたまま固まっている、一樹に声を掛ける。
オレの声にハッとした表情を浮かべたものの、すぐにいつもの一樹の表情に戻った。
「ああ、すまん。てっきりもらえないかと思ってたから驚いてた。朝の時点で大体気付いてたが。貴理はこういうことは抜けるからな。たぶん、沙紀ちゃんから言われて気付いたんだろ」
何から何まで当てられてしまい、ぐうの音も出ない。
思わず項垂れてしまったオレは、顔を上げることができなかった。
「むうー……。ホント、ごめんね……」
「いや、こうやってもらえたんだから嬉しいさ。……開けてもいいか?」
「……うん」
一樹からそう言われ、なんだか少し恥ずかしい気分となりもじもじしてしまう。
紙袋から取り出された四角い箱。何度も失敗してなんとか結べたリボンをゆっくりと解かれていく。
中身はそれぞれ模様が違う、ハート型のチョコが五つ。
「一つ、食べてもいいか?」
「うん、いいよ」
オレの返答を聞いた一樹は一つをそっと掴み、口に運ぶ。
「ど、どうかな……」
「ああ、美味いぞ」
「よ、良かったあ……えへへ」
まあ板チョコを溶かしただけのものだから、どこまでもチョコの味以外はしないはずだけど。
それでも美味しいと言われると嬉しい。思わず顔が綻んでしまった。
「貴理」
「一樹……? んっ!?」
色々と安心していたところに、一樹が口を奪ってきた。
オレの腔内に舌を差し込み、ちゅぶ、ちゅぶっと水音と室内に響き渡る。
腔内で絡みつく舌からはチョコの味がして、舌と心が蕩けてしまいそうだ。目を瞑って一樹にされるがままになる。
そのままたっぷりと腔内を味わい尽くされたあと、一樹が顔を離す。オレと一樹との間には銀の糸が引いていた。
「……ぁ」
腰が抜けてしまい、その場に座り込んでしまう。
少し酸欠気味になってしまったオレは、はあはあと荒い呼吸をしてしまう。
頭もぼやっとしていたところを、トンと体を押されて後ろに倒れ込んだ。
何が起こったのか理解する前に、一樹の顔が目の前へと現れた。
「すまん、貴理……いいか?」
「ふえ……? うん……」
一樹から何かの確認のような、そんな言葉。キスの確認だろうか、オレは深く考えずそのまま返事をした。
再び唇を重ねられ、舌を差し込まれる。
ふわふわとした心地良い気分。それに浸っているとき、お腹の辺りを撫でられていることに気付いた。
少しこそばゆいような感じがしていたけど、その手は次第に足元へといき、ワンピースを少しずつたくし上げていく。
そこでようやくオレは、”いいか”と一樹が言った意味に気付く。
それは、恋人同士ならいずれは行われることだ。一樹とはまだしたことはなかった、けど。
意識したことがないわけじゃない。女の子の立場で、受け入れることになる想像がつかなかっただけで。
でも、一樹にならされたい。これからされるであろうことを想像して、ごくりと唾を飲む。
本当の意味での同意の意思を示すために、一樹の首に手を回そうとしたその瞬間。部屋のドアを叩く音が聞こえる。
「貴理ー? 飲み物持ってきたけど入っていいー?」
母の声が聞こえて即座に我に返ったオレは、一樹に目配せをして急いで体を起こして返答をする。
期せずして、隣同士並んで正座する格好になってしまった。
部屋に入ってきた母親は、テーブルにカップを二つ置いたあと「ゆっくりしてってね、一樹君」と言い部屋を出て行った。
そして数秒ののち、オレと一樹は大きく息を吐いたのだった。
「な、なんか緊張しちゃった……」
「……俺もだ」
甘い雰囲気は吹き飛んでしまい、そのまま軽く話をしたあと一樹は帰っていった。
その際に一樹からしきりに謝られた。普段見ない俺のかわいい服装を見たことやら、チョコをもらった嬉しさやらで抑えきれずに押し倒してしまったらしい。
オレは驚いただけで全然気にしていないから、とは伝えたけど。
面と向かってかわいいと言われ嬉しいやら恥ずかしいやら、そんな気持ちになってしまった。顔が燃え上がるように熱く感じる。
けど一樹が喜んでくれるなら、我慢してでもああいった服を普段から着た方がいいのかもしれない。やっぱり、言葉遣いだけでなく服装も女の子らしいものの方がいいのだろう。
明日、沙紀に服装について色々と聞いてみよう。
なにはともあれ、チョコを渡すというイベントを無事に済ますことができてよかった。オレはホッと胸を撫で下ろす。
けど、まだ胸は高まったままだ。あの先も、いつかそのうち――なんて思ってしまっていたオレがいた。
そしてそのあと母へ飲み物のお礼を言いに行ったけど、そのとき「避妊だけはちゃんとしないとダメよ」と言われ、赤面してしまった。なぜか母には、何をしていたかバレていたようだった。
部屋に戻ったオレは恥ずかしさで、ベッドの上で転げ回ることになったのだった。
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