05
「な、何で…」
ようやく開いた俺の口が声を絞り出すように動き始める。
「なんでログアウトできねぇんだ…朝は出来たはずなのに、なんで…」
そこまで吐き出したところで思い至る。
俺がヤツに受けた唯一の干渉。
そう、耳を千切られたことだ。
それが関係しているとしか考えられなかった。
その表情を読み取ってか少女は教えてくれた。
「ゲームの世界のモンスターに何らかの干渉をされた者はこの世界からログアウトすることが出来ない。また、初めはポリゴンの混じる身体だが、やがてリアルワールドと同調し、最終的にこの世界でのアバターではなくリアルワールドのオリジナルの自分となる。そしてリアルワールドの自分の肉体は消失するに至る。」
つまり俺も今でこそまだポリゴンの肉体だが、やがては現実世界に置いてきた身体とこっちの世界で合体し、リアルワールドの方の身体は消滅する。
さきほどのこの少女のように傷つけば赤ポリゴンではなく実際の血が吹き出す。
こちらでの死イコール、リアルワールドでの死というのは想像に難くない。
少女は何かを読み上げるように僅かにカタコトに続く言葉を紡ぐ。
「当該有機生命情報体に干渉を受けた者には二つの選択肢を与える。」
当該有機生命情報体というのは恐らくそこでくたばっているユニコーンのことだろう。ということはその干渉を受けた者は必然的に俺ということになる。
選択肢を【与える】ときた。
随分上から目線な態度な彼女のバックにあるソレに嫌な予感と嫌悪感が漂い、冷たい汗が背筋を撫でる。
「我々の同士となるか、ここで死ぬか。どちらかを5分以内に選べ。」
「待て、待てよ。ちょっと待て。なにかおかしい。いや、そもそも全部おかしいんだが、そんな断片的な説明だけで納得しろなんて無理だ。第一ログアウト出来ないなんて、そんなはずないだろ。」
思ったことが全て言葉に出てしまう程の焦りが俺の鼓動を早める。
少女はそれを真摯に受け止めてから、まるで女神のごとく数秒微笑んだのちに遠くの空へ視線を飛ばした。
まるで、ここに存在しない何かを見つめるように。
「よく分かります。私も最初はそうでしたから。」
「え、それは…」
「私もかつてあなたと同じようにリアルワールド人でした。」
「でした…?」
過去形。
英語の概念でいえば今は違うといったニュアンスが含まれるソレに俺は眉の根を寄せる。
「はい。今はもう私もあなたもこの世界からログアウトが出来ない身体となってしまいました。私も二十年前のあの時、この世界に迷い混んだオークに襲われて、色々あった結果、幸か不幸か怪我だけで済みました。それから今までずっとこちらの現実的仮想空間で生活しています。」
かなりの歳上だったことに腰を抜かしそうになったが、ふと過ったソレ。
二十年前の仮想世界の大事件を俺は知っている。
たまたま検索で引っ掛かったワードに惹き付けられて奥の奥まで調べていった結果いくつかのことがわかった。
その1つをあげるならば、MMOニュースによると当時仮想世界に入るためのヘッドギアを被った人間が次々にその日着ていた服とヘッドギアを残して消えるといったものだった。
正直都市伝説クラスの噂話程度にしか考えてなかったのだが、今その被害者が目の前にいるのを確認したことで、俺は自分の考えを改めなければならない。
彼女は左腕の長袖を捲りながら続けた。
「これがその時の傷なんですが…」
その裾の中には中身がなかった。
腕のように見えたソレはなんとかの錬金術師が付けていそうな疑似アームで、その上に指出しの茶色の革の手袋をはめている。
指先はどういう貼り付き方をしているのか白く綺麗で滑らかな5本の指が揃っている。
おそらく…。
「ホントはこの腕の部分も肌で隠せるんですけど、コレは私はもう二度とあの世界には帰れないんだと自覚するためのおまじないみたいなものです。」
予想通りの応えが帰ってくる。
この少女はあの技を見ても分かるようにかなりの手練れだ。
だがその熟練の技もさながら心が強い。俺なんかが及ばない程に強すぎるのだ。
初めは恐らく今の俺のように家族や友人のもとに戻れなくなることを嘆いただろう。
だが、今こうして俺の目の前であのユニコーンを蹴散らすような強さを身につけるほどに強く太い芯の通った自分を持っている。
俺はそんな彼女に贈る賞賛の言葉すら持たず、ただただ自らに対して感嘆するしかなかった。
だが、そんな俺にも芽生えた何かがあった。
この時の判断が俺の運命、やがては世界全体の流れを変えるに至るのだがまだまだ先のことである。
「ひとつ教えてくれ。」
ボソリと呟かれたそれは掠れて今にも消え去りそうだったが、
俺の耳を一瞥するとすぐに目線を地に向けた少女は、その小さな呟きをきちんと拾ってコクリと頷いた。
「こ、ここで死んだら本当に死んじまうんだろ?さっきのあんたみたく気絶したり、ホンモノの汗と血を吹き出すように、ホンモノの命もここで…ここで落としちまうんだよな。」
カツカツ。
少女がブーツの底を鳴らして近寄り、うなだれた俺に抱きついた。
「あなたは死なないよ。私が守るから。だから何も怖くなんてないよ。あなたを脅かすものは全て、お姉さんが倒してあげるから。」
気付けば俺は涙を流していた。
少女の温かみを感じてか、いつの間にか寒さと震えが止まっていた。
だが、嗚咽と共に溢れ出る肩のわななきはいっこうに収まることを知らなかった。
少女は俺の耳のわずかに後頭部側を傷口に触れないように気を付けながら撫でる。
「ごめんなさい。私のせいで…」
耳の一つや二つ、少女に救われた命と天秤にかけると、どちらに傾くかは最早明らかで、俺は少女に心の底から感謝していた。
「俺は…俺もあんたを、あなたをずっと傍で支えます。そうさせて下さい。」
少女の肩に頭を押さえつけたまま告白する。
俺に芽生えたもの。
それは彼女のパートナーとなり、彼女を守るために強く、もう誰にも、自分の弱さにさえ負けないという上昇志向。
一人の少女にこれだけ言わせておいて、彼女がどう思っていようが俺は彼女の言葉に救われ、そして恩義を感じた。
なればその恩は自らの意思で忠義を尽くして返さねばなるまい。
まず断ったら殺されるので選択肢はないのだが、それ抜きで俺はこの少女の強さを知りたいと思った。
そして願わくば彼女の傍にこの先ずっと付き添って、彼女を護る盾となりたい。と。
「あなたは強いですね。私なんて決心するまで結構かかったんですよ?」
俺から一歩離れて、その笑顔を俺を見上げるようにして向けた。
「わかりました。こちらこそよろしくお願いいたします。」
ペコリペコリと何度も頭を下げる彼女の瞳は潤んでいた。
嬉しさの籠った声、クリッとした大きな瞳から溢れる雫。
満面の笑み。
俺はこの日の出来事全てを死ぬまで忘れないという自信があった。
衝撃的な出来事と出会いと共に、彼女の儚くも美しい笑顔を心に深く刻んだ。