紅い音色に想いを乗せて 9 【完結】
「春陽、ダメだ、戻ってこい。行くな、堕ちるな。お前は人だ」
「私が――宗助を殺した。いない、いない、いない、いない、いない。藤皐月を殺した、殺した殺した殺した」
壊れた人形のように同じ言葉を繰り返す。遠くで、樹希の声がした。
自分の中に入ってきた者達に対処できない。呑みこまれる。暗闇に。喰いきれない。負けるものか。負けてたまるか。ここで負けたら、藍澤宗助を喰らい藤皐月を喰らった意味がなくなる。耐えろ、耐えろ、耐えろ、耐えろ。
――私ハ誰ダ?
「ああああああああああああああああ」
自分の意思を保つために、自らに刃を突き立てる。手の甲から、血が溢れ出た。それを樹希が急いで止めた。何度も繰り返し、樹希が私の名を呼ぶ。仲間の声を頼りに、理性を保つ。でも、それだけじゃ足りなかった。体の中から、何かに食い破られる感触がする。完全に呑みこまれそうになったその時、声がした。聞き慣れた声が。
(春陽さん。あなたは獣じゃない。私はまだいます)
「藍澤、宗助……?」
(はい。あなたが守ってくれた。自分の中に入れて……)
「……」
(私はあなたの中に。私たちを、助けてください)
徐々に意識がはっきりしていく。目で探した。最後まで諦めたらいけない。
――引きちぎられても、泥にまみれても、一度手を付けたことは、終わらせろ。
そう教えてくれた人がいた。『春陽』の記憶と、樹希の声を糧にして自分を立て直す。まだ僅かに原形をとどめているそれを見つけた。藍澤宗助と藤皐月の思い出の品。手を伸ばすと、少しざらりとした感触が手に伝わった。紐の横には満開の桜が咲いた枝が一つ落ちている。弱々しくそこから気配がした。注意深く探ると、藤皐月の気配だった。
「樹希……助けて」
「何でもしてやる」
「二人がまだいる……ここに」
「春陽は、どうしたい?」
「――助けたい。この二人は、喰べたくない。でも、どうすればいいのか分からない」
今まで、怪異を助けたいなんて思ったことはなかったから。
引きちぎられた紐と、衝撃で折れた枝。そこに、ぽたぽたと何かが零れ落ちた。
雨は降っていないのに。水滴は、私の目から溢れ出たものだった。どうして泣いているのかは分からない。でも、私はきっと答えを見つけた。
「二人に意識を集中させろ。分け与えるんだ。春陽《お前》自身を」
私の中にいる藍澤宗助に集中する。心の奥底がふわりと温かくなるのを感じた。その感覚を中心に命を守るように彼の存在を包み込んでいくと、周囲が光に包まれた。隣を見ると、桜の枝を手に樹希が同じことをしている。彼のそばには、藤皐月が立っていた。私の中から、藍澤宗助が出てくるのを感じる。
二人は手を取り合うと、互いの存在を愛しむように手を絡めた。私たちは何も言えず、向こうも何も言っては来なかったが幸せそうな二人の笑顔を見て確信していた。私が初めて取った道は、間違いではなかったことを――。
冬に吹く、身を凍らせるような冷たい風に乗って、桜がそれぞれの想いを乗せて去っていった。
<おわり>
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・Lord's Prayer -祈る者-
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