表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

大学二年の冬

「うん、分かった」



そう言って、彼女はその場を後にした。

――誰もが目を丸く見開いて、その後ろ姿を見送った。






それはいつも通りの、何でもない平日の午後。

学食に飯を食いに行こうと思っていた俺の目に映った、数人の人だかり。

場所が学食裏っていう事もあって、まぁそこまいるわけじゃないけど。


「……?」


それにしたって、なんか興味惹くものあったかあそこ。

大学に入ってもう二年。

全てを把握してるわけじゃないけど、ここら辺はよく使うんだけどなぁ。

そんな事を考えながら、薄く取り囲んでいる人垣の隙間からその視線を一身に集めている物を視界に映した。

「……佳枝?」

思わず呟いてしまい、焦って自分の右手でぱたりと口を塞ぐ。

声なんか出す雰囲気じゃなかったから。



「どうしてもこの子が好きなんだ。だから、本当にごめん」


申し訳なさそうに告げる、男。


「佳枝ちゃん、ごめんなさい」


泣きそうな声で謝罪を繰り返す、女。


そして――


「……」


黙ったまま表情を変えず、二人を見つめる女が一人。


良く見知ったその顔に、思わず眉根を顰めた。

高校からの女友達……高坂 佳枝、だ。

怒りも悲しみも見えないその表情は、ただただ無表情に二人を見ていた。



……修羅場かよ!

しかも知り合いの修羅場とか、見たくねぇっていうか見られたくないだろうし。

興味をひかれた数秒前の自分を、殴ってでも止めてぇ!



しかし、修羅場のはずなのに、えらい静かだな。

周囲の傍観者たちも罵り合うシーンを想像しただろうに、その権利のある佳枝が黙ったままだから肩透かしを食らってる状態。



けれどやはりその沈黙に耐えられないのか、男がどんどん言葉を言い募り始めた。


「卑怯だとは思うんだけど、でもやっぱり自分を騙しているのは嫌というか……」

「お前、あんま甘えてこないし、俺がいなくても大丈夫だろ?」

「ていうか、その、一人でいる方が楽しそうだし」

「執着心がないというか」


……傷、抉ってる。


話せば話すほど、相手を貶して自分を貶めているの、分かってんのかこいつ。


「佳枝ちゃん、その……」


もう一人の女の人がやっぱり耐えられなくなったのか口を開いた刹那、やっと佳枝の声が響いた。


「そう、分かった」


そして冒頭に戻る……、だ。




ただ了承の言葉のみを二人に告げた佳枝はくるりと踵を返すと、人のいない方へと歩き去って行った。

残されたのは、男女二人。

鞍替えした男と、知人から彼氏を取った女。


「……それだけかよ」

ぼそりと呟いたその言葉に、思わず目を細めた。

なに、他の女に走っといて悲しまれないと逆切れって?

呆れの様な残念の様な、そんな表情する権利てめーにないっての。


本当は何も言わずに立ち去るつもりだったけど、今の言葉でそれを止めた。


内情を知らないから、責める事は出来ないけれど。

ただ、一つだけいえる事は。


「……卑怯」


目があった瞬間、小さな声で……けれど十分周囲に聞こえる声で男に向って告げた。

思わずと言った風体で目を見開いた男は、ぎゅっと口を真一文字に噤んで女の手を握る。

そうして俺とは反対方向へと、歩き去った。

残されたのは、呆気にとられたギャラリーのみ。

それもほんの少しの時間差を掛けて、各々散って行った。



「……ったく」



俺は最後までその場に残ると、ため息をついて歩き出した。

それは、立ち去った佳枝の向った方へ。

きっと彼女がいる場所に。


昼飯抜きかなー


そんな事を考えながら。






十一号棟まである大学の校舎のうち、一番端で低層階が教授の研究室になっている十号棟へと足を踏み入れる。

すでに三限の鐘は鳴り響き、授業を持っている教授たちは教室へ行ってしまった後だ。

入り口の自販機で紅茶と珈琲の缶を、一つずつ買ってコートのポケットに突っ込んだ。


静まり返る廊下を進み、階段を上る。

五階建て最上階まで上ってきた俺は、目当ての教室を見つけて小さくノックしてみた。

そのドアの横にこじんまりと貼り出されているのは、10-501という小部屋の名前のみ。

「佳枝、いるのか?」

声を掛けてみても、返答はない。

ドアノブを回しても、鍵がかかってるみたい。

けれど、あいつがここにいるのは分かってる。


右に一回左に三回、そして少しノブを上げ気味に部屋の中へと押す。

カチャリ、と、小さな金属音の後そのドアは内側へと開いた。

ここの鍵が壊れている事を知っているのは、俺と佳枝と、同じゼミのもう一人。

この事に気づいてから、こいつの落ち込んだ時の逃げ場になった。


ゆっくりと押し開ければ十畳くらいしかない部屋の窓際、ぼんやりと外を見ている佳枝の姿。

やっぱりね。

「いるなら、返事位しなさいな」

そう言いながらドアとカギを閉めて、佳枝の横に移動する。

コの字型に配置してある長机が、狭い部屋を一層狭くさせていて。

パイプ椅子の背を避けるように歩み寄ると、ぼやっとしていた佳枝が俺を見上げた。

微かに口角を上げて。


「不法侵入」

「お前もだろ」


何でこいつは、人を笑わせようとするのかなぁ。

辛い時でも。

いい時もあるけど、それがイラつく時もあるんだよね。


目は少し赤くはなっているけど、涙を流しているわけじゃない。

でも、決壊寸前なのは見りゃわかる。


「泣きたきゃ、泣けばよかったのに」

俺の言葉に、ぴくりと肩を揺らすと盛大にため息をついた。

「見てたの、あれ」

「見てたよ、それ」

即答すれば、あっそ、と目を逸らす。

肩を落として椅子の背を抱きしめるように座る佳枝の側の机に、下で買ってきた紅茶の缶を置いた。

「飲むでしょ?」

その声にちらりと缶に視線を向けて、すぐに窓へと逸らした。

片手で、缶を取りながら。


「ありがと」


ぽつりとつぶやく声は、ほんの少し震えてる。

その声を聞きながら、反対のポケットに突っ込んでいた珈琲の缶を取り出してプルタブを引き上げた。


……珈琲よりも飯が食いてぇ。

まぁ、でも仕方あるまいさ。


「そんなに落ち込むなら、あの場でなんか言ってやればよかったのに。どー考えても、男の方に非ありだろ」

どんなにお互いに言い分があろうと、付き合ってる人がいる間に他の奴に手を出した方が全面的に悪いと思うけど。俺。

なにその、駄目だったら戻る場所キープ的な考え。

しかも、別れを告げる場に相手の女連れてくるとか。

サイテーだと思うんだけど?


佳枝は紅茶を飲みながら、横目で俺を見上げてくる。

その眼は、今までも何度か見た事のある色をたたえていた。

それは恋愛関係だけじゃなく、友人関係その他諸々、佳枝が落ち込んだ時の表情。


「なんで、佳枝が後悔すんの」

「……んー。そりゃまぁ、いつも同じこと言われるとねぇ……」

「あぁ、一人でいる方が楽しそうって?」

「あんた、ホントあっさり言うよね」


そりゃね。

恨めしそうに俺を見上げる佳枝の頭に、ぽんぽんと手を置く。

「好奇心旺盛だもんな、佳枝は。もう、手当たり次第に。それがそう見えるのかもしれんけど」

熱しやすく冷めやすい佳枝のアパートには、今まで挑戦してはブームが過ぎ去ったものの残骸がわんさかあったりする。

ハンドメイドからアロマ、トレーニング関係。

その興味は多岐にわたりすぎて、一貫性が全くない。


「本能のままに、動いてるっちゃーそうだよな」

「抉ってくれるよね、ホント」


はは、と乾いた笑い声をあげて椅子の背に両腕を置いてそこに顔を伏せた。

「……執着がない訳じゃ、ないんだけどな」

呟いたのは、きっと佳絵の本音。

俺は佳枝の頭をもう一度軽く撫でて、珈琲を飲みほした。

「そうだな」

それだけいうと、俺はその部屋から出た。



「……」


後ろ手で閉めた部屋の中からは、なんの音もしない。

けれど、一人になった佳枝がどうしてるかなんて、高校から知ってる俺にはお見通しで。

ま、落ち込むといつもの事だからなー。

誰がなに言ったって、今、その言葉は耳に入らない。


悩んで泣いて。

どん底まで落ちて。

そこから、自分で気持ちを切り替える。


それを一人で大丈夫だって受け取られてしまうんだけど、そうじゃない。

「今度の奴も、気づかなかったかー」

溜息をついて、校舎から出た。







「おーはよー」


あれから三日。

土日を挟んで、今日は月曜日。

後ろからかけられた声に、俺は振り向いた。

「佳枝?」

そこには、いつも通り屈託なく笑って走ってくる佳枝の姿。

俺の隣に追いつくと、珈琲の缶を差し出して来た。

「金曜はありがとね。はい、お礼」

それは、あの時俺が飲んでいた珈琲。

どうも、と一言告げてプルタブを引き上げる。

「闇討ちするなら、付き合うけど」

衆人環視のなか、修羅場を演じようとした阿呆な元彼に。

言外の言葉に気づいたのか、苦笑しながら紅茶のペットボトルを両手で転がした。

「しないわよ、そんなの」

「しないのかよ」

即聞き返すと、うん、と頷く。

「だって、どうにもならないんだから、仕方ないでしょ」

違う? そう笑う彼女はほんの少し自嘲気味で。

「こうやって諦め早いところが、冷たいって言われるんだろうね」

そう言うと、じゃね、と講義のある校舎へと歩き去って行った。

俺はその後ろ姿を見送って、歩き出す。



考えても仕方ない事は、考えない。

どうにもならないことは、諦める。

冷たいと言われれば、確かにそうかもしれないけど。


でも。


少し痩せた頬。

自嘲気味の言葉。

今の言葉を言えるまで、どれほど泣いたのか。

よく見れば、わかる事。

気づかれないように、自分の中で決着をつけてしまう。



「ったく、こんだけこっちが見てんだからさ」

珈琲缶をあおる。

胃に流し込んだその苦味に、息を吐いた。

「そろそろ、俺の事もみろっての」

友達認定されたら、ずっとそのまんまなんだもんな。

これって、少しは執着されてるって思っちゃダメなのかね。

高校からずっと抱いている気持ちは、いつまで隠していればよいのやら。



空を見上げて、俺はもう一度溜息をついた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ