プロローグ
それは、宇宙に進出した人類社会がガイア帝国の前近代的な専制政治の桎梏に未だ苦しんでいた、ガイア暦七三年のことである。
全人類を統べるガイア帝国の首都ガイエポリスは、太陽系第三惑星・地球のアフリカ大陸南端部――旧地球統合政府時代はケープタウンと呼ばれていた場所に位置するのだが、そこから三百二十余光年離れた惑星ワームウッドにおいて六月二十二日、反帝国を旗印にした大規模な暴動が発生した。帝国から派遣された総督の圧政――自治権獲得を目指す運動家たちをテロリストと称して即決裁判で処刑したり、臨時に設けた間接税の大半を自分の懐に入れていた――に耐えかねてのことであった。
蜂起した市民たちは瞬く間に総督府を占拠し、総督を始めとする総督府の要人や駐留軍司令官たちを即決の人民裁判にかけて銃殺に処した。因果応報、と言うべきだろうか。
ワームウッドが帝国からの完全なる独立を宣言し、総督制の重圧に喘いでいる他の辺境地域の星系に対して自分たちと志を共にするよう呼びかけるのとほぼ時を同じくして、首都の中心部を占める壮麗なサクソニア宮に「ワームウッド叛す」の報がもたらされた。現地時間で深夜二時過ぎのことであった。
時の皇帝ライオネルは、五年前――民主政治に好意を持っていた開明的な女帝ゼノビアが、「タヒチの反動」と呼ばれる保守派のクーデターによって廃された結果、新たに擁された人物で、政務には全く興味を示さず、サクソニア宮に引き籠もって美食と酒と処女漁りにうつつを抜かすしか能のない退嬰的な男だった。保守派にとってみれば理想的なお飾りだったろう。この夜も、皇帝は新たに後宮に召した両手に余るほどの処女たちを寝所に集め、淫楽に耽っている最中だった。
ライオネル帝にワームウッドの叛乱を第一に告げたのは、先年の「タヒチの反動」の首謀者で、以来宰相として事実上政務を総覧しているオーギュスト・グラハムであったが、皇帝の言葉を耳にした彼は一瞬自分の耳を疑った。不遜な叛徒どもに中性子ミサイルを浴びせて皆殺しにせよ――これが、皇帝の口からアルコール臭と共に無造作に吐き出された言葉だった。
グラハム宰相はこの暴戻極まりない勅命に対してさすがに翻意を促したが、淫楽の最中を邪魔された皇帝はよほど腹に据えかねていたのだろう、普段の無気力ぶりが吹き飛んだかのように強い態度で重ねて宰相に攻撃を命じると、数十通りの悪態を吐きながら再び後宮に引っ込んでいった。
宰相はやむなく、帝国軍統合作戦本部の置かれた月面・モルトケ基地に駐留する第一宇宙艦隊に治安出動を命じた。反乱側は蜂起に同調して一部部隊が合流した駐留軍の警備艦隊を戦力の中核に据えて防衛隊を結成し、ワームウッドの衛星軌道上において必死の抵抗を見せた。戦闘員の士気に関しては、背水の陣を敷いた反乱側が帝国艦隊をはるかに凌駕していたであろう。事実、個艦単位では反乱側は善戦したと言ってよく、その英雄的な活躍が帝国の戦闘報告書にも十数件記録されている。しかし、総合的なハード面――艦の性能や装備は、最精鋭の正規軍とにわか仕立ての義勇軍とではその懸隔は歴然としており、戦闘自体は後世の戦史家に考察の材料を提供することもないごくごく平凡な結果――即ち数に勝る帝国艦隊の、マンチェスターの法則に基づいた圧勝で幕を閉じたのである。
しかし、後に「第一次ワームウッド会戦」と称されるこの戦いに続いて引き起こされた第二幕は、人類社会にとって永遠に忘れられない事件となった。第一艦隊は事前の警告もなく、ワームウッド各地の人口密集地に中性子ミサイルを打ち込み、当時のワームウッドの人口の約九○パーセントにあたる三千二百万もの住民を一瞬にして死滅させるという、人類社会がこれまで経験したことのない暴挙に出た。
これが、人類史上最も悲惨な出来事の一つに数えられる「ワームウッドの晩鐘」――ミサイル攻撃が開始される直前、総督府の建物の尖塔に設けられた自動ベルが夕方の時報を鳴らしたことからそう呼ばれる――である。ずっと後の話になるが――帝国崩壊後、サクソニア宮の隠し小部屋から故ライオネル帝の遺した手記が発見された。「ワームウッドの晩鐘」の全容解明を目的として事件被害者の遺族を中心に発足した調査委員会は、大虐殺を命じた張本人の手記を細かに分析することで事件の全容が明らかになるのではないかと大いに期待したが、手記の分析結果は委員会のメンバーの暗澹たる思いを増幅させただけに終わった。手記の事件当日のページには、ライオネル帝が味見した処女たちに関するつぶさな感想以外の記述は一切見受けられなかった。
この未曽有の大量殺戮は、帝国全域に最大級の激震をもたらした。帝国軍は厳重な情報統制を布いたものの、情報は地下のネットワークを通じてあっという間に辺境星域にまで広まり、反帝国の活動家たちにとっては絶好のプロパガンダとなった。
帝国宰相グラハムは宮廷クーデターで皇帝を廃位して庶人に落とし、民間人大量殺戮の罪を廃帝一人に被せて速やかに処刑、帝位継承権を有する妻カザリンと共に共同統治という形式で自ら至尊の座を戴き、反帝国の動きに対して宥和策を試みた。(一説にはグラハムが始めから自ら帝位に就く魂胆でライオネル帝を使嗽して虐殺を実行させ、それを口実にライオネル帝を葬ったともいわれている)
しかし、既に時遅し。帝国の支配力が浸透していない辺境の大部分が総督府を廃して自治政府を樹立し、個々に帝国からの独立を宣言した。そして、各星系自治政府の代表は独立運動の中心地であるジュンガル星系第五惑星ガルダン・ハーンに集まって会議を開き、会議に参加した全自治政府がガイア帝国に対して宣戦布告すること、各政府はそれぞれ戦力を供出して単一の指揮系統の下に連盟軍を結成し、帝国に対しては互いに単独不講和を約することなどを定めた、所謂「ガルダン・ハーン憲章」を採択。対帝国戦争の完遂を目的とした「独立星系連盟」を発足させたのであった。
かくて、人類社会を二つに割った史上最大規模の内乱「ガイア戦役」の幕は遂に切って落とされた。そして、帝国の無条件降伏で内乱が終結するまでの八年もの長きに渡り、漆黒の宇宙は数えきれないほどの人間の血を飲み干し、数えきれないほどの英雄譚、悲喜劇を生み出すことになる……。