声はまだ届いている
第13話
「声はまだ届いている」
終演後のロビー。
君原涼子は、いつものように人の流れが落ち着くのを待ってから、珠江に声をかけた。
「珠江さん」
「涼子さん。今日も来てくれてたんや」
涼子は小さく頷いた。
「はい。……あの、今度、うちに来てもらえませんか」
珠江は少し驚いた。
「うち?」
「はい。少しだけ、話したいことがあって」
涼子の声は静かだった。
けれど、逃げるような静けさではなかった。
珠江は、ゆっくり頷いた。
「分かった。行かせてもらうわ」
数日後。
珠江は涼子の暮らす古いアパートを訪ねた。
派手さはない。
でも、きちんと整えられた部屋だった。
窓際には、小さな観葉植物。
棚にはマグカップが二つ。
壁には、若い男性と涼子が並んで笑っている写真が飾られていた。
珠江は、その写真に目を止めた。
涼子が静かに言った。
「彼です」
珠江は何も言わず、頷いた。
「ここ、彼と一緒に住んでいた部屋なんです」
涼子は写真を見つめたまま続ける。
「彼、交通事故に巻き込まれて亡くなりました」
部屋の空気が、少し重くなる。
珠江は、無理に慰めの言葉を探さなかった。
簡単な言葉で触れていい痛みではない。
そう分かっていた。
涼子は、ゆっくり椅子に座った。
「彼、よく笑う人でした。くだらないことでもすぐ笑って、私が怒ってても、変な顔して笑わせようとして」
少しだけ、涼子の口元が揺れた。
「でも、亡くなってから……笑うことが、すごく怖くなりました」
珠江は黙って聞いていた。
「AIで作られたネタ、面白いとは思うんです。よくできてるし、テンポもいいし、みんなが笑う理由も分かる。でも……私は、そこに人の温もりを感じられないんです」
涼子は珠江を見た。
「珠江さんのネタは、すごくホッとできます」
「ホッと……?」
「はい。うまく言えないんですけど、笑わせようとしてるだけじゃなくて、人がそこにいる感じがするんです」
珠江は、胸の奥が熱くなるのを感じた。
涼子は続けた。
「寝過ごして関空まで行った話も、南海本線と高野線の話も、猫の恋愛会議も……失敗とか、寂しさとか、しょうもなさとか、そういうものを無理に消さずに笑いにしてる感じがして」
写真の中の彼は、明るく笑っていた。
「だから、私は珠江さんには、今の芸風でいてほしいです」
珠江は、すぐには返事ができなかった。
AIネタに押されている。
出演枠も減るかもしれない。
数字では勝てない。
それでも、目の前の人は言ってくれた。
今のままでいてほしい、と。
珠江は静かに息を吸った。
「涼子さん。私、正直まだ迷ってる。AI使った方がええんかなって思う日もある。楽になるんかなって」
「はい」
「でも、今日ここに来て……私の声が、ちゃんと届いてる人がおるんやって分かった」
涼子の目が少し潤む。
珠江は、写真に向かって軽く頭を下げた。
「彼氏さん、会ったことないけど……涼子さんを笑わせようとしてた人なんやね」
涼子は小さく頷いた。
「はい」
「ほな、私も負けられへんな」
涼子は、ほんの少しだけ笑った。
大きな笑いではない。
でも、確かに笑った。
珠江はその表情を見て、胸の中で思った。
声はまだ届いている。
大爆笑ではなくても。
再生数にならなくても。
ランキングに載らなくても。
誰かの夜を、少しだけ変える笑いがある。
帰り道。
珠江はネタ帳を開いた。
《AIには温度がない、という人がいる》
《笑えない人にも、届く声がある》
《ホッとできる笑い》
《失敗も寂しさも消さずに、笑いにする》
《今の芸風でいてほしい》
そして最後に、こう書いた。
《声はまだ届いている》
その日の夜、珠江は新しいネタを作らなかった。
ただ、涼子の部屋で見た二つのマグカップと、写真の中の笑顔を思い出していた。
笑いは、誰かを忘れるためにあるのではない。
思い出を抱えたまま、今日を少しだけ生きるためにある。
珠江は、そう思った。
⸻
次回予告
第14話「完璧なネタの正体」
涼子の言葉によって、自分の笑いが誰かに届いていることを知った珠江。
しかし、劇場ではAIネタ芸人たちの快進撃が続く。
完璧な構成。
完璧な間。
完璧なオチ。
珠江は、その裏側を知ることになる。
次回、第14話
「完璧なネタの正体」
完璧に見える笑いにも、見えない空白がある。




