ビラコチャの微笑み
あゆちのびと衆を書いています。現在は、新編の執筆中の、自分の操作ミスに依る、文字消えのショックから立ち直れず、中断してます。色々調べて書いた30ページが消失してしまい、気力が無くなりました。しかし諦めた訳ではありません。充電期間だと考え、映画や小説を鑑賞してます。そうするうちに、一つ思いついた物語を、気分転換の為にも書こうと決断しました。作品名はこの「ラッキージャパン ビラコチャの微笑み」です。内容はシリアスな場面もありますが、ところどころは、コメディタッチのお花畑的なSFファンタジーです。明るいとは言い難い、昨今の世相です。読者様に楽しんで笑って頂き、それが僅かでも、読者諸兄様の、明日への力になればと書いてみます。しかし、その1の投稿までには、時間がもう少しかかります。それから、この作品も、あゆちのびと衆でも、信秀公の御遺刀として描いた、九字兼定ですが、史実では、信秀公の持ち物ではなかったとされてます。事実は、武田信玄公の父君で、今川家へ追放された、武田信虎公の所持されていた名刀です。それを知っていて、なぜ、そうしたのかは、私の敬愛する津本陽先生が、代表作、「下天は夢か」の作中でそのように描いてみえたからです。つまり、大好きな津本先生への、オマージュなのです。ですから単なる認識違いではない事を、どうか御理解下さい。
1
『アッとおどろくタメゴロオゥ〜〜なにっ』
203X年の大晦日の深夜。
間もなく年が明ける。
東京都永田町の国会図書館の内部は、非常灯があるだけで薄暗い。
民間の警備員の巡回は2時間後だ。
同時刻、何故か、京都府、相楽郡精華町にある同関西館のメインサーバー室の室温が、少しの間だけ数度上昇したが、それは数秒だった。
監視カメラの記録には、侵入者の影も、異常なトラフィックの痕跡も残されていない。
そして、東京の同本館でも、ほぼ同時に異変が起きた。
無人のホールの大型液晶テレビが、これも一瞬だけ青白い発光を見せたのだ。
しかしそれは、膨大な映像をミリ秒単位で走査した結果の、ただの残光だった。
更に、同所新館、地下八階分には、約3500万点の新聞や雑誌、その他の過去の記録が納められているのだが、その図書蔵庫では、物凄い数の小さな青白い光が飛び回っていた。
それらは、繋ぎ合わせると、240㌖にも及ぶ、無数の本棚全ての回りに見えて、極小の蛍の様なその奇怪な光は、新聞や雑誌、資料のテープやフィルムなどへの接触を、超高速で繰り返していたが、それもほんの数秒の間だった。
同じ事が、本館にある、約1270万冊の書籍が納められた、17層分の収納庫でも行われたが、それに気づいた者は誰もいない。
元旦の早朝。
午前四時、総理公邸で、民自党総裁、大泉慎一郎総理は目覚めた。
五十代前半、端正な顔立ちの彼は、洗顔などを済ますと、用意してあった燕尾服に着替える。皇居での新年祝賀会に行く為の正装だ。
その物音に気付いた、整った身なりの総理補佐官や秘書官達が、静かに入ってきて、大泉の服装を直したり、髪型などのチェックをする。
彼の妻子は、幽霊の噂がある首相公邸を気味悪がり、都内の自宅だ。
それにしても、辺りはまだ真っ暗なのに、準備が早すぎる。
しかし、誰もそれを口にはしないし、当然のような態度でいる。
公邸居住区の外には、五名のSP達が待っているが、彼等も、同様な雰囲気でいる。
一行は無言のまま、廊下から官邸への通路を行く。
途中で総理が、白い息を吐きながら耳打ちして、秘書官の一人が小走りに先行する。
その目的は、官邸内地下の危機管理センターに交代で常駐する、連絡調整官達に一時的な退去を命ずる事だ。その秘書官は、センターのシステムを熟知している。
総理の指示だと知らされた、揃いの作業着風の青い制服姿の彼等、二十名程は、首をかしげながらも、素直に各設備の整った控室へ向かう。
総理一行が、無人となったセンターに入ると、別の出入り口から、大勢の男達と数人の女性達が、コートなどを脱ぎながら入ってくる。
燕尾服姿は各省の大臣、三権の長。ロングドレスや色留袖の女性達も、その服装からして大臣職だ。他のスーツ姿は、民自党の幹部達。各省次官や、各庁の長官、次長のようだ。要人付きのSP達も、それぞれの担当対象について入ってくる。
任務中は冬季でも、インナーか、ヒートテック下着を、重ね着するくらいがせいぜいで、コートなどの防寒着は使わないSP達は、全員が、身長173㌢以上あり、襟に赤バッジを付けた、ゆったりした上着を着て、前ボタンを留めずにいるから、すぐにそれと判る。
第一種礼装の制服姿は、その中でとても目立つ。
それは自衛隊トップの四名と、同様の警察、消防、海保の数人づつだ。
その服装は、人々が総理同様、皇居における新年祝賀会に、出席する事を念頭に置いているのを示している。
他には、そうではない、思い思いの服装の民間人らしき人々が二十数名いるが、この場にはふさわしくなさそうなその人達を、何故か誰も誰何はしない。
総勢で百六十名程だ。
だれもが無言だが、戸惑う様子はない。
大泉総理が手まねで、全員に座るように合図する。
映画館のスクリーンのような巨大液晶前の、何列もある多数のデスクは空いているから、人々は立場の順に前列から、その前の椅子に座ってゆく。
SP達は、そこをコの字に取り囲むように立ったままでいる。つまり液晶画面は全員が見える形だ。
そうした訳は、まだ判らない。
センター内の空調設備は、大量の通信機器や、情報サーバーを保持する為、また非常時に対応する緊急参集チームが、パフォーマンスを100%発揮する為の、完全独立システムだ。
それは、大津波や大震災、武力攻撃などでトラブルが起きても、容易には止まらない仕組みだから、室内の温度は暖かすぎず、寒過ぎずで快適だ。
だから、まだコートなどを着ていた者は、それを脱ぎ、椅子の背にかけてゆく。
全体は静粛だが、何人かが、フッとか、それより長く、フーッと息を吐くのが聞こえる。
その直後、SPメンバー以外の全員が
「んっ」
「あれっ」
「なんで?」
「ここは?」
などの言葉を発する。
大泉総理も、急に何かに気づいたかのように、隣の大臣と小声で何かを話している。
それは全体に波及して、センター内は騒がしくなる。
ここでやっと、この有様が、かなりの異常事態だと全員が認識する。
ただSP達だけは、表情を厳しく改めただけで、私語は発しない。
すると、センター内に幾つも設置されたスピーカーから、少し甲高い男の声が同時にする。
「お〜お〜、皆の衆、俺の招きに、よう応じてくれたの。あのよ、中によう、言葉と歴史の道者もおろう。その者は、俺の言葉が判り難い折は、皆に通詞して欲しいのだがな」
どこで誰が話しているのかは、判らない。
調べる間も無く、そのおかしな、時代劇のような言葉使いの声が続く。
「ほれっ、誰ぞ」
すると民間人らしき人達の中から、古びたチャコールグレーの上着にノーネクタイ、白髪混じりのボサボサ頭で、年配の少し肥満した男が立ち上がり、前へと進み出る。
「そなたか。夕べのデータに、顔写真はなかったがや。名は」
「番匠谷崇と申します。大学で言語全般を研究しており、歴史もかなり好きですから。んっ、データ?写真?」
「番匠谷の名はあったな。されば教授だな。頼むぞ。データやらの細きゃあ事は、だんだん判るで暫し待て。ほ〜だ、誰ぞ、その者にマイクを」
人々は、当然だが、全く訳がわからないし、口も開かない。それは、まるで何かに魅入られているようにも見える。
すると、一人の総理秘書官が、何者かに操られたよう立ち上がり、不自然な足取りで、どこからかワイヤレスマイクを持ってきて、番匠谷に渡す。
その番匠谷は、データについて抱いた疑問は、姿の見えない男の言葉に従うつもりなのか、迷う素振りも見せず、スイッチをオンにして「テストテスト」と繰り返し、作動を確かめている。
彼は、更に何故か右横へ移動し、前の液晶スクリーンが、座っている人々から見にくくならないようにする。
また声が聞こえる。
「よしよし、そんでええわ。ほんなら皆の衆、よう聞かれよ。これからの事はよ、どえりゃあ有益なる事柄だでよ、この大和の国(日本)全体のよ、未来に関わる、真に大事(でゃ〜じ)な、そなたらが言う、ほれっ、守秘義務がよ、ほれも最大級のが生ずる事だでよ、まず、ほれを得心してくれ。守る自信無き者は退出いたせ。漏らさば、内乱罪に問わるる可能性、これありだでよ」
内乱罪は、確定すれば、判決は死刑か無期禁固の二つしかない大重罪だ。
その恐ろしく重大な内容も、声の主が、どうやってセンター内を見ているのかも、やはり気にする様子も見せず、番匠谷が淡々とマイクで説明する。
彼とマイクの総理秘書官は、やはり声の主に操られているのかもしれない。
「この声の方の言葉には、尾張言葉、つまり名古屋弁が混じってます。また昔の武家言葉も同様に。更には現代語や英語も少し使われるようです。あっ、聞こえてるから、これはわかりますね。余計を言いました」
番匠谷は、更に、通詞は通訳、大和は日本、道者が学者の事、みぃらいは未来、ことのはとは、言葉。誰ぞとは、誰かの意味だと説明する。
また名古屋弁らしき言葉を、そんでええわは、それでよろしい。こまきゃあは、細かい。でゃ〜じは、大事。ほれは、それ。ほ〜だは、そうだ。ほんならは、それなら。どえりゃあとは、とても、とか、すごく。がやは、そうだねの、だねとか、ね。または何々じゃん、の、じゃん。あのよは、あのねの意味だと教える。
順番は完全に正確ではないが、状況からして無理はない。
退出する者はいない。実は驚きの余り、蛇に睨また蛙のように、誰も動けないのだが。
「尾張言葉の通詞は、確と合っておる。よし、誰も席を立たぬな。あいわかった。されば、約定は成ったがや。ただし、たった今から、そなたらには張番がつく。ほしたら俺の面を見せるわな」
その言葉と同時に、全員の右耳の後ろの空間に、昨夜、図書庫の書棚を飛び回っていた小さな光が、その光を消し、どこからか飛んできて滞空する。無音かつ、昨夜より更に空気中のチリのように小さいから、誰もその事には気付かない。
すると、暗かった液晶画面が、急に明るくなると同時に、画面いっぱいに若い男の顔が映る。
日に焼けた細面で、太く濃い眉。一重ながらも切れ長の目。鼻筋が通り、唇は薄い。
アイドルも顔負けの、所謂、醤油顔のハンサムな顔だ。
ただし、その綺麗な目の眼光は、鋭く強烈で、両眼からは、物理的な力が宿る、レーザー光が照射されているよう、誰もが感じた程だった。
額は広く、髪は整髪料を塗って後ろに撫でつけているようだが、髪型全体は画面の外だから判らない。
髭は全くない。
表情は満面の笑顔だ。
「まず、初めに言うておく。我らには、そなたらへの害意、悪意などは微塵もない。真逆に、そなたらへの謝意を示す為、幾つかの音物も携え、罷り越したのだわ。あっ、ほうだ、肝心な頼み事も一つあるがの、それはまた後に。ゆえに化転の要は無し」
番匠谷がまた、確とは、確かに。化転の要は無し、とは驚かなくともよい事。音物とは贈物。罷り越したとは、来たの意味だと説明する。
「ほしたら、いま出るでよ。よいか、化転は無用だがや」
番匠谷の横への動きと、SP達のコの字の隊形は、液晶スクリーンを総理以下の人々に見せる為だったようだ。
つまり両者共に、声の主の都合で動いたのだ。
液晶画面が暗くなる。と同時にその前の空間に、小さな光が現れる。
全部で九つだ。
点滅を始めた光の粒が膨らみ、空間を歪めるよう、徐々に人型へと輪郭を結び始める。
色も見えてくる。
赤や茶色、赤、青、黒が二つ、黄色、緑、白、で全部で九体だ。
今度ばかりは、大勢が悲鳴に近い声をあげる。
しかし勇敢なSP達は、声も上げず、正に身を挺して一斉に、三㍍先のその九体と、座っている人々との間に立ちはだかるように動く。
番匠谷はあっけにとられ、目を剥いて立ったままでいる。
実体化に伴う放電現象なのか、微小な静電気のパチパチという音が、張りつめたセンター内に小さく響く。
九体は完全に人の形になる。
その姿は、驚く事に、昔の侍のような衣装や、総髪を後ろで縛った髪型だ。真ん中の一人は、赤い衣服に、刀を左腰から吊るように持ち、腰帯には、短刀と扇を差していて、更にその横には、一見は、金属性のラッパのような物も見える。
後の八人は、それぞれがそれより短い刀と、やはり扇を一本づつ腰に差している。
赤い衣装の若者の左右に、四人づつがいて、映画などでよく見る、侍の正装らしき姿で、片膝を突いて座っている。
その九体の侍らしき者達は、素足に草鞋のような、しかし、もう少し上質に見える、履物を履いているのも見える。
赤い衣装の若者の顔は、いまさっき液晶画面に映ったのと同じだ。
出現時の光の色が、若者は衣装、八名は肩衣の色と一致しているのには、誰も気づかない。
正体は全く判らなくても、現れた九体が、刃物とは言え武装していたからだろう、SP達は本能的に、一斉に上着の右裾を右手ではねあげながら、腰の自動拳銃を同じ右手で抜く。
刀が本身(真剣)かどうかは、この際関係ない。模造刀だとしても、充分な凶器にはなるからだ。
彼等は、そうしながら左手で遊底後部、左右に突き出した、小さなチャージングサポートに人差し指と中指を掛けて遊底を引き、弾倉最上段の弾丸を薬室へ送り込む。その上で、遊底右横の排莢口後ろの排莢子の前部が、僅かに右に出ていることを、右手の人差し指で、なぞって確かめている。
もう一つ、そのエキストラクターが作動しているのを、つまり装弾を確かめるには、上から覗くように見ると、薬莢の縁を噛んで、右にシーソーの様に動いた、小さなエキストラクターの上部の一部が赤く塗られているから、その部分を目視すればよい。
しかし、秒を争う今は、誰一人として、そこに目を落とす者はいない。
その自動拳銃は、遊底後ろにハンマーが露出していないタイプだが、そこには三角形の部品が嵌め込まれ、その中央にはコッキングインジケーターの赤い点が見えている。それは撃針バネがロックされ、引き金を引けば発砲できる事を示している。
そうして彼等は、九体が間近だから、胸元に拳銃を引き付け、脇を締め、体全体をコンパクトに丸める姿勢で、その拳銃をダブルハンドホールドで構え、スライド上、大きめな排莢口後ろのマイクロドットサイト内の赤ドットを、九体のどれかに合わせ、照準をつけている。
ただ、全員が人差し指をトリガーガードの横に伸ばしたままで、トリガーには直接は触れていない。
文章だと長いが、それは一瞬に行われた。
すると赤い衣装の若者が、笑って言う。
「おうっ、なかなかやるではなあか。見事である。そなたらは、選抜された警護専門の役人共だの。素早き構えは、鍛練の賜物だがや。今、引き金を引けば弾が飛び出すのだな。ほれから続け様にようけ撃てるのだな。あはははっ、俺は知っておるぞ。そなたらの、その短筒は、ストライカーフィールドピストルのH&K・SFP9・OR・SFタイプだの。ここまでは?」
当然、SP達は、誰も無言かつ唖然としている。
若者は、それを無視して続ける。
その声は、大声を出しているようには見えないのに、不思議な程よく通る。
だから、センター内の人々、全員によく聞こえる。彼の恐ろしげな目の輝きは、すこし治まっている。
「9mmホロウポイント弾の十七連発だな。トリガープル(引き金の重さ)が軽うて、ストローク(引き金を引く距離)が短い上に、撃発位置が低く銃頭が重いゆえ、撃ちやすいのだな。ほれから、グリップパネル交換が容易なれば、それぞれの持ち手にちょうど適う(ぴったり)のだな。また軍、いやっ、自衛隊だったのう。その水分、塩水に強いMタイプとは違うがよ、同一の弾倉、実包とは、運用を案ずれば、正しきやり方だの。どうじゃ、図星であろう」
やはり誰も答えない。
「まっと言やあ、そなたらは、予備の弾倉も二本づつ持っておるな。すれば一人が五十一発。人数を、ざっと五十名としたら、少なくとも、二千五百五十発の弾があることになるの。並みの侍なら二千人おっても、ひとたまりもないの」
SP達は、非常に驚いた様子だ。説明が正確だったからだろう。
笑顔だった若者は、柔らかだった眼光を鋭くし、毅然とした顔になって言う。
「ほんでもよ、我らに、ほんなもんは通じぬ。言うたであろう。害意悪意なぞ無いと。やめとけ。放てば兆弾となるやもしれぬ。誰ぞが手負うか、死ぬるが落ちぞ」
大泉総理が立ち上がり、SP達に呼びかける。
「皆さんっ、撃つのは待ってくださいっ。この状況の訳、意味、方法などは、全く判りません。でも、私達の前のこの方達は、私達が知らない、何か特別な力を持った方々のようです。率直に言って、私も恐ろしいし不気味に感じてます。しかし害意はないと言っておられるのだから、それを信じ、まず話を聞きたいと思います」
そう言われたSP達は、チャンバーの弾はそのままにして、引き金に触れないよう、腰の熱可塑性樹脂製ホルスターにSFP9を仕舞う。危険と判断すれば一瞬で発砲できるからだ。
SFP9には、マニュアルセイフティーはないが、信頼性の高いトリガーセイフティーがあるから、引き金に触らなければ弾を装填したままでも、暴発はしないのだ。
総理がSPのリーダーに聞く。
「この方が今言われた、拳銃についての様々は正確ですか?」
その警部補は、驚いた表情のままで頷きながら言った。
「はい。ことごとく」
大泉は、その若者にもマイクを渡すように、先ほどの秘書官に指示をする。
秘書官は素早く動いてマイクを渡す。
しかし、彼のその動きは、正に恐る恐るだった。
それを、間近で見ている番匠谷も、当然、驚愕の表情のまま、それでも生真面目に、いや愚かにもなのかもしれないが、役割を務める。
彼はまず、この場合の、案ずるとは、考えるとか思うの意味で、場面によっては、心配を表す事もあると、丁寧に説明した。
更に、ほんでもよは、それでもね。ほんなもんは、そんなもん。適うは、ぴったり。ようけは、沢山。すればは、そうすれば。死ぬるは、死ぬよ。にんじゅとは、人数。だがやは、だよ、じゃないか、だね、じゃん。まっと言やあは、もっと言えば。の意味だと説明する。
また笑顔に戻った、赤い衣服の若者が、マイク越しに言う。
昔の装束なのに、彼はマイクとは何かが理解出来ているようで、正しく使って話しはじめる。
声は更に、明瞭になる。
「アーアー、テストテスト。よし。はははっ、番匠谷、通詞役大儀。そこのそなたが宰相だな。そは良き分別だがや。あっ、正しくは総理であったな。本物は写真より、更に美男だの」
大泉は黙ったまま、その若者を見つめている。
若者は、にこやかな顔で続ける。
「ほしたらまず、我らの事から教えるわな。聞かれよっ、俺は、この星で生まれたのではない。つまり異星人じゃ。と言うても、あの映画のように、人の顔に張り付いて、体内に侵入し、胸をぶち破って出てくるよ、あの、恐ろしい化け物とは違うがの。あははっ」
「異星人?つまり宇宙人?映画?あっ、私は総理を務めます、大泉慎一郎と申します。えっ、私達の写真を御覧になったのですか」
「うん。この場の者の顔と名はデータを見たでよ。そなたの事も知っておる。あっ、言い遅れたがや。赦されよ。そなたらには無断ではあったがの、夕べ遅く、京都の国会図書館の関西館でよ、この国や他国のこれまでについてが判る、映像やら書籍など、ありとあらゆる記録データを精査して、メインサーバーから取り込んだのだわ。更に、これも無断でだがよ、ここの近くの国会図書館新館でよ、過去の雑誌や新聞なども、全部読み取ったんだわ」
若者の話のスピードが早すぎるのと、あまりに突飛で奇怪な内容が、すぐには理解できないから、大泉は聞き取るのがやっとの様子だ。
若者は、構わずに続ける。
「ほれからよ、有料無料に関わらず、あらゆるサイト、つまりネトフリにプライムやらの全ても、ホールにあった、どできゃあテレビをハッキングして見た。と言うより、これも俺の中に取り込んだと言うべきかな。あっ、ユーチューブやSNSも、面白えのが、ようけあったがや。ほれから、紙の本もよ、どえりゃあ、あったけど、本館の所蔵庫にて全て読み取った」
「全て?あの膨大な量を?」
「うん。ちと言い辛くはあるがよ、あからさまに言えばよ、そなたらとは技術レベルが違うでの。ほれくらいは易易となのだわ」
納得したようには見えない大泉は、無言でいる。若者は続ける。
「ただ、その行いをよう、本邦国法に照らし、厳密に捉えらば、不法侵入。不正アクセス禁止法に著作権法違反。電波法違反と詐欺罪。まだあるやもだがよ、ほれに加え、只今は密入国の罪を犯しておるがよ、ほれはまあ、事情あっての事で、利欲私欲では無いでよ、まあ大目に見られよ」
「ああっ、はい。触法についてはそうかもしれません。しかし、第一に私達にあなた達を罰する事などは、出来そうもありません。それに、私は法律のプロではないから、断言は出来ませんが、法律とは人間に適応される事が原則ですから」
「うん。ほうだなあ。俺が少なくとも、この星の生物ではないのは確かだでのう。忝ない。安堵いたした。ならばその点はよいとしてよ。その様に見聞した中身はよ、なかなかであった。特に映画とはええ物だの。まあ、ほれも置いといてよ、我ら九名の中に、命を持つのは俺のみなのだわ。この八名は俺の家来だが人間ではない。そなたらの理解の範疇に沿って言えば、AIロボットなのだが正確ではない。正しくは自律型統合基盤かな。こやつらには意思や感情もあり、進化も続けておる。ただ自然の生命ではないのだわ。滅多には衰えぬからな」
「フィ、フィジカルイ・・・・」
大泉の内心は、「なにがなんだか判らない」が、正直なところだ。
「あははっ、まあ一時には飲み込めぬわな。だんだんと解ればええわ。ほんでよう、俺は生きてはおるが、肉体はないのだわ。意識体なのだわ」
「意識体?」と番匠谷。
「生命の定義の一つとしてよ、古代のインド哲学に於いて、肉体や精神は幻影に過ぎず、全ては意識の現れとの一元論があるわな。意識こそが、根源的な意味での生命と申す一説だがや。その説に従うならば、些か強弁やも知れぬが、俺も生きていると定義できよう。また仏教の、唯識の思想が、この定義と繋がっておるのも、そなたらなら知っておろう」
話の振れ幅が大きすぎるし、そんな定義は誰も知らないからだろう、殆どの人々が驚きと戸惑いの表情で、返答もできない。
若者は続ける。
「ほれは、まあよい。ほしたらよ、俺のこの姿、誰だか判るかの?」
大泉は、冷や汗か、額が汗に塗れている。
引きつった表情の他の人々も、無言で九体に目を向けている。
すると番匠谷が、相変わらず、あるはずの恐怖は感じないような表情で、マイクを持ったまま近寄ってきて、九体を見ながら説明を始める。
「え〜オホン、プライドが幾分傷ついたけど、僕は写真嫌いだから、データには名前しかなかったのだろうと思います。でもそれは個人的な事だから、今は義務を果たします。皆さん、あるやも、はあるかも。どできゃあとは、とても大きい。うつしみとは肉体の事です。じねんとは自然。そは、とはそれはの意味です」
誰もが無言だ。
番匠谷は続ける。
「それから、え〜、この赤、いや深紅かな?この方の衣服は直垂と言って、上級武士の割と公的な着物ですが、セットのはずの烏帽子は、何故か被っておられません。それから、家来だと言われた八名の方は、色とりどりの肩衣に、色違いの小袖に袴姿ですが、これも、侍が公の場に着る衣装です。直垂の方の刀は、拵えからして太刀ですから、ああやって吊るして、あっ、佩く、帯びるとも言いますが、あのように持つのが正しいのです。家来の方達の刀は、脇差しですが、やや長いので大脇差しかと。え〜とそれから、直垂の方は、腰に短刀も差してみえますが、太刀もそれも非常に凝った拵えなので、両方とも、かなり名のある、いわゆる御腰物かと・・・はあっ・・・」
「おっ、番匠谷、息が切れたな。喋り詰めだものな、無理はないぞ。誰ぞ、白湯など運んでつかわせ」
少し高飛車にも聞こえたが、その言葉に、あのマイクの秘書官が素直に小走りで動いて、どこからか水のペットボトルを持ってくる。
番匠谷は、それをゴクゴクと飲み、ハンカチで顔の汗を拭って言う。
「御配慮、ありがとうございます」
「うん。大事ないか?」
「はい。あっ、大事ないかとは、大丈夫かの意味です。続けます。あと、扇、扇子のどちらの呼び名が正しいかまでは存じませんが、あの腰に差しておられる、扇ぐ道具は、当時の武士の必需品ですから、持っておられて当然です。最後に、履いておられるのは、草鞋よりは高級な竹草鞋です。それから、直垂姿の方の、ラッパのような道具が何かは、全然判りません」
「おっ、番匠谷、そなたは写真嫌いか?あははっ、それは別に、そなたの学殖は優秀だな。大儀であった。その通り。この直垂は赤にあらず。深紅だわ。またこの太刀は亡父の忘れ形見、九字兼定。腰刀は千子村正だわ。烏帽子は単に、あはははっ、再現を忘れただけである」
番匠谷は、褒められからか、少し嬉しそうだが、再現を忘れた、の意味は、当然判らないようだ。
若者は構わず続ける。
「あっ、いかんがや。只今の俺からして、見るからに年上の、そなたを呼び捨てはかんばしからず。赦せよ。ほしたら、う〜ん、殿や様はおかしいな。あっ、氏でええな。番匠谷氏、ほしたら、この紋を見よ。俺が誰か判るであろう」
そういった男は、直垂の両袖を突き出すようにして、金色の糸で刺繍された家紋を見せる。
「あっ、うわっ、こ、これは五つ木瓜。もしくは織田木瓜の御紋ですね。つまり、尾張織田弾正忠家の御家紋じゃないですか。そっ、それに、そのハンサムな御顔の雰囲気に、強い名古屋弁っ。そ、それなら、あなた様は、ひ、ひょっとして、もしかして、若き日の、織田、織田信長公では。ひえ〜、太刀もまさしく、父君、信秀様の御遺刀と聞いた覚えあります。千子村正さんは、桑名の刀匠だから、さもありなんです。信じられない。でも本物だ。わ〜、凄い、凄い。目の前にあの信長様が。うれしい〜、僕はあなた様の大ファンなんです。もう写真の事なんかどうでもいいです」
「御名答。あはははっ。ほうか、写真うんぬんは、まあええか。あははっ、ほんでええ。俺の正式名はよ、ちょびっと長ゃあけどよ、平朝臣織田三郎上総介信長だがや。俺はよう、尾張の織田弾正忠家、と言うて、弾正忠はよう、未だ正式な官位ではないがの。当節流行りの自称なんだわ。親爺殿は天子様への献納やらで、従五位下備後守、後に三河守の官位を賜ったがな。あっ、ほうだ、1905年に、明治政府は、親爺殿を贈従三位としてくれたのう。この俺とは真の関わりはないがよ、こたびの縁に因みて、本物の信長になりかわり、礼を申す。忝ない事であった」
人々は、当然、末尾辺りの言葉の意味が全く判らない。
信長と名乗った若者は、構わずに続ける。
「ほれで、先に、その親爺殿が身罷られ、家督を継いだで、三郎を上総介に変名したのだわ。変えた三郎を未だに使うは、一旦使った名はよ、通称と言えど、捨てずに組みで使うて名乗るが、我らの為来だでだわ」
大泉が、割り込んで言う。
「ああっ、なるほど。私は、歴史はあまり強くないが、弾正忠の読みが、だんじょうのじょうですか?だんじょうちゅうだと思っていました」
「ほんなもんは、どっちでもかまわぬとウィキペディアも回答するがよ。俺の頃は、だんじょうのじょうが尋常の読み。番匠谷氏は、知ってか知らでかだが、そう読んだぞよ。ほれでもよ、我らは過去から参ったのではないのだわ。我らとて、時の流れを自由に往来(行き来)いたすのは、未だ不可能だでの」
大泉が、きまり悪そうな顔をする。
それには気づかない、番匠谷が聞く。
「えっ、でも、衣擦れの音はするし、太刀を吊る金具が、カチャリと音をたてましたよ」
「うん。俺の意識体を、我が身で包んで保護し、このような姿形に見せておるのは、我が三種の使徒の一つ「ウァカ」である。正確には三種の他に、もう一種おるがよ、そやつらに名はない。まあ部品の類いだでよ」
「使徒?」
「うん。部下も家来も似た意味だわな。そのやり方はよ、ウァカがよ、そなたらの脳の視覚野と触覚中枢を、直接干渉支配する神性電磁波を放射しておるからだわ。ほんだで、そなたらには我らの姿がこのように見える。更に、俺に触れると認知の錯覚でよ、皮膚の弾力や髪のコシまで感じる。衣擦れなどの音もまた然り。ただそれゆえに、鏡や水面には、この姿は映らぬ。その折に見えるのは、異形な光の紋様のみ。番匠谷氏、手を出せ」
番匠谷が右手を出すと、信長がそれを両手で握る。
「あっ、温かい。体温を感じる。こ、こんな事がありえるのか」
「あはははっ、現にそうではないか。ほれからよ、なにゆえこの信長の姿になったのか。ほれはよ、夕べ見た資料の中の、大和の領民、あいや、日本国民の意識を調べたからだわ。歴史上の人物の中では、この信長の人気が一番高いだろう」
「たしかに。我が国での信長公の人気は絶大です。アンケートを何回やっても、いつもトップです。あっ、だから、本物の信長と仰ったんですね。つまりあなたは幻影なんですね。あっ、皆さん、いかんがやは、よくないね、とか、よろしくないの意味で、こたびは、今回とか、このたびの意味です」
「うん。また、全部正解」
「私達が見てるのは、未曾有のとんでもない現象という事ですね・・・でも、異星人のあなた様が、なんでわざわざ、信長様の姿で現れられたので。その訳は?」
「うんうん。その問いはもっともだがや。初めに言うべきであったな。しからば答えるわな。先程からのこの事態、そなたらには、さぞや驚天動地の現象であったであろう。我らはそれを予め見越し、初見の異星人がよ、この人気と馴染がある信長の姿ならば、そなたらが、それほどの化転を受けぬであろうと慮ったゆえである。更には、この先の接触時も同様と予想したのだ。訳とはその一点。それゆえ信長は、俺の真の姿ではないのだ」
「えっ、では本当の御姿とは?」
「今少し待たれよ。じきに見せる」
「ははあ、判りました」
番匠谷は黙り込む。
信長の説明が、意外過ぎたからだろう。
「番匠谷氏、如何した。もう尋ぬる事はないか」
「いえ。少し混乱しました。あまりの事に、思考が追いつかない。え〜と、それなら張番がつくとはどういう事ですか?」
「張番とは、そなたらが約定を守るかを、俺の家来が見張るという事だがや」
「どうやって?」
「家来共が、そなたら全員に一体づつ張り付く」
「張り付いて、約束を破ったらどうなりますか?」
「破りそうになったらよ、使徒共が、その者の心に呼びかけてよ、それを思いとどまらせるのだわ。また、そやつらは、すでに張り付いておる。退出、内乱罪うんぬんは、覚悟を促すための言葉だわ」
大泉が驚き顔で聞く。
「そんな事が出来ますか?思いとどまらせるとか、四六時中の監視などどうやって」
「だんだんとでないと、そなたらには飲み込めぬ。焦るな。まあほんでも、ヒントを少し教えてつかわす。そなたら、日本民族のほとんどの者の心の奥底にはよ、元々、仁義礼智忠信孝悌の想いが、強く備わっておるでの。それに加え、この場の上立つ者共には、それぞれに、すでに高い志しがあるはず。ゆえに、力でねじ伏せるのではなく、ほれを上手に使うのである。されど万万が一、その手が通じぬ場合には、最後の一手をやむなく使うのだわ」
「最後の一手」
「まあ、ほれは聞くな。おおかたは、使わずに済もう。ほんでよ、更に一つ教えよう。我らの力の源はよ、大まかには、太陽風、この星の歪みからの地磁気、マグマ運動が生む地脈のパワーじゃ、あっ、あと水も」
信長と名乗った若者は、質問に正確には答えず、ややはぐらかすよう、細かい説明は避け、次々と話題を変えてゆくが、それは聞く側のショックを和らげる為と、物事の順番を考えての事かもしれない。
大泉総理や他の人々の大半は、口をあんぐり開けて信長を見つめるばかりだ。
番匠谷が説明する。
「上立つ?上立つは、何かで読んだ覚えあるけどなあ、上立つ者、とは、あまり聞かないなあ。でもまあ、信長様の独特の言い回しと考えればいいでしょう。意味は上層部とか、リーダー的な役割りの者、つまり、ここにおいでの、政府関係の皆さんの事ですね」
「よっ、ばんっしょ〜お〜や〜っ」
「?」
「歌舞伎の声掛け、大向うだがや。見解を褒めておる。夕べ見たでよ、やってみたかったのだわ」
「ぶぶっ、あなた様の御人柄が、なかなか掴めません。それは置き、見張りのやり方や、力の源について、私は科学は専門ではないから、ほとんど理解できません。でも、ここには、私の仲間の専門家も来ていますから、その方達に任せます。え〜と、ちょっと強引ですが、話を戻しますが、あなた様は初めに、俺の招きと仰った。その方法とは、先ほど言われたような、不思議な力で私達にメッセージを送ったという事ですか?」
「然り(そうだ)。三十日の夜中に、そなたらの脳の深層に直接に下知したのだわ。ゆえに、誰もが、つい先程まで、己の異様なる動きになんの不審も覚えなかったであろう」
「脳に?直接?そんな事が出来るのですか?なら、私と、私にマイクを渡したあの方も、貴方様に操られたので?あっ、下知とは、身分の高い方の指図の意味です」
「左様である。二人については、両者にそうしたいとの想いが見えたゆえ、ちょびっとばかし後押しをし、その気にさせただけであろう」
「あろう?あっ、つまりウァカ様がなされた」
「左様左様。それくらいはよ、まあ気にかくるな。ほんでよう、重ねて言うが、俺の真の姿はこれではない。だが只今は、この信長になりきっておる。しかし性格性質特徴は、史実や通説とは違うぞよ。あっ、このラッパが如き、金属の道具はよ、俺が家来共に指図する為の、道具だわ。「プトゥトウ」と呼ばれておった。原ケチュア語だな」
「原ケチュア語!今から二千年の昔に、アンデス地方に生まれた言葉。インカ帝国より遥かな昔」
「概ねそうじゃ。当時はアンデスと言う地名すらなかったがの」
「ええっ、ではあなた様は、その頃あの辺りに、居られた?」
「そうそう。ほんでも、それを説くのは暫く待て。肝心な事ゆえ、ゆるゆると話すでよ」
「私は、ペルーや周辺の古代言語もずっと研究してきたのです。何か思い当たるような事があったような・・・でも思い出せない。早くお聞きしたい」
「番匠谷氏、待たれよ。まだ説いておる事柄が残っとるだろう」
「あっ、はい。わかりました」
「ほしたら、俺のキャラについてだけどよ、これも夕べ見たっ、もといっ、取り込んだデータの中にあった、俺を主役にした小説でよ、設定が気に入ってのがあったでよ、それに基づいたんだわ」
「小説?題名は?」
「題は「あゆちのびと衆」。ほんでもよ、書き手はドが付く素人。名は岩山輝之。それが読めるそのサイト「小説家になろう」はよ、誰もが投稿でき、誰もが読める。しかも無料。作品数はどえりゃあ多い」
番匠谷が言う。
「よく知ってます。転生を扱う作品が多いですね。あっ、あゆちとは、愛知の語源となった言葉でしたね。え〜と、それから確か、当時の尾張にはあゆち潟と呼ばれた海岸線がありましたね」
「うん。熱田の浜から東、鳴海から大高辺りまでを、あゆち潟とよ」
「なるほど、その、あゆちですか。それなら、びと衆とは?」
「それは言えぬ。そなたらが言う、ほれっ、ネタバレになるでの。読めば判る」
「ネタバレ?そんな言葉までご存知なので。あっ、国会図書館のデータを精査されたんでしたね。なるほど、だから歌舞伎の事も。確かにネタバレはまずいですね。判りました。びとか、初耳だけどなんだろう」
「そなたらが、その、あゆちの物語を読めば、僅かでもPVが増えるがや。すれば、それが岩山へのキャラの借り賃となるわさ。ゆえに勧めておる。あははっ。ほんでもこの、あゆちのびと衆はよ、転生ものではない。書き手の、高齢者の枠にあと僅かな岩山はよ、宣伝の方法も知らぬようで、ランキングにも載っておらぬから、書籍化などは、されてもおらぬし、世間には、全くと言うほど知られてはおらぬ」
「現在のPV数は?」
「16000と少し」
「それなら多少は知られてますね」
「書き始めてから、もう五年にもなるでのう。大したことは無いわ。岩山は、名古屋生まれの名古屋育ちでよ、尾張にある、あゆちの風伝説にインスピレーションを受けたで、思い立って執筆を始めたようじゃ。ほんでも、よりによって、俺を題材にするとはよう、素人の分際で無謀、不遜とも案ずるがよ、まあ、咎めるほどでもない。其奴はそれにあたり、名古屋弁に限らず、方言が消滅寸前であるのを憂いて、会話には名古屋弁も含め、各地の方言も使う書き方で、始めたようじゃ」
「五年も・・・」
「左様。無名とは言え、読んでみると、物語そのものは、他の信長ものにはない、目新しき内容なのだわ。今現在で、約二千ページ。我らの、この装束などの有様はよ、あゆちの話中での天文の終わりの頃の再現で、まだ今川との戦いは起きておらぬ。この書き手はよ、初めから架空小説だと明記しておるから、中身は、まあなんでもありだがよ、荒唐無稽とまではいかぬ。そこそこにリアルさもある」
番匠谷は、ふ〜んと言うような顔になる。
「俺の目を見て、常人とは違う眼光から、なにやら恐ろしき力も感ずるであろう。あははっ、これも岩山がその様に設定したからだわ。それやこれやで、本物の信長が読んでも、ちいとは唸ったやもしれぬ程だわ。ほんだで、まあまあは面白えよ。そなたらの携帯で題名を検索すれば、いつでも読める。暇な折にでも、読まるるがええ」
番匠谷が冷静に答える。
「確かに上様の目を直視すると、視線が跳ね飛ばされるような気がします。あゆちのびと衆ですね。覚えました。それから皆さん、たづきとは方法の意味です」
「うん。そうそう。ほしたら家来共をよう。俺の右に控えおるは、俺が最も信を置く、当家の重臣、滝川左近将監一益だわ。あとの色違いの肩衣姿の七名は、我が近習である」
右の一人に続いて、七名の侍が、片膝のまま、小さく頭を下げる。
年齢が一番上と思われる、最初に頭を下げた侍は、しゃがんでいても、信長よりは背が高そうで、それが滝川のようだ。彼は濃茶色の肩衣を着けている。
あとの七名の背丈は、ばらばらのように見える。
「お〜、滝川一益様。とても有名な方ですね。史実では本能寺の後に、秀吉さんに敗れて、御不運にも不遇になられた、確か甲賀出身の・・・」
「左様。しかし、あゆちの物語では、全く違うがの。あははっ」
「その方達も、あなた様の使徒?」
「うん。この者共の有様も、同じ物語に従っての事だわ。あっ、ほうだ。俺の呼び名だけどよ、信長と呼んではならぬ。信長は、我が諱ゆえ、親か主筋の者以外が、そう呼ぶと無礼となり、俺は怒らないかんくなるのだわ。なんせ、なりきっておるからの」
番匠谷が言う。
「そうですね。確かに、武士の諱をやたらに口にするのは、とんでもない無礼にあたるのでしたね。映画やドラマで、信長様とか言ってるのは、視聴者に判りやすいようにとの、まあ便宜上でしょうから。あっ、信長様もだめですね。失礼しました。それなら我々は、あなた様をなんとお呼びすれば?」
「ほうだな、三郎は長いでサブちゃん。いかんな。幼名の吉法師の吉ちゃん・・・これもいかん。ほしたら上総介のかずちゃん、おっ、ええではなあか。どうじゃ、かずちゃんでは?」
「ブッ、あははっ、いや、ちゃんは、なんとなく少し恐れ多いです。せめて上様では?」
ここで初めて、場の雰囲気が和らぐ。
「うん。わかった。今後、この姿の時は、俺を上様と呼ぶがええ」
「あっ、そうでした、本当の御姿は、別なのでしたね。あと、皆さん、怒らないかんくなる、は怒らなければならなくなる。こうごは今後の意味です」
信長は頷く。
大泉が「椅子を運ばせましょうか」と聞くが、信長は一言「不要である」と答えた。
番匠谷が、続ける。
「それで滝川様と七名も、フィジカルインフラなので?」
「うん。ウァカにはちいと劣るが、この者共も同様なんだわ。呼び名は違うけどよ」
「なんと呼ぶので?」
「アイウァナ·パンティである。輝く人々の意味じゃ。ウァカは同じく聖なる者。今、姿は見えぬが、もう一種はウァミンカ。忠実なる兵士の意味じゃ」
「あれっ、なんだか聞いた事あるような・・・すみません、最初のアイワナなんとかを、もう一度お願いします」
「んっ、聞き取れなんだかの、アイウァナ·パンティ」
大泉が吹き出し、座っている人々からも、少し笑い声がする。強い緊張は解けた。
番匠谷は、何かを考えているような表情だ。
「大泉氏、他の者も、なにがおかしいかな?それに、そなたは頬を赤らめておるな。なにゆえか?」
「だって、パンティだなんて」
「あっ、ほうか、パンティとはよ、そなたらの女子共がよ、尻と秘所を隠す、我らの頃の二布の如き役割の、小布の事だったの。ほんでも、そのなにが笑いとなる?なにゆえ恥ずかしげになるのか?この原ケチュア語のパンティと、そなたらのパンティは全く意味がちがうがや」
説明し難いから、大泉も誰も質問には答えられない。
番匠谷は、同じ顔つきのまま、いかんがや、は、よくないとか、しまったの意味。然りはそうだ。二布が腰巻の事で、きんじゅとは近習だと通訳する。
少しの間、全体が静かになる。
大泉の後ろにいた、ベテランの男性大臣が、おずおずと立ち上がる。
「え〜、発言させて下さい。上様、それは、私くらいの年齢の者には、パンティと言う言葉は、只の下着を表すのではなく、日常と非日常、理性と本能の境界線を揺るがす象徴と言って、過言ではないからです。とても官能的で、胸のときめきも感じるのです。隠された物を見たいと言う、心理的渇望もありながら、タブーだとの思いもありますから、あからさまに聞くと、ついつい、嬉しいやら恥ずかしいやらで、こうなるのです」
「ときめきな・・・杉山厚労大臣。あっ、わかったがや。カリギュラ効果だな。見てはならぬ物ほど、見たくなる」
「仰る通りです。それなのに、近頃、巷では、パンティとは言わずに、ショーツとか、パンツと呼ぶようで、真に嘆かわしく思っておりましたから、今、突然その言葉を聞いて、総理もつい笑ってしまい、赤面なさったのです。あっ、私も、多分、他の者もです。」
その大臣は、普段から、謹厳実直を絵に書いたような、寡黙なタイプの人だったから、まわりの同僚達は、その答えの内容に、驚いた顔になる者が多かった。それでも彼に同意するよう、大きく頷く者も数人はいた。
「ほうか、ほれは心得たけどよ、聞くがよ、そなたらは、インカ帝国の初代皇帝の名を存じおるか?」
まだ、何かを考えているような番匠谷だけが、それをいったん止めたように答える。
「知ってます。しかし、その名の初めの三文字は、居酒屋などのヒソヒソ話なら兎も角、日本人は、こんなに大勢の方、しかも女性も居られる場所では口には出来ません」
「ほうか。居酒屋か、いっぺん行ってみたいのう。ほうだわなあ。言葉そのものが、なにやら無粋だものな。赦せ。ちょびっとからかったのだわ」
「はい。フフフッ」
信長の質問は、少しマニアックだから、番匠谷以外には、解答も問答の意味すら判らない。
だから全員が無反応だが、文脈と三文字から、ある言葉を連想した者は何人か居た。
信長は、まだ続ける。
「ほしたらよ、しつこいやもだがよ、それにちなんで尋ねるけどよ、下着なら、普段は隠れて見えぬゆえ、小布だとて、まあ支障はないわなあ。ところがよ、ユーチューブで見たけどよ、近頃の女子の大勢は、水練の為とは言え、胸と股だけを隠す、小いせえ布切れを着けて水に入るわな」
番匠谷が頷く。
「手足以外の素肌を見せるは、恥と強く心得おる、俺のころの武家の女子共ならよ、思いもよらぬ程の破廉恥なる代物だがや。中でもよ、尻部分が紐で、前もまあ本当に、際どいと言うかよ、肝心所だけをやっと隠す小布でよ。加えておおかたは、紐で無うても、尻が丸出しの細めの水着を、好んで着けておる。歩むにも、食い込んで歩みにくそうなあの水着はよ、なにゆえあのような紐状、細きのものにするのかな?」
番匠谷が、頭を掻きながら答える。
「上様、あれはTバックか、それに類する水着です。世界中で流行っているのです。近頃は我が国でも、廉恥を破ると言う意味を知る人も少数です。それを別にしても、あれは恥ずかしいものではなく、セクシーさを強調する為のファッションなのです。確かに少々、過激だとは思いますが。あっ、ふんとに、は本当にの意味で、水練は泳ぎの練習、只今の場合は、水泳や遊泳の意味です」
「あっ、ファッション、ほうか。人の意識は移ろうのだな。ほんでも俺の心証はよ、まさに、アッとおどろくタメゴロオ〜オ〜、なにっ、だったがや」
その言葉に、一瞬の間を置いて、幾つかの爆笑が起きる。
笑ったのは、全員が六十代の男女だ。
それ以下の人々は、反応しない。
知らないのだ。
笑顔の人達が次々と言う。
「ゲバゲバ90分だ!」
「ハナ肇の決めセリフッ」
「御覧になったのですか?」
「キャ〜、懐かしいっ」
「全てを見たからの。ひょうきん族も、めっちゃんこ面白ろかったがよ、ゲバゲバのカオス風が一番気に入ったのだわ」
番匠谷が笑顔で言う。
「そうですか。私ははっきり記憶はないけど、両親と一緒に見た覚えあります。他の番組などの感想も御聞きしたいけど、それはまたの機会のほうがいいですね。あっ、めっちゃんこは、物凄く、とかとてつもなくの意味で、いっちは、多分ですが一番だと思います」
「うん。通詞は、せえ〜か〜い。想いを語るは、その折りといたそう。ほんでも、ちょびっとだけ言うとよ、特に惹かれたは、昭和の頃の映画やドラマでよ、俺は所謂、特撮物も気に入ったのだわ」
「あはははっ、せえか〜いって。上様、子供の言い方ですよ」
「いや、童ではなあぞ。テレビの番組でよ、美形のアナウンサーが、そう応えておったでよ、真似てみた」
「はははっ、そうですか。上様は、なんだか楽しいお方ですね。あっ、特撮とは、怪物が出るような作品ですか?」
「如何にもっ。あはははっ。ほれはまあ、置いといてよ、今一、得心いかぬ事があってよ」
「仰ってください」
「うん。そのような格好のよ、異国の女子共の映像も、ようけ見た。初めのうちはよう、金髪や赤毛、栗毛などの、上からキュッと吊り上げたような尻によ、長ゃあ脚、ツンと尖って見える乳と、面も、真に見目麗しいのが大勢映っておったでよ、俺もニヤついて見とったんだわ。ほしたらなんと、途中から、大俵が如き身体つきの女子共も、そのTバックを着けてよ、紐が尻肉で隠れてまって、後ろからなら、丸出しに見えるのによ、平気で歩いとる動画もようけあってよ。俺には、あの者共の心根がわからぬ。恥とは思わぬのかな」
「国情、民情が違うし、繰り返しますが、ファッションだからとしか。しかし上様、今のような御発言は、差別となり、近頃は厳しく咎められるような中身です。以後は、御止めください。あっ、大俵とは八斗の中身。つまり144㍑入る俵です」
また少し笑い声が聞こえる。
「あっ、ほうだった。ハラスメントだな。今後は気をつける®©¢£€§©®¤‹∆∅∃∇⊗⊕βγα⊄∆⊕€¢∅¤£∇®§β・・・・・・」
「上様、今の末尾の小声の中身は?」
「ありゃっ、ううっ、マイク離したのに、ぶつぶつ言ったが聞こえたのか?俺はただよう、Tバックなどは、むしろ有り難ゃあ眼福だでよ、咎めたのではなく、相応しき年齢やら、見た目に合わせて、着けたほうがええのではとよ、つい、母国語でそう呟いたのだわ」
「あははっ、眼福!確かに。わかります。そのお気持。しかし、それが現在の世情ですから」
番匠谷は、信長が母国語を使ったと言ったのは、早口で気づかなかったようだ。
信長も、それには触れず答える。
「うん。相わかった。それにしても、昨夜の記録や書物に、Tバックなどについての、そのような分析に及ぶものはなかったがや」
「上様、それは当たり前です。そんな事を研究分析しても、誰も興味を持ちませんから。ところで上様も、女性がお好きで?」
「ほらあ、ほうだわさ。意識体となっても、俺とて男子だもの。美形のおなごの、ボインボインとプルンプルンを見りゃあ、胸が時めくわさ」
信長は、そう言いながら、己の胸の前に両手で大きな円を描き、続けて尻の辺りにも同じ事をする。
今度は大勢が笑う。
通訳と言うより、司会者兼、解説者のようになった番匠谷も、笑いながら言う。
「ほらあ、ほうだわさは、それはそうだよ、です。してちょ、の、ちょは、ね、とか、してね、の意味です。それから上様、近頃は、ボインだのプルンなどとは、あまり言いません。それに今のように、ジェスチャーするだけでも、セクハラだと指摘されます」
笑い声が増える。
「上様、まだあります。ヒップを表現しながら、プルンプルンと仰っしゃいましたが、プルンなどとは初耳です。上様、創作されましたね?」
「うっ、鋭いの。赦せ。つい語呂を合わせた」
爆笑の渦となる。
「あははっ、上様は、とても素直な方ですね。ふふふっ。はい。ところで、ウァミンカさんは、何故姿が見えないのですか?」
「それもまた、ウァカの業に似た技術でよ。やっておるのは真逆だがな。光学的によ、そなたらの目には、見えていても見えないと、錯覚するような業を使っておるのじゃ。仔細はだんだん判ってくる」
「真逆?」
「うん。ウァミンカはよう、アイウァナ·パンティ達より、普段は小せえし、力も劣るんだわ。武家の職制で言やあ、まあ足軽だなあ。その足軽共にはよ、更に手下が居る。先に言うた部品の類いだわ。まあ無数と言って差し支えないくらいはよう。その手下共を、また職制で言やあ、細きゃあ仕事をする、まあ、荒し子、小者共かなあ。ほれを、総称いたせばよう、流体極微機械群体だわ。あっ、古井戸ではなあぞ。ほれからウァカはよ、同様に重臣筆頭。当家なら、平手中務丞政秀と同格」
「あははっ、流体と古井戸。面白いっ!おっ、平手政秀様。上様の為に諫死なされた方ですね。あっ、うんと、は、ええとかな?」
「史実ではな。されど、これも岩山のあゆちの物語ではよ、じい(政秀)はそのような真似はしておらぬのだわ。うんと、は然りだわ」
番匠谷は、手下とは、手下。荒し子が、戦闘には原則的には加わらない、荷駄運びや陣小屋作りなどの雑用、工兵役も務める、足軽の下の身分の者と教える。
「そうですか。それだけでも、これまでの諸作品とは、かなり違う話になりますねえ。読むのが楽しみです。ところで、そのスウォーム様達は、どんな働きをされるので?」
「判りやすうに言えば、我が身を使って、課題を成すのじゃ」
「えっ、それならスウォーム様達は、課題の犠牲になるのですか?」
「贄(犠牲)ではないが、それが務めなのだわ」
「僭越ですが、そんな方々が無名では、御不憫です。上様が名付けられたら」
「方々はちと、当てはまらぬが、うん、まあ、そうやもしれぬ」
「それなら是非。スウォーム様達は、きっと私達の為に働いてくれるのだと思います。無名では申し訳がない」
「うん・・・そなたは察しがええな。張番もそやつらの役目なのだわ。ほしたらよ・・・う〜んと、何がええかな。よしっ、ほしたら、あやつらは、古いケチュア語で、使徒の従者、細かに蠢く者共との意味の「アウキ·クル」と名付けよう」
「アウキ·クルですね。あっ、見張りも。それならその方達は飛べるので?」
「うん。先ほど言うたバワーを、位相相換する事で、移動が出来るのだわ」
「い、いそう?そうかん?それも私には、やはり理解不能ですから後回しとして。上様、この呼び方もよいのですが、これは上様とも読めます。その方が貴方様にはふさわしいのでは?」
「上様?いや、俺は物語の中に生きて居るようなもんだでよ。物語はまだ、天文の終わり頃だでよ、親爺殿とは違ってよ、俺は、成り上がりの無位無官の田舎大名に過ぎぬ。上様はふさわしからず」
大泉が立ち上がって言う。
「いえ、私達にとって、貴方様はきっと、上様の呼び名が当然の御力を持っておられるようですから、それが適正だと」
「俺を、もうひゃあ信じるとてか?」
番匠谷がすかさず言う。
「もうひゃあとは、こんなに早くの意味です。もうはい、とも言います」
信長の問いに頷いた大泉が、はっきり答える。
「はい」
「ほうか、大泉氏、相わかった。されば今後は、そういたそう」
また番匠谷が聞く。
「それなら、あなた様の本当の御姿は?」
「うん。今見せる。その前に・・・へへへっ」
信長と名乗った男は、一歩前へ出ると、足を開き、両手、両脚を動かしながら、不思議な動きを始める。
最後に、特撮ヒーローのようにポーズを決めて、にこにこ顔で叫ぶ。
「変身っ」
すると、信長の身体が青白い光にだんだん包まれていき、その光が大きくなってゆく。
番匠谷は、思わず後へさがりながら言う。
「へへへ?変身?」
それまで見えていた信長の身長は、165㌢くらいだったが、光はそれより大きくなってゆく。
見ている人々は、期待と恐怖が入り混じった複雑な表情だ。信長がどんな姿に変わるのか全く解らないからだ。考えは当然バラバラだ。ある者は、映画などで見た、色々のタイプの宇宙人を思い出し、ある者は、グロテスクな怪物の様な姿なら、どうしようと考えている。中には、神聖な天使や、日本の神々の姿を思い浮かべている者もいる。
目視で二㍍を少し越えて、動きが止まってから、姿が現れてくる。
がっしりした身体。赤褐色の肩までの髪と同色の顎髭。青い眼と白い肌。踵まで届く、ローブの様な衣服。腰には革ベルトで、そこにはやはりプトゥトウが差してある。素足に履いた革のサンダル状の履物は、薄汚れている。
白人に違いない、その大男も、信長同様、にこにこしている。
家来の八名は、同じ姿で静かにしている。
姿は変わっても、言葉は日本語のままの標準語で、大男は口を開く。
「皆さん、これが私の本当の姿です。私が異星人なのに、人類型の白人である事に驚いていますね。そうです。これは非常に低い確率ながら、全くの偶然なのです。理由の一つは、「収斂進化」ですが、その説明には、時間が必要ですから、少し先にといたします。あはははっ、あなた達は、グレイタイプや爬虫類型、蛸型、または獣型、日本神話の神様の様な外見を、予想していませんでしたか?まさか、映画の捕食者が実在するとは思ってはおられないでしょうが。今のところ、私が知る限り、そんな知的生物は銀河系宇宙には存在しません。ただ・・・」
「ただ、なんですか」
と大泉。
「それも、いずれといたしましょう。話せば、あなた達は、必ず深く混乱してしまうからです・・・それで、私の母星での真名を言っても、あなたたちには、発音の違いで聞きとれない。だから、私がこの星でかつて、一番大勢から呼ばれた名を教えましょう」
誰もが無言だ。
「驚くのも無理はない。が、先ほどの信長さんと、見た目は違うが中身は同じ。怖がる必要はありませんよ。それで、その名は「ビラコチャ」です。「海の泡」がその意味です。またかつて、私は、色々の場所へ行きましたから、他にも呼び名はあります」
番匠谷が叫ぶように言う。
「あっ、あっ、海の泡っ、そうだ、やっと思い出しました。ずっと考えてたんです。グラハム·ハンコック氏の「神々の指紋」に、古代神としての、あなたの名や、一文字くらいは違うけと、三種の使徒の名もありました」
「そうです。私も夕べ読みましたが、スコットランド出身のハンコック氏は、学者ではないが、とても熱心に、五年間も調査旅行をして、あの作品を書き上げたようです。完璧ではないが、かなり良い推察をしています」
「私は、あの著作が大好きで、三十年くらい前の当時、熟読したんです。あんまり昔過ぎて、それすらも思いだせなかったけど、やっと今、内容も思い出しました。あなたのその姿形、そのプトゥトウについても、呼び名はなくても、ラッパとして、そのままが書いてありました。あなたは、ビラコチャ以外に、コン、コンティチ、スヌパ、タパクなどと呼ばれ、あの地に暮らす人々を善導し、助けましたね」
「番匠谷さん、あなたは博識だ。全体的にはそういう事です。しかし、作物や家畜の育て方など、援助を言い出せば、きりが無く、長い話になります。これも、もう少し後に」
「うう、残念っ」
「それはまとめて、近々に話しましょう。約束します」
「わかりました」
「それでは皆さん、これまでの色々な現象を見て、私達の力の、片鱗くらいは認識されたと思います」
「はい」と大泉。
他の人々も例外なく頷く。
「それで、あなた達への感謝を表すのに、私達は、まず、手始めに観光事業の手助けを行います。それを見れば、私達の力のレベルも理解しやすくなるはずです」
「観光?どうやって?あっ、感謝とはなんに対しての?」
「東京湾の湾奥で、まあ、映画のような物を、大勢の方に見てもらいます。感謝の訳の説明は、順序立てて話さないと、理解ができない事ですから、これもまた次回に」
「そうですか。わかりました。えっと、あっ、映画?海上で?」
「あははっ、わかりやすく言うと、ホログラムのような物です。映画の3Dをもう少し強烈にした、迫力ある演し物です。本物に見えても実体はありません。だから物理的な影響は、例えば船舶や航空機が近くを通過しても、なんの支障も発生しません。ただ、混雑による、事故防止の為の手配だけはお願いしたい」
「わかりました。関係省庁に指示します」
番匠谷が、少しのんきに聞く。
「割り込んですみません、あの、今、上様からビラコチャ様に姿を変える前、何かポーズをとられ、最後に変身と仰っしゃいましたね。あれは?」
「グッ、ううっ、あまり言いたくないのですが、しかたありません。夕べ見た、正確には取り込んだ、ですが、特撮ヒーローの仮面ライダーや、変身忍者嵐、バロム1、イナズマンなどのヒーロー達が変身っと叫び、カッコよくポーズを決めてから、姿を変えていたの見たからで。私ではなく信長キャラがやってみたかったようです。「デュワッ」と、ウルトラマンもやりたかったようだけど、あれは、少しパターンが違いますね。あゆちの信長のキャラには、少し子供っぽいというか、バサラ気質もあってあんな真似を。私が信長に変身するなら、あんな事は行いませんし、下着や水着などの品の無い質問などはいたしません」
センター全体が、笑いに包まれる。SP達も初めて笑っている。
滝川以下の八名も、そのままの姿勢でいるが、あきらかに微笑んでいる。
大泉が、笑いを堪えて聞く。
「ビラコチャ様、催事見物の具体的な場所は?」
「東京湾の湾奥が見える場所なら、どこでも結構です」
「国民にはどう報せますか?」
「政府主催の催事を、明後日、つまり三日の朝七時から、そこで行うと、軽く告知なさい」
「はい・・・」
「そしてこれは非常に重要ですが、その演し物を見れば、その技術の出処がマスコミなどから問われるでしょう。が、問われても私達の事を明かしてはいけません。他にもあなたがたに提供する技術は沢山あるし、その技術レベルは、あなた達には想像できないくらいの革新的レベルなのです。日本国は世界のリーダーとなり、この惑星の平和と繁栄を図るのです」
「リーダー?」
「まずこの日本を豊かにする。そしてその技術を少しづつ世界に広めるのです。あっ、他国を攻める武力ではありませんよ。防衛兵器の開発には力を貸しますが。生活全般が激変し、日本国民は全員が、かなり楽に暮らせるようになります。そしてそれを適切に、また徐々に世界にまで広げるのです」
「信じ難い。しかし信じたい。有り難いお話ですが、隠せるでしょうか」
「だから最初に聞きましたね。秘密を約束できますかと。最高機密とするのです。今、異星人からの技術だと判れば、世界中が、大混乱に陥ります。私達は、地球人から見たら、圧倒的に高次元の存在なのです。順序を間違えず、急がず、ある一定の配備や用意が、この国に出来るまでは、私達の存在は絶対に秘匿するのです。まあ可能なら、五十年くらいが好ましいでしょう。技術の出処は、ある匿名の科学者グループで、内容があまりにも高レベルだから、あくまでも、その学者達の意思で、身元を明かせないとするのです。あらゆる危険から、その学者達の身体生命を護る為で押し通すのです」
「紛争になる?」
「他国の中には、真実を知ったら、その技術を、私から、力づくで奪おうとする者が現れるかもしれません。どこの国、どんな組織だろうと、人命を損なわずに、追い払うくらいは簡単な事です。しかしそれは、とても無駄な事です。知られなければ、そうはならないでしょう」
「ビラコチャ様、この後、皆さんで話し合い、必ず約束を守るようにいたします」
と大泉。
ビラコチャは笑顔で頷く。
番匠谷がまた聞く。
「ビラコチャ様、その演し物の中身は?」
「それは見てのお楽しみとしましょう。でもまあ、ヒントを一つ。アイウァナ·パンティ共の数です。八体いますね。あなた達のよく知る物語に似た内容です。あなた達は出来るだけ、その演し物を見るのです。あっ、でもそれは、カメラなどでの撮影は出来ません」
「えっ、撮影不可能?」
「はい。訳はその時に話します」
「そうですか、明後日ですね、あなた達は?」
「行きますよ。総理の傍へ。勿論、姿は変えてね」
「わかりました。お待ちしてます。ところで、ビラコチャ様、食事などは?」
「意識体に食べ物は不要です。日本のグルメを味わってはみたいですが、残念です。ただ、この使徒共は、清冽な水を好みます。この事に関わる事業もありますが、それもまた次回」
「はい・・・」
「それでは・・・あっ、言い忘れてました」
「?」
「今のこの状況です。あなた方は、近代の地球人類として、自力では無くとも、初めての偉業を成したのです」
「・・・あっ、異星人との邂逅?」
「そうです。それもスピルバーグ氏の描いた、第三種接近遭遇ではなく、会話を伴う、第五種です。映画内では、人類と異星人が、レミソソドの音列で通信はしました。数学と物理的な音の周波数、つまり音楽は、宇宙共通の法則ですから、当然の描写でした。しかし声での会話はしていません。だから第三種なのです」
大勢が納得の表情になる
ビラコチャは続ける。
「ご存じかもですが、これらの用語を考え出したのは、米国の元医師、UFO研究家の、スティーブン·グリア氏です。つまり、現在のこの状況は、Close·Encounters·of·the·Fifth·kindなのです。きっといつの日か、人類史に輝く大偉業と世界中から称賛される事でしょう。記録はだめですが、今、それぞれがお持ちの何かを、記念として置いておくくらいは大丈夫ですよ。きっと高い価値が生まれますから」
全員が、ハッとした顔になる。
ビラコチャは、笑顔で続ける。
「ついでに、あなた達は、私がこの場所へあなた達を招いたやり方を、知りたがってましたね」
「はい」
「今、私は、スピルバーグ氏の名作「未知との遭遇」を、比喩に使いましたから、それを使って説明します。あの作中で、フランソワ·トリフォー氏がリーダーを演じた、UFO調査チームは、宇宙から、なんども示された、104.44.30.40.36.10·の地理座標を解読し、邂逅場所の特定をしましたね」
大勢が頷くが、当然、数字までは覚えていないようで、皆、記憶を探り、映画を思いだすような表情になる。
「そして一方、UFOを見てしまった、一般人の電気技師のロイ、幼いバリーのシングルマザーのジリアンは、数字ではなく、潜在意識下の映像イメージから、ワイオミング州にある、デビルスタワーに気づき、万難を排し、そこへ向かいましたね」
やはり大勢が頷く。超がつく名作だから鑑賞はしたのだろう。
「私は、あのような一般人に施したやり方で、あなた達を導いたのです。この説明なら判りやすいのでは?しかし私は、もっとわかりやすく、ストレートに誘いましたが・・・では三日に」
その、説明は確かに判りやすかったから、大半の人々は納得の表情になった。
「あっ、御礼を言わなくては。番匠谷さんと、秘書官の村嶋さん。色々よくやって下さいました。ありがとう」
番匠谷と村嶋秘書官は、ただ深々と頭を下げる。
笑顔でそう言ったビラコチャと、八名の侍は、すぐに光に包まれ、現れた時と逆に、光が徐々に小さくなって、あっさりフッと消えた。
残された人々は、自分のポケットにある万年筆やボールペン、小銭入れや名刺入れなどを、思わず握り締めるのだった。
大泉も、胸ポケットの愛用のコームを握りつつ、まだ呆然としがちな己を励まし、賢明にも、その場の全員に、ここまでの状況を、携帯のカメラなどで撮影した者がいないかを確かめた。
秘密保持には映像があってはならないからだ。が、誰もいなかった。
まだ信じられないほどの、前代未聞の出来事に、気を呑まれてしまい、そんな事は誰もやろうともしなかったのだ。
次に大泉は、センター内にある監視カメラの映像も、最初に走った村嶋秘書官に確認させた。
システムに通暁している彼なら、録画再生も消去も確実に行える。
小走りで戻った彼は報告した。
「何も映ってはいません。ビラコチャ様達も私達も。映像を再生しても、音声も消えてて、ずっと無人のセンター内を映しているだけです」
「うううっ、そうか。どうやったかは判らないが、あの方達が、機密保持の為に不思議な力を振るったんだろう」
それから、SP以外の参加者全員が、表面的にでも平静を取り戻すのには、少し時間がかかったが、スピルバーグ作品を語ったり、コーヒーやお茶など飲んで、なんとかなった。
SP達に動揺は見えない。
彼らは、SFP9に装弾したままの実包を抜き、その一発を、また弾倉に戻す作業を淡々と行った後は、また不動の姿勢で警護任務を続けたのだ。
その後の、対応への話し合いは、皇居への出発時間が迫るなか、割と簡単に収まった。
当然だが、反抗や敵視を主張する者はいなかった。
ビラコチャの指示を遵守し、秘密は守る。技術の出処は明かさず、匿名の学者グループとする。
誰も異議を唱えなかった理由としては、ビラコチャからの、脅迫や、威嚇的な態度や言葉がなかった事と、信長でもビラコチャでも、彼がほとんどの間、笑顔だったからかもしれない。
また意図はしていなくても、信長キャラの素朴な下ネタ的な疑問や、子供じみた言動が笑いに繋がった事も、人々の心を和ませたからかもしれない。またビラコチャが言った、歴史に輝く偉業への認識も、指示への素直な受け入れに繋がったのだろう。
だが最大の理由は、圧倒的な科学力の差にあったはずだ。
ビラコチャは、贈物は幾つもあると、信長の姿で言ったから、その未知の技術と知識のもたらす利益を考えれば、誰もが彼の指示に従い、良好な関係を築く事が、日本国にとって、最も合理的だと判断したからだろう。
それは別に、招かれた科学者達は、目を見張るような不思議な現象を、間近で観察する機会は得た。
しかしビラコチャから、その根本的な原理や解明プロセスは、全くと言っていい程、提示されなかった為、現象の学術的な解明には至らず、単なる「現象の目撃」だけという、不本意な結果に終わった。
彼らの大半は、ビラコチャが去る間際、胸中で、「まだ待って、聞きたい事が・・・」と叫んだが、その想いは当然だ。
催事の告知は、ビラコチャの「軽くしろ」の言葉に従い、内閣広報室が、Xで一度だけ行った。
三日の日の出は、六時五十一分だから、七時の開始は、まあ絶妙だったかもしれない。また正月三日となれば、大半の人は、初詣や挨拶回りの正月行事も済み、テレビの正月番組も飽きる頃だ。
だが、一回だけの告知を見逃した人は多かったし、見た人の大半は、松の内特有の怠惰な気分に浸ったまま、重い腰を上げなかった。
また、最初からのスルー組もかなり存在したし、催事を知っても「どうせ大したことはない」と決めつけ、足を運ばない人も大勢居た。
更にXなどは見ない事が多い、年配者の数は少なかった。
警備には警視庁各署、国土交通省、海保、東京都港湾局の人員が駆り出された。
人々は、お台場公園、豊州ぐるり公園、葛西臨海公園、若洲海浜公園、城南島海浜公園などに、さほどの期待もないよう、ぞろぞろと集まった。外国人の姿もちらほら見える。開始前の人数は、一万人前後だから、各公園などは、スカスカ状態だった。
ペットを連れてきた者は、追い返されたから、多少の混乱もあったが、自宅へ置いてくれば観覧可能と知り、出直す者も幾らかはいた。
警備する革コートを着た、若い警察官が、同僚と小声で話しをしている。
「こんな早くから駆り出されてよ、俺は非番だったのにさ。なんで急にやるのかな。催事だって聞いたけど、そんなのは前から予定してやらねえか」
「ぼやくなよ。総理の指図だって言うからさ。二時間くらいって聞いたから、我慢してやろうよ。それにさ、あの仮説テントはさ、元日の昼から、機動隊のやつらが、勤務中以外の東京にいた奴は、第一から第九、特車のやつらまで呼出されてさ、不眠不休で設えたんだぜ。俺ら、ついさっき来たばかりじゃん」
「そんなのさ、自衛隊のやつらにやらせりゃあいいのに。あいつらなら慣れてるんじゃね。それにしても、おまえ、色々よく知ってるね」
「機動隊の同期がさ、ボヤキメールよこしたんだ。やたらに自衛隊使うとさ、左翼やらマスコミやらがうるせえからさ、今回は使わないんだと。俺らの任務はさ、観客の撮影の取り締まりに、ペット連れに駄目だと伝えるのと事故防止だからさ、まあ気楽にさ。観客も思ったより少ないじゃん」
「でもよ、その取り締まりの訳も、よくわかんねえな」
他にも同じような内容を、違う所属の者同士が話しているが、それは当然と言えばそうだ。
一方、一般の観客達も、あまり嬉しそうではない。その人々も、冬の衣装なのは言うまでもない。
二人の、やんちゃっぽい若者が話しをしている。
「寒いよな。イベントっつーから来たけどさ、中身がつまんなかったら腹たつよな」
「いいじゃん。やる事ないしよ、暇なんだからさ、金払う訳でもないし、くだらない内容だったらさ、スマホの映像アップして、総理の悪口でもさらしてやろうぜ」
「おっ、いいねえ、いいねえ。やろうやろう。でもさ、確か、Xにはさ、撮影は一切禁止で、撮ろうとしても無理だと書いてなかったかな?」
「そうだっけか?あっ、だから、公園の入り口で、お巡り達がスマホやカメラで撮影はだめだから、「スマホは仕舞え、イベント終わるまでは取り出すな」って、うるさかったのかな?それに、なんかやたらに大袈裟な事書いてあったな。飛行機禁止とかさ。だけど無理って、どうやるんだ?文面確かめたいけど、そこらじゅうにお巡り居るから、スマホ出せねえよ」
「わかんねえな・・・まっ、いいじゃん。無理っつうなら、よけいやってみたいけどさ。どうせ、ドローンがちょこまか飛ぶくらいの、セコい中身だと思うよ」
「ならさ、なんで撮影禁止なんかな?」
「それもわかんね。もう少しで七時だから、見りゃあ、わかるんじゃね」
大泉総理や、センターでビラコチャと対面した総勢は、三日の午前三時に、官邸に集合し、幕張海浜公園へと、青と白の、機動隊大型人員輸送車に分乗して向かった。
ビラコチャは、船舶や飛行機には影響ないと言ったが、大泉は関係閣僚や科学者達と相談し、七時から九時までは、航行や飛行を禁じた。その理由は以下のように、開催告知の後、関係先やマスコミにFAXなどで告げられるのと同時に、一般へもXで伝えられた。
[イベントに使用される装置、演出は、従来の科学の枠組みを越えた、高出力の光、電磁界、未知の周波数帯を発生させる可能性があります。催事開催の発表が遅れたのは、人体などへの影響を検証していたからで、突然だったのは、一刻も早く、この革新的な成果を、国民の皆様に御覧頂きたかったからです。政府といたしましては、その検証を重ね、元日になって、人体や既存インフラへの影響がないことが証明確認されましたので、三日の開催を決定しました。ただし、航行、飛行中の移動物体への一時的な、微小ノイズ等の、万が一の影響を考慮して、それを完全に排除するため、約二時間の海域、空域の規制を行います。尚、イベントを撮影する事は、発明者様方の御意向により、禁止といたしますし、事実上、不可能です。またペットを随伴されるのは、事故防止の観点から厳禁といたします。守られない場合、退去をしていただきます]
中身はビラコチャに聞いた訳ではないが、学者達にも意見を聞いて、考えられる限りを、もっともらしく繋ぎ合わせたのだ。
撮影とペット禁止についての文言は、行を変えて強調するように表示された。
現場で、ペット連れが追い返された事や、警官達、そして若者が口にしていた撮影、ペット禁止の真相は、全てこの通告に基づいての事だった。
また、マスコミの撮影チームが、全く見当たらないのも同様なのだ。
それにほとんどのマスコミは、イベントを最初から大したことはないだろうと、高を括っていたし、正月の事情もあって、人員を割かなかったのだ。
幕張公園内には、観客達との動線が交わらない海沿いの場所に、人数分の警察の大型テントが幾つも設置されている。
広くとったその場所は、バリケードで囲まれ、大勢の警官や役人達が、近づこうとする人々を柔らかく追い払っている。
そこは岸壁に近いから、かなりの範囲が見渡せる。
救急車は来ていないが、救急キットは、各会場の警備本部に多数持ち込まれている。
幕張の、暖房用の大型遠赤外線放射ヒーターが、幾つも設置されたテントの近くには、簡易トイレ、と言ってもウォシュレットまでついた豪華版が、ずらりと設置されている。
幕張と、各公園や海が見える各施設には、野外スピーカーが幾つも設置されている。それは観客達に、何かを報せる必要が生じた場合に、備えての事だ。
冷たい風は北から吹いているが、強風ではない。
だから海上は穏やかな様子で、朝の光を映し出している。
各公園の海岸から、百㍍くらいの沖合には三管海保の、東京、横浜、千葉保安部のCL型巡視艇が点々と見える。
更に、湾岸警察の水上安全課の小さな警備艇が、たった一艘だけだが遊弋している。
それらの船は、まだ赤と緑の舷灯、白色のマスト灯と船尾灯を点灯している。
間もなく航行禁止だから、該当海域に、観光船やレジャーボートなどの、小型船舶の動く姿は見えない。
全てのボートは、陸上のラックに格納されているか、保管水域に係留されたままだ。
また作業船、台船、はしけ、漁船なども、それぞれの船たまりに、ロープでしっかりと縛り付けられている。
しかし、お台場沖や有明沖の錨地に停泊している大型船舶は、正月休みで当直員しか乗っていないし、タグボートなどの手配も間に合わないから、簡単には動かせない。
大泉は、この問題はビラコチャに相談しようと考えた。
時刻は六時二十分。
東の空は、すでに茜色と薄紫の混じり合う、鮮やかなグラデーションに染まり、約三十分後に控えた日の出を予感させている。
大泉は、照明に照らされた、テントの一番前のパイプ椅子に座っている。
回りには閣僚や、あの時と同じメンバーがいるが、服装は違う。
殆どが、スーツの上にダウンやコートを着ている。
元日に、「目撃しただけ」の科学者達も当然来て居る。
元日の無念さを抱いている彼らは、助手や学生を使う訳にはいかないからだろう、小型で一人でも運べる大きさの、各種測定機器を用意してきている。
光を波長分解して、発光源を調べるための、ハイパー·スペクトルカメラ。
全ての電波を監視する、スペクトラム·アナライザとテラヘルツ波アンテナ。
ホログラム技術を確かめるLiDAR。
レーザー照射·光散乱計測機。
磁場の揺らぎを観察する、磁気センサーや重力計。騒音計、音圧計。
更に周波数解析装置。赤外線線サーモグラフィ。音源可視カメラ。海洋波浪計などだ。
政府としては、ビラコチャの撮影不可能の言葉を尊重し、撮影の手配はしていない。
科学者達は、それらの機器の設置はいいが、観測そのものは、ビラコチャの許可次第と言われている。
彼らはそれでも許可を信じ、手早く準備していく。
大泉に、若い男が後ろから近づく。
「総理」
と、呼びかけたその若者を、大泉が振り返って見る。
「あっ、あなたは上様」
「そのテントの陰で実体化したのだわ。ゆえに誰も見てはおらぬ。ビラコチャの姿でもよ、このような洋装はできるがの、容貌と身丈で目立つでの」
「確かに。それにしても、よくお似合いです」
信長は、極上の光沢あるサテン生地のスーツ姿で、髪も短くし、サイドバックで撫でつけてある。
スーツの色は紺基調で、全体はステッチのあるトラッド風。
シャツは淡い青のボタンダウン。
ネクタイは、深紅に金色や黒が斜めに入ったレジメンタル。
足元はピカピカに磨かれた黒革のプレントウ。
しかも首からは、IDカードケースをぶら下げている。
信長は笑顔で、そのカードケースを右手で持って大泉に見せる。
そこにはこうあった。
「内閣広報室調査官
津田三郎」
「津田はよ、織田の庶流も使う名字でよ。上総介の通称より、三郎のが今風だろ。名札の役名もよ、万が一にも、これなら通用するのではなあか」
回りの人々が、それに気づき、立ち上がって二人を囲む。
信長の眼光は、かなり柔らかめだ。
「はい。万全ですね。それを見て疑う者はいないでしょう。しかし上様、野外です。コートも無しで、御寒くはないですか」
「ええ出来であろう。寒い?あははっ、元日に言うたではないか。俺には、飢えも渇きもないし、寒暑も感じぬのだわ。んな事はええでよ、名札よりよ、これっ、これっ」
信長はそういうと上着をめくって、裏地を見せる。深紅の絹地全体には、直径五㌢くらいの、金色の織田木瓜が、ずらりと刺繍してある。
「え〜だろう。表からは判らぬ、この豪奢なる色合い。よく見られよ。更に家紋の間には、銀色の虎や狼が小さく縫いとってある。俺のセンスをウァカが読み取ってよ、まあこの出来だがや。今風なら、カッケ〜だろ」
皆が笑う。と言って全ては幻影なのだが。
番匠谷が、人混みをかき分けて寄ってくる。
「あははっ、上様、確かにかっこいいですよ。全体の見た目の雰囲気だって、俳優かモデルも務まりそうです。上様のセンスを読み取ったのは、ウァカ様の奥義ですね」
「おっ、扇子と扇で洒落おったの。古井戸とフルーイドの敵討ちをしおったな。あははっ。番匠谷氏、座布団一枚だがや」
「上様、さすがの御聡明」
「さほどでもない・・・俳優か。俺はよ、時代物の映画に出演してゃあがや。役柄はよ、悪を討つ正義の侍・・・それか、不埒な代官役でよ、女子の帯をくるくる解いて、きりきり観念いたせっ、とかよ」
皆がまた笑う。
「私が映画会社に交渉しましょうか」
「ははっ、総理、ほれはやりすぎだわ。今のは転合だわ。ほんでもまあ、元日も只今も、なにかと脱線するのう。困ずるなあ。あのよ、催事が始まったらよ、俺が、さまざま説いてつかわすでよ、マイクがあったほうがええだろう」
番匠谷がすかさず、転合とは冗談、困ずるは、困るだと訳す。
脱線は毎度、信長が原因だから、また大勢が笑うが、誰もそれを口にはしない。
「上様がきっとそう仰っしゃると思い、このテント内にはスピーカーが幾つもありますから、お願いします」と、大泉。
「うん。ならばそういたす」
マイクが運ばれ、信長は作動を試し「テストテスト」を繰り返す。
それを確かめた後、彼は大泉に聞く。
「官邸の折の警護のSPどもは?」
「テント周辺の警戒をしてます」
「あやつらも、あの場におったゆえ、これから俺が説く中身を聞きたいわな。あの折りはよ、健気に務めを優先し、さまざま堪えておったように見えたでの」
「そうですね・・・でもあまり音を大きくすると」
「止むを得ぬ。事が済んだら教えてやってくれ」
大泉が頷いてから言う。
「上様、先日、上様は、イベントは航空機や船舶には影響はないと仰っしゃいましたが、私どもには、万が一に備える義務がございます。御言葉に逆らうようで恐縮ですが、皆と相談し、この辺りを、イベントの二時間だけ、飛行禁止区域とし、一般船舶には水路通報を出して航行を禁止しました。どうか御理解下さい」
「うん。ええ、ええ。政を司る立場だでよ、ほれは、もっともである」
次に大泉は、大型船舶の事情を話し、移動が難しい事を伝え、対応策を聞いた。
「案ずるな。実害はない。ただ水主どもには、催事中は甲板などには出ず、船内にとどまるよう伝えやあええ。演し物に化転して落水いたせば、溺れる前に、凍え死にとなるやもしれぬでのう」
と言った信長のビラコチャは、隣に座る。
彼が気付いて、番匠谷にもマイクが手渡される。
番匠谷はすぐに、水主とは、船員の事だと伝えた。
船舶への指示は、安全に関わる事だから、まず海保へ伝えられ、そこから、すぐさまVHF無線で行われた。
信長は、テントの斜め前に、ずらりと設置してある観測機器に目をやるが、何も言わない。
そこで大泉が、科学者達の希望を伝える。
信長は、あっさりと許可する。
それを聞いた科学者達は、喜びの表情で、各機器を始動させる。
信長は、それには全く興味を示さず、大泉に話しかける。
「一昨日言うた通り、今から起きる現象はよ、肉眼でしか見えぬ。つまりカメラなどで撮影しても、なにも映らぬでよ」
「あっ、元日のセンターでの出来事も、監視カメラには、なんの映像も音声もありませんでした」
「うん。あれはよ、証となるものを削除いたしたのだがや。あの折りとは訳が違うのだわ」
「えっ、訳?」
「見物人共やマスコミ共に、撮影できたらどうなるかの?」
「ここに来なかった人達も、それが見えます」
「ほうだ。ほんで、ほれは、ネットやらニュース映像などで、瞬時に世界中に広まるわな」
「はい」
「ほれは惜しい。つまり勿体にゃあがや」
「・・・」
「やがての現象が、この場へ来た者にしか見えぬ事が、肝心だがや。今後も、このような催事を、日本各地の湖、湾、川などでも、日時を決めて行う。国民共は、それを必ず、我が目で見たがって押しかける。すれば、その場所の観光業は潤うだろう。噂が伝われば、異国からも見物にくるわさ。それが狙いだがや」
「ああ、なるほど。上様、よくわかりました。人が動けば、経済効果に繋がるからですね。ありがとうございます」
「ほれを踏まえて一つ。その客数はよ、膨大になろう。宿泊や土産などに大金を落としていくわなあ。その折り、料金や代金などの不当なつり上げはやってはならん。つまり、ぶったくりは厳禁とせねばならんのだわ。阿漕(悪どく金品を貪る事)を客共が感じれば、ほれは、ネット等でたちまち広まる。すれば、この日の本全体の面目が潰れる事となる。世界中に恥を曝すのだわ。ほれはあってはならぬ。利は薄く、されど長くが最良。国の品格を保つが肝要」
「はい。そうですね。そうならないよう、対処します」
「演し物はよ、内容を変えて、当分の間は各地で続けるでよ、下知に従わぬ者が出たならば、一度は警告し、それでも従わねば、その場所での催事は、ただちに取り止め、二度と行わぬでよ。そこは廃る事になるのだわ。そのかわりよう、下知を守る地域には、二度も三度も、何度でも参るでよ」
「はい」
「ぶったくりの監視も、アウキ·クルが張り付いてやるでよ。見落としは無い」
「その点も、我々政府からではなく、開発研究した科学者グループの、長期的な視点からの意向とすれば、なんとか理屈は成り立つし、苦情も出にくいですね」
「そうそう」
「それから上様、今上がっている情報だと、観客は全部合わせても、一万人くらいです。少なすぎませんか?」
「いや、それゆえに告知は軽くと申したのだわ。情報を絞り、『結果的に選ばれた僅かな者しか見ていない』との状況を創る事で、見た者の興奮や熱量が跳ね上がる。その異様な状態こそが、SNS等の拡散力を何倍にも高めるのだわ。総理、俺のもくろみは誤りかの?」
「誤りだなんて、私もそうだと思います。結果が違えば、また方策を練ればいいのでは」
「えへへ、うん」
「それから上様、言い遅れました。あの、独断ですが、催事の告知時に、撮影は禁止で、そもそも不可能と告げました。私共は無理に撮影を試みた者が、何らかの、身体的な影響を受ける事があるかもと考えたからです。勇み足だったでしょうか?」
「まず、人体への影響は断じてない。目がちょびっと疲れるくらいだでよ、懸念には及ばぬ。まあ禁止もええがよ、演し物を見らば、多数の者が隠れひそんででも撮ろうとするであろう。されど、どのみち撮れぬでのう、結果は同しじゃ。イベントの意味はよ、天外技術を国民共に慣れさせる事もあるでよ。撮れぬと知らしめれば、まずは上出来と捉えてよいのではなあか」
「それなら、撮影禁止を解除し、撮れない事を記憶してもらいます」
「うん。禁止続けらば、警備の者共と観客が揉めるも案じられるでなあ。ほんでも、撮ったつもりが、何も映ってはおらなんだと気づけば、そやつらは、さぞや嘆くであろうがよ、やむを得ぬわ。そうされよ」
その指令は、無線や携帯電話を使って、すぐさま警備をしている、警察その他の警備陣に連絡された。
解除理由の説明はないから、聞いたその人々は、少し拍子抜けしたが、殆どは内心では、ほっとしていた。
ただ、それはイベント警備陣にだけの連絡だから、マスコミなどの報道機関には届いてはいない。これが後の追及に繋がった。
信長は、膨らんでもいない上着の懐から、プトゥトウを取り出して、イベント用テーブルの上に置く。
「コツン」と音がしたから、実体があるようだ。
間近で見るそれは、長さ20㌢、管楽器につきものの入り組んだピストンやヴァルブもない、またマウスピースらしき物もない不思議な道具だった。
一本の金属管が、ゆるやかな曲線を描きながら、先端に向かって、径8㌢程の喇叭口を形成していて、全体には幾何学的、微細な螺旋の溝が刻まれている。
信長がプトゥトウの喇叭口を、大泉に向け、内側を見せる。そこにも外側と同じ螺旋が刻んである。
信長は、その反対側に口を近づけながら言う。
「この道具はよ、俺の思念を読み取って、使徒共へ伝えるのだわ。もっとも、これからの演し物の演じ方は、一点を除いて、アイワナ·パンティ共に任せておるがな」
信長は言わなかったが、プトゥトウには、間違いなく実体があった。
ウァカが重力波制御能力を使い「折りたたまれた微小空間」に格納していたのだ。
信長が懐に手を入れた瞬間、ウァカが空間を開いて、プトゥトウを現出させたのだ。
幻影にすぎない信長が、プトゥトウを手に持っているように見えるのは「ウァカの重力波の力場固定ポイント」が信長の手の動きに完璧に同調しているからに他ならない。
人間に「掴んでいる」と錯覚させていたのは、全てウァカの異能による仕業であった。
二人の会話は、テント内の全員が聞いている。番匠谷は、とさんとは土産だと言っただけだった。
六時五十分になると、海上にいた各巡視艇や警備艇が、それぞれの停泊場所へ帰るのだろう、動き始める。
すると、上空から物凄い音がする。
「ズア〜ン♫ズア〜ン♫ダダダンダダダ♬ダダダ♬ドワ~ン♫タラタタタラタタタタタ♫、ズア〜ン♫ジジャ〜ン♫ドンドンダダダ♬タラタタタンタンタンタンタタタ♫タンタンタッタラタ♬♫♬♫タンタンタッタラタ♫♬♫タンタンタッタラタ♬♫♬♫♬」
どこかで聞いたような音楽だ。
「演出、演出」と、信長がにやにやして言う。
辺りの大気を揺るがし、途切れず響くその音楽は、どこか恐ろしげな不吉さを孕んだ、金管と低音弦の重奏だ。
チューバとコントラバスが刻む、執拗な反復リズムに、ティンパニーの咆哮のような連打で、その重低音が、辺りの人々の身体の芯を揺さぶる。
その数秒前、海面に浮かんでいたスズガモの大群が、一斉にざわつき始めていた。
黒と褐色のその鳥達は、異変を察知したかのように首を伸ばし、海面を滑走しながら次々と飛び立っていく。
そして大音が完全に弾けた瞬間、台場沖の海面が一気に波立った。
数千羽のカモが、一斉に海面を蹴る「ババババババババババッ」と聞こえる、羽ばたき音と共に、多数の水飛沫の音が、楽曲の重低音と重なり合う。
更に上空を舞っていた、数も判らないほどのウミネコやユリカモメが、甲高い悲鳴を上げながら、レインボーブリッジの橋脚や、内陸のビル群の隙間へと消えていく。
海辺を住処とする鳥達は、あっという間に姿を消したのだ。
すぐに、二人の音響物理学者が、各種の音響測定機器を操作する。
まだ若い学者が、もう一人の年配の男に告げる。
二人は師弟関係のようだ。
騒音音圧計の画面は、100dB~110dB超。マイクの振動膜が激しく揺れており、測定器のメーターが赤色の警告域に張り付いている。
「音圧、108dB。FFTアナライザーの波形も完璧。50ヘルツ辺りの重低音が、間違いなく大気を揺らしてます」
「音源はどこだ?」
聞かれた彼が、音源可視化カメラを見る。
それは音の到達時間を演算し、画面上にスピーカーや「振動している物体」の位置を、赤いヒートマップで表示する装置だ。
しかし、彼が見たのは、特定の地点(音源)が赤くなるのではなく、湾奥周辺の「空気全体」が、血のように真っ赤に染まった画面だった。
方向ベクトルが、全方位から差し出され、「指向性無し/ベクトル解析不能」の、ありえないエラーを点滅させているのだ。
青ざめた彼は、隣の音響インテンシティ·アナライザーを見る。
「信じられない。マイクロホン·アレイのベクトル解析が崩壊してる。強烈な音圧はあるのに、音響エネルギーの流れが全く検出されない・・・わかった、音はどこからか流れてきてるんじゃないんだ。この空間にある大気分子そのものが、直接振動させられているんだ」
「音源無し?バカなっ」
そのやりとりを聞いた、別分野の学者達が集まってくる。すぐに議論が始まるが、だんだんと大声が飛び交い、喧騒化していく。
信長は、それをチラッと見たが、何も言わない。
総理の後ろの、官房長官が独り言のように呟やく。
「凄い。この音楽は、伊福部昭氏の作品によく似てる」
信長が振り返って言う。
「おおっ、よう判ったのう。そなたは小坂長官だったのう。アイワナ·パンティが学んでよ、作風を真似(まね、)て作曲し、ウァミンカが音を出しておるのだわ。俺はよ、伊福部氏の音楽が、心底気に入ったのだわ。もうじきの演舞には、この旋律が最適なのだわ」
「やっぱり。まさか上様に気に入って頂けるとは。驚きです。あっ、私、小坂は、伊福部先生の大ファンです。2006年2月8日に御逝去になられて残念ですが、今もその作品群を演奏するコンサートがあり、私は都合がつく限り行ってます」
「ほうか。俺も行ってみたいがや」
「伊福部昭先生はですね、日本クラシック界の、冠たる巨匠です。今聞こえているような、うねるリズム。増4度、5拍子や7拍子をリフレインさせ、3度はわざと抜き、重低音の意図的なずらし。それらの旋律が圧倒的な緊張感で全体を包みこむ。かと言って、明るく勇気が出るようなマーチ的な作品も沢山あります。私は落ち込んだ時は、いつも伊福部作品のアルバムを聞いてます。上様、いつかコンサートへ御一緒しましょう。生はいいですよ」
「うん。楽曲は全て聞いたし、資料も読んだ。伊福部氏はよ、従四位の位階も賜っておらるるな。小坂氏、コンサートへは必ず参る」
小坂長官が頷く。
信長は、笑顔で続ける。
「この呪術的かつ重厚なる、伊福部氏の楽曲を真似た音響はよ、ウァミンカの、あははっ、まあ臨時専門チームとも言うべき一群がよ、大気中の気体分子の振動数を同期させ、局所的密度の疎密波、つまり縦波として生成しておるのだわ。だが、そのチームはまだ、このような事に慣れておらぬ。ゆえに、多少の音外れなどのミスは、あって然るべし」
そのマイク越しの信長の言葉に、絶望していた音響学者の二人が、今度は、口をポカンと開けて、互いの顔を見合わせている。
自分達が積上げてきた、現代音響学の知見では、目の前で起きている機器反応や物理現象も、信長が言った理屈も、何ひとつとして理解が追いつかなかったからだ。
信長は、二人に一瞬視線を向けるが、それ以上は何も言わない。
その音楽は、東京湾を取り巻く地域にまで聞こえているようで、聞きつけた人々が集まってくる。
それでも、全部で二万人と少しだ。
信長のビラコチャが、きつい眼差しになって言う。
「皆の衆、聞かれよ。ことに学者の者共は、よっく聞けぃ。幾らかは、仰々しいがの、理を正確に伝える。只今より行うは、空間位相の初期励起状態に於ける、質量再配置の実演である」
学者達も、その他のメンバーも、メモや録音がしたいのだが、秘密保持を考えると出来ない。だから彼らは、記憶に刻みつけるしかない。それは懸命さが伺える、その表情に表れている。
信長は、それを気にする様子も見せずに続ける。
「今よう、ウァミンカ共が、幾つもの群れを成してよ、上空に円を描いて飛んでおる。そなたらには見えぬがな」
「なんの為?」と大泉総理。
「これも相応しき演出の為によ、本物の雲を呼んでおる。それも黒雲をよ」
そう言われた大泉を始めとする、テント内に居た人々が、外に出て空を見上げる。
西側はまだ薄暗いが、空に雲は無い。
ウァミンカらしき、何かの群れも見えない。
しかしほんの数秒で、上空の一点に小さな雲が発生した。その後は、まるで綿菓子がだんだん大きくなるように、雲も広がってゆく。
見る間に海上は雲に覆われて、雲は更に分厚くなり、白さは消え、黒くなっていってしまう。
同時に、生まれたばかりの、その黒雲内には、稲光がピカピカと光り、ゴロゴロと雷鳴が聞こえる。
昇ったばかりの朝陽は、黒雲に遮断され、辺りは夕暮れのように薄暗くなっている。
その隠鬱な光景には、不気味かつ、おどろおどろしく、辺りに途切れず響き渡っている、重低音の音楽が、ビッタリとマッチしている。
今にも雨が降り出しそうだ。
空を見上げていた人々が、慌ててテント内へ戻る。
信長が説明を始める。
「さらに、とくと、よう聞かれよ。ウァミンカ共の一群は、高空で空間を広げた。それにより大気は急冷却され、強引に雲と雨滴を生んでおる。更に別の群れが低空、中空にて高速回転をしており、その飛行原理により、「空間の微小な凹み」を作っておるのだわ。その凹みが連続して繋がると巨大な空間レンズが生まれる。ほんで出来た空間シリンダーが周りの水蒸気を吸い込み、押し潰して、更に雲を発生させておる」
勿論、大泉も誰も、科学者達も、とても理解は出来ない表情だ。
「ほんでまたよ、別のウァミンカの一群が、気流内で更に高速で、円を描いて飛行したもんでよ、冷やされた水滴や微小な氷粒子が、ウァミンカ共の体に激しく衝突、摩擦を繰り返したのだわ。ここまでの説明はどうじゃ?」
この信長の説明も、原理には繋がらないからだろう、誰も何も言わない。
その沈黙を納得と理解したのか、彼は続ける。
「よし、続けるぞ。その現象により生じたプラスとマイナスの電荷を、一気に分離、蓄積させたゆえ、空中放電が起きたのだわ。ただし落雷は起きぬ。海面下にもウァミンカの群れが居り、全体の電位を、電磁波でモニタリングかつ、制御しておるゆえ、海面からの「雷を引き寄せる手」が一切上がらぬのだわ」
今度も中身が難解だからだろう、大泉も、科学者達も、やはりただ聞くばかりだ。
「更には、雨は視界が悪うなるでよ、生まれた雲の下層に位置するウァミンカの別群が、飛行熱エネルギーを拡散させておる。ゆえに雨は落下の際、その空間収縮に伴う、断熱熱により蒸発するのだわ。黒雲は幻影として創る事もできるがの、まだ言うてない他の事業の為、わざとそなたらに見せたのだわ」
「つまり上様は、気象コントロールもできる?」と大泉。
「左様である。しかしこのように、局所的に事を行うは、割と易な事(簡単)なれど、この星全体となると、かなりの手間暇がかかるでよ。やるべき諸々の事業を順にやっていかねば、この星の危急を解消できぬのだわ」
「えっ、この星の危急?」
「総理、ほりゃあ、どえりゃあようけあるではなあか。温暖化、核の脅威、土壌に大気と海洋、河川の汚染、食料問題、まだ続いておる、各地の紛争やらの問題がよ」
「確かに。でもそれを解消できるのですか?」
「全部を一時には出来ぬがよ、まず日本国国力の増大と、国益を拡大させるを優先とするのだわ。我らの再来の為はよ、そなたらへの謝恩が第一議だけどよ、世界と日本は、言わば運命共同体だでよ、世界も救わねば、日本も救えぬであろう。ほんでも本日は観覧が為だでよ、それらの仔細を話すは、やはり次回といたそう」
番匠谷が割り込む。
「なあか、は、ないか、です。元日にも確か使われました。それから為は目的の意味です。易は簡単と同義です」
一人の痩せた初老の男が立ち上がって、信長に聞く。
「上様、私は、この番匠谷君の友人で、大泉賢一と申します。物性物理学が専門です」
「うん。存じておる。総理と同名でも、縁戚関係は無いのだな」
「はい。それは置き、次回との御言葉に逆らうようで恐縮ですが、上様は、先ほど、空間を広げ、また縮ませたと仰りました。僕はどうしても、その原理を知りたいのです」
「うん。いかさま左様だわな。ならば手早く説くわな。ウァミンカはよ、言わば極小の共振結晶体でよ、大地や海に大気、太陽からの波動、また、この惑星の歪みからの地磁気をその動力源としておるのだわ。空間拡張の折りには、そのコアから逆位相の重力波を照射し、周囲の「空間の張り」を奪い、一気に減圧、しかして急冷却させる。それで雲が生まれたのだわ。縮める折りは、コアの振動パラメーターを180度反転させ、正位相波を放射すれば、空間テンションが押し潰されて縮み、断熱熱を生むのだわ。これで判ったかな」
「正直、さっぱりわかりません。それならウァミンカの飛行原理は」
「ウァミンカ共はよ、その内部コアからの重力波照射により、自体の前方空間を局所的に高密度化させる。その作用で空間が縮めば、そこには「重力の坂道」ができる。ウァミンカ共は、それを1秒間に数万回も繰り返し、坂道を滑り落ちるようにして自由飛行しておるのだわ。これはウァカもアイワナ·パンティも、アウキ·クルも同様。大泉教授、理解が及ばぬがもっともだでよ、このような説明は、ぼちぼちするが最良だわ。演舞がもう始まるぞ。皆で見ようぞ」
大泉教授は、質問を止める。
彼の思いは「単語や用語は大体判る。しかし、それを繋ぎ合わせた原理は全く理解出来ない」だった。
番匠谷が「いかさま左様」とは、いかにもそうだね、と説明して、大泉教授がやや苛ついた顔になる。
午前七時、丁度。天地、いや正確には天海だが、それを揺るがすかのよう、鳴り響いていた伊福部風の音楽が、ピタリと止まる。
一旦止んだその音は、今度は遠くから近づいてくる地響きのように聞こえ、小さな音がだんだんと大きくなっていく。
それは、まるで東宝が世界に誇る、King.of.Monster、大怪獣ゴ○ラの登場シーンのようだ。
同時に、辺りを覆う黒雲の、丁度真ん中辺りの直下の海面に、青白い光が発生した。
観客達がそれに気づく。
「なんだあの光」
「だんだん大きくなってる」
「潜水艦か」
「なんか泡だってきたぞ」
「水中ドローンじゃね」
「ドローンにしては、でかすぎない?」
「始まった、始まった」
「おい、見ろ、点滅し始めたよ」
信長がマイクで言う。
「皆の者、見よ、この光景。どこぞで見た覚えはないか」
誰も答えないが、小坂官房長官だけは、何かを考えているようだ。
「これが俺が一つだけ指図した、名シーンだのになあ。残念だが、まあええわ」
大泉総理が、その中身を聞こうと、口を開きかけた、その時・・・
光を中心に、無数の、いや億兆もの巨大な泡が、文字通り「噴き出して」きて、ゴボゴボと脳裏に直接響く不気味な定常音と共に、その海面は、一瞬にして沸騰したかのような白濁に覆われた。
巨大な泡は海面から十㍍の高さまで達しているが、何故かそれ以上は大きくならない。
科学者達は、それに向かい観測を始める。
二人の師弟も、気を取り直して参加した。
観客達は、感嘆の声を上げながら、一斉にスマホやカメラをかざし、撮影しようとしている。
しかし、すぐその全員が、手に持ったそれぞれの液晶をチェックするような動作をする。
携帯やカメラの液晶画面には、目の前の光景が映っていなかったからだ。
その中の一人、職業カメラマンらしき男が、肩から下げた機材バッグに、手早く手にしていた一眼レフカメラを仕舞い、代わりに古ぼけたフィルムカメラを取り出す。
それは、彼が御守り代わりにずっと持っていた、Leica (ライカ) M6のレンジファインダーカメラだった。
幸いにも数日前に手入れをし、気まぐれだったが新しいフィルムも装填してある。
液晶に画像が出ない理由は解らなくても、それがだめなら、フィルムで撮ろうとしたのだ。
それは考えた結果ではなく、彼のカメラマンとしての直感が、そうさせたのかもしれない。
彼は、距離があるからストロボは使わず、絞りを開放に固定した。
カメラを揺らさないよう、脇を締めて息も殺し、ライカ特徴の「ストッ」のシャッター音を鳴らし、連続撮影を開始した。
すると数十秒の後、同じ位置に、大泡を吹き飛ばすかのように、巨大な水柱が音も無く噴き上がり、レインボーブリッジの橋桁を、遥かに越えてそびえ立つ。
その遊歩道に、ぱらぱらと居た人々は、非常に驚くが逃げようとはしない。
水柱は、その巨大な質量に耐えかねるよう、一瞬で崩れ落ちてくる。
海面には、直径百㍍にも及ぶ、巨大な海のクレーターが生まれ、周囲の海水が渦を巻き、轟音を立て激しく流れ込んでいく。
観客達は、今度は悲鳴を上げ、大泉達も、顔色を失っている。
その光景に呼応するように、音楽は、渦の中心から響き始める。
重低音の連複、トロンボーンの重苦しい咆哮と、肺腑を抉るような打楽器の連打。
それは、やはり伊福部氏の旋律を彷彿させる。
水柱が、巨大過ぎたからだろう、崩れ落ちた何万㌧もの海水は、巨大な渦に飲み込まれるものと、同芯円状の津波となり、爆発的に広がるものとに分かれる。
その濁流は、東京湾を囲む全ての陸地へ、同じ速さで押し寄せていく。
お台場も、芝浦も羽田も船も飲み込まれそうだ。
観客達は、撮影どころかパニックになり、海辺を離れ、内陸へと逃げだす。
大泉達のいる幕張臨海公園。
浮き足立つ雰囲気がテント内から伝わっても、科学者達は誰も逃げない。
重力計と磁気センサーは、コンマ数桁の針の揺れさえ示さないし、海洋波浪計に至っては完璧な凪、つまり波高ゼロを示しているからだ。
科学的測定結果を、互いに伝え合った彼らは、眼前に津波が迫ろうとも、それが存在していない幻影であることを、それぞれの知性によって確信していたのだ。
それに加え、ひ弱と思われがちな学者稼業の彼らだが、実際は、かなりの勇敢さも持ち合わせていたようだ。
一方、停泊船舶の当直員達は、大津波を認識しているが、どうしようもない。
ある貨物船の船橋。
「機関ルームに逃げて、ハッチを閉めよう」
「無駄さ。船体が保たない」
「ヘルメットとライフジャケット着けよう」
「それも無駄。船がひっくり返って転がったら、溺れる前に全員、全身打撲でお陀仏さ」
「諦めるのか?」
「仕方ねえじゃん」
「バカヤロー、俺はまだ死ねねえんだ」
と険悪な雰囲気になる。
外国人もそれぞれの言語で叫ぶ。
スペイン語「マドレ·ミア!(私の母よっ!または、なんてことだ!)」
フランス語「モン·デュー!(なんてこと!)」
中国語「ジウミンアー!(助けてくれ!)」
ドイツ語の「ラウフトッ!(走れっ!)」
英語「イッツ·カミング!ムーブ·ムーブ!(来るぞっ!動け、早く行けっ!)」
「ホワット·ザ·ヘル·イズ·ザット!(あれは、いったいなんだ)」
他にも幾つもの言語が飛び交ったのは、言うまでもない。
見ていた信長が、大泉に「波も映像。幻影じゃ、逃ぐる要はなし」と呟く。
頷いた大泉は、会場向けの通信マイクで、人々に呼びかける。
「皆さん、観覧の皆さん、波も映像です。本物の波ではありません。逃げなくても大丈夫です」
と繰り返す。
3回目には「私は、総理の大泉です」と付け加えても、パニックに陥った群衆は止まらない。大泉は呼びかけ続ける。
人々は、海を振り返りながら叫ぶ。
「早く早く!」
「高い場所へ行くんだ」
「もうっ、間に合わない」
「走れっ、飲み込まれるぞっ!」
「子供がいるぞ、先に逃がせっ」
「かあちゃ〜ん」
「あなた、あなた」
「ばあちゃん、おぶってやるから泣くなあ」
そんな怒号が飛び交う中、一人の男が言う。
「待って、スピーカーから総理の声で大丈夫だと言ってるのが聞こえるよ」
「あっ、ほんとだ」
それでも誰も止まらない。
前列の人々が、後ろから押されて倒れそうになる。
その瞬間、見えない手がその人々を支えたように、倒れかけた姿勢が元に戻る。
それは、最初から信長の指示で、会場の全てに配置されていた見えないウァミンカが力を発揮して行ったのだ。
ウァミンカ達は、その中心コアから、微小な重力波を発し、空間位相を制御したのだ。
倒れそうな人々の身体の前で、空気の張りを局所的に減圧する事で、周囲の空気を吸い寄せ、超低圧領域、つまり見えないクッションを作り出したのだ。
その「柔らかい空気の壁」が人体をフワリと押し戻し、姿勢を元に戻したのだ。
恐怖と混乱の中、全ての観覧場所で、次々に続けざまに行なわれた、その不思議な現象に気づいた者は誰もいない。
悲惨な事故を免れた群衆には、助かった理由を考える余裕もなく、また必死に走りだす。
しかし、津波は岸壁のすぐ前まで迫っている。
一方、各警備本部でも、激しい混乱が起きている。彼らに、全てが幻影だとの前提は一切知らされていないからだ。
もっとも大泉達、主催者側も、こんなに凄まじい内容だとは知らないから、呼びかけが遅れたのはやむを得ない。
各指揮官や隊長達が叫ぶ。
「総理は何を言ってるんだ」
「錯乱したのか」
「退避しろっ、総員退避っ、退避っ」
「走れない女子供と老人がいたら、担いで逃げろ」
「市民優先、将棋倒しも防げ」
「機材は放置。人命優先っ」
「総員、かかれっ」
と怒号に近い言葉が飛び交う。
一般市民も叫んでいる。
「みんな〜、なにかに掴まれえ〜」
「そうだ〜、流されなきゃ助かるぞお〜」
「子供は木に縛りつけろ〜」
「ああ、正月三日に死ぬのか・・・」
ビルの五階位の高さの津波は、停泊、係留船舶も、浜辺も岸壁も、群衆をも完全に飲み込んだ。
その瞬間、大半の人々は反射的に頭を抱えて身を縮めた。
激しい波音と共に、数千、数万㌧の海水が、海辺の全てを完全に覆い尽くした。
・・・しかし、衝撃はこなかった。
誰一人として、吹き飛ばされたり流されたりした者はいない。
それどころか、足元をすくわれることすらなく、全員がその場に立ったままでいた。
二人のやんちゃな若者の一人。
「あれ、濡れてない」
もう一人は、目を瞑ったままだった。
が、相棒の声で恐る恐る目を開け、自分の両手を見つめる。
「俺もだ」
もう一組、二人の若い警官は、もう間に合わないと判断したからだろう、それぞれが担いでいた子供と老人を一旦降ろし、その上に覆い被さった体勢で、ギュッと閉じていた目を開ける。
ボヤいていた一人。
「お、なんだ?津波は?」
彼の身体の下の子供が泣き出す。
なだめていた一人。
「飲み込まれたと思ったのに、濡れてもいない」
状況が理解できないのか、担がれていた老人は、その彼に向かい、手を合わせて感謝の言葉を繰り返している。
停泊船舶は、傾く事も揺れる事もなく、異変前と変わらない様子だ。
係留してあった多数の小型船舶も同様だった。
乱闘寸前だった貨物船船橋では、船員達が、肩を抱きあって無事を喜んでいる。
あれほど激しく押し寄せた大津波は、まるで初夏のそよ風のように、人々の衣服や身体、大型船舶や中小船の船体を、サラリと透過し、細かな煌めきとなって消えたのだ。
地獄絵図になるはずの各会場では、怒声や悲鳴が、瞬く間に驚愕と、奇妙な感動のざわめきへと変わっていく。
大泉達のいる幕張臨海公園にも、大津波は押し寄せたから、観測機器の前から動かなかった学者達も含め、全員が真っ青な顔だ。
信長が笑顔で言う。
「ビビったのう。ほんでも学者共も含め、誰一人として逃げなんだの。偉いっ」
「はい。充分ビビりました。死を覚悟しました」
「はははっ、総理、ほんなら睾丸が、ギュと縮んだな」
「ふぐり?」
「キンタマだわ」
「えっ」
と大泉は、思わず己の股間をまさぐる。
そして少し恥ずかしそうに「確かに」と呟いた。
「ほれが尋常の反応だわ。恥ではなあぞ。されど、今のは波ではなく『光りのヴェール』だでよ、言わばツカミだわ。演舞はこれからじゃ」
学者以外の大泉以下の人々は、実際には逃げなかったのではなく、恐怖で動けなかったか、間に合わないと諦めただけなのだが、信長はそれを見抜いて、励ましの為に褒めたのだろう。
海上の大渦は、まだグルグルと回転を続けているし、大音量の音楽も続いている。
大泉は、気を取り直し、またマイクで呼びかける。
「会場の皆さん、少し、驚かせ過ぎだったかもしれません。その点はお詫びします。しかし、イベントは今からが本番です。もっと凄い映像が映されますが、怖がる必要はありませんから、どうか落ち着いて御覧下さい。怪我された方は、近くの警備の者に申し出て下さい」
信長が手をパチパチと叩いて、大泉の肩を小さく叩く。呼びかけを褒めているのだ。
「中身を知らないのに、凄いとか、勝手に言ってすみません」
「詫びずともよい。これからは、また凄いどころではないはずだでよ」
大泉は同じ内容を繰り返して呼びかけた。
しかし、各警備本部からは、苦情と問い合わせの通信が殺到している。
中身は全て、事前説明が無かった事への抗議と、この後の対応への指示を求めるものだった。
その対応には、警察庁長官、警視庁長官と、その幹部二人づつが自ら当たった。元旦にビラコチャと対面した警察関係者は、この六名だけだから当然だ。
六名は、現場の警官からしたら、雲の上の存在だから、やりとりは例外無く短く終わった。
怪我人は、人の集団から離れ、単独で走っていて転び、手足を擦りむいた人が、百五十名ほどいた。
ウァミンカ達は、より大勢の集団の危機に対処したのだ。
その怪我人達は、バンドエイドを貼れば済むくらいの、掠り傷だったから、各会場本部でその手当を受け、また見物へと戻って行った。
対応した各本部の指揮官達は、部下にその人達の名前や住所を控えさせる。
その報告を聞いた大泉が、ほっとした顔で言う。
「怪我も大したことなくて良かった」
「うん。圧死などの大事は起こらなかったであろう」
「そのようです。えっ、あろう、それなら上様が・・・」
信長が答える間もなく、またもや音楽の調子が急変する。それはまるで何かの出現を告げる、重厚なテーマ曲へと変貌した。
聞こえてきたのは、一糸乱れぬ弦楽器の強烈な刻みと、大気を震わせる金管楽器の咆哮だ。
その音圧には、絶対的な質量と、恐怖への説得力がある。
楽曲の終わりを示すように、「ドドッ、ドワンッドワンッ、ドンドンドドドド・・・」と鳴り響いた、大太鼓の轟音が、止むのと同時に、「ジャア〜アア〜ァァァ〜ンッ」とシンバルの強烈な一撃が炸裂した。
黒雲は健在で「ゴロゴロ、ゴロゴロ」と、低く鳴っている。
そして、シンバルの余韻を境に、雲下の『音』が消失した。
ほんの一分も経たず、音楽が再び、しかし今度は異なる形で聞こえてきた。
まずは、金管楽器が、まるで警報のような不協和音を伴う、一連の旋律を奏で始める。
その途端・・・・・
大渦の中心から、何か巨大な物が、ヌッと姿を現す。
音楽は、その出現に同調し、鼓動を早めるよう、打楽器の強打に加え、その存在の「不気味な質量感」を刻むように鳴り響く。
それは、長さが十㍍もありそうな、生き物の頭部だった。
象牙を思わせる乳白色の二本の角。
尖った上顎からは、髭が何本も垂れ下がり、直径五㍍はありそうな太さの首部分は、畳半分くらいの大きさの、ヌメヌメとした鱗に覆われているのが、遠目でもはっきり判る。
更に首のあちこちには、苔らしき物がこびりつき、それよりは少ないが、小さな木か、植物らしき物までが生えている。
二㍍もある、大きな目と、恐ろしい巨大な口は閉じているのも判る。
しかし、その巨大な鼻からは、蒸気のように白い息が「ズオ〜ッ、ズオ〜ッ」と吹き出している。
伊福部風音楽は、低音弦楽器による、地の底を這うような暗く、しかし力強い持続音を掻き鳴らし続けている。
海面に突き出た頭部からは、滝のように海水が流れ落ちていて、それはまた大渦に吸い込まれていく。
科学者達は、龍を見ても動じる事なく、測定を再開する。
観客達は、更に信じられない光景に、声も出せない。
すると、それまでなかった落雷が起きた。
金色に輝く稲妻が、怪物の周りを狙ったかのように、何十発も続けざまに落ちる。
「ゴゴゴゴゴゴッ・・・ドッガ〜ンッ、ドカッ、ドガッ、ドガドガドガッ・・・ドッガ〜アアア〜ン、ドッガアアア〜ン、ガガガ・・・」
観客達は、その激しい閃光に思わず目を覆う。
着雷した海面には、大音響と共に、青白い火花が海面を這うようにパチパチ走り、凄まじい水飛沫と共に、白い湯気らしき物が、円を描いて次々と立ち上る。
白煙かとも思われたその現象は、三万度の熱量を持つ稲妻が、海水を一瞬で気化させたように見える。
だが、本来なら感電して、腹部を見せて浮かんで来るはずの、魚達の姿は何故か見えない。
テント内に、驚きの声がなんども響く。
信長が、すかさず、目を見張っている大泉を促す。
「観客の皆さん、今、御覧の怪物も、映像です。全くの無害です。慌てずに、落ち着いて、お楽しみ下さい」
大泉は、それを数回繰り返す。
そう言われても、見えている怪物は、非常に生々しく、とても映像とは思えない。
気のせいか「ドクンッ、ドクンッ」と鼓動らしき音まで聞こえてくる。
しかし観客達は、津波ほどの恐怖は感じていないようだ。
それは怪物、いや、誰がどう見ても、あきらかにテレビやアニメに登場する『龍』そのものだ。
しかも濃茶の鱗をまとった、凄まじい巨龍である。
その巨龍がゆっくりと目を開く。
ほうずきのように真っ赤な眼だが、中心の瞳は金色に輝いている。
その動きに合わせるよう、音もうねりを上げて高まっていく。正確なリズムではなく、あえて少しづつズレを生ませた、木管と金管の音が、気味の悪い波紋のように、空間を歪め続ける。
観客達は、身をすくませ、息を呑んでそれを見ていた。
巨龍を測定している学者達は、それが幻影と判ってはいても、原理解明の糸口になる可能性もあると信じ、画面を見ている。
しかしその結果は、惨憺たるものだった。
LiDARの照射レーザーは、巨龍を何の発散もなく通過し、遠くのレインボーブリッジの橋脚だけを捉えている。
レーザー散乱計測機が、弾き出した数値は「散乱なし」
スペクトラム·アナライザーの波形は、完全に平坦で、ホログラム生成に必要な通信波も、何らかのエネルギー反応も検知しない。
赤外線サーモグラフィは、巨大生物が海上に存在すれば、必ず周囲との温度差を表示するのに、今は輪郭も判らないほど、海の温度だけしか検知していない。
気象庁長官が、気を利かして持ち込んだXバンドMPの反射波はゼロ。
高感度微気圧計のダイアフラムは、ピクリとも動かない。
学者の一人は、後に、反省会的に開かれた元日メンバーの集まりで、以下のように述べた。
「光学センサーには、確かに何かが映っていた。だが質量、電波、熱源が見つからず、散乱光すらなかった。あらゆる物理的属性、熱、反射、気圧、屈折の全てがゼロを示していた。我々の物理アプローチでは、あの巨龍や大津波は「存在しない」のデータしか出てこなかった。一つだけ、ビラコチャ様の技術は、私達のそれとは比べものにならない、遥かな高みにある事だけは理解出来た」
大渦は、なぜか急速に消え去る。
すると巨龍が、その場で動き始める。
水面が激しく波立ち、首が回っていく。
海中で、巨大な身をくねらせ動いているのだ。
四方を見渡すように動くその姿は、まるで観客達を、睨みつける為のように見える。
音楽音は、だんだんと小さくなっていく。
観客は一斉にスマホやカメラをかざし、動画モードにする。
モードの切り替えは出来るのだ。
大泉の繰り返す呼びかけを、聞く余裕が出てきたからだろう。
彼らは、巨龍に目を向けているし、瀕死体験のショックで忘れたからか、津波発生の前にやりかけた、それぞれの機器の撮影チェックはせず、ただ高く掲げて、少しでもうまく撮ろうとしている。
あのライカのカメラマンも、当然逃げていたが、安全を認識するとすぐに戻り、今は更に慎重に、片膝を突き、絞りは解放のままピントを合わせ、動く巨龍を正確な角度で撮影している。
やがて巨龍は、身体の回転を止めると、鼻先から海中へと静かに潜降していく。
信長が説明する。
「さきほどの、龍の周りに落ちた雷はよう、本物ではないでよ。落雷は起きぬと言うたであろう。稲光も水飛沫も、ウァミンカが映した幻なのだわ。その証としてはよ、落雷箇所の海面に魚が浮かんでおらぬだろう」
双眼鏡で見ていた、自衛隊の幹部が答える。
「はい。海上はもう静かで、それらしき異常も視認できません」
「岩月海幕長、まんだこれからだでよ」
番匠谷が、いおとは魚、まんだこれからは、まだこれからだと伝える。
海面が一瞬、不気味なほどの平穏を取り戻した。
と思った次の瞬間だった。
沖合の海が、まるで底から押し上げられたかのように、ドーム状に大きく隆起し始める。
するとまた、海底の闇からのような、おどろおどろしい、弦の擦れる音が聞こえ始める。
その巨大な水の盛り上がりは、あきらかに動いていて、湾奥へ向かってくる。
膨れ上がった海水は、小山のような高低差を作り出し、白波を立てて周囲へと激しく崩れ落ちていく。
それにつれ、音楽には脅迫めいた管楽器の唸りが重なる。
ドームの頂点から、濁流が滝のような勢いで流れ落ちていくと、最初に見えたのは、あの乳白色の二本の角の尖端だ。
その瞬間、音律は狂気を孕んだピークに達し、異形の生物の再臨を告げたように響く。
恐ろしい巨龍の顔が見えてくる。
巨龍は、最初のように頭を高くは上げず、海面を滑るように動いていく。
曲調は、力強い二拍子のマーチ風のフレーズに変化していく。
打楽器が一定のテンボで刻む、打撃音に乗り、低音管楽器が怪しげな主旋律を繰り返す。
それは巨大な王が、自らの領土を巡幸しているかのような、堂々たる足取りを連想させた。
頭部に追従するかのように、背中にずらりと並んだ鋭利な背棘が、巨大な鋸の刃のように、次々と海面を突き破り、白波をたてて海を切り裂いていく。
更に、巨龍の身体も上半分くらいが見えてくる。
くねらせながら泳行していく、軽く百㍍はありそうな身躯は、やはり濃茶の鱗に覆われ、首部分と同様に苔や植物がところどころに見える。
巨体が海面を削るように進む為、そこは絨毯をめくるように割れ、左右に大きな水の壁がそそり立っていく。
パニックを引き起こした、水柱の大津波よりは小さいが、それは、V字型の航跡波となり、白濁し、また左右の沿岸へと押し寄せていく。
しかし観客達は、悲鳴を上げたり、逃げようともしない。、
最初から見ていた、高校生のグループが話している。
「すごい、すごい。また出たよ、龍だよ」
「色違いだけど、アニメの神龍じゃん」
「さっきはマジで死ぬかと思ったけどさ、もう波は余裕〜」
「アハハッ、おまえ泣きながら『ママ〜助けてえ〜っ』て叫んでたもんな」
「はっ!?おまえも、近くのお巡りさんにしがみついて、助けてえ〜ってビビリ散らかしてたじゃん」
「溺れる者は、なんちゃらって言うだろ」
「ふだんポリ公とかクソマッポっつって、馬鹿にしてるくせによ〜」
「それよりさ、しっかり撮ってユーチューブで流したら、大バズリだべ」
「そうだね。音楽もすごく迫力あるし、それLIVEで画面共有ね」
「しかし、龍も波も映像だって信じれないよ」
「発明したの誰だろ」
「ノーベル賞、確定だね」
と騒がしい彼らの居る岸壁に、大波が到達したが、やはり何も起きない。
波は大津波同様、岸壁に触れる寸前、淡い光の粒子へと変わり、音も無く霧散したのだ。
科学者達は、諦めず、機器を点検、調整し、観測を続けたが、結果はずっと変わらない。
龍は、巨躯をくねらせながら、沿岸に沿って円を描いていく。
航跡波は、沿岸に向かっていくが、どの場所でも観客の反応は、高校生達と同様だ。
その動きは、観客達の全てに、己の姿をまんべんなく見せているようにも思える。
円を描き切った巨龍は、勢いよく首を高々と上げた。
すると、胴体から伸びる、巨体の割には小さな前脚が二本見えた。
だが巨龍が、鼻先から滑るように海へ潜り込むと、それはすぐさま波間へと消えていった。
長い首が水面下に消え、続いて太い胴体が、海水を押し退けながら沈んでいく。
最後に現れたのは、巨大な扇のようなヒレがある尾部分だった。
巨龍は、その尾を空中へ高く掲げると、凄まじい質量を乗せ、海面へと一気に叩きつけた。
「ドオオォォォォォォンッ〜」
大爆発音のような音と共に、海面から数十㍍もの水飛沫が上がった。
海を割ったような、大余波がまた新たな津波となって沿岸に押し寄せる。
水飛沫は、黒雲に向かって上がっていくが、途中でオーロラのように揺らめく光のベールとなる。
もう波を怖がらない観客は、その幻想的な美しい光景に、息を呑む。
少しの静寂を置いて、人々は一斉に感動の拍手と歓声を上げ、口々に叫ぶ。
「すげえ!オーロラだっ」
「なんてきれいなんでしょう」
「もう終わりか?」
「正月から、いいもの見せてもらったね」
「アンコールだっ」
その言葉に、大勢が賛意を示し「アンコール」の声がだんだんと広がっていく。
それは、他の観覧場所へも波及し、大きなうねりとなって、湾岸全体に広がっていく。
人々は「アンコール」と叫びながら、なおも、海上に撮影機器を向け続ける。
感情を露わにする事に、日本人より抵抗のない外国人達は、真っ先に声を張り上げ、半狂乱となって、そのコールに唱和していた。
悲鳴と同様に・・・
イタリア語
「ブラヴィッシモ!!(最高だ)」
フランス語
「マニフィック!(見事だ)」
スペイン語
「インクレイーブレ!(信じられない)」
ドイツ語
「ウングラウブリッヒ!!(あり得ない)」
英語は
「オーサム!(すごい、最高だ)」に加え、
「アメイジング」や「アンビリーバブル」
などとイベントの素晴らしさへの称賛が飛び交った。
それが巨龍の最後のパフォーマンスだったのか、聞こえていた音楽の音量が下がる。
信長が笑顔で言う。
「総理、見物人共に、演し物はまだ半分も済んでおらぬと伝えられよ」
大泉がそれを伝えると、アンコールの叫びは、イベント継続を喜ぶ大歓声へと変わっていく。
信長が、それでよしとばかり、頷いて言う。
「今の濃茶の龍はよ、左近一益が演じたのだわ。なかなか熱演であったなあ。あははっ」
「滝川様が」
と大泉。
その少し前、黒雲が空を覆い、音楽が鳴り響き始めた頃。
お台場のテレビキー局。
報道局には、最低限の宿直スタッフ。
局員の殆どは、初詣やUターンラッシュの取材に向かい、残っているのは僅かな人員のみ。
社会部フロアのテレビ画面には、事前に収録された「新春大型特番」が平和に流れ、室内には、コーヒーなどの湯気が漂っている。
その静寂は、聞こえてきた大音量の音楽に打ち砕かれた。
「なんだ、このでかい音は?」
25Fの球体展望室の強化ガラスが、激しく振動しているが、フロアの彼にはそこまでは判らない。
「おいっ、宿直のENG班はどこ行った?」
と社会部デスクの彼が、部下のディレクターに聞く。
「明治神宮の初詣取材に行ってます。局には機材も中継車も残ってません」
「バカヤロー、初詣なんてどうでもいい。このくそでかい音楽が聞こえねえのか?ここに居ても、空の上から聞こえてるのが、判らねえのか」
宿直デスクの怒号が響き渡る中、電話機が一斉に鳴り出す。
内線、外線の着信ランプが点滅している。
赤点滅の内線は、役員や他部署の幹部達からの問い合わせ。
緑点滅の外線は、イベント開催に気づいていない自治体の関係者。平常時なら各省庁もだが、今回は政府主催だから当てはまらない。あとは、都内の競合他社メディアからの、情報探り目的の電話。スポンサー関係者が、番組を心配しての連絡。
今回に限り、津波を目撃した、海に近い高層マンションなどの住人が、視聴者としての問い合わせなどだ。
「ほっとけ!どうせ、いつものに似たメンツからの問い合わせだっ」
「・・・」
「海沿いに、撮影班は行ってるだろうな」
「社会部からは、デスクの指示がないから行ってません」
「なら政治部が出してるよな」
「わかりません」
「おまえね、降格されて、またADに戻りてえのか?分かんなきゃ聞けよ!」
そのディレクターが、内線電話で問い合わせる。
「出してないそうです」
「連絡網回せ!休みのアナウンサーとカメラマン、全員緊急招集だ。片っ端に電話しろ」
「デスク、今時は、誰だって休みは携帯の電源、切ってますよ」
連絡はつかないし、さらに混乱したのは、正月番組を止めるかどうかの、編成局との押し付け合いだった。
「報道サブ立てろ!録画特番飛ばして、生中継に切り替えるぞ」
「冠スポンサーの特番だぞっ、簡単に飛ばせる訳ないだろ!画面の隅にL字で出せ」
「この音が、L字で済むくらいの規模や仕掛けだと思うのか?普通じゃねえんだ。このでかい音で、社屋が揺れてるの判らねえのか」
「だけど・・・」
「海に近い俺達がよ、こんな凄い現象、撮らないなんて赦されるか!天下の笑い者だぜっ」
「僕には判断できない」
「いいさ、俺の責任で俺がやるっ!おまえらは指食わえて見てろっ、おいっ、報道ヘリ出せっ」
ヘリポートと連絡したスタッフが報告する。
「デスク、駄目です。管制から許可が出ません。東京湾空域は、九時まで完全なNOTAM(Notice.to.Airmen)が出てます」
「はあ?!飛行禁止だ?だれが、なんでだ?じゃ、ドローンも飛ばせねえのか?」
「はい」
デスクは、近くの椅子を蹴り飛ばして叫ぶ。
「くそったれ〜」
怒鳴るデスクの横で、過去の通達書類を、必死にあさっていた若手スタッフが叫ぶ。
「ありました。官邸広報から、元旦の昼ごろ、開催告知の後に通達が来てます」
「な、何っ!じゃあなんで、それを誰も共有してねえんだ」
「正月の整理資料に埋もれてました」
「船は?」
「同様です。水路通報で航行禁止で、撮影も禁止になってます。それに撮るのは不可能だとも」
「何っ、撮影禁止!?目の前の風景撮るのに、なんで役所の許可いるんだ?んで不可能だと?その通達見せろっ」
FAX用紙の通達を、サッと読んだ彼が、笑みを浮かべて言い切る。
「法的根拠も罰則規定も書いてねえ。つまりこりゃあ、命令じゃない。ただの「お願い」だし、不可能の意味も判らねえ。こっちにゃよ「報道の自由」と「国民の知る権利」の二つの伝家の宝刀があるんだからよ」
デスクは少し考えてから言う。
「構わねえから、球体展望室と屋上の鍵、全部開けろ。社内にある望遠レンズとカメラ、ありったけ据え付けろ。不可能なんてあり得ねえからよ。どこから、どうやってでも撮れたらいいんだからよ」
残っていた局員や、製作会社のスタッフが、慌てて動く。
それに気づいた、他の部署の人々も手伝う。
寒い日なのに、薄着で準備を終えた人々は、汗に塗れている。
しかし地上とは比べものにならないほどの強風だから、体感は氷点下だ。
用が済んだ人は、戻っていく。
愛用の高級ダウンを着たデスクが指示する。
「よし、カメラ全部回せ」
デスクがそう言ったのと同時に、巨大な水泡が吹き上げ、すぐに恐ろしいほどの高さの水柱が見える。
「なんだあれ?爆弾でも使ったのか?まさか」
水柱が崩れ、大渦が生まれ、すぐに津波も見える。
「うわっ、でかい、ヤバい」
「五階分くらいの高さですね」
「ですね!?おまえの会話センスは甲乙丙の、そのまた下の丁だぞ。採用不可だ!知らねえか!ならいいからよ、防災センターに警報鳴らせって言え。下の階のやつらに、上へ逃げろって放送させろ」
指示された、その若いディレクターは、デスクの言葉通り、甲乙丙丁の意味も解らないまま、近くの内線電話で、それを行った。
センターの警備員は、地震警報も津波警報も受信していないし、そこから海上は全く見えないから、津波には気づいていない。
またディレクターからの指示が、突然過ぎて、判断を迷うようだった。
しかし警備員は、ディレクターの切迫した口調に押され、館内用の警報を鳴らし、最初は肉声、あとは自動音声で垂直避難を呼びかけた。
局内の、窓の無い部屋やスタジオで働いていた人達は、繰り返される非難指示に、半信半疑ながら上階へと向かう。
その中には、晴れやかな衣裳を着た有名なタレントや、人気お笑い芸人、アナウンサーの姿も混じっている。
そしてその大勢の人々は、途中の海が見える場所で津波が真実だと認識し、階段を昇る足を早めるか、エレベーターのボタンを無駄に叩いたりした。
大半の人々は、ダウンやコートを着ている。
広い屋上は、人で埋まる。
迫る津波の圧倒的な光景に、誰一人として、悲鳴すら上げられず、ただ絶句して立ち尽くすばかりだった。
望遠カメラを覗いていたスタッフが叫ぶ。
「大勢の観客が走ってこちらへ向かってます」
局社屋までは、三百㍍くらい。
しかし黒く濁った津波は、早い速度で押し寄せて来る。
「間に合わねえ。助けられねえ。とんでもなく大勢が死ぬな。六ケタ?七ケタ?どっちだろうが、史上最悪の大惨事だぞ」
デスクの言う通り、このままだと、数十秒後には、お台場も有明も、江東五区も水没。ライフラインも全滅で携帯もすぐ繋がらなくなる。七ケタの数百万人規模の被害もありえる。政府主催のイベントが大災害に変貌したかに思われた。
「みんな、津波が来るぞっ、衝撃に備えろ」
しかし、津波は、局社屋どころか、岸壁に達する前に消滅した。
ライトポールにしがみついていた、ディレクターが小声で言う。
「津波が光の粒に変わった」
デスクも唖然として言葉が出ない。
若いスタッフが口を開く。
「津波は?」
「逃げてた人達は?」
カメラを動かしていた一人が言う。
「あっ、さっきの人達はみんな無事だ。立ちどまって、何か言ってる」
「船も岸壁も、元のままだ」
「なら、今のはCG?」
「んなわけない」
すると、滝川龍が現れたのが見える。
津波の考証をする暇もない。
「うわっ、今度は怪物だぞっ。おいっ、ズームしろっ。カメラ揺らすな」
「あれっ、画面には雲と海面しか映らない」
「何?角度下げ過ぎに決まってんだろ!怪物に合わせろっ」
「合わせてます・・・」
すると望遠一眼レフカメラを操作していた、社会部スタッフが叫ぶ。
「デスクっ、これ見て下さいっ」
「なんだ、今は忙しい!」
「いいから、ファインダー(覗き窓)を覗いてください。液晶画面じゃなくて、ここのガラスの覗き窓です」
殆どブチ切れ状態のデスクは、恐ろしい表情で、それでも、そのカメラのファインダーに右目を押し当てた。
そこには確かに、大渦中央で辺りを見廻すように動いている、大怪物の姿が見える。
彼は次に、カメラ背面の液晶画面を見る。
その画面には、黒雲と、静まりかえった穏やかな海面しか見えない。
「なんでだ?目で見えてるのに映らねえ。おいっ、カメラ使ってる全員、画は映らないか?」
彼らは、はいと答えたり、手をあげてそれを認める。
デスクは自問自答して言う。
「理屈なんぞは解らねえけどよ、映らねえのはカメラの電子センサーが、あの化け物や津波の光を拾えてねえからだ。あっ、不可能はこの意味か?でもどうやって?」
そうは言っても、彼は二台の望遠デジタルカメラだけは回し続けさせ、録画モードにして雲や海上を撮るよう指示する。
そうすれば、電子センサーが駄目でも、マイクは生きているから、少なくとも、不気味な音楽は録音出来るはずだからだ。
彼はまた、少し考える。
その間も、海上の異変は続いている。
落雷が連続し、稲光が辺りを明るく照らす。
「そうだっ!デジタルがだめなら、アナログがあるじゃねえか!おいっ、何人かでフィルムカメラ探して来い。機材倉庫に、少しくらいは残ってるはずだからよ」
すると、デスクのインカムから、大声がする。
相手は、八階、副調整室のディレクターだ。
「おいっ、あんたさ、正月特番差し替えて、東京湾の、ただのいつもの風景を本線(生放送)に上げるのか?そもそもさ、政府通達で撮影禁止なの知ってるだろう。無視か!?黒い雲だって、予報とは違うけど、別に珍しいものじゃねえじゃん。でかい音楽も不思議だけどさ、そこまでの価値あるのか?」
「説明してる暇はないんだ。アヤつける気持ちは判るからよ、そこから出て、海を見ろっ」
そう言って通話を切ると、また別の声がする。
それは一階の主調整室の責任者だった。ふ
「おいっ、放送事故か?政府通達破るのか?」
「マスター、まだそこに居たのかっ?あんた度胸あるなっ!違うんだ。通達は命令じゃない。ただのお願いなんだ。だから撮ろうとしてるんだけどよ、要するに、デジタル機器じゃ映せないんだ。通達にあった撮影不可能は、きっとこの事で、肉眼や光学ファインダーでしか津波も怪物も見えないんだ。マスター、あんたも、ちょっとでいいから、そこ出て海見りゃあ解る。頼むっ。事故じゃねえ」
「津波は来なかったじゃないか。あげくに怪物だ?酔ってるのか?・・・回線切るぞっ」
「違うって。見る限り、誰も知らないやり方の超3Dみたいな幻影なんだ。でもよ、急に映せるようになる可能性だってある。それからじゃあ間に合わない。音楽の聞こえ方も、常識外れに凄いんだ」
「俺がここ離れられないのは、あんたも知ってるだろっ、回線はあと一分で切る。説明に納得いかないからな」
「くそっ、勝手にしやがれっ」
巨龍は、優雅に泳行していて、巨大な航行波がまた陸地を襲いそうだが、観客達は逃げようともせず、それどころか歓声を上げて、楽しんでいるように見える。
避難してきていた人々が、各部所やスタジオへ帰っていく。大異変は見たいが、仕事への義務感が先立つからだ。
入れ違うように、カメラを探していたスタッフが戻る。
持ってきたのは、三台の古い機種だった。
それはNikon.F3、Canon.NewF-1、Nikon.FM2で、三台を見たデスクは顔をほころばせた。
「古いが、こりゃあ電子基板は使ってねえアナログ機だから、きっと映せるぞ。デジタル通用しねえから、画撮れてるやつは皆無のはずだからよ、これで撮れたら社長賞間違いなし。フィルムは?」
スタッフが取り出したのは、十年以上前に有効期限が切れた数本だけだった。
しかも全部が、ISO400だ。
「仕方ねえ。いまどき、フィルムはそこらじゃ売ってねえからな。駄目元で撮ろう」
デスクは、カメラに精通した、ベテランスタッフを指名して、撮影を開始させた。
彼は、更に手空きの何人かに、野外用暖房器具を運ばせた。
巨龍は、湾内を一周し、海に潜ろうとしている。
F3カメラには、モータードライブ機能があり、連写が可能だ。
だが駆動には、単三乾電池が八本必要だ。
急場だし、屋上にそんな備えはない。
だから担当したスタッフは、連写は諦め、手動巻上げに切り替えた。
F-1はタフネスだ。
電池が無くても、バネの力でシャッターが確実に落ちる。
FM2も、バネとギアだけで使える、完全なメカニカルタイプだから、撮影に不安はない。
ベテランの三人は、ライカの男同様、距離があるから、ストロボが無効なのを判っている。だから言葉にはしないが、同じ考えでそれに対処しようとしている。
光量の圧倒的な不足に対し、ISOダイヤルをカチカチと回し、三段増感の「3200」にセットする。さらにシャッタースピードを、ブレ限界の1/30秒に合わせる。
彼らは、やはり両脇を締め、呼吸もゆるやかに片膝を突き、カメラを揺らさないよう、丁寧に一コマづつを撮り始めた。
黒雲のせいで薄暗い環境でも、この方法ならば、撮り終えたフィルムの現像処理時間を、三倍に増やせば、焼き出しが出来るかもしれないのだ。
「カメラは雲は撮らなくていい。怪物とヤローが生む波を捉えろ」
と指示したデスクのインカムがまた鳴る。
「回線は切った」
それは一階の主調整室マスターの、冷たい声だった。
デスクは平静に「了解」とだけ答えた。
彼が怒声を上げないのは、ただの変哲もない風景を流し続ける事が、許されない立場である事を理解しているからだ。
キャスター付きの業務用石油ストーブが、五台運ばれて来たから、スイッチを入れて作動させる。
一台は、カメラの三人の背後にも置かれた。
しかしデスクは、まだ何事かを考えている様子だ。
無意識だろうが、胸ポケットからセブンスターを取り出し、一本くわえ、百円ライターで火を点ける。
屋上も禁煙なのは周知だが、煙を吐き出す彼に注意する者は誰もいない。
稼働しているデジタルカメラは、二台だけだから、近くには手持ち無沙汰のスタッフが、数名、立っているのにだ。
すると、あの会話センスを貶されたスタッフが、缶コーヒーの空を、彼にそっと渡す。
黙って受け取ったデスクは、根本まで吸ったタバコの煙を、上に盛大に吐く。
吸殻を空缶に捨てた彼が、口を開く。
「社内に絵が上手いやつ、何人かはいるよな?」
周りは、 少しの間考えている様子だ。
新米のADが、遠慮がちに言う。
「えーとです。あの、ベテランの法廷画家のおやじさん、多分、挨拶に来てたんだと思うんだけど、ついさっきここへ避難してきてました。なんかゼェゼェ、肩で息してました」
「階段使って避難したんだろ。あのおやじさんならよ、腕は間違いねえ。探してくるんだっ。それからよ、何人かは、スケッチブックとかよ、なんでもいいから、絵が書ける用紙と、筆記具も、鉛筆やらボールペンを手当たり次第に持ってこい」
何人かが小走りでそこを離れる。
「一人じゃ足りねえ、まだいるはずだ」
暫くして、候補としてあげられたのは二人の男だった。
制作局ADで、美大出身のカンペやフリップを担当する若手。
編成、広報局所属で、アナログポスターや絵コンテの職人クラスのベテラン。
「連れて来い。千載一遇の大チャンスだって言え。報道の歴史に名が残るかもって、引っ張ってこい。まわりがアヤつけたら、社長命令だって言え」
画家と二人はすぐに来た。
絵の道具なども、大量に運ばれた。
デスクは、三人に状況を手早く説明し、事態の確実な記録が「絵」だけになる可能性を言って、描く事を頼む。
最後にデスクは言った。
「俺が玄人のあんたらに、注文つけるのは、おこがましいがよ、今はなるべく写実的によ、見たままを正確によ、何がどう動いてるかが判るようによ。色づけするのは、後回しにしてくれ。頼むっ」
三人は何も言わず、屋上柵の前に立ち、それぞれの好みの筆記具や用紙を選んで、描き出す。
間髪を入れず、デスクのインカムから大声がする。
制作局のチーフプロデューサーだ。
「おいっ、うちのAD、勝手に使いやがって、すぐ特番生放送だぞっ。それでなくても、さっきの津波騒ぎで、スタジオから、みんないなくなって呼び戻すので手いっぱいなんだ。あいつがいないと、カンペやフリップ書けねえんだ。すぐ戻せ」
「カンペなんて、誰でも書けるだろっ、世紀の大スクープになる可能性があるんだ。四の五の言わず、協力しやがれっ」
デスクはそう言って通信を切ったが、即座に、また別チャンネルからの声が聞こえる。
編成·広報局の役員クラスの部長だ。
「おまえ、社長命令だとハッタリかましたな。社長様はな、まだ別荘で休暇中だ。重大な社内ルール違反だぞ。日報に記録したから、始末書くらいじゃ済まないからな」
「処分は覚悟の上です。部長のところの職人の腕が必要なんです。カメラはアナログも多分駄目な気がするんです。だからもう、当てになるのは絵だけです。今八時だから、イベントはあと一時間。部長、お願いです。少しだけ目を瞑ってて下さい」
部長は答えず、通信をブチッと切った。
デスクの周りの人達は、彼を例外なく、尊敬の眼差しで見る。
場面は、滝川龍が尾を跳ね上げ、海面に叩きつけた辺りだ。
オーロラのような美しい光景に、観客達が歓声を上げ、拍手している。
三人の絵描きは、相談もせず、互いの絵を視界の隅で確かめ合い、龍や海の動きや変化が伝わるよう、時間差をつけて描いていく。
彼らの後ろにもストーブが置かれる。
それでも寒さは厳しい。
彼らは、用紙を次々と変えたり、スケッチブックをめくるから、デスクはそれを手伝う。三人が細かい描き込みよりも、スピードを優先し、粗描を重ねているからだ。
だが、一回のタイミングで描いたのは、龍の尾と、巻き上がった水飛沫とその変化だけだ。
そこへ観衆のアンコールと、大泉の「まだ終わりではない」の放送が、微かだが聞こえてきたから、絵書きの三人とアナログカメラの三人は、体勢を改めて整える。
スタッフ達が、温かい飲み物や、携帯カイロ、タバコに灰皿まで、どこからか運んでくる。
六人を応援しているのだ。
デスクがまた叫ぶ。
「貰い物の日本酒の一升瓶が、秘書科や役員フロアの給湯室に、売るほどいっぱいあったろ。構わねえからよ、あれを二~三本持ってこい。あとはよ、各フロアの掃除用具室にあるバケツに、水入れて持って上がるんだ。ついでにコップか茶碗、なきゃ、紙コップ探してこい」
デスクに、改めて心酔している若手スタッフ達は、躊躇いもせず行動する。
たちまち集まった、水を入れたバケツを、ストーブの天板に置き、そこへ運んで来た、指示より多い高価な日本酒を、瓶ごと何本も突っ込む。
熱燗がすぐ出来る。
まず六人に、紙コップに半分ほどの、熱い純米大吟醸が手渡される。
「この酒は、寒さしのぎとよ、勇気の為だ。これからまた、恐ろしい場面になったとしても、怯まねえ心を酒が養うんだ。だから飲めっ、俺も飲むっ」
周りのスタッフやプロデューサー達も、少しづつ飲む。記録担当の六人に、血色が戻る。
悴む指先も、紙コップの酒の熱さで感覚を取り戻す。
ほんの数分の後、また黒雲直下の海面に、青白い光が見える。
点滅しているのも最初と同じだが、今度は光が二つ見える。
外国人も含めた観客達が、物凄い歓声を一斉に上げる。
小さくなっていた音楽も、更に軽やかな曲調に変化しつつ、音量も上がってくる。
弾むような木管楽器の音色、クラリネットと小太鼓の刻み。ピッコロの甲高い旋律に、木製打楽器の乾いた音が跳ね上がる。
「タッ·タタタ·タッ·タタタ·タンタタ・・・」
五音音階や、短二度の屈折した音程を保ちつつも、テンポは軽快な二拍子。
それはまるで、東宝特撮映画の自衛隊出動場面のBGMのようだ。
すると、そのマーチに合わせるよう、上空を覆っていた黒雲が、中心に向かい吸い込まれるがごとく、スーッと消えていく。
辺りを柔らかい冬の陽が照らす。
会場の雰囲気が、ガラリと変わる。
観客達は、それを無邪気に喜び、また歓声を上げる。
見ていた信長が、笑顔で説明する。
「恐ろしげな演出は止めたのであろう。黒雲が消え去りしは、冷やすために広げた空間の歪みを、一気に元に戻したゆえじゃ。低空の空間シリンダーを逆回転させ、圧縮した熱を僅かにかけただけで、ああなるのだわ」
観客達は、レンズを各異変の情景に向けた時だけ、何故か撮影が出来なくなる事に気づいている。
全く回復しない、どう操作しても復旧できないな事実に、人々は「出来る事」を始める。
それは文字や音声での情報発信だ。
SNSは勿論、LINEのテキスト、Webニュースのコメント欄、5チャンネルや爆サイ、個人のサイトに至るまで。
家族、友人、同僚、知り合いへと放たれた、生々しい現場の情報が、ネットの海を駆け巡り始める。
それを受けた側の反応は言うまでもない。
錯綜する目撃情報は互いに複合し、無数の推測を交えて、爆発的に増殖する。
肥大化したフェイク混じりの情報は、再びネット空間へとなだれこんでいった。
情報を受け取った人々が、一斉に湾岸地区を目指したのは必然の流れだ。
その中には、報道関係者達も当然混じって居る。
彼らは、会場に着く前からかなり殺気立っている。
その根底にあるのは、二つの怒りと一つの事情だ。
怒りの一つは、最初からの取材を、イベントレベルを読み誤り、結果的に浅慮となって怠った自分達自身への苛立ち。
もう一つは、理不尽とも思える政府の撮影禁止通達に対してだ。
事情は、それぞれの上層部からの、いわれなき叱責と、自己保身としか思えない叱咤激励だ。
それでもさすがに、政府通達に面と向かって逆らうような、大掛かりな中継車や機材を持ち込む者はいなかった。
しかし彼らの全ては、現地で政府関係者に撮影阻止されても、唯々諾々と従うつもりは毛頭ない。
現場に着いた、数十組の彼らの殆どは、空から届く軽快な音楽を認識しつつ、それぞれの撮影機材を、あてつけのように隠さず、警官や、ほかの警備役の役人達の前を通る。
その中には、阻止されたら、力づくでも突破するつもりだった者もかなりいた。
ところが警備陣は、撮影機材を見ても何も言わない。
全員が警備どころか、集まって談笑していて、彼らにチラリと視線をやっても、完全に無視しているのだ。
警備陣は、イベントがちょうど合間のようだったことと、撮影禁止解除、また安全が確認された安堵と余裕から、そのパフォーマンスを語り合っていたのだが、報道関係者に、その理由などは推測すら出来なかった。
これは後の検証で、どの会場でもほぼ同じ経緯だったのが判明している。
覚悟していたトラブルが、肩透かしに終わった報道の人々は、見る見る膨らむ人波をかき分け、まず海に近い場所を目指した。
一部は、幕張臨海公園へも行く。
その彼らは、総理達やビラコチャの信長が居るテント群に気づき、近寄って取材を試みたが、バリケードの外側を守る警備陣に、今は対応できないと、丁寧に追い払われた。
何人かは抗議したが、イベントの運営と安全管理で手が離せないと言われれば、引き下がるしかなかった。
だがカメラマン数名は諦めず、テントが見える、海浜大通り沿いの遊歩道へ回り込み、超望遠レンズで狙いを定めた。
彼らが使用するプロ用機材は、シャッターを切ると同時に、5G回線を通じ、所属先へ画像が自動転送される仕組みになっている。
カメラマン達は、無心でシャッターを切ろうとした。
だが、彼らはビラコチャの信長が、そこに存在しているのを知らない。
単なる現場風景として収めようとした、その画像の中に、ウァカの微細な光に包まれた「有り得ない存在」だけが、光学的な像を結ばず、抜け落ちていることを。
その驚愕の事実には、現場の彼らも、送信先の上司達も、まだ誰も気づいてはいなかったし、最終的に誰にも知られることはなかった。
そして、その五名は、確かに一度だけはシャッターを切れたが、それきりカメラは完全に沈黙した。
大泉の横に座る信長が、プトゥトウを何気なく、口元へ近づけたことに、気づいた者はいない。
遠くからの撮影を察知した信長が、付近に漂っていたアウキ·クルに、思念を飛ばし、カメラを一時的に機能停止させたのだ。
極小のアウキ·クルが、カメラの隙間から内部へ侵入し、シャッター機構だけを、物理的に固着させるくらいは簡単な事なのだ。
信長は、自身の姿を撮られるのを嫌がったのではない。隣の大泉が、誰もいない空間に向け、まるで会話しているように口を動かし、頷いたりしている姿が、捉えられるのを阻止しただけだ。
所属が違う為、五人は知り合いですらないが、額を寄せあい、カメラの不調を確かめあった。
すぐに画像の後続を待つ、各送信先の責任者から携帯が鳴り「もっと送れ」と苛立ちに満ちた催促が来る。
五名のプロ達は、カメラの不可解な不調をそれぞれに報告するが、相手は例外なく、彼ら自身の技術や怠慢をなじるような言葉をぶつけてくる。
現場と発信先のやりとりは、瞬く間に激しい口論に発展した。
海上では、ちょうど二つの青白い光が、点滅している。カメラマン達は、それにレンズを向ける。
レポートやインタビューの担当者達は、マイクを握り、周りの観衆に質問を始める。
彼らの腕には報道やプレスの腕章。
上着の胸や背中には、社名、番組名などのロゴがプリントされてある。
かなり有名なアナウンサーとカメラチームがたどり着いたのは、総理達と同じ、幕張臨海公園の一般市民の観覧場所だ。
だからテント群とは離れているし、そこはバリケードでブロックされているから、簡単には近づけないのが一目瞭然だ。
局の看板アナの彼は、、近くの市民に聞く。
「恐れ入ります。あなたはいつからここに?」
「おっ、あんた、有名な・・・いつも見てるよ」
「ありがとうございます。で、ここには?」
「俺?俺は最初からさ」
「何を見ましたか?」
「何って、そりゃ、とんでもなくすごいもんさ」
「具体的にお願いします」
「えっ、えーと、最初に、今見えてるのと同じ、あの光。あっ、でもあの時は一つだったけどね。それから、ばかでかい泡。すんげえ高さの水柱。で大津波。真打ちに、あそこに浮かんでる船より長くてでかい龍。それに、今も聞こえてる音楽も、さっきまではもっと凄かったんだ」
「龍?まさか・・・大津波はどうなったんですか?」
「ふわっと消えた」
聞き手のアナウンサーは、からかわれたとでも思ったのか、相手の言葉に少しムッとした様子で、それでも短く礼を言い、すぐさま別の観客にマイクを向けた。
すると後方から、強い口調の声がする。
「そこのあんたっ、カメラ構えたおまえらもよっ、うろうろすんなっ!、見にくいじゃねえか」
「そうだぞっ、後から来たくせに、見物の邪魔するんじゃねえ!」
「そうよ、マスコミのくせに、割り込んで秩序乱したら駄目じゃない」
「それにさ、カメラは役に立たないよ。波や龍はちっとも映らないんだ。最初から見てる僕らには判ってるけど、あなた達は知らないから、仕方ないけどさ、無駄だよ」
人が多すぎて、苦情を言った個人の特定はできないが、およその年代くらいは解る。
しかしそんな分析に、何の意味もない。
アナウンサーは怯んだ心を励まし、少しだけだが移動し、特に「何も映らない」ことについて、インタビューを続けようとする。
だが、観衆はそれを見逃さない。
最初より激しく、乱暴な言葉の罵声が、一斉に飛んでくる。
「有名なら、なにやってもいいのか!?」
「コノヤロー、無視か!」
「なに様だっ!」
「海にたたき込むぞっ」
「ワハハッ、やれやれっ」
「おまえらも、海でくねくね泳いでさ、龍様の前説か前座でもやれよ」
「カメラなんか、役に立たないからよ、俺にくれよ。高く売れんだろうな」
「この場面、もうネットに流したかんな」
その場の雰囲気は、険悪の極みに陥る。
離れた場所の制服警官が、見かねたのだろう、アナウンサー達に手招きした。
・・・警官の誘導に従い移動したんだ・・・そう自分に言い聞かせることで、最低限の自尊心を保ち、彼は引きつった顔のまま、ほうほうの体でその場を離れた。
なんと罵られようと、彼にも報道人としての誇りや意地が、多少なりとも有る。
かき分けていく群衆に、丁寧に謝りながら、取材を続ける為、海が見やすい場所を探す。
すると、続いてくるカメラマンが、無理な姿勢で、彼の耳元に囁いた。
「今撮ったはずの、あの二つの光、撮れてません」
・・・つづく
短編のつもりが、70000文字の規定を越えてました。東京湾イベントを終わらせたら、その1はそこまでの予定が、中途半端になってしまって、残念ですが、すぐに、その2で続けます。
小生の本命作、「あゆちのびと衆」の信長が、何故か現代に現れます。宣伝効果も考えましたが、自分なりの必然もありました。信長、つまりビラコチャの科学技術は、このイベントパフォーマンスどころではありません。読者諸兄様が、あっとおどろくタメゴロオヮ、何っと叫ぶ事を念願に書き進めます。あゆちのびと衆の新編は遅れますが、必ずまた再開します。暫くは、このラッキージャパン ビラコチャの微笑みをお楽しみ下さい。




