あと10秒遅かったら話が終わっていた。
…。
……何かの予感。
目が覚めてしまった。
時計を見れば、まだ6時30分。
なんだ、あと1時間は寝られたじゃないか。
ぼけ~としながら、カーテンを開けて外を確認しようとすると、突然俺の部屋の扉が開いた。
「あら、起きてらっしゃっいましたか」
「…」
「(チッ)」
「…?」
「おはようございます、有士様」
「…おはよう、沙紀さん」
そうか…昨日のことは夢じゃなかったんだなぁ…。
本当に起こしにこさせるとは。
「…で」
「で?」
「その小脇に抱えているのは何?沙紀さん・・・」
「これですか?見ての通りですよ」
そう言って見せたのは、持ち運びのできる小さなサイズの黒板。
「有士様が起きそうになかったら、これを使えと郁様に持たされまして…」
「…引っ掻く音、かなり嫌いなんだけど…」
「いえ、音で起こすのではなくて、こう」
持ち上げると、鋭い角を向けてきた。
「いや、さすがに…」
目覚めは返り血まみれのメイド。
…ってゆーか俺、瀕死じゃん?
「…恐怖でがっつり目が覚めたよ…」
「それでしたら、制服にお着替えください。準備ができましたら、玄関先に車を止めてあるので屋敷に参りましょう」
「おーらい…」
俺の返事を聞くと、沙紀さんは部屋から出ていった。
…俺は無事生きている。よかった…。
「とりあえず、顔洗おうかな…」
顔を洗って歯を磨き、寝癖を直し、着替えて準備完了。
さて、行くか…。
玄関を出て、鍵を閉める。
あれ…?両親は仕事や出張やらで鍵は毎日きっちり持って行ってるし、一つは俺がしっかり管理してる…。
どうやって入ってきたんだ?昨日の夜に鍵かけ忘れたかな…。
振り向いて、置いてある車を見る。
セルジオ…。初めて乗るな…。
「早いですね」
「男はそんなに時間掛からないッス」
「よろしいことです。が…」
ふわ、といい香りがした。
すごく、いい香り。
何の香水使ってるんだろうな…。
目の前に、沙紀さんの頭がある。
「ネクタイぐらい、きちんと締めてください」
首元が、こそばゆい。
「はい、できましたよ。車に乗ってください」
そう言って、後部座席のドアを開ける。
言われるがままに、俺は車に乗り込んだ。
あれ?運転席に誰もいない…と言うことは、沙紀さんが運転するのか。
意外だな…しかもメイド服でか。
「それでは、行きますね」
「うん」
ふう、と背もたれに体重を預ける。
な、なんだこの素敵な感触はぁ!!
つかれなさそうな乗り心地…それでいてもっちりとしてもふやかな素敵な世界(←意味不明)を朝から味わえるとは…!
「到着です~」
「早ぇ!」
「だって、近所じゃないですか」
「…それもそうか」
歩いても10分掛からないから、当然か。
ああ、もうちょっとあの感触を味わっていたかった…。
「おお、やっと来たか」
「おはよう、有士君」
「おはようございます、憲吾さん、里紗さん」
「朝食の準備はできています。食堂に行きましょう」
「…お待たせしてしまったみたいですね」
「何、気にすることはないさ」
「あ、おはよう有」
「ふぁ…おう、ブラザー」
「やめてくれ。圭君ずいぶん眠そう」
「毎朝こんなもんだよ」
「夜更かし?」
「いや、昨日の疲れが残ってるだけだ」
「…なにやってんだか」
俺が帰った後に何があったかは、敢えて聞くまい。
「有、ご飯どれくらい食べる?」
「そんな多くなくていいぞ。俺の朝の元気の元は主にみそ汁だからな」
「そーいやそーだっけ。でも、他のも食べてよね」
「応」
「おぉ・・・母さん、私たちは郁の料理を食べるの初めてだな」
「ええ・・・。厨房で手伝っていましたけど、心配することは何もなかったわね」
二人は感動している。
「たるい…眠い…」
義理の兄はマイペースだった。
全ての準備が終わると、
「いただきます」
「「「「いただきます」」」」
…非常に礼儀正しく朝食が始まった。
俺の朝は、毎日みそ汁から始まっていた。
じじむさいと言われようとも気にしない。
母が作ってくれておいたものを温め、自分好みに濃さを変えるほどだ。
そして、この家の食卓、俺の目の前にもみそ汁が厳かに鎮座していた。
「このみそ汁は、誰が?」
「私と郁ですよ。味噌は我家伝統のものです。お気に召すといいのですけど」
「がんばったよぉ~」
ここで飯を食ったことは多々あるが、朝食は初めてで、みそ汁が出るのも初めてだった。
お椀を持つ。
程良い温度で、暖かさが伝わってくる。
見た目。
…かなりいい。豆腐とネギの、具としての絶妙なバランス。
色からすると、味噌は赤味噌7、白味噌3といったバランスだろうか。(←不正解)
香り。
鼻から軽く香りを入れると、口の中に唾液が発生する。
これは、かなり期待できそうだ(←自称若きみそ汁王)。
そして、ついに味。
一口入れ、全ての神経を、味を確かめるために集中する。
…。
「どう?」
「お口に合いますか?」
「…」
口の中に広がる芳醇な味わい…。
「美味いな…」
普通に美味い。
「…ふぅ、良かったぁ~」
こうして、この家での(なにげに)初めての朝食は過ぎていった。
昨日とはうって変わった朝の風景。
二人に待たされるどころか、3人で一緒に行く。
「で、有士は今日から家に住むことになるからな」
登校中、いきなり言われた。
「今日からって…荷物も運ばなきゃいけないのに今日からは無理じゃない?」
「学校終わってすぐ始めれば大丈夫だよ」
「…そんなもんか?」
「そんなもんだろ」
引っ越しになるわけだから、そう簡単には終わらないだろう…?
「ああ、それと有士」
「何?」
「今日から俺のことは敬意を込めて『お兄様☆』と呼ぶがいい」
「はぁ・・・」
「お前は特別だ。俺はあと11人妹をつくるのだ」
「何に影響されてるの・・・」
確かに。いつも『圭君』て呼んでたから、いきなり変えるのも…って。
「それじゃ周りの奴らが混乱するんじゃない?」
というよりもむしろ、この年で婿入りであるということがあんまりにも知れ渡ると、困る。
俺が作り上げてきた『不思議でクールで何事にも無関心だけど、たまに見せる優しさが漢を感じさせるいいヤツ(そう思っているのは自分だけ)』というキャラが崩れてしまう。
「冗談だ、俺だって呼ばれたくない」
「お兄様☆なんて、有には似合わないよ」
「今まで通りの呼び方が慣れてるから、このままでいいじゃんオ・ニ・イ・サ・マ」
「は、やめろ…」
「ホント似合わないね」
「だろうな」
「と、鳥肌が…」
…大していつもと変わらない雰囲気。
変わったのは話の内容だけだった。
教室に入ると、あれがいた。
「おはよ」
「おはようさん」
「おはよ~」
「あれ、郁ってばごきげんだね」
「そう?」
端から見ても機嫌がいいみたいである。
ま、朝から自分の料理がほめられて、嬉しいだけなのかも知れないが。
…とは言え、ほとんど手伝いだけみたいだったが。
「何かあった?」
「ううん、別に何もないよ?」
「…そう?」
紫遥は、大して気に留めることもなく窓際の後ろの席へと戻っていった。
「有士、黒板みといたほうがいいよー」
紫遥から声がかかる。
黒板?
【席は、登校した順に各自好きなところを確保するように。中間試験終了後まで席替えは行わないから、早い者勝ちだ。視力の悪い者は、前から2列目までに自主的に座ること】
…相変わらず適当な担任だ。