侍従登場
そうこうしている間に、郁の家に着いていた。
横の郁を見れば、何故か悩み顔で唸っているが、一気にため息を吐いた。
何だ、まださっきの悩んでたのか。ま、ある程度はあきらめついたんだろ。そのうち誘ってやるか…今日は力も上手いこと働いてたみたいだし、褒美として。
料理の方も、俺が何とかしてみるか…。
そんなこと考えていると、いつものように玄関のドアが開く。
「おかえりなさいませ、郁様」
「たっだいま~」
「あら、有士様。今日はどうなされたのですか?」
「郁にCD借りに。ついでに晩飯でもゴチになろうかと」
「まあ、ついでだなんて。毎日でもよろしいのに」
「俺もそうしたいですけど、そういうわけにもいかないんで」
人として。
あまり甘えるのも良くないし。
「そうですか。今日は少し早めに晩ご飯御用意いたしましょうか?」
「や、いつもどおりでいいよ」
「私はお腹減ったからちょっと早めがいい~」
甘えた声で郁が言う。
「では、用意ができましたらお呼びします。お部屋にお茶、お持ちしますか?」
「お願い~」
「かしこまりました、少々お待ちくださいね」
ぱたぱたと、廊下の奥へ早歩いていく。
「行こっか」
「応」
郁の部屋に入ると、見慣れたテーブルの上に例のCDが。
「テキトーに座っといて」
「応」
着替えるために、郁は別の部屋に行った。
衣装部屋なんて、相変わらずすげぇよなぁ…。
言われたとおり、適当なところへ腰掛け、CDを手にする。
「これだ、早速聞くかな」
ケースの中に入っていたCDを入れ、曲が始まるのを待つ。
すると、穏やかな曲調のピアノが流れ、部屋を支配する。
お~…同じ曲でもこれだけ違うのか。
コンコン。
部屋の扉が叩かれる。
「どうぞ」
自分の部屋でもないのにこう言うのも何か間違ってる気がする。
しかし、勝手知りたる郁の部屋。
…これもまた何か違う気がするなぁ。
「失礼します。あら、郁様は着替え中ですか?」
「そう。あ、そうだ沙紀さん」
「?」
「何かさ、郁の奴…本気で料理を学びたいみたいなんだよ」
「郁様が、ですか?」
少し怪訝そうな顔をして応えた。
「まあまあ、あいつ腕はそこまで悪くないと思うんだ。それは沙紀さんも知ってるでしょ?」
「ええ、まあ…」
かちゃかちゃと、カップを用意して中に紅茶を注いでいる。
一度、郁と沙紀さんが家に来たときに、郁の料理を食べたことがあった。
何かと不安そうな沙紀さんだったが、その時は特に何も言わず食べていた、と思う。
「あの時の郁の料理、まずかったかな?」
「いえ、そんなことはありませんが…」
「じゃあさ、あいつがやりたいって言ったら教えてやってくれないかな?なんだか本気だと思う」
「……分かりました。それに、お婿さんを迎える際にも必要なスキルだと思いますから」
微妙な笑顔で、沙紀さんはそう言った。
っていうか笑顔の質が、思いっきり俺を見て笑っているような気が…。
「お待た~」
「待った待った、待ちすぎで耳から脳が垂れ落ちそれを思わず口から脳へ戻そうとする途中で間違って目から流出するところ局地的に豪雨な感じだったぞ」
「それでは、失礼いたします」
「紅茶ありがと~、沙紀さん」
「いえ、ごゆっくり」
礼儀正しく部屋を出ていった。
流された、俺。
「あ、早速曲聞いてるんだ」
「気付くのが遅いって」
さっきからかかっていただろうに。
「そだ、あとでCD貸してね」
「ん?」
「だから、別バージョンの方の」
「ああ、ちょい待て」
鞄をあさり、本体からディスクを取り出す。
「ほれ」
「さんきゅっ」
そのまま、沙紀さんの声がかかるまでマッタリとした時間が過ぎていった…。
階下の食堂には、俺では到底敵わないくらいきれいに盛りつけられた一般家庭料理が並んでいる。
「憲吾さんと里紗さんは?」
「今日は外出してますので、お戻りになるのは午後10時以降かと」
「あれ、兄さんもいない」
「圭様はお友達と遊びに行っていると連絡がありました」
「そっか、残念」
あの3人もいれば楽しい晩飯になっただろうに。
「何、私じゃ役不足ってわけ?」
「なっ…そんなわけないだろ」
「何度も言うけど、分かり易すぎるのよん」
疲れている所為もあってか、あんまり突っかかってはこなかった。
「冷めてしまうので、早めにお召し上がりください」
「応」
「いただきまーす」
それぞれ席に着き、3人での夕食。
女二人に囲まれての食卓。
…うむ、悪くはない。
片方は性格に多少の難あり、だが。
まあ、もう一人もよくわからんけどな…。
「…まーた何か失礼なこと考えてない?」
「滅相もございません」
「有士様って、案外尻に敷かれそうなタイプかもしれないですね」
くすくすと笑いながら、恐ろしいことを言った。
この人やはり難あるな。まぁ、基本的にはかなりいい人なんだけど。
「何言ってるんすか」
「郁様にことあるごとに弱みを握られそうですもの」
「………………」
何を赤くなってるんでしょう、郁は。
またその恥じらう顔がかわいくてたまらない。
「あら、お二人ともまんざらでもないご様子」
ぼふぅん!
俺と郁の頭から煙が出んばかりの効果音が聞こえそうだ。
「ういですわ、お二人とも~」
何か楽しんでるなぁ、沙紀さん。
そのまましばらく、何故か無言の食事が続いた。
郁は相変わらず頬を赤らめながら。
今日の郁、何かこんなんばかりだな…。
沙紀さんはそんな郁の様子を楽しげに観察しながら。
しかも郁がそれに気付いてないから、それが沙紀さんにとってまた面白いのかもしれない。いや、間違いなく楽しんでるな。
俺はと言えば、何とか平静を保ちつつあった。
が…。
「…ねぇ、沙紀さん」
「?どうかしましたか、郁様」
まだまだ笑顔のままの沙紀さんの表情が、なんだかとても子供っぽかった。
「私にさ、料理教えてくれない?」
「…」
郁は俺のことを分かり易すぎると言うが、俺からすればこういう言動をするのも分かっていたので、さほど驚くこともなかった。
しかし、沙紀さんは驚いたらしく、俺の方を見て目で訴えている。
冗談じゃなかったんですね、という表情。
少しの沈黙を経て、郁が口を開いた。
「ダメ…かな?」
「ダメ、ということもありませんが…」
旦那様と奥様が、と言いたいのだろう。
「ほら、言ったとおりでしょ、沙紀さん」
「言ったとおりって?」
「先ほどお茶をお持ちした際に、少しそういうお話をしていましたから」
「あ、私が着替えてる間に?」
「うむ」
ふと、沙紀さんの表情が変わった。
あ、さっきの楽しそうな笑顔だ。果たして何を言い出すやら…。
「郁様がやりたいというなら、私がお教えしますよ」
「本当!?」
がたっと立ち上がって、嬉しそうな顔をする。
「ただ、一つ教えていただきたいことが・・・」
「何?」
「何のためにお料理をしたいのですか?厨房を任される者として、聞いておきたいのです」
にへら~と笑い、そう言った。
「旦那様と奥様と圭様には、黙っておきますから」
井戸端会議でもするおばちゃんのような手振りで、そそのかす。
「そういや、どうしてなんだ?」
どーせ俺に食べさせて、見返して服従させる!とか思ってるんだろうけど。
「…有のため」
恥じらいながらそう言った。
ちょっと待て。
そこは闘争心を剥き出しにして俺にかかってくるところだろ?
「なぜ、有士様のためなのですか?もしかして、郁様は有士様のことを…」
「わー!わー!!わぁ~!!!」
その先を遮るように大声を上げる。
誘導尋問っぽいな。沙紀さん、いい性格してるよ。
「…そうだよ、有のこと好きだからだよ」
「…なんですと?」
告白っつーのはもっと雰囲気を出さないといかんですよ?
いや、素直に嬉しいと言えば嬉しいんですけど。
「それで、有士様は郁様のことをどう思ってらっしゃるのですか?」
目が輝いている。
怖っっっ!
いや、だから告白っつーもんはもっとこう…。