あいたくなかった
いろんな意味で。
教室に着くと、よく見覚えのある顔が2つ。1つは当然郁。もう一つは…。
多分幻覚だ。と言うより、幻覚であると信じたい。
「言っとくけど幻覚や幽霊じゃないわよ」
「有、来るの遅いよ~」
「郁、お前が逃げたから早めに来たつもりなんだが」
「有の『つもり』は当てにならないんだよ」
「失礼だな、チミは」
「ちょっと、何思いっきり無視くれてんの?」
「ん?ああ、いたのか紫遥。全然気付かなかったぞ」
「まぁ、しらじらしいこと…」
「で、何でこんなとこにいるんだ?紫遥のクラスは向こうだろ?」
言って、窓から見える1年の校舎を指さす。
「しっつれいねぇ。私馬鹿だけど知能指数は平均以上よ」
「自覚症状あったんだな」
「んなこと今は関係ないの。ざぁんねぇんだったわねぇ。また一年よろしくぅ!」
「…」
こいつ、梁瀬紫遥。昔はこの近くに住んでいたらしいが、一度どこかに行ってしまって、中学校入学の時にこっちに戻ってきたらしい。
それから何故か、ずっと同じクラス。郁のあのことは知らないから、裏でいじくっているとも思えない。ま、ただの偶然だろうが。
「あ、『またこいつと同じクラスかよ、ま、ただの偶然だろうが』~とか思ってるでしょ」
「人の心を勝手に読むな…」
「有が分かり易すぎるのよ」
「確かに」
「ちなみに、これって偶然じゃないわよ」
「…え?」
まさか、郁のあのこと知ってるのか?
「これは、そう、運命としか考えられないのよ!」
「どんなんだよ…」
「有士が私から逃げられない運命?一生笑いもの?下僕。時にパシリ」
「…そうかい…」
…よかった、こいつがアホで。
「あ、有士…」
「ん?何だ」
「あ、今日…」
がらがらがらっ!
教室の扉が開き、去年と同じ担任が入ってくる。
「先生来たから後で、な」
「うん」
下らない諸注意もそこそこに、先生はホームルームを終わらせた。
「は~い、行くわよ~」
「っていきなり何処へだ!?」
思わず手の甲でツッコミを入れてしまった。
「カラオケよ~。今からなら安く、長く歌えるし」
「残念だな、俺はこれから郁の家にCD借りに行くんだ。な、郁?」
「ん、そーだけど」
「んなもん帰りでもい~いじゃ~んYo~」
「…その語尾ムカツクからやめろ」
虫酸が走るとはこのことか。
「そんなこと言ったって借りたCD半日聞き入ってることも無いでしょ」
「そんなこともないぞ」
実際昨日はその通りだった。
「またまたそんなこと言って~。カラオケ行った帰りに行きゃいーじゃんYo!」
「だからやめろってそれ…でもそれもそうだが。…だがしかし給料日前なので金が少ない」
俺のバイト先は給料15日払いだから、ちょっと厳しい。
「気にしなーい」
「気にするわ馬鹿者」
「行こうよ、有。お金なら私が出したげるから」
「そうか?…まあ給料出たらちゃんと返すさ」
「おやおや、有士ってばヒモ候補生なんですか~」
「馬鹿野郎、返すって言ったろ?しかもバイトしてんだからヒモとか言うな」
「似たようなもんよ~」
けたけたと笑う。
「…ったく…、行くなら行くぞ。ほれ、ぼさっとするな、郁」
「うん…」
覇気がない。まだ朝の疲れが残ってるのか?
いつもならノリノリで来るのに…。
よし、こーゆー時は…。
「ほれ、元気出せ」
さわさわ。
「きゃっ!?」
さわさわさわさわ。
「ちょっ…やめ、きゃははは!」
さわさわさわさわさわさわ。
「あははは…いい加減…ぁはは!…きゃーくっすぐったい~」
弱点である首筋を攻めるのみ。
しかしこれは引き際をわきまえないと郁が慣れてきてしまうので、程々にしておく。
郁は、慣れると
「ブッチ殺す!」
そうそう、こういうふうにキレ…へ?
「まあ、その・・・なんだ。お前が気分暗かったみたいだったから明るくしてやろうと思ったんだが」
「…で?」
「…効果ばっちしみたいだな」
ニカッ☆と俺は笑ってみせる。
「ええそれはもう。素晴らしいわこのあふれんばかりのエネルギー」
魔王降臨なさいました。
「・・・やりすぎ。まずいんじゃないの?有士」
「巻き添え喰いたくないなら先に下駄箱んとこ行ってろ」
「わかってるわよ。私は天啓を得てないからね」
『天啓』とは、神によって力を与えられる事のことである。
全ての人間が天啓を得ることができるという訳ではない。
「そしてまっすぐ家へ帰れ」
「…待ってるわよ。ちゃんと連れてきなさいよ」
言って、教室を出ていった。
気が付けば、他のクラスメートもいない。
ま、都合がいいと言えばいいんだが。
「…まったくもう…どうして怒らせるかなぁ…」
「や、引き際を誤ったもんで」
「待たせると悪いから、さっさと終わらせよっか…」
「…ああ」
果たし合いのような会話だが、実際のところは、郁が俺をお仕置きできるか、俺が郁のお仕置きから逃れられるかの勝負。
昔からこんな事をしているが、勝率は五分五分。
今いる状況を正確に把握し、どのように逃げ出すかがポイントとなる。
現在は教室。抜け出して紫遥の元へ辿り着き、尚且つ郁の戦意を失わさせるように巧いこと立ち回らなければならない。
どうしようか考えていると、郁が先に『犠式』を始めていた。
「アフに捧ぐ…ゲブラーにより、そなたを使役せん…」
なにぃ!?アフだとぉ!?初っ端から物騒なモン使うんじゃねぇー!!
…モーゼを飲み込んだとされる死の天使、アフ。
しかもそれをゲブラー…神の揺るぎない判断によって使役だとぉ?
…相当キレてんな、郁…。
だがこっちも自分の身がかわいいものですから、気合い入れて逃げさせてもらいやす!
…こんなことに力使うのも、考えものだな。
神や天使はこの状況を見てどう思うだろう。
怒るのか。それとも、ただ笑って結末を見守るだけなのか。
…どっちにしても、今は逃げることを考えないとな…。
「サリエルに捧ぐ…ビナー、ホドにより、そなたを使役せん…」
すぐに、俺の横にサリエルが現れる。大天使や上級の天使は、こうして実体を顕せて力を貸してくれることが多い。
「何か凄いことになってますねぇ」
「じゃなきゃ呼ばないって、常連さん」
「それもそうですねぇ」
「…準備はいい?ちなみに、アフの力で別空間に転位する準備ができてるから、教室の物壊さなくて済むね…」
「…ああ」
バシュウ!
途端に風景が変わる。
…と思いきや、依然教室に立ったままだった。
「別に転位する必要はないでしょう?物は壊れないように保護しておきました」
「さっすがサリエル!」
これで逃げ道はなんとか確保できた。
サリエルはにこっと笑って応えてくれた。
サリエルの言うとおり、教室のあらゆる物が薄い膜のような物に覆われている。
ばっちり安全。
郁はと言えば、そんなことお構いなし、といった感じで構えている。
「…行くよ!」
郁の後ろで、黒い気体がうずめく。
そして、一気に俺を包むようにまとわりつき、俺の体が宙に浮いた。
「サリエル!」
「分かってますよ」
言うと、風を巻き起こし、気体が俺の身体から離れていく。
「って、落ちる!?」
浮いてたんだから、当然か。
咄嗟に受け身を取るが、何かにぶつかる感覚も、痛い感覚も襲ってこない。
…まさか。
「…いやはや、早くも決着が付いたようですねぇ…」
やっぱり?
郁は、俺が落下することを予測して、俺の落下地点に罠を張っていた。
おかげで、身動き一つとれない。
「申し訳ありませんねぇ、お役に立てなくて」
絶対わざとやってるな、この笑顔の性悪天使・・・。
「いや、気にしなくていい…とゆーか、何気にあんたも楽しんでるんだろ?」
「なんのことですかねぇ?」
「しらじらしいなぁ…ってかどうしてくれるこの状況」
「それでは、私はもう還りますね。では…」
スゥ、と消えていった。
「って、助けてっから行けー!」
直接脳に響く声が聞こえる。
「だってー、私じゃアフには対抗できませんよ~」
「嘘言うな嘘を!あんた、『天使の運命を決定する天使』じゃなかったのかぁ!?アフなんて厄介なモンに対抗するには、俺はあんたしか喚べないんだぞ!」
どう対抗するのかと言えば、アフの運命をちょこっといじくって『俺に危害を与えることのできない運命』という強引な手段を使うはずだった。
「アフは私の友達ですから」
絶対嘘だ。
その言葉を最後に、すでにサリエルの気配は消えていて…。
「………………」
そして恐怖が始まった…。