異変
荒れに荒れた郁の部屋は、その後戻ってきた沙紀さんと紫遥によって元に戻されはじめた。
その様子を後目に俺は自室に戻り、ソファーに倒れ込む。
「身体、重いな…」
太っているわけではない。
犠式をせず、力を使ってしまった。
体にかかる負担は大きい。
部屋に戻るのすら、精一杯だった。
どうなるのだろう。
力は消えるかもしれない。
最悪、死ぬか?いや、考えすぎか。
なんとなくわかる喪失感。
身体に感じていた力が、今は感じられない。
力を使った後はいつもだるさが残るが、ここまで空になったような感覚はなかった。
「これで普通になったってだけか…」
そうだ。
力自体が特異であることに変わりはないんだから。
天使の子孫で無ければ、そもそも力を使える素質はない。
きっかけがなければその力の発動もなく、自分が天使の子孫だと知らずに子孫を残し、死んでいった人だっているだろう。
自分がどうなるかの不安はあるけれど…。
がちゃ。
「普通って?」
「ん?郁か」
ノックもせず入ってきた。
「有、さっきので力使い果たしちゃったの?」
「どうだろうな。今はそれを試すだけの気力も体力も残ってないし」
「なんかね、有からいつもの雰囲気というか、気みたいの感じないから」
「疲れてるだけだ」
「そっか、それならいいけど」
少しホッとしたように郁は言った。
「あ、沙紀さんと紫遥が部屋片付けてくれてる間に、夕ご飯準備しといたよ」
「なら、二人が戻ってきたら一緒にみんなで食おうか」
「うんっ」
「ちょっと様子見に行くか」
言って、立ち上がる。
「お?」
ふらついた。
「ちょっ、有あぶないって。大丈夫?」
「ああ、まあ。立てるし大丈夫だろ」
とは言ったものの、実はきつい…。
郁に支えられながら、二人を迎えに郁の部屋に着いた。
ごっちゃにされた部屋は、壊れた家具の入れ替えも終わっていて、綺麗になっていた。
すげーよ金持ち。
「あら、どうなさいました?お二人で」
「夕ご飯用意できたから、一緒に…って思ったんだけど」
「おー、サンキュー郁…じゃなかった………有り難う御座います、郁様」
「やめて紫遥、気持ち悪い」
「…ふるふる」
恥ずかしさを我慢してメイドっぽく振る舞ったつもりだろうが。
「やめて紫遥、気持ち悪い」
「有…あんたまで言うなー!」
「ふはは、ご主人様と呼ぶがよい!」
「うぐっ…」
事実とプライドの狭間で、一生懸命に怒りをこらえているようだ。
「だから、うちはそんなに硬くならなくていいの。他の人もみんなそうだよ」
「そうそう…って、他のメイド見かけないのは俺だけか?」
「そうですね、来客時はあまり表に出ないようにと、決まりになっていますので」
は?
むしろ来客があったら、勢揃いしてお辞儀でお出迎えなのかと思ってたんだが。
「来客があった場合、その方に余計なプレッシャーを与えたくないという、旦那様の方針です」
…そう言う考え方なら納得。
「って、子供の時から俺は沙紀さん以外見ていない…」
相手が子供でも対応は変わらないってのもすごいことだ。
「沙紀さん、お腹空いたんですけど」
「慎みなさいな、紫遥さん。もう少しですよ」
と、沙紀さんが指さす先にはゴミ袋のかたまり。
「あれ、私一人で?」
「はい」
にこ、と沙紀さんが笑う。ちょっと怖い。
「ひぃ…」
紫遥はがくっと肩を落とし、弱い悲鳴をあげた。
「まあ、がんばれ」
「有、あんたも男でしょ。女の子が困ってるんだから手伝いなさいよっ!」
「無理」
「なんでよ~」
「ゴミ袋4袋くらい、両手に一個ずつ持っても二往復で終わるだろう」
「あんたが持てば一回で済むのよ!」
あぁ、言っても無駄モードか。
「やれやれ…仕方ないな」
「有、身体辛いなら私が代わりにやるよ?」
郁の気遣いはありがたい。でも、心配かけてばかりではいられない。
「まあ、多分大丈夫。それより飯用意しといてくれ」
「うん、わかった。でも無理ならすぐ呼んでよ?」
ん?
「呼んでよって、どこで誰をだ?」
「どこでも。助けてって言えばすぐに誰かは出てくるよ」
「そうなのか…」
壁に耳あり障子に目あり。
そして、咲倉紀家には呼べばいつでも現れるメイドあり。
…迂闊なことはできないな。
「まあ、行くぞ紫遥」
「どこまでもついて参ります、ご主人様」
「…」
サブイボが…!
とは言えず。
何も突っ込まず、ゴミ袋を掴む。
「よっ…と、あれ?」
どさっ。
ゴミ袋に倒れ込む。
「有!?」
っと、まずいなこれは。
ふらついたうえに、力が入らない。
「大丈夫ですか!?」
「だめっぽいけど意識はあります…」
「と、とにかくゴミの中から救出しないと」
「頼む…」
幸いゴミ袋は破れておらず、埃っぽいとか臭いとかはないのだが気分的に…。
なんとか救い出された俺は、地べたにのびている。
「ありがとう、みんな。でもな…」
「?」
「救出されたと言うよりは引っこ抜かれた感じで、顔が擦れてとても痛かったです」
「説明的すぎるわ。ってかしょうがないじゃんよー、私らじゃ力足りないし」
「ていうか沙紀さん」
「はい?」
「あなたの「力」でどうとでもなったのでは…」
にこ。
いや、微笑まれても。
「もういいです…」
見て楽しんでたな。
これ以上のびていても仕方ないので、体を起こした。
「仕方ありませんね、これは紫遥さん一人で片付けてください」
「…郁ぅ~」
「仕方ないな~。さっさともってくよ」
「ありがとー!郁愛してる」
「はいはい。じゃ沙紀さん、有のこと頼むね」
「かしこまりました」
二人は、ゴミを持って出ていった。
郁、お前も死にかけた後なのに…元気だな…。
持っているキャパシティが大きいんだろうが。
「有様」
「うん?」
「少々失礼します」
いそいそ。
「ちょっと、何するんですか!?」
上着を脱がされてしまった。
「いいから、動かないで静かに」
へ?
なんかいつもと雰囲気が…?
「これは…」
「沙紀さん?」
「あ、申し訳御座いません。ですが、これは有様のためなのでもう少しお待ち下さい」
俺の背後に回り、じっと背中を眺めている。
不意に、沙紀さんの手が触れる。
「冷たっ…っていや、熱い…?なんか痺れた…」
「当然です」
「…?」
どういうことだ?
「有様の天啓の証は、ここにあったのですね。今までわからなかったのも、納得です」
天啓の証…?
身体の一部に顕れるっていう、あれのことか…。
「って、背中にあるの!?」
「はい、ですがこれは…」
どうしたっていうんだ?
「今まで、誰にもこれに気づくことがなかったのはおかしいですね…」
「どうして?」
「人前で、上半身裸になる場合が、あるでしょう?」
「え?」
「小中学校でのプールの授業や、海などに行った時ですよ」
「ああ…」
そりゃ上半身裸になるが…。
「誰にも、言われたことはなかったな…」
「それが、今はこうして見えているのですね」
「でも、今俺自身は天使の「力」を感じてないんだ」
「どういうことですか?」
「いや、使い果たしたというか、空っぽになったというか。そんな感じです」
「…それに、この形」
「?」
「天啓を与えた主天使ごとに、それぞれ異なったルーンのような紋様ができる。それが証なのですが」
「うん、知ってるけど」
「そして、証同士は近付くことで共鳴し、その存在をお互い理解できるようになっています」
「…それは知らなかった」
「先ほど感じた熱さと痺れはつまり、その共鳴です」
「冷たかったのは?」
「それは私の手が単に冷たかっただけですね。でもこれは…」
「何か、形が変とか?」
「いえ、そうではないのですが…」
なにやら考え込んでいるようだ。
「考えてもわかりませんね。今は身体を休める方が先決です。注意を払う必要はありますが…」
「俺もそう思う。でも飯くらい食わせてください」
「そうですね、歩けますか?」
「ああ、大丈夫…」
支えられて立ち上がり、そのまま食堂へと向かった。
だが、その途中にまた違和感が。
「ん…」
「どうかされましたか?」
「あ…いや…」
背中が痛む。
何かが蠢くような、そんな感覚。
しかしそれも程なく治まったため、さほど気にすることはしなかった。
食堂に着くと、すでに郁と紫遥の姿が。
「遅いわよ、何やってたの」
「ちょっとは気遣ってくれてもいいんじゃないか?紫遥」
「大げさにしか見えないのよ、少なくとも私にはね」
まあ、そうだよな。
紫遥は普通なんだから。
「有、ご飯食べれそう?」
「まあ腹は減ってるし。少しでも胃に入れないとな」
「じゃ、みんなの分用意するね」
そしてこのメイド達は一緒に食事をとることに。
…普通、主人とは別で食事をとるものなのかとも思ったけど、そう言えば昔から沙紀さんは俺たちと一緒にお茶したりご飯食べてたりしたな。
なんとか食事を無事に済ませ、食後の茶をいただくことにする。
「あ、郁いいよ。後は私がやるから」
「そう?じゃ頼んじゃおうかな」
「ほいほい~。じゃ、お皿片付けたらお茶持っていくね」
紫遥は沙紀さんとともに後片付けに向かった。
残された俺と郁。
とてとて。
椅子に座っている俺の背後に、郁はやってきた。
「…ほんとにごめん。身体大丈夫?」
「まあ、生きてるし」
「もう…。まあ、冗談言えるくらいなら大丈夫そうだね」
いや、本当はもうすぐにでも横になりたいのだが。
食後すぐはさすがに胃に悪い。
ぎゅっ。
後ろから抱きしめられてしまった。
「やっぱり、こうしてみるとわかるよ」
「うん?」
「有、ほんとに力、なくなっちゃってるみたいだね。それか、とても小さくなってる」
「いいんだよ。当然の報いだ」
「でも…」
「むしろ、今こうして生き延びてることに喜べ」
「うん…」
「本当なら、お前にとっくに殺されてた」
「ちょっと、それひどい!」
と言いつつ、笑っている。
抱きしめられたままで話してると、ちょっとこそばゆい感じだ。
ズキン!
「っ…!?」
「有?」
「いや、ちょっとな…」
まただ。
背中に違和感。
これは…共鳴…?
力がなくなり、証もその意味を無くしているはずなのに。
それともその仮説が間違っているのかもしれない。
わからないことだらけで、何が起こっているのか…。
というか、共鳴があるってコトは。
「郁さ」
「何?」
「お前の『証』って、どこにあるんだ?」
「え、どうしたの?急に」
「いいから、どこにあるんだ?」
「んと…」
がさごそ。
ん?
なにやってんだ?
「郁?」
振り向くと、上着脱いでやがった。
「っておい、何脱いでるんだよ!」
「だって、見たいって言うから」
「…有?」
「はっ!?紫遥!?」
「有様、駄目とは言いませんが場所を選んでいただきたいものですね」
「って、沙紀さんまで」
「こんの…ド変態っっ!!」
ばしゃあ!
「あっちぃ!?」
紫遥のヤツ、茶ぶっかけやがった…。
「ちょ、ちょっと紫遥!」
「郁も郁よ!何やってんのよ!」
「あら郁様、それは『証』ですね?」
「はっ?証?」
「うん、有が『証』どこにあるのかって言うから」
郁に目をやると、へその上あたりにうっすらと『証』が浮かんでいる。
「そうか、だからさっき共鳴を感じたのか…」
「…ああ、なるほどそうでしたか」
沙紀さんは気づいた様子だ。
「ということは、郁様は有様に抱きついておられた、と」
まあ、そこにあるなら共鳴は当然なのか。
いつもは横にいるからなあ。
「はぁ…いいから、さっさと服着なさいよ…」
「あ、そうだね。有、もういい?」
「ああ、ありがとう。さっさと着ろ。というか、脱がなくても…場所言うだけでよかったんだ」
「うっ、ごめん…」
いそいそと、郁は服を着る。
相変わらずの早とちりである。うむ。
「では、ちょっと失礼しますね」
今度は沙紀さんが俺の背後に回る。
「って、また脱がせる気ですか!?」
「確認のためです」
「「またって何!?」」
郁と紫遥がユニゾンする。
「いいから静かにしていて下さいね」
にこ。
郁と紫遥が凍り付く。
俺はなすがまま服をめくられ、背中を出される。
「やはり、これはあまりよろしくないですね」
「どういうことだ?」
服を元に戻し、沙紀さんの方を向く。
「有様、今晩がヤマですよ」
「はっ!?」
「ちょっと、どういうこと?」
「あくまでも私の持つ知識と状況から鑑みての話なのですが…」
「…」
一瞬、静かになる。
皆、沙紀さんの次の言葉を待つ。
「本来、このまま消えていくはずの力が、共鳴によって活力を取り戻しつつあるのだと思います。その証拠に、有様の『証』は、私と郁様の『証』と共鳴し、このようになっています」
また、服をめくられてしまった。
「えっ…これは…」
「…すごいことになってるわね」
「…どんなんだよ。不安すぎるぞ」
「見たい?」
「見たいような、見たくないような」
ちろりーん。
「ほら」
「うん?」
携帯電話で写真に撮った俺の背中を、紫遥は見せてきた。
「うお…なんだこれ」
形容しがたい姿。
神々しくも禍々しい、傷跡のような、魔法陣のような。
「続けますね。消えていくはずの力が、共鳴により再び蘇りかけているとしましょう。しかし、それは本来有様自身が持っている力とは違う力です。私と郁様の、外部からの影響によって拒絶反応を示しているとも考えられます」
「拒絶反応…」
「これに有様の身体がどのように反応するか、ということが問題になりますね」
「…私には難しいわ」
「そうですね…アレルギー的なものでしょうか。放っておけば直るかもしれないものに、余計な薬を塗ってしまった…と言えばいいでしょうか」
「ああ、それならなんとなく」
紫遥はうんうんとうなずく。
「これまでは、何かの拍子に「証」同士が接触していたとしても、有様自身の力が抵抗し何も影響はなかったと思われます。現に、有様に触れた私には何も起きていません」
ほら、と手のひらを見せる。
「有様自身にあるはずの力が失われていて、それを補う必要がありました。それは時間をかけて少しずつかもしれませんし、一晩休めばすぐ回復するかもしれません。しかしその前に、私と郁様が触れてしまった」
そのせいで、今の状況ってことか。
まあ、憎んだり恨んだりとかはなくて、戸惑っているだけなんだけど。
「ですがこれは一時的な現象ですので、見た目ではそのうちわからなくなるでしょう」
「で、なんで今晩がヤマなんだ…?」
「先ほど申し上げましたとおり、これが拒絶反応でしたら…寝ている間にどのような異変が身体に起きるかわからないと言うことです」
「ふむ…」
本来なら自分の力で抵抗できるもののはずだが、空っぽになってしまった身体に流れ込んでしまった、異質な力の影響で起きている現象。
拒絶し続けることで、それは身体に対する攻撃になってしまう。
体力が奪われれば、抑えることもままならなくなる。
自分自身の力の回復か、喪失か。それすらも不透明だ。
ただでさえ、もう限界に近いのだけどな…。
「あくまでも仮定でのお話です。そうと決まったわけではありません」
「ま、まあそうだよね。そうだって決まってないもんね」
郁は焦っているようだ。
…責任を感じているのだろうか。
不可抗力で、そんな必要はないのに。
「もしかしたら、力を吸収してるって可能性もあるかもな」
とりあえず、心配かけまいと適当に言う。
「吸収して、治癒能力に回してくれるかもしれない。だとしたら、もっと吸わせろってもんだ」
「有様…」
「有…」
「でも、それもそうって決まってる訳じゃないでしょ。もしひどくなったらどうすんのよ?」
紫遥の言うとおりなんだけど。
「様子見しかできないのがもどかしいですが…今夜はどうします?何かあったら困りますので、誰かを近くに配備させますが…」
「いや、そこまでしなくても」
逆にこわいです。
いびきや寝言だけでも、騒がれそうだしな…。
とか話している間に、背中の違和感は無くなっていた。
「今はもう大丈夫そうだ。部屋戻って、シャワー浴びて寝るよ」
そう、なんと部屋には風呂とトイレまでついているのだ。便利。
「どうかご無理はなさらないでくださいね」
「ああ、ありがとう沙紀さん」
「じゃあ、私部屋までついていってあげるね」
「ああ、ありがとう郁」
「じゃあ、私が寝てる有を見張っていてあげるね」
「ああ、断るよ紫遥」
「なによー!」
「なんだよ」
「まあまあ…じゃ、行こっか」
「紫遥さん、これをどうぞ」
モップである。
「こぼしたお茶、きれいにふき取ってくださいね。その後は残りの片付けです」
「あう…」
郁に付き添われ、自室に着く。
「もう大丈夫だ、おやすみ、郁」
「ほんとに、だめそうなら電話してね」
「ああ、じゃあな」
扉を閉じ、ソファーに倒れ込む。
なんとかシャワーを済ませ、ベッドに転がる。
もうだめだ、寝る…。
…何かが見える。
これは…?
背中が…『証』が痛む…!?
でも、なんだこれは…!?
意識が、遠のいていく…。