犠と儀
どこか、強大な力を感じさせる。
この空気は、まさか…!?
「嘘…」
部屋が、薄紫色の煙に包まれる。
「待て、郁!お前何を喚ぶ気だ!犠式もしないでそんな大きな力使ったら…!!ってゆーか、何いきなりキレてんだよ!!!」
「………………」
聞こえているのか聞こえていないのか、感情の読めない目で俺たちを見つめる。
自分の記憶喪失の真実、
そして俺たちがそばにいることの真実。
知ったことで、精神が不安定になっちまったっていうのか!?
短絡的すぎるが、そういえばそんな性格なんだ…。
「嫌…父さんも、紫遥も、有も…みんな…!!」
突風が吹き荒れる。
「きゃぁっ!!」
呆然としていた紫遥は吹き飛ばされ、部屋の壁に叩きつけられた。
しまった!
紫遥は天啓を得てないから、相殺されるはずのダメージがそのまま身体に行ってしまう。
紫遥に駆け寄ると、幸い気を失っているだけのようで、大事には至らなかったようだ。
その場所に紫遥を横たえ、郁と対峙する。
郁の周りには、膨張して割れんばかりの気が感じられる。
「さぁ、アポリオン…」
…アポリオン?
こんな厄介な物まで喚べたのか。全てを滅ぼす者、として語られるアポリオン。
郁のキャパシティって、一体どれくらいなんだよ…。
「有、私信じてたのに悲しいよ…有も、父さんに頼まれたから、私と一緒にいてくれたんでしょ?もう、無理しなくてもいいんだよ…」
抑揚も、感情もない言葉。
郁の気が、一気に高まる。
再起不能にしてやる、ってことか…。
かなり誤解されたままで死にたくはないな、うん。
力を持たない紫遥への影響
必要以上の力を行使しようとする郁自身への影響
そして、その力の矛先となる俺への影響…
それらを考えると、戦いはできるだけ避けたい。
これ以上、誰かが傷つく意味もないはずだ。
郁も紫遥も、それぞれが辛い思いを抱えていた。
出過ぎた真似かもしれないが、俺が何とかしないといけない。
「郁…お前は何でその力を使えるようになったか、理解してるか?」
少しも動じることなく、郁は答える。
「強くありたいと願ったから。私には記憶がなかった。そのことで周りの人みんなが混乱してた。だから、せめて私のことで迷惑は掛けたくないと、願ったからだと思う。この力を得たときの記憶はあるから、間違いないよ…。何でそんなこと聞くの?」
「お前は…何で俺が力を使えるようになったか、考えたことがあるか?」
「…」
俺から目をそらし、俺の次の言葉を待っている。
何とか、話が通じそうか…?
「俺はな、お前を守りたいと強く思ったからだ。確かに、憲吾さんに頼まれたのもある。でもな、俺はその前、記憶を失う前からお前のことが好きだった。お前が記憶を失った後、お前を不安にさせないために、俺が一生かけて守っていこうと強く願ったから、この力が目覚めたんだと思う。お前は一生懸命色んな事を覚えようと、必死で努力したよな。俺は、そんなお前の支えになりたかった。だから、ずっとそばにいたんだ」
郁の周りの気配が、揺らぐ。
「嘘…」
「嘘じゃない。そうじゃなきゃ、婿入りなんて来るはず無いだろ。俺は普通の日常で十分なのに婿入りなんて面倒なこと受けたのは、お前のため、そして俺自身気持ちも、結果的にそれを望んだからだ。わかるだろ?俺の性格考えれば…」
郁は、俺から完全に顔を背けた。
精神もブレが生じている。
今しかないっ!
「サリエル、頼むっ!」
パシュン!
すう、とアポリオンの気配が消えていく。
なんとか、抑えられたか…。
しかし、俺自身も辛い。
郁にさとられぬよう、犠式無視でサリエル喚んだからな…。
郁の方に目を向ける。
…床に突っ伏していた。
「郁!?」
呼吸が荒い。
犠式をしないで力を使ったことの副作用か!
犠式なしで力を使うことのリスクは、力が消えること、あるいは…。
死。または死同等の苦痛…。
しかも、強力な者を呼び出したから、その代償は大きい。
「冗談じゃないぞ…」
尋常じゃない事態。
くそっ、俺ももう一度力を使うしかないか!?
郁の呼吸が、見る間に小さくなっていく。
犠式をするヒマもない!
「ラファエル!!」
ぱあ、とラファエルが顕現する。
「…それで、我はどうすればいいのだ?」
「頼む、郁を助けてくれ!!」
「犠式を行わなかった者の、当然の報い、か…それを救おうとする汝にも、覚悟はあるのだろうな」
「当然だ!じゃなきゃ犠式もしないであんたを喚ぶはずない!!」
「…」
しかも、二度目だ。俺自身の体もどうなるか…。
だが、郁や紫遥の耐えてきた辛さに比べれば…!
「お願いだ、頼む…」
「顔を上げよ」
「…え?」
「…よい瞳をしている。私が一番好む瞳の色、魂の輝きだ…。まさか、このようなところであの血脈に出会えるとは…」
「…ラファエル?」
血脈…?なんのことだ…?
「我は汝のその瞳を、汝が消えるその日まで見届けたいと思う」
「…それじゃあ」
「汝らを死なせはしない。だが、生死の境にある人間の魂を再び元の状態に呼び戻すという、理から外れた力を駆使する。それは、古の盟約により天啓を失う可能性が非常に高くなるということだ。それでも構わぬか?」
「もちろんだ!」
何も戸惑う必要はない。
郁を救えるなら、力が無くなっても構わない。
「それだけではない。汝の体にどのような影響があるとも知らぬ事だ。承知の上か?」
「何回言わせりゃいいんだ!はやくしてくれ!」
それくらい分かってる。でも、このまま郁を死なせたりはしない。
「…ふ、聞くだけ野暮だったか…」
ラファエルは郁の頭上に手をかざし、何やら唱えている。
すると、だんだんと郁の呼吸も顔色も落ち着いてきた。
「…では、我は還る…有士よ、永久に汝らを加護しようぞ」
そう言い残すと、ラファエルはすうっ、と消えていった…。
「(…山階有士…彼らの血を引く者…まだ望みはある、か…)」
「…???」
不意に、頭の中をかすめた声。
…意味わからん。