初めての夜
「…っ」
夢…だったのか。
いや、夢と言うよりは、記憶に残っていた映像が再生された、と言うべきか。
そういえば、あれからか…俺と郁が、力を扱えるようになったのは。
どれくらい寝てたんだろう…。ポケットのケータイで時間を確認した。
「うおっ…」
沙紀さんにこの部屋へ案内してもらってから、既に4時間程が経過していた。
現在時刻は、午後7時をすこし回ったところ。
そろそろ飯の時間か…。
こんこん。
「はい?」
「晩ご飯の用意が整いました」
扉の向こうから沙紀さんの声が聞こえた。
「すぐ行きまーす」
返事通りに、すぐに食堂へと向かっていった。
「有士、寝癖?それ」
「あ?」
「制服のまま寝てしまわれたんですか」
「ああ、余りにも気持ちよくて」
さっきまで多少寝ぼけていたから気付かなかったが、ブレザーのボタンは外れていて、Yシャツははだけていて、ネクタイも首からぶら下がっているような状態だった。
「全くもう…しゃんとしなさい」
「郁様も似たようなものでしたけど?」
「うりゅ…」
「何だ、お前も昼寝してたのか」
「ん、ベッドがあんまりにも気持ちよくて」
「俺もだ…あれには逆らえん」
郁は、俺の正面に立って格好を勝手に直し始めた。
「あら、らぶらぶですわ~」
またこの人はそーゆーことを…。
「はい、終わりっ」
またも頬を赤くしている。
いや~かぁいいな~…。
ありゃ?そういえば圭君も憲吾さんも里紗さんもいない。
「あの、他のみんなは?」
「旦那様と奥様は、若い二人の邪魔をするのも悪いだろうと言って別室で食事をとられています。圭様もそちらにいますよ」
「昨日も今朝もあんなにはしゃいでたのに…変な気遣わなくてもいいのになぁ…」
「みんな一緒の方が楽しいのにね~」
「それなら後ほど伝えておきますね。では、席についてください」
「ん」
「それでは、いただきましょー」
「「いただきます」」
例によって郁が手伝って作られた料理。
破滅的な物がないことから、郁はそれなりのセンスは持ち合わせていると思う。
「で、郁の料理の腕はどんなもんです?沙紀さん」
「そうですねぇ、普通の方よりはセンスは感じられるんですけど…」
「何か問題でも?」
「包丁で刻むことはできるんですけど、果物やニンジンなどの皮むきができないんです」
「は?基本だろ?始めに教える物なんじゃ…」
「それがねー、何かダメっぽいの」
「たとえばリンゴを持たせるのは平気なんですけど、一緒に包丁を持たせると郁様が嫌がるので…」
なんじゃいそりゃ。
「包丁で野菜とか刻めて、皮むきができないはず無いだろう」
「前ねー、お母さんがやってるの見てて、お母さんがケガしたことあるのね。それで結構血が出てたの覚えてるから…それのせいかなぁ?」
「トラウマのようなものでしょうか?」
「どうだろうな。ま、どうせずっとこの家にいるんだから、沙紀さんとかほかのメイドさんができれば問題ないな」
「はい、その通りです。これからもびしばしいきますからね、郁様」
「うっ……」
「…ま、がんばれ」
何気に沙紀さんって厳しそうだもんな…。仕事も何に関しても徹底してるみたいだし。
後は郁次第。
ちらっと、郁の方に目をやる。
「ぶるぶるぶるぶるぶる…」
…だめっぽい。
食事が終わると、郁が話しかけてきた。沙紀さんは、片づけに入っているようだ。
「ね、後で有の部屋行ってもいい?」
「?別に構わないぞ」
「んじゃあ、行く前にメールするね」
「ん、了解」
家、広いもんな…。
足音でもわかりにくいし。
しかし同じ家の中でメールするのもおかしな話だ…。
「あと、後片づけも手伝えよ。準備に始まり片付けに終われ」
「手伝おうとしたんだけど、なんか思いっきり拒否されたの」
「?」
「私そんなに慣れてないから、力使って手伝おうと思ったんだけど」
「はあ」
「家事ってどの天使に力借りればいいのかな?」
ガクッ。
「そんなことで力使うな!お前はいつも無駄遣いしてるな」
「いやぁ…てへへ」
「照れるな!」
「じゃ、じゃあまた後でね」
ぱたぱた、と駆けていった。
逃げたな…。
家事手伝いの属性を持つ天使なんていたっけ?
…ロビングッドフェロー?
あれは妖精か精霊か何かか…。
というか、その程度で力使おうとかどれだけ力を持て余してるんだ?
俺なんか一度使えば疲労感でその日に二度目なんて使おうと思わないぞ…。
まあ、とりあえず俺も部屋戻ろう…。
ピロ~リ~!
風呂(俺専用)上がりに部屋に戻ってくると、ちょうどケータイが鳴った。
…郁か。
『今から行っても兵器?』とある。
阿呆。
兵器なわけあるかい。
『兵器だ~』とメールを返す。
時間は…もう10時か。
こんこん。
「どうぞ」
しばらくして、郁が来た。
「おじゃましま~す」
「お邪魔されます」
あ、そうだ。
「さすがにあの誤変換にはしてやられた」
「うっ…いいでしょ別に。伝わったんだから」
「どんだけ緊張してんの」
「べっ…別に緊張なんて…ここ私の家だし」
郁は、きょろきょろと、部屋を見回す。
「…ホント、あんま部屋変わってないね」
「まあな」
「でもちょっと違和感。天井高いし、物と物の隙間広いし」
「うーん、どうしたものかなと考えてはいるが。隙間埋める物も特にないし」
「ま、そのうち慣れるでしょ。有、神経ぶっといし」
「失礼なヤツだ」
とてとてと、ベッドに腰掛けている俺の横まで郁が来る。
「どした?郁」
「や、こうするの久しぶりだなって」
と言って、俺の手を握ってきた。
「子供の時…っていっても、小学生の時以来かな」
「そんなもんかな」
「えへー、はっぴーだよぉ~」
「そか」
「んもぉ、リアクション薄いよ~。もっとこう、言葉やら行動やらで『俺もはっぴーだぞ』とかしてくれてもいいじゃん~」
…なんか昨日の朝も似たようなことしてたような気が…。
昨日は何故か怒ってたんだよな…。ま、ここで怒られるのも何だし…。
「ああ、俺もはっぴーだぞ」
軽く握られた手に力を入れてやる。
「…やっぱ似合わない、有にそーゆーの」
くすくすと笑っている。
してやられた感じ…。
「でもね、私、そんな有が大好きだよ」
「郁…?」
「有は…ぶっきらぼうで面倒くさがりだって周りの友達は言うけど、私は…有が本当は誰より優しくて、心配性だってこと知ってる」
「ほめてんのか?」
「もちろん。有は、私のことは、好き?」
そんな真顔で言いますか。
って普通真顔になるだろうけどさ。
「もちろん好きだ、郁」
言って恥ずかしかった。
郁もそれを聞いて恥ずかしがっている。
と、郁が急に顔を近づけてきた。
「キス、してほしい…」
「郁…?」
「有士が、私のことを好きっていう、確証がほしい…」
ためらうことはなかった。
俺たちは、自然に唇を重ねていた。
5秒程の、短いキス。
口を離すと、いきなり抱きついてきた。
「郁?」
「…恥ずかしかった~。顔真っ赤になってるから。こうしてれば見られないし」
「な~る」
茹でダコ発生。
「…キスって、気持ちいいね。これからもたくさんしたい」
「郁が望むなら、いつでもしてやる。ただし、人がいないところでな」
「もちろんだよ、人に見られたくなんてないもん…恥ずかしいからね」
抱きつくのをやめて、もう一度唇を重ねる。
今度は、お互いを求めるような長いキス。
不慣れだが、それでも一向に構わないと思った。
目を開けると、幸せそうに頬を赤く染めた郁の顔が間近にある。
深く、深く。
舌を、郁の口の中に割って入るように入れると、初めは何やら戸惑う感じがしたが、だんだんと舌を絡めてきてくれた。
「っはぁ…」
唇を離し、お互い見つめ合う。
「郁、別に息止めてなくてもいい。ちゃんと呼吸しないと辛いだろう」
「へ?でも…」
「息がかかるのなんて気にするな」
「ん、わかった」
ちゅ、と俺の頬にキスをした。
ふと、間。
「やっぱり恥ずかしいもんだ」
「…うん」
「とりあえず、今日は戻ってくれ。今これ以上一緒にいると…たぶん、おさまり利かなくなりそうだ」
「…私なら、いいよ」
「…え?」
「有が望むなら、私は…有に全部あげるよ。そのつもりで来たんだし…」
「…郁」
その言葉がきっかけで、俺は郁を抱きしめる。
もう、止まらなかった。
笑いが。
「顔、真っ赤だぞ、郁」
ポカッ、と軽く頭を小突いてやる。
「そんなに顔真っ赤にして目回して、お前そんなに恥ずかしいならもうちょっと精神を鍛えろ」
「むぅ…なんかダメ、緊張しすぎちゃって頭ふらふらすゆ」
…だめだこりゃ。
ガチャ。
「あらー、郁様大事なところで限界でしたか」
「え、ちょ」
沙紀さん?
「仕方がありません、部屋にお戻りになりますか?郁様」
「ふぇ~、あたしもうだめ」
ぱたん。
きゅ~。
俺のベッドに倒れ込んだ。
「残念でしたね、有士様」
「いや、いい。どのみち郁がこの状態じゃどうしようもないし」
「それでは、おやすみなさいませ」
郁をお姫様だっこし、沙紀さんは部屋を出ていった。
なかなかの筋力だ。
「うーん…」
もし俺と郁にナニがあったなら、それは全て沙紀さんに筒抜けだったと…?
はっ!?
ということはさっきまでの恥ずかしい流れ全部聞かれてた…!?
いや沙紀さんのことだ、全部見られてた可能性も…!?
はあ…。
もういいや、とりあえず寝よう…。