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第5話 「Saint Anger」

 ──時は少し遡る。


 「はばたきの園」へ戻ったマリンは、捨てる予定のタオル等を物色してるところを運悪く仁美に見つかってしまっていた。

 嘘の理由をでっち上げることも出来たが、別に悪いことをしにいくわけでは無いとマリンは正直に話すことにしたのだが、思いもよらぬ言葉が返ってくる。


「その子を飼うことは出来ないけど、拾ってくれる人を探す少しの間ならばここに置いても大丈夫だと思うよ」


「そ、それは本当かい?」


「優太くんがここへ来る前にも似たようなことがあってね。その時は子犬だったけど、引き取られるまでの一ヶ月くらいはここで世話をしていたんだよ」


「ははは。だったら、そのままあの子猫をここへ連れて来れば良かったね」


(僕としたことが失敗だったね。興味のあることへの質問だけでなく、他愛のない世間話でもしていれば、そういった会話が出て来た可能性もあっただろうし、その知識で迷わずここへ運ぶ判断も出来ただろうに。やはり、コミュ力に難があるね僕は。改善しなくてはね)


 この世界で六歳児にそこまで求める者はいないだろうが、自省するマリン。


「じゃあ、すぐに子猫を連れて来るよ。本当に有難う先生」



 ──そして現在。



 マリンの目の前にはいつもの悪ガキたちがいた。

 彼らが何故ここにいるのか。

 学校から尾行(つけ)られていたわけではない。訓練されたわけでもない者の長期の尾行が分からぬ程、マリンは平和ボケしてはいないからだ。

 恐らく、マリンが子猫を抱えたまま公園に入るところを偶然見られ、マリンが去った後に子猫を見つけたといったところか。


「おい、コイツはお前のペットか?違うよなあ。お前、捨て子だもんなあ!」


 悪ガキたちのリーダー格の男児がまるで勝ち誇ったかのように笑いながら言った。その顔はマリンにはとても醜く歪んで見えている。


「動物を隠れて飼っちゃいけないんだぞー」


「そうだそうだ!」


「いーけないんだーいけないんだー」


「せーんせーに言ってやろー」


 リーダー格の男児に続くようにそう次々と声を囃し立てる悪ガキ連中。

 踏みつけられた子猫はピクリとも動かない。その小さな命の灯火が尽きていることが遠くからでも見て取れる。

 マリンの頭の中では、ガイの手によって振り下ろされた剣から自分を庇って斬り伏せられたガーティの姿がフラッシュバックしていた。


「いーけないんだーいけないんだー!!」


 彼らのその下賤な合唱が耳に入る度、マリンの中の何かが沸々と沸き立っている。


「おいおい、震えてるぞコイツ!」


 そう言われ、わなわなと震えている自分にマリンは気が付く。勿論、怖いとか恐ろしいといった類の震えではない。



 それは、明確な怒りであった。



「……どうやら僕は間違っていたようだ」


 マリンは何かを決意したかのように一つ大きく息を吸って吐く。先程までざわついていた彼の心は嘘のように静まり返っていた。


宍戸麗美(シシド レミ)。君は正しかった。そして、ガーティが殺された時も僕は迷わずこうするべきだった(・・・・・・・・・)


 そう言い終えると、マリンは早口で詠唱を行う。

 とても長い詠唱。

 前の世界であれば、敵の面前でそんなことをしたならば真っ先に術者が狙われ、その魔術が発動に至ることはほぼ無いだろう。


 だが、ここは魔術など存在しないと誰もが思い込んでいる世界。マリンのその行為を止めようとする者は疎か、彼が何をしようとしているかさえ想像出来る者はこの場には誰一人としておらず、悪ガキたちは陶酔したかのように一心不乱にマリンへの愚弄の合唱を続けている。



 そして、マリンはその詠唱を終えた。



「!!!!!?」


 突如、悪ガキたちは全員その場に倒れ、のたうち回った。

 先程まで下卑た笑いを浮かべてた顔を苦痛に歪ませながら。


「あ……あ…………」


「苦しいかい?苦しいだろうねえ。でも、君たちの下らない戯れで命を奪われた彼はもっと苦しかったろうさ」


 マリンは悪ガキたちを見下ろしながらそう言い放った。

 その目は暗く冷たい。


「僕が気に入らないのならば、僕だけを狙えばいい。でも、君たちはそうしなかった。あまつさえには小さくか弱い彼を狙い、そして命まで奪った。そんな君たちを僕は許せない。……安心したまえ。君たちと違って僕は命までは奪わない」


 聞こえているのか聞こえていないのか。マリンの言葉に誰も言葉を返しては来なかった。

 それでも構わないといった様子でマリンは言葉を続ける。


「この術はねえ、心を砕く術なのさ。魂だけの存在になった経験を基にこの世界で生み出した僕のオリジナルだよ」


 直後、ガラスが砕け散るような音が辺りに響き渡った。だが、その音を聞けたのは、マリンと悪ガキたちだけであった。


「……………………」


 すると、もがき苦しんでいた悪ガキたちはピタリと動きを止める。

 そして、虚ろな目をしながら機械のように規則的な呼吸を繰り返し始めた。


「心を砕かれた者は、死ぬまでただ呼吸を繰り返すだけの肉の塊となる。口にものを入れれば自動的にそれを咀嚼し、飲み込むから飢えで死ぬこともなく、生き続けることは出来る。良かったじゃないか。罪なき無垢な命を奪うような人でなしである君たちには、心なんて必要ないだろ?」


 マリンは吐き捨てるようにそう言った。

 元々荒事を好まぬ性格であることに加え、「生命」の研究をしていたからこそ、マリンは命の重みを理解しているつもりであった。故に、悪ガキたちが悪意を持った上で接してきても、それを暴力という形で返すことはしなかったのだ。

 だが、その結果として失われるべきではない命が失われることになってしまった。


(争いは何も生まない。だが、非戦もまた何も守ることが出来ない)


 マリンは子猫の元へ歩み寄る。

 子猫は呼吸もしておらず、ピクリとも動かない。


「……可哀想に。すまない。僕のせいだ」


 マリンは子猫の亡骸を抱き抱える。


「もう、ここに君の魂はない。空っぽだ。それがなんと悲しいことか」


 この子猫と出会ったのはついさっきであった。時間にして一時間も経ってはいない。

 だが、マリンの心は大きく揺さぶられていた。その手にはまだ子猫の命の温もりが残っている。


(僕にもまだこんな感情があったのか……)


 自らの掌を見つめながら、マリンは驚きを隠せないでいる。前の世界ではとうに枯れ果てていた精神はそのまま喜怒哀楽といった感情までも抑制していたのだ。

 「転生の魔術」を使ったことで赤ん坊の肉体から全く別の世界で始め直すことになり、様々な未知をその身に感じたことで、その褪せた感情が色鮮やかに蘇ったのかも知れない。


(きっと、今の僕ならば、ガーティを殺された時点で死の教団の連中をこいつらと同じような目に遭わせていたに違いない。それを未熟と、愚かしいと謗るならば謗るがいい。あの時の僕と比べて、今の僕の何と人間らしいことか!)


 マリンの目からは自然と涙が溢れる。それが手の甲にぽとりと落ちると、まるで熱を持ってるかのようにマリンへ錯覚させた。

 数百年ぶりに流す心からの涙はそれ程までに熱く迸っていたのだ。それを止めることも拭うこともせず、マリンは溢れ出した感情にただその身を任せていた。



 どれ程そうしていたのか。

 夕陽がまだ落ちきっていないところを見ると、時間にして二十分も経ってはいないだろうか。

 特に騒ぎになっていないのを見ると、この場に人がやって来た様子はないようだ。

 この公園はこのくらいの時間帯から極端に人がいなくなる。それがマリンを助ける形となった。


(……とはいえ、何時までもこうしているわけにはいかないか。このままここにいて面倒に巻き込まれるのは本意ではない)


 子猫を抱き抱えたまま、マリンは悪ガキたちの元から離れる。


(放っておいても最悪明日には誰かが彼らを見つけるだろうが……)


 去り際にマリンはスッと詠唱すると公園の外灯の一つにそれを放った。


(光を強める魔術。遠くから見てもあまりに不自然に強く光るから、気になって確かめに来る者もいるかも知れない。僕が彼らにしてやるのはこれだけだ。それ以上してやることはないね)


 マリンは自分がしたことに後悔はしていなかった。

 まだ子供である彼らに輝かしい未来があったとしても、悪意を持って命を奪う程の罪に対する罰を受けなくてもいいという道理はないからだ。


 この世界には未成年、特に児童が罪を犯しても保護観察という形での監視が付けられるだけで、相応の罰が与えられることは無いのだという。まともな判断能力を持たない、養われる前に行ったことは罪に値しないという考え方なのだろう。

 例え幼児であっても他者から物を盗めば死罪にもなりかねなかった前の世界と比べて何と寛容なことか。


 しかし、子供は馬鹿ではない。彼らのように群れることで「自分たちは強者である」と誇示しては、「それが相手に苦痛を与える」ことを理解した上でどんな蛮行をも行える。それが小動物、或いは同じ人間の命を奪うことになろうとも。

 そこまでの知力があるのならば、大人と同じように裁くべきである。と、そう思うのは、マリンの精神がこの世界の人間ではないからというのも大きいのかも知れない。


「……そんなことよりも君の墓を、と言いたいところだが、この世界では動物と言えども、こういった場で勝手に埋めてはいけないらしい。一度『はばたきの園』へ連れて行き、先生たちの判断を仰ごうか」


 歩き出そうとした瞬間、マリンは突如として妙な気配のようなものを感じた。


「なん……だ?」


 人、ではない。また、鳥や動物といった類のものでもない。

 そもそも、その気配は実体を伴うものではなく、彼が魂だけの存在だった頃に感じていたものに近い感じであった。


「!?」



 次の瞬間、抱えていた子猫が発光する。

 それは僅かな時間であったが、眩く何処か温かい光であった。



《んん……》



 脳内に声が聞こえてくる。

 魔力を用いた念話。そして、その声はマリンのよく知る声であった。

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