第3話 「Communication Miseducation」
一年後、六歳になったマリンは小学校へと通うことになった。
「はばたきの園」は、あまり裕福では無かったものの、マリンの実力であればと親代わりである老婆の園長から私立への受験を薦められたが、彼はそれを断る。
「どうして?お金のことなら、気にしなくてもいいのよ?」
「学べることは私立でも公立でもそんなに差は無いのだろう?だったら、無駄に金を使う必要は無いよ」
「でもねえ……」
「それに、僕は堅苦しいのは好きじゃないんだ。同じ学ぶにしても自由に伸び伸びとしたい」
「うーん。優太がそう言うのなら……」
園長なりにマリンの才能を考えての提案だったのだろうが、最終的にはそう言ってマリンの意思を尊重してくれた。
そうして、マリンは白夜小学校へ入学する。
彼にとって、それからの日々は幸福を極めていた。
(こんなにも本があるなんて……!!)
初めて校内の図書室を見た時には卒倒しそうになる程の興奮を覚える。
養護施設の読書室にも多くの本があったが、その殆どは児童向けであった。マリンがこの世界の言語や常識などを覚える一助にはなったものの、彼の知識欲を満たすのには足りなかったのだ。
(ああ……ここに籠り、端から端までの本を取ってきてそれらを全て読み耽りたい……)
だが、それは叶わぬ願いであった。
マリンが本を読めるのは休み時間と放課後に限る。だが、生徒が学校に残れるのは夕方まで。ましてや低学年であるマリンは早めの帰宅を促されていた。
(借りられる本は五冊まで……。うーん、もどかしいねえ)
とはいえ、規則は規則である。
それを破ることで本が借りられなくなったり、図書委員の人たちの心象を悪くすることには何のメリットもない。
(まあ、いいさ。楽しみってのは一気に消化してしまったら案外味気ないものだ。今はこのもどかしさも娯楽として楽しむとしよう)
そうは思いつつも、マリンは学校にいる間は出来るだけ図書室へと通っていた。
休み時間という休み時間はそれに費やし、授業と給食以外でマリンの姿を教室で見るのは稀な程であった。
そんなことを続けていると、マリンは一躍校内の有名人となる。
まだまだ遊びたい盛りである一年生が、まるで図書室を第二の棲家が如く利用しているのは、周りからも奇異に映るのだろう。
いつの間にか、マリンは図書委員を務める上級生や職員からは、「図書室の妖精」と揶揄されるようになっていた。
「おい!」
目立つということは、それを快く思わない者を呼び寄せるということでもある。
「おまえ、ナマイキだぞ!」
同じクラスの男子グループの一人が、図書室へ向かおうとするマリンにそう声を掛けてきた。
不良という程ではないが、悪ガキといった塩梅か。
「ふむ、そうかい」
マリンはそれだけ返すと、足早に教室を出ようとする。
「まてよ!」
小太りの男子が教室の出入り口を塞いだ。
「そこをどいてくれないか?僕は本を読みに行きたいんだけれども……」
「うっせー!とおすかよバーカ!」
「ふぅむ……」
マリンは面倒臭いことになったな、と内心思った。
「おまえ、親がいないんだってな?」
「施設でくらしてるんだろー?」
小太りの男子の仲間が次々とそう言葉を浴びせかけてくる。
「……確かにそれらは事実だけれども、だから何だと言うんだい?」
マリンにとって、それは取るに足らないことであった。
前の世界でも、そういった出自に関する口撃はあったし、何ならば貴族と平民など身分の格差はこの世界よりも大きかったのでもっと激しかったと言える。
だが、そんなことをわざわざ言う人間は例外なく無能であった。
まともな思考を持っていれば、他人の出自など気にする前に自らの研鑽に時間を使う。
少なくとも、マリンが有能と感じる者たちはそうであった。
それを知っていたので、こんな下らないことに時間を使わさせられる苛立ちはあったものの、その言葉と行為に傷付くことは無かった。
「すーてーご!すーてーご!すーてーご!」
そういった言葉をまるで合唱するかのようにリズムを取りながら囃し立てる目の前の悪ガキたち。
知性の欠片すらまるで感じられず、マリンは寧ろ憐憫の感情の方が強かった。
小太りの男子も一緒になって手拍子している。
「ちょっと!あんたたち止めなさいよ!」
ツインテールの少女がそう言って悪ガキたちを咎める。
しかし、悪ガキたちは止めるどころか煽るかのように声を更に大きくして続けた。
少女は怒ったような表情でそれを見ている。
(ハァ……)
マリンは心の中だけでなく、思い切りため息を吐きたい気分になる。
(話し合いをしてくれる雰囲気でもないな。こちらの言うことは聞く耳一切持たずといった感じだ。さて、どうしたものか)
図書室へ行くのを諦めるか。
(いや、その選択肢は無いな。こういうことで成功体験を与えてしまうと、この子たちは将来的に事態の解決を暴力や恐喝といった行為に委ねる人間になりかねない)
別段、マリンは彼らの親でもないのだから、そんな心配をしてあげる必要などはない。
だが、中身は遥かなる人生の先輩なのだから、彼らがまだ幼い内に正せるものは正しておいた方が良いだろうとは考えていた。
(正しいことを述べたとて、今の彼らは聞き入れようとはしないだろう。ならば、そんな目論見は上手くいかないのだと分からせるのがいいかな)
日々、魔術師としての鍛錬を欠かさないマリンは身体能力も高くなっていた。体格こそ目の前の小太りの男子に劣っていても、遅れを取ることはないだろう。
(でも、僕は解決を暴力には委ねない)
マリンは咄嗟に首を横に向け、大きく視線を逸らした。
小太りの男子も釣られてマリンが視線を向けた方へ首を向ける。
その隙を逃さずマリンは小声で早口に呪文を唱えた。
すると、視線を戻した小太りの男子が突然慌てふためく。
「お、おい!あいつどこ行った?」
「?そこにいるだろ?」
「ど、どこだよ!?」
「おまえ、どうしたんだ?」
目の前にいるマリンを見失っている小太りの男子とその様子に戸惑う彼の仲間たち。
マリンは悠然とその脇を通り抜ける。
(僕の存在を認識出来なくなる魔術。風の魔術の応用だね。なあに、そんな強い魔術じゃないからすぐに効果は切れるさ)
そんな感じでマリンは、悪ガキグループのちょっかいを時には魔術を用い、時には知恵を用いて躱し続けた。
そういうことが続けば、さしもの彼らも学習し、直接的に絡んでくることはしなくなった。
──だが。
「……………………」
学校の外のゴミ箱に捨てられていたマリンの教科書、ノート、それに図書室から借りていた本は何らかの刃物によって切り刻まれ、見るに堪えない落書きに塗れている。
(やれやれ……としか言いようが無いねえ、これは)
マリンは肩を竦めるとそれらを一つずつ拾い上げていく。
「ちょっと!!」
すると、背後から誰かに声を掛けられた。
振り返るとそこにいたのはツインテールの少女だった。
悪ガキたちが何かしらちょっかいを出してきた時にいつもそれを咎めていたあの子である。
「……君は確か、宍戸 麗美だったかな?」
マリンの……もといマリンの頃からの悪い癖だが、彼は他人への興味が薄かった。
前の世界で学園に通っていた時も同年代の学友たちの顔と名前が一致しないことは多々あり、怒られたり呆れられたりしたものであった。
(だが、改善の意思はあるぞ。だから今はクラスメイトの名前と顔くらいはこうして覚えている)
そのくらいは当たり前なのだが、彼にとってはそれなりの一歩なのだろう。
「ねえ、あんた。悔しくないわけ?」
少女──麗美はそう言葉を投げ掛けてきた。
「……悔しい?どうしてだい?」
マリンにはその問いの意図がよく分からなかったので、つい問いに問いで返してしまう。
「男の子なのに情けない!」
すると、麗美はそう返した。
互いにまるで答弁になっていない。
「……すまない、少し整理させてくれ。ああ、まずは君の問いに答えるとしようか。悔しいのか?と聞いたね?それに関しては全くと言っていい程に悔しさは無いよ」
「やっぱり意気地なし!」
「それと意気地が無いことの繋がりがまるで理解出来ないのだけれども……」
「男の子ならやり返しなさいよ!」
彼女は「男の子」というのをどう定義しているのだろうか。
そう考えざるを得ない言葉であった。
「……ああ、君はもしかして『やられたのならばやり返せ』と言いたいのかい?」
それは至極シンプルで、且つ愚かな策である。
「僕としては、あまりオススメしないな。仮に僕が君の言うように彼らに対して暴力なりの見える形でやり返したとしよう。それで彼らが引き下がるだろうか?その可能性は限りなくゼロに近いと思うね。恐らく、引き下がるどころか余計に僕のことを憎むだろう。事態の解決どころか無駄に長引かせるだけだよ」
「ハァ?そんなの言い訳じゃん!やってもいないくせに!」
マリンの持論は一考すらされず感情的に返された。
「……じゃあ、もしも僕が彼らにやり返して、その結果として僕の言った通りになった時に、君は責任を取ってくれるのかい?」
「ハァ?何でわたしが?」
「……………………」
マリンは頭を抱えそうになる。
人の話は聞かないし責任も取らないが、自分の言ってることは通したいということか。
恐らく、麗美は悪意を持ってそう言ってるのでは無い。
それはマリンにも理解は出来た。
悪ガキたちに対していつも声を上げるのは彼女の正義感が故だろうし、こうしてマリンに声を掛けたのも彼女なりに発破をかけようということなのだろうから。
少なくとも、マリンでなければそれは救いの手にもなったであろう。
だが、だからといって一方的な正義とその押し付けを全面的に許容していいものではない。それは独善であり、下手すると悪意よりも恐ろしいものに変わりかねないからだ。
転生を行うことになった切っ掛けがまさにそういった相手との対峙であっただけに、マリンはそれを身に沁みて理解しているつもりである。
「……つまり、君はこう言いたいわけだ。僕に『彼らを殺せ』と」
「!?そ、そこまで言ってないでしょ!!」
マリンの強い言葉に初めて麗美はたじろいだ。
マリンは更に続ける。
「いいや、君はそう言っているんだよ。いいかい?僕は先程こう言ったんだ。『僕が報復すれば、彼らもまた憎しみを持って報復してくる』と。憎しみの連鎖ってのはそう易々と断てるものじゃないんだよ。そして、その果てはどちらかが潰える時……つまり死ぬ時だ。僕は死にたくはない。だから、君の言うことに従うのであるならば最終的には相手を全員殺すしかない」
極論であることはマリンも重々承知である。
だが、まだまだ感情を優先させる年齢の彼女にはこのくらい言わないと通じないだろう。
「じゃ、じゃあ先生に言えば……」
「方法が違うだけで、それは報復と同じだよ。尤も、先生からの叱責で改心出来るような知性と理性があるならば、そもそも最初からこんなことをしようとは思わないだろうけれどもね」
「……………………」
麗美は反論することなく押し黙った。
暫くするとポロポロと涙を溢し始める。
それこそが彼女の返答であるかのように。
(……少し言い過ぎてしまったかな?)
相手はまだ身も心も幼いのだ。
言い方というものはあったと、さしものマリンも少し反省をする。
「……すまない。君が善意で接しているのは分かってはいるんだ。僕のことを思って言っているのだろうということも。しかし、言い方が良くなかった。これは僕もだが。それに、相手の意見を聞かないで一方的に自分の意見を押し付けるのも良くなかった。互いに反省すべきところがあったということで、この場はそれで終わりにしたいと思うのだけれどもいいかな?」
「……………………」
麗美はこくりと頷く。
「了承、ということでいいんだね?では、これでこの話はお終いだ。さて、もうすぐ夜になってしまう。早々に帰宅することにしようか」
「……………………」
麗美は再びこくりと頷いた。
そして、泣き止んでから、気まずそうにその場を去って行く。
その姿を見送ってからマリンは先程拾い上げた教科書やノートに向けて魔術を使った。
すると、落書きは消え、切り刻まれた部分が修復されていく。これらは魔術の応用と組み合わせによってなされたマリンのオリジナルであった。
やがて、見るも無惨だった教科書やノートは元の状態へと戻った。
(ふぅ。やれやれ。教科書とノートは自由に使えるお金に限りのある園長殿がその僅かな猶予で僕に買い与えてくれたものだし、図書室の本に至っては学校の所有物だ。それを知らずにやってるならば愚か極まりないし、知っててやってるならば流石に見過ごせないな)
自分の肉体だけが傷付けられるのであれば、それは自分がどうにかすればいい。少なくとも、数百年の孤独の中を生き抜くことの出来ていたマリンはそう思っている。
だが、物──それも自分が自分の力だけで手に入れたわけではなく、自分を思って与えられた物に危害を加えられるということは、それを与えてくれた者へも波及する問題だ。
(ただ躱すだけでなく、何らかの対処は必要か……。ふぅ、結果的に彼女──宍戸麗美の提案の一部に乗る形になるのか。これは、彼女にまた謝罪をせねばならないかな?はてさて、どのような形で対処しようか……)
そうは思いつつも、マリンは一先ずはと借りた本の返却と新しい本を借りるために図書室へと向かうのであった。




