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第2話 「Awakening in the new world」

 コインロッカーの中からマリンが保護されてからは慌しかった。

 まず病院へと搬送され、適切な治療により一命を取り留める。医者たちによれば、あのまま放置されていれば一日も持たなかったであろうとのことだった。

 また、母親と思われる人物は幼児遺棄で逮捕されたという。


 それらの出来事がまるで他人事のようなのは、その時のマリンには彼らの言語がまるで理解出来なかったからであった。

 如何にマリンが賢者でも、未知の言語を瞬時に理解しろというのは無理である。そして、そのことで確信したこともあった。


(ここはどうやら僕がいた世界とは異なる世界のようだ)


 最初は世界の果てか海底か地底かあるいは天空か、マリンでさえ行けぬ知らぬ文化圏のところなのかとも思ったのだが、それでもここまで言語体系が違うというのは考え難かった。

 研究を人生としての生業としている彼にとって言語というのは重要で、文字や言葉をまず理解出来ないことには研究のしようもない。

 古代語からマニアックな民族間の言語まで習得しているからこそ、目の前で交わされていた言語が根本から異なるものであることに気付いたのであった。


 それ以外にもマリンが寝かされている部屋。細部まで消毒の施された異様なまでの清潔さと数々の見知らぬ装置、そして室内と同じくらい真っ白な服を着た医者と思わしき男女の持つ板などは、異質と呼ぶには言葉が足りないくらいであった。


(古代の文明では、宙に浮いたり、その場の風景を像として出力する装置などがあったというし、そのいくつかは僕もこの目で見てこの手で触ったこともあるけれども……。そんなものは、ここにあるものと比べたら天と地なんてもんじゃないくらい技術レベルに差がある。例えば、彼らの持つペンだ)


 医者の一人が胸に差したペンを取り、何かを書いている。


(僕らの世界で使うペンはいちいちインクに浸けて使う。すぐ乾いて何度も浸け直す必要があるし、そもそものインクもペンも、よっぽど裕福じゃなければ粗悪品ですぐ使い物にならなくなる代物だ。一枚の羊皮紙を埋めるのに瓶一個ペン一つじゃ足らないくらいにね。ところが、彼らの使うペンはどうだ?わざわざインクに浸けなくてもいいし、長々と使っても大丈夫なようだ。そんなマジックアイテムみたいなものを|誰もが当たり前に持っている《・・・・・・・・・・・・・》。いやはや、恐れ入ったね)


 マジックアイテムなぞマリンが知る限りではどれも高級品であり、量産もされていないため、一介の冒険者が一つ手に入れるのも困難なものであった。それに匹敵するものが、まるで日用品が如く扱われている。

 世界の全てを見てきたと自負していたマリンであったが、ここまで有り得ぬ光景を見せられると、些か畏れの感情も出て来てしまう。


(だが、同時に興味津々でもある。ああ、早くこの世界をこの目で見て回り、この手で触れてみたい!)


 少し前まで死を間近に感じていたことをすっかり忘れ、マリンは心をこれ以上ない程に躍らせていた。


 しかし、残念ながらマリンは自由に諸国漫遊出来るような肉体にも年齢にも育っていない。それ以前にロッカーに捨てられていた赤ん坊であったマリンは治療が終わると然るべき施設へと預けられることになったのだ。

 所謂、養護施設である。


(こ、ここは本当に孤児院なのかい!?)


 ただ、マリンにとってはそれさえも宝の山に身一つで投げ込まれたようなものであった。

 見たことのない建築、見たことのない衣服、見たことのない書物、その他諸々……目に映る全てが新鮮そのものと言っていい。


(僕の知っている孤児院とはまるで違う……。ありとあらゆるものが上等だし、それでいて趣味の悪い貴族が好むような無駄な装飾などがない。実に僕好みだ!)


 マリンが入ることになった養護施設は「はばたきの園」という名で、この世界においては一般的か少し貧しめな部類である。

 しかし、そもそもの文化レベルがマリンのいた世界と大きく異なるのだから、彼にとっては寧ろ僥倖であり、その興味と好奇を満たすのに一年や二年ではとても足らないくらいであった。


 気が付けば、彼が「はばたきの園」に預けられてから五年の歳月が過ぎていた。


(……いやあ、楽しい時間はあっという間だね。しかし、実に快適で有意義だった。ここにある本からは、この世界の知識もある程度は得られたし、空いた時間で瞑想やイメージトレーニングを重ねて魔術の自己鍛錬も行えた。まだまだ、前の肉体の時には及ばないが、最低限の力は蓄えられたと言ってもいいだろう。それに何と言っても食事が素晴らしい!)


 マリンは目の前に用意された朝食を見る。

 小さな子供が食べ切れるサイズのパンと野菜スープ、そして紙パックの牛乳が置いてあった。


(食なんて興味がとっくに失せて、ついこの間まではただ空腹を満たすためだけに硬く不味いパンを腹に入れていただけだったれども、このパンの柔らかさと甘さ、そして美味さはとても言葉に言い表せないよ!野菜スープも野菜の甘味だけでなく、塩味もしっかりとあって、野菜がそんな好きじゃない僕でさえ何時までも飲んでいたいと思わせる。それが、朝昼晩と三食出て来るなんて至れり尽くせりって奴だね)


 マリンはパンを千切りながらそんな感慨にふける。


「せんせー、ぼくもうパンあきたー」


 突如、そんな声が聞こえてきた。発したのは、隣に座ってる男児のようだ。

 すると、それを皮切りに次々と児童たちの声が上がっていく。


「ぼくもカレーたべたーい!」


「わたしもー!」


 それらの声は「せんせー」と呼ばれた眼鏡の女性へと向けられた。

 彼女はこの養護施設で働く職員の一人で、名を舞鶴 仁美(マイヅル ヒトミ)という。


「もう……!」


 仁美は一人ニコニコと美味しそうにパンを食べているマリンへ視線を向けて言った。


「皆。少しは優太くんを見習いなさい!」


「優太」とは、マリンのことである。施設に預けられた後、そこの院長から名付けられた。名字は院長と同じで、フルネームは「遊月 優太(ユヅキ ユウタ)」。それが今の彼の名前である。

 マリンとしては前の体と名前にもう未練は欠片も無かったので、それをあっさりと受け入れたのであった。


「優太くんは、いつもご飯を美味しそうに残さず食べて、ごちそうさまの後にありがとうとお礼を言うんだよ?先生はそういうの凄く大事だと思うし、その方が作ってくれた人も嬉しいと思う。皆もそうしてくれたら先生嬉しいんだけどなー」


「えーーー?」


「やだよやだよーー」


「カ・レ・ー!カ・レ・ー!」


 児童たちのブーイングとカレーの合唱が飛び交う。


(ふうむ。僕にとっては、このパンは毎日食べても飽き足らないくらいのご馳走なのだけれども、これが当たり前となってるこの世界の子たちにはそうじゃないのか)


 尤も、彼が知ってるのはこの世界の一部も一部。

 読書室に置いてある児童用の学習本を読んだことでこの世界についての基盤を築くことは出来たが、知らないことの方が多い。

 本の内容やここにいる大人たちから聞き出した情報によれば、ここは「日本」という国だということが分かった。そして、「日本」は先進国の一つだそうだ。


(……つまりはこの国と同等かそれ以上の国が他にもあるということか)


 この世界も例に漏れず貧富の差は大きいようで、国によってはパンすらまともに食べられぬ地域もあるという。明日を無事生きられるか分からぬ、それと比べたら今いる養護施設は何と恵まれたことか。

 だが、何も知らぬ児童たちにそれを理解しろという方が無理な話だ。彼がかつていた世界には比較にならないレベルで貧しい国もあったが、そこで暮らす子供たちでさえも日々の貧しい食事に対しては同じような不平不満を言っていた。

 世界が変わろうと変わらぬものもあるだろう。


(この子たちは決して悪くはない。だから、僕は何も言わないし、先生たちを差し置いてまで導こうとも思わない。それは、少なくとも今の僕の役目ではないからね。勿論、先生から求められれば救いの手を伸ばすことはするけれども)


「ハァ……。優太くん、お願い出来る?」


 早速、困り顔の仁美が救いの手を伸ばしてきた。

 彼女のやや理想論ではあるものの教育的で至極真っ当な言葉は、感情や衝動を何よりも優先してしまう児童たちにはあまり届かなかったようだ。


(やれやれ、だね)


 マリンは、こくりと頷く。


「……みんな。少し聞いてくれるかい?」


 マリンはゆっくりと、そしてはっきりと聞こえるように騒ぐ児童たちへと語り掛けた。

 それはただの言葉ではなく、事前に詠唱を終わらせておいた風の魔術を用い、よりダイレクトに聴衆の耳へ届くように調整されていたものであった。

 それだけに、先程仁美が呼び掛けた時とは打って変わって児童たちはマリンの言葉に耳を傾けている。

 マリンは言葉を続けた。


「……カレーってのは、時間を掛けて煮込めば煮込むほど美味しくなるらしい。つまり、今我慢したら、とても美味しいカレーが食べられるんだ。どうせ食べるなら、とびっきり美味しい方がいいだろう?だから、今は静かにしないか?」


 あれだけ騒いでいた児童たちは肯定するかのように静かになっていた。中には美味しいカレーを想像して涎を垂らしている子もいる。


「いまたべたい!!いまたべたい!!」


 しかし、変わらずそう駄々をこねる子もいた。

 三歳か四歳くらいの男児。マリンはその男児の元へ行くとにっこりと笑ってみせる。


「分かった。では、君には今カレーをあげよう」


「やったー!!」


 そのやり取りを見ていた仁美が「え?」という顔をする。カレーなんて用意してないから当然であろう。マリンもそれは理解していると彼女へ目配せする。


「……その代わり君にはとびきり美味しいカレーはあげられないな」


「えー!?」


「カレーは人数分しかないんだ。君が今食べて、その後の美味しくなったカレーも食べたら、君の代わりに誰かが食べられなくなる。その誰かはとても悲しく辛いだろうね」


「……………」


「君は誰かを傷つけたいかい?」


「……ううん」


「良かった。君はとてもいい子だ」


 マリンはそう言って男児の頭を撫でた。

 年齢からすれば一、二歳しか違わないというのにその様子は端から見ても堂に入っており、違和感を覚えさせない。


(ふう……。無理筋な屁理屈ではあったが、どうやら納得してくれて良かったよ。子供は大人よりも知識は無いが、決して馬鹿ではないからね。諭せば、言葉の意味は分からずともその本質はそれとなく理解してくれる。それに加えて、彼が心根の優しい子で本当に良かったよ)


 こうして朝の小さな騒動を鎮めると、マリンは仁美にこっそりと耳打ちする。


「……ということなので、今夜はカレーにしてあげてくれないかい?」


「今夜は肉じゃがの予定だったんだけど……仕方ないか。後でカレーのルーを買って来ないと。優太くん、本当に有難うね」


「いえいえ」


「優太くんって大人びてると思っていたけど、時々本当に私よりも歳上に見える時があるね」


 実際、中身は数百年の時を生きてきているのだから歳上というレベルではない。

 だが、だからといって中身が異世界で数百年生きた不老不死の賢者であるなど、本人がそう言ったところで誰も信じないだろう。

 故に、マリンは見た目通りの子供を装おうことは早々に止めていた。


(精神的には老人と言ってもいい僕が子供のフリをするなんて無茶が過ぎるというものだ。却って不自然になってしまう。やはり、自然体が一番だね)



 朝食後、皆が思い思いの時間を過ごす中、マリンは読書室へと向かおうとする。

 マリンがここに来た時からあった本は大体読破したが、寄贈という形でまたいくつか新しい本が入ったことを耳にしており、それを読むためであった。

 と、突然マリンの前に何かが現れた。


「おや?これはもしかして図鑑で見たスズメバチって奴かな?」


 黄色と黒の警戒色をしたやや大きめな飛行物体が威嚇しているかの如くまさに八の字を描いていた。


「スズメバチに刺されると最悪死に至る場合もあるという。僕がいた世界の毒蜂と比べたら可愛いものだけど、誰かが刺されてしまったらいけないな」


 スズメバチは立ち去ろうとはせず、寧ろマリンを敵と見なしているかのように近付いてくる。


「……荒事は好きじゃないけれども、別に僕は博愛主義者でもないのでね」


 そう言うとマリンは小声且つ早口で何かを唱え、指をパチリと鳴らす。次の瞬間、スズメバチは炎に包まれ、あっという間に灰と化した。

 再びマリンが指をパチリと鳴らすと炎は一瞬で消え、火が使われたという形跡を一切残さない。


「……たまたま迷い込んだ一匹ならばいいのだけれども」


 マリンは空いた窓を見つけると、そこから外を覗き見る。


「やはり、ね」


 視線の先にはスズメバチの巣があった。死角に作られており、発見するのは困難かと思われる。

 然程大きくは無いものの、放置しておけるサイズでもない。


 マリンは再び小声で早口で詠唱を行い、指をパチリと鳴らす。巣は一瞬で燃え上がり、中にいる数多のスズメバチも運命を共にした。

 それを見届けたマリンは建物に燃え移らなぬよう瞬時に火を消し去る。一匹か二匹、運良く巣の悲劇から逃れたスズメバチもいたが、何れも「はばたきの園」からは離れて行くのが見えた。


「……君たちにとって、僕がやったことはとてもおぞましく、恨みがましいことかと思う。でも、先に僕たちの棲家に侵略してきたのは君たちだ。だから、僕は遠慮なく抵抗させて貰った。これはそういうことだよ」


 そうわざわざ口にしたのは、自身の行為を正当化したかったのか。

 我が身を守るために戦い、その結果、相手を死に至らしめることは、マリンが前にいた世界では多くはなくとも起き得りやすいことであった。

 已む無くとはいえ、命を奪う行為をマリンはあまり好まなかった。それ故の自己弁護なのかも知れない。


(……それにしても、まだ一端の魔術師レベルとはいえ、かなり魔術をコントロール出来るようになったなあ)


 魔術は全力で放つことは意外と簡単だが、先程のように抑えて放つことはとても難しいのだ。


(今なら空を舞うひとひらの花びらの中心だけを焼き貫くことも出来るだろうね。マリンだった頃にこの域まで達したのは二十を超えてからだった)


 知識を引き継いだままの転生とはそれだけのアドバンテージであるということだろう。


(このまま順調ならば、十一か十二になる頃には「不老不死の魔術」をもう一度この身に施すことも出来るかも知れないね)


「不老不死の魔術」の術式については既にマリンの頭の中に入っている。

 あとは、それを行使出来るだけの魔力(マナ)をその身に蓄えるだけであった。


(この世界にも薄いながら魔素(まそ)があって幸いだった。魔素が無ければ魔術を使うどころの話じゃないからね。しかし、調べるとこの世界では魔術に関しては何処も遅れているどころの話じゃない。空想の産物扱いだ)


 如何に魔素があろうとも正しい魔術の知識が無ければ行使は出来ない。


(不思議な話だ。『科学』とやらは僕がいた世界を遥かに凌駕してるのにね。或いは、『科学』が発展したが故に魔術とその存在を代わったのか?考えれば考える程、興味深いテーマだね。不老不死になった暁にはそれについて研究してみることにしよう)


 マリンはそんなことを考えつつ、その足を再び読書室へと向け、その場から去って行った。

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