プロローグ
パチパチと火の燃える音と共に焦げた臭いが周囲に立ち込める。
月の光が地面にまだらな影を落とす夜の森の中で、一人の青年が息を切らせながら巨木の根元に背中を預けていた。
「はぁ、はぁ……」
青年の名はマリン。
見た目こそ青二才とでも呼ばれそうな若者に見えるが、実は「賢者」と呼ばれる程に魔術を極めし魔術師であった。
今、マリンの目の前には男が立っている。
月の光よりも冷たい目をしたその男の鋭く研ぎ澄まされた剣の切っ先が、マリンの喉元に僅か数寸の距離で突きつけられていた。
背後の木のざらついた感触が、残酷にもこれが現実であるとマリンに告げている。
逃げ場はない。
「これで終わりだな……賢者」
男は死刑宣告が如く言った。
その声音は例えマリンがみっともなく命乞いをしたとしても心変わりをしてくれる可能性はほぼ無いであろうことを確信させる程に低く、冷酷であった。
「……殺せるものなら殺してみるがいい。君に出来るものならばね」
マリンは敢えてそう挑発してみる。
何も、自暴自棄になったわけではなく、彼にはそう言えるだけの絶対的な根拠があるのだ。
マリンにはとある二つ名がある。
それは「不老不死の賢者」。
この世界において、初めて不老不死を成功させ、今も体現し続ける唯一の魔術師であった。
外見は凡そ二十代の若者だが、実際には数百年の時を生きているのである。
寿命による死も、外傷による死すらもマリンの命には届かない。
彼にとって「死」とは最早縁のないものであった。
故に、普通の人間であれば生殺与奪を握られてるこの状況でも余裕を失わずにいられる。
「……………………」
男は無言であった。
剣先がわずかに動くと、チクリとした痛みと共にマリンの首筋から一筋の血が流れ落ちる。
「……貴様、この期に及んで助かるとでも思っているのか?」
「そこまで楽天家じゃないさ。ただ、果たして君に僕を殺せるかな?」
「……なるほど。確かに俺に貴様は殺せぬな」
男は意外にもあっさりと認めた。
しかし、剣の切っ先はマリンの首から離れる気配すらない。
「貴様を殺すことは出来ない。だが、それがどうかしたか?」
「っ……!!」
「この剣の切っ先が貴様の喉から血を流させた時、僅かに顔を歪ませたな?つまり、痛みは感じるのだろう?」
「……………………」
図星であった。
マリンの専門は「生命」に関する魔術であり、「人体」に関する魔術は専門外であった。
無論、全く使えないわけではなく、寧ろ並の魔術師よりは使えるのだが、痛覚の遮断を恒久的に使うことが出来る……といったところまでは極めていない。
「で、あれば、捕え、逃げられぬようにし、拷問し続ければ良い。死なぬことが仇となったな?」
(……仰る通りで。こんなことなら専門分野以外の魔術ももっと勉強しておくんだったね)
好きな研究だけを永久にやっていたい。その一念が、やがて不老不死の魔術を完成に至らせた。
だが、その成功体験が没頭と視野狭窄を生み、他分野への興味を失わせ、結果的に裏目に出たようであった。
(そもそもの話、痛覚を遮断出来たとて、ずっと拷問を受けるなんてゴメンだけどね。それに、拷問には肉体ではなく心を削るものもある。そちらの方が僕には受け入れ難い)
では、この状況をどうやって打開するか。
目の前の男だけでなく、マリンの周囲は男の仲間たちによって囲まれている。
その数は凡そ百人以上。最早、小隊である。
(……そこまで僕の存在が許せないか、ガイ・グラン!)
男は突然マリンの元へと現れた。自らを「死の教団」の教主ガイ・グランと名乗り、そして問答無用でマリンを捕らえようとしてきたのだ。
──死の教団。
それは、万物生きとし生けるものに必ず訪れる「死」という概念を敬い、崇める新興の宗教組織であった。
俗世から離れて暮らしていたマリンも風の噂で名前くらいは聞いたことあったが、自身には関わりのないものと捨て置いていたのである。
まさか、そのトップがやって来て、こうして剣の切っ先を自身の首筋に突き付けることになるなど、今の今まで夢にも思いはしなかった。
(死を尊び重んじる彼らにとって、僕みたいなのは冒涜もいいところだろうね。存在することすら許せないのだろう。だからといって、隠蔽魔術までかけてあった僕の隠れ家を探し当て、教団員をぞろぞろと連れて尋ねてきては僕が可愛がってた使い魔を殺し、こうして追い込んでくるとか常軌を逸してるね、全く!)
マリンは心の中で愚痴を溢しながらも、脳をフル回転させて今何をすべきかを考えていた。
(彼らが僕の使い魔にしたように、僕が彼らを殺す……。この場合はそれが最適解だろうな。僕にはそれをする力がある。でも、僕はそれをしない)
マリンは争いごとを好まない。
暴力が嫌いで、苦手だからだ。
数百年も生きていれば、そういった厄介事に出会うことは決して珍しくなく、自衛のためにやむを得ず……といったことは一度や二度ではなかったが、その度にマリンは心をすり減らしていた。
ただでさえ、研究のために引きこもりがちであった彼はそういったことから、また人との柵からも逃れるために誰も訪れぬであろう洞窟の奥に居を構え、より隠遁とした生活をするようになったのだ。
例え、自衛のため。或いは使い魔の仇のためと理由は付けられても、百に及ぶ数の人間をその手で殺すのはマリンの心が耐えられないだろう。
(では、どうすればいい?別の場所に転移するか?……無理だな。転移魔術ともなれば、無詠唱でも発動に時間が掛かる。この男が魔術の発動などという怪しい動きに気付かぬ筈がない。その瞬間、この剣で喉を掻っ切られて終わりだろうな)
もしも喉を裂かれたならば、詠唱であれば強制的に中断され、無詠唱であったとしても、とても集中出来る状態ではなく発動まで至らせることは出来ないだろう。
いくら不老不死とて、痛いものは痛いのだ。それが尋常ならざるものであれば、マリンは耐えられる自信はない。
「……どうした、『不老不死の賢者』?得意な魔術でも使って見せたらどうだ?」
「使ってもいいのかい?」
「使えるものならばな」
ガイはニヤリと嫌な笑みを浮かべる。
(使えるものならば……ですか)
魔術を使うには段階がある。
体内の魔力を練り上げ、その後に使う魔術のイメージを脳に浮かべ、それを発動するための詠唱を行う。
大きく分ければその三つである。
更に前段階として使用する魔術を理解する必要があるが、既に多くの魔術の知識を頭に入れているマリンには今現在必要な工程ではない。
魔力を練り上げること自体は、道を極めたものであれば一秒も掛からないのだが、目の前の男ならばその異変を察知し、即妨害に移すことは容易であろうとマリンは推察する。つまりは魔力を練り上げた瞬間に口から血反吐を出す羽目になるだろう。
詠唱についても高度な魔術であれば相応の時間を必要とするので、気付かれずに行使するのは殆ど不可能であると考える。
無詠唱にしても、全くの無から行使出来るわけではなく、予め呪文を何かに刻み込んでおくなど詠唱に代わる工程が必要となるのだ。
また、無詠唱の魔術は詠唱魔術と比較して効力が弱体化する傾向があり、一長一短であった。
(僕が今すぐにでも使える魔術は無詠唱のものに限られるけど、その数は決して多くはない。そして、その殆どは初歩的な魔術で、使ったところで今のこの状況を何とか出来るものでもない。でも!)
ただ一つ、この状況から脱することが出来、その上で無詠唱で行使、発動出来る魔術があった。
(……ふふ、久々だね。緊張と恐怖と、そしてワクワク。何せ初めて使う魔術だからね)
それは、マリンの魂に詠唱を刻みし魔術。事故などで勝手に発動せぬよう普段は厳重にロックされていた。
(その力の大きさ故、ロックを解除する魔術以外の他の魔術を仕込んでおくことが出来ないのが玉に瑕だけどね。まあ、そもそも僕が不老不死である限りは使う必要もなかった魔術でもあるけれども。あくまで保険のつもりで刻み込んでおいたのが、まさか役に立つ日が来るなんてね。ははは、喜んでいいやら悲しんでいいやら)
マリンはガイに今からすることがバレぬように平静を装い視線を動かさぬように努めた。僅かな揺らぎすらこの男は見逃さぬだろうから。
「万策尽きたか、賢者?」
ガイが小馬鹿にするかのように尋ねてくる。余裕、侮りとも取れるようではあるが、その目の奥は全く油断を感じさせない程に冷徹であった。
「貴様を永久に幽閉し、責め苦を与え続ける手筈は整っている。あとはそこへ連れて行くだけだ。味わうがいい。地獄に堕ちた方がマシだったと思うような痛み苦しみをな」
「……………………」
「これは神罰だ。永遠の命などという生きる者として有り得ぬ在り方、決してあってはならないのだ」
「……確かに、お前の言っていることは、ある一点のみ正しい。僕は世界の理からは外れた存在だろうね」
「そうか。認めるか、己が罪を。流石は『賢者』と呼ばれるだけのことはある。自らを客観視出来ているな」
「でも、それでも、生きる権利は……生き続ける権利はある筈だ。生きとし生ける全てのものに等しく!」
「神罰者め!ほざきよるわ!」
ガイは高らかに笑った。勝利を確信しているが故の余裕か。だが、その目はしっかりとマリンを見据えている。怪しい動きを何一つ見逃さぬぞと言っているかのように。
(そう、お前は見逃さないだろうね。僕の一挙手一投足は。だが、それがお前の敗因さ!)
次の瞬間、マリンの体が光を発した。柔らかく温かい光。
「!?」
ガイは即座に手を動かし、その剣の切っ先をもってマリンの喉を抉る。
だが、それでも発光は収まらない。
「どういうことだ!?」
(ふふ。困惑しているな、ガイ・グラン。君は魔術のことをちゃんと勉強しているようだね。君も知っての通り、魔術の行使には確かにある程度の所作は必要だ。詠唱にしても無詠唱にしても。ただ、それは一般的な魔術。僕が生み出した魔術はそれだけにとどまらない!!)
口内が溺れそうな程の液体と鉄の味に満たされながらも、マリンは勝ったと言わんばかりにガイの表情をその目に捉えている。
(魔術を極めし者は、大概はオリジナルの魔術を生み出すものさ。既成の魔術を覚えるだけじゃ面白くないからね。君が今後、そういった魔術師と対峙する機会があるならば覚えておくといい。もっとも、僕はもう君の今後は見られないけどね)
マリンが自身に刻み込んだ魔術を行使した方法。
それは、音声認識。
明らかに異質な言葉を唱える呪文とは異なり、特定のキーワードを発することで既に練り終えた魔術を発動させるもの。
呪文という先入観を持った相手にこそ有効な手法であった。
"生きとし生ける全てのものに等しく"
それが発動のキーワードであった。
(僕は僕自身の手で、この世界から僕を消す。良かったね。君の願いも叶うわけだ!)
「貴様、一体何を……」
「……じゃあね。ガイ・グラン」
潰された喉を通し、その言葉を言い終えると同時にマリンの体から光が消え、糸を切られた操り人形のように力無く仰向けに倒れた。
ガイは、すぐさまマリンの呼吸と脈を確かめる。どちらも途絶えていた。
「死んだ……?不老不死の賢者が……?自殺だと……?」
少なくとも、目の前のマリンには一切の生命活動は認められなかった。
ガイはぎりりと歯軋りする。
「……俺をそこまで馬鹿と思うなよ不老不死の賢者。偉大なる『死』を忌避し、みっともなく生き永らえてきた貴様がこんな簡単に終わると、俺が納得すると思うか?貴様の醜悪な魂胆など、すぐに見抜いてくれるわ!!」




