5 船旅
バルス先生も船旅に同行してくれることになった。私の護衛も兼ねているのだろう。片足とは言えバルスは眼光鋭く、義足を旨く使って歩いたり、剣の型を毎日熟して鍛錬を怠らない。生真面目な先生だった。
私も一緒に、見よう見まねで型をする。ギクシャクして全く様になっていなかったが、それでも、身体を動かすのは気持ちが良かった。マンナは渋い顔をして、私の剣の稽古を見ている。
「女の子が剣術なんて、全く旦那様は、サラ様に甘うございます」
剣術用に作って貰った服は、男物でとても動きやすくて気に入っている。シンプルなシャツにニッカポッカのようなパンツ、その上にブーツを履いている。その着替えを手伝いながら、毎回グチグチと文句を言っているマンナだった。
「マンナ、私この服のままでずっといたいわ。とっても動きやすいんだもの」
「いけません。何と言うことを。剣術の稽古の時は仕方ありませんが、きちんと着替えて貰います!」
そうだよね。貴族令嬢だもの。平民でさえ、こんな服は女は着ないのだ。動きやすさは、男の人のための物なのね。女に転生しないで男に転生したら良かったのに。
髪の毛をきちんと纏めて帽子を被れば、子どもの私は少年と見分けが付かない。このまま男の子として街へ出ても平気なのではないかしら。
船旅は十日ほどで終わり、隣国ソーマ国に着いた。ソーマ国は小さい島が五個ほど集まっている国で、特産は石だ。大理石のような白く堅い石を切り出して輸出している。この石は世界中でここでしか採れない希少な石だ。とても高価だと言うことだった。
家並みも、まるで古代ローマのように白い石造りで不思議な雰囲気だった。
芸術が盛んで、石を像に加工する音が聞こえている。その街で、私の石像を作って貰うのだと父は言っている。
「子どもでなくなる前に作って貰おう。薄衣を着せて少女のサラそのままを象って貰おう。ずっと見ていられる」
何となく気持ち悪いことを言っている父だった。マンナも呆れ顔で、何も言えないようだった。
この島国は食に関しても素晴らしかった。毎回食卓に上るのは柔らかいパンと澄んだスープ。そしてメインは鴨に似た鶏肉の燻製や、サッと湯通しした魚に酢を利かせた、さっぱりとした口当たりの冷製マリネだ。日本人としては、もっと生でも良かったが、寄生虫が怖いので少しボイルした方が安心だろう。
チーズもあった。私に出された物は癖がなく食べやすい。ワインに合う癖の強い物は父が好んで食べていた。
島を食べ歩き、観光して十分楽しんだ後は温泉があった。私達が滞在した島は火山島で、温泉が湧いていた。国唯一の温泉で、服を着たまま入るのだという。薄衣に着替え、父と一緒に入った。天然の温泉は白濁していて、少し炭酸も混じっている。何と充実した一時だろう。
「お父様凄く良いところね、このまま帰るのは勿体ない感じがする」
「ああ、気持ちが和むし疲れが癒やされた。国へ帰る頃には問題も片が付いている頃だろう」
「問題?」
「ああ、今頃は侯爵は捕らえられて、処刑されているだろう。侯爵はやはり隣国ヤーガイの影と取引していた。ヤーガイは今大変な騒ぎになっているはずだ」
父は態と私を船旅に連れ出したようだ。万が一、ゴタゴタに巻き込まれて私に危害が及ばないようにしたかったと言う。
「お父様、私の婚約者は?」
「それは大丈夫だ。侯爵と結託していたのは、王族ではなく王族を排除しようとしていた一派と繋がりがあった。侯爵は我が国をヤーガイの属国にしようと画策していたようだ。今ヤーガイでは、融和政策が推し進められている。お前の婚約者のように周りの諸国と手を結んで、国を切り崩しているんだ。それに反対していた一派がこの度の黒幕と言うことだ。お互いの王族を排除して自分達が取って代わろうとしていた。その為に金がいくらあっても足りなかったのだろう。私の資産をそれに充てたくて、私やお前を消そうとしていたのだ。調べれば調べるほど、事が大きくなっていった。全くとんでもないことだ。謀反を未然に防いだ功績で私は侯爵になれるようだぞ。お前を守るためにしたことだが、怪我の功名だな・・・・・辺境伯は必要なかったな。お前に婚約者を宛がうのを早まったようだ。リオーネルに継がせるか・・・」
「それは、お兄様にとっても良かったことですが、私の婚約者の領地と一緒になるのなら、私が辺境伯になるのが順当です。どうかお兄様に侯爵を継がせてやってください。彼の血筋でもあるんですから」
「サラ、また、大人みたいな口を利く。確かにお前の言うのは正しいが、パパは寂しいぞ。もっと子どもらしくして居てくれ」
ブレないロリコンな父親だ。私はこの頃背丈が伸びて十歳とは言え大きい方だ。ましてや領主になるのだ。いつまでも子どもではいられないのに。
奥方は連座となって処刑されるようだ。父の功績でリオーネルはお構いなしになって良かった。侯爵の謀反を知らせたのは私の婚約者らしい。私には名前も知らされていないのに、父は私の婚約者と懇意になっていたようだった。
侯爵からは領地が剥奪されたので、只の爵位だけの継嗣にはなるが、それでも侯爵だ。兄には最高の結果だろう。王に認められれば、役職を貰えるようになるかも知れないのだ。
まだ口を利いたこともない兄弟だが、サラの親戚だ。何としても日の目を見て貰いたい。兄は幼い時から不当な扱いを受けていたはずだ。父親にも、聞いた話では母親にも優しくされたことはなかったようだ。悲しすぎる。
「お父様、私の婚約者はどんな方ですか?」
「・・・・・まあ、いい男だ。知恵は回るし、魔法も剣の腕も立つ。男気もある。背も高いぞ」
「そうですか、年はいくつですか?」
「・・・お前は不満だろうが・・・二十八歳と言うことだ」
そうか二十八歳と言えば、サラに取っては少し年上かも知れない。だがそんな年になるまで独り身と言うことは、余程の問題があるのだろう。
「やはりどこか不自由なのですか?」
「・・・ああ、確かに不自由だろう。だが、良い奴だ。お前は心配しないで付いていけば良い。彼奴は頭も切れる。もし彼奴が嫌なら、また別の男を探せば良いのだ・・・・・問題は無くなった」
妙に歯切れが悪いところを見れば、余程見た目に問題があるか、身体が不自由なのだろう。私はそんなことは気にしないタイプだ。もとより以前の自分は見た目が良いとは言えなかった。まあ、ぶっちゃけ不細工だった。見た目で人の善し悪しを決めることはしない主義なのだ。
今更、手伝って貰った相手に婚約を解消できるはずもない。そんな恩知らずなことは出来ない。
父は見た目は良いが、問題がある性格だし。
私の婚約者は、父から聞く処では性格は良さそうだ。遣っていけそうだ。片足がなかろうが不細工だろうが問題は無い。お互い様なのだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
船旅を終え屋敷に帰ると、そこに、兄のリオーネルが来ていた。
「父上、お帰りなさい。サラディアーヌも。楽しかったかい?」
「・・ええ、大変な時期に留守にしてごめんなさい。お兄様」
始めてまともに会話したが、穏やかな口調の兄だった。初めの印象がぼんやりだったけど、彼をよく見てみると、影のある寂しげな感じを受けた。
「今度はお兄様もご一緒して!そうすればもっともっと愉しいはずよ」
無理矢理子どもっぽくして、兄の腕に掴まりねだって見たら、兄はほんのりと微笑んで私の頭を優しく撫でてくれた。
――お兄様。幼い頃から親に見向きもされないだなんて、辛かったでしょうね。でも、父から話される事を聞けば、きっと喜んで貰えるはず。
「リオーネル。書斎に来なさい。話がある」
「・・・・・はい。父上」
暫くして書斎から出てきたリオーネルは、呆然としていた。
「お兄様、どうなさいました?」
「ああ、私が侯爵を継ぐことになりそうだ。サラディアーヌは、それで良いのかい?」
「おめでとうございます。私は辺境伯になることが決まっています。お兄様が侯爵になられるのが一番です」
「そうか。父上から聞いたよサラ。君がそう言ってくれたんだってね。ありがとう、君がいてくれて良かった」
そう言って少し涙ぐんでいた。ここの血筋は泣き虫の家系のようだ。私はまた見ない振りをしてあげた。
兄とはそれからは一緒にいることが増えた。この屋敷にいるのは、あと僅かな時間しかない。暫くすれば、兄は侯爵の屋敷に行ってしまうし、私は領地へ帰ることになっている。領地に帰った私は、魔獣を倒すことになるだろう。そして魔力を上げなければならない。
僅かな一時を、今までの穴を埋めるように、兄と妹として愉しく過ごすことにしよう。
「剣術だって!サラ、何を考えている? 辞めておきなさい。私が弓を教えてやろう。その方が安全だ」
この世界の男達は女が戦うことに対して懐疑的だ。まあ、どの世界でも同じかも知れないが、私には、戦わなければならない理由がある。魔力を上げることは絶対に必要な事なのだ。
「お兄様、弓を教えてくれるんですか? じゃあ、お願いしようかな」
取り敢えず、兄の気持ちを有り難く受取ることにする。
兄は弓術の名手だった。遠くまで飛ばせる大きな弓を持って、ギリギリリッと弓を引き絞ると、肩や腕の筋肉が盛り上がる。兄は、一見優男に見えるが、どうしてどうして、かなり鍛えている。
矢はびゅーんと山なりに飛んでいき、的にブスリと突き刺さっている。
「凄い。でも私には無理ですね、全然引くことが出来ません」
「まだ子どもだし、女だしな。特注の小さな弓を作ってやるよ」
弓はやるつもりは無いのだ。兄の機嫌を取っていただけなのだが、それでも二人は本当の兄弟のように、気安く声を掛け合えるまでになった。
私が十二歳になり、領地へ帰ることになった。父は暫く王都での仕事があり私だけが帰る。兄は一年前に屋敷を出て行った。今頃は侯爵を立派に熟しているだろう。形式上は父が侯爵と辺境伯の爵位を持っているが、実質は兄が侯爵と言うことになる。そして私は、本格的に辺境伯の仕事を熟すことになるのだ。
兄から貰った小さなめな弓も、この頃では旨く使い熟すことが出来る様になって仕舞った。兄はしつこく私に弓の稽古をさせた。今更嫌だとは言えなくなってしまったのだ。お陰で、遠くの獲物は無理だが、近くの獲物は確実に仕留めることが出来る様になった。
私の背丈は百五十センチになった。以前の身長を超すのは時間の問題だ。下手をしたら、百七十センチ越えになるかも知れない。
剣術の稽古はバルス先生に、一太刀入れることが出来るまでになった。だが、まだまだ太刀打ちは出来ない。
「お嬢様、まだ腕の力だけで剣を振り回していますな。身体全体、流れるような動きが出来ていないから、直ぐに状態が崩れるのです。体幹がなっていません。基礎から鍛え直しです」
難しいことを言う。成長期の私は身体がまだ出来ていないのだ。少し良くなったと思っても、バランスが悪いせいか、元に戻ってしまう。
「まあ、女は、成長期が早く来ますがその分早く終わる。もう少しの辛抱です」
十五歳まで成長するとしたら、まだ三年もこれが続くのか。早く魔獣を倒したいのに。
「焦ってはなりません。焦りは何も生み出さない。死に近づくだけですぞ」
「バルス先生は、マルス領には来てくれませんの?」
「申し訳ないが、私はこれでお役御免です。彼方には新しい剣術指南が配置される予定です。彼が来るまで、稽古をサボってはなりませんぞ」
「はい!勿論です。では先生とはこれでお別れですか。今までありがとうございました」
「私も、女に剣術を教えるという、希少な体験をさせて貰いました。お嬢様は、男とも対等にやり合えるようになっておりますぞ。筋が良い」
最後にお褒めの言葉が貰え、ビックリした。今まで何時もダメ出しばかりだったのに、ツンデレなのか、褒めるのが苦手なのか。兎に角褒めて貰えて嬉しかった。明日はいよいよ領地へ経つ。