9 小野寺大和にとって体育祭とは
只今、体育祭の真っ最中である。
大和は無我夢中に腕を振りながら、全力で後悔していた。
やっぱりリレーなんか出るんじゃなかった、という後悔である。
バトンミスのせいで順位は二位に落ちた。目の前には、生徒会チームのアンカー、朔の背中が見える。
トップで走る背中。手の届かない背中。
普段の大和なら、簡単に諦めてしまう状況である。
あるのだが──。
以下、大和の心情である。
バトン落としたバトン落としたバトン落とした。
俺のせいで、バトン落とした!
これもう一位じゃなきゃ、委員長とかあすかとか近藤に何言われるかわかったもんじゃないやつ!
絶体絶命すぎる!
ここで負ければ、俺は生徒からも教師からも蔑まれ、「あー、風紀委員で偉そうにしてたくせに、体育祭でバトン落として抜かれた人ね(笑)」と陰で馬鹿にされ、卒業まで肩身の狭い思いをすることになるだろう。
でも──。
そうならないためには、
そうさせないためには、
リレーに出たからには、
どうやったって、勝つしかないだろ!
等々。
劣等感というのは、必要以上にネガティブな思考を脳に強いる。
だが、
それは時に、逆境を跳ね返すほどの力にもなり得る。
「大和―っ! 頑張れーっ!」
あすかの声が響く。
大和は息をするのも忘れて、ひたすらに走った。
ゴール前。最後の直線。
朔の背中はもう見えない。
横に並んだ、と思ったところで、白いテープを切った。
大和はその場に倒れ込んだ。自分の呼吸がうるさい。
ほとんど同着だったからか、判定に時間がかかっている。
少しの間と沈黙のあと、
「──優勝は生徒会チーム!」
そのアナウンスを聞いて、大和は薄目を開けた。曇り空が視界に広がる。
あぁ、終わったな。俺の高校生活。
息を吐いても吐いても、消えてはくれない敗北感と虚無感。
体を起こすと、硬いもので思いきり頭を叩かれた。立っていたのは、不満そうな朔だった。
バトンは人の頭を殴るものじゃないのに。
顔をしかめた大和に、朔は言った。
「なーに敗者の顔してんだよ」
「敗者ですけど」
「結果はな。けど、バトン落としたチームとほぼ同時ゴールじゃ、こっちは素直に喜べねーし」
「バトン落とした時点で人生の敗者ですよ」
「出た。ネガティブ野郎」
朔はケラケラと笑い飛ばした。
「人生は、おまえが思ってるより冷たくねーよ」
ほら、見てみろよ、と朔が指差す。その先に、息を切らして走ってくるあすかがいた。
「大和、すごかった!」
「え、でも二位だったし」
「それは私がバトン落としたからだよ。本当にごめん」
「いや、バトン落としたの俺のせいだし」
そんな押し問答をしている大和とあすかを、両手でガバッと抱き寄せたのは由恵だった。
「みんな、よくやったっ! 感動したよ~!」
まるで優勝したような空気感。
二位で褒められるなんて、大和には理解が追いつかない。
「ほら、七瀬もこっち来て」
由恵に手招きされ、傍観していた七瀬がおずおずと近づいてきた。
「風紀委員、やってやったぞー!」
円陣を組んで、由恵は清々しく叫んだ。
その声は、敗北感と虚無感でいっぱいだった大和の胸に、少しの清涼感をもたらした。
「大和先輩、かっこよかったです」
七瀬がはにかむ。
「うんうん。神ってた!」
あすかも笑っている。
「ま、チームとしては僕たちの勝ちだけど? 風紀委員の執念っていうの? ホント、しつこくて嫌だわー」
「はぁ? 試合に勝って勝負に負けたって認められないんですか? 生徒会ってプライドばっかり高くて嫌になるわー」
朔と由恵の火花は散り続けている。
それを横目に、大和は、平和だな、と思う。
そして、不思議だな、と思う。
結果だけが期待に応える術だと考えてきた。
でも、そうじゃないのかもしれない。
紅組が勝ったとか、白組が勝ったとか、きっとそんなことは来年には忘れてしまうだろう。
だけど、忘れないこともある。
思い出は記憶の中で、確かに光り続ける。
真っ暗な夜空をかすかに照らす、白く輝く星のように。
小野寺大和にとって体育祭とは、
良くも悪くも忘れられない一日であり、初めて価値観の揺らぎを感じた、青春の一片である。




