7 江渕由恵にとって風紀委員とは
星豊学園において、風紀委員は絶大な権力を誇り、一般生徒から羨望の的となる。
至極当然。
風紀委員は、生徒会の対をなす組織として位置づけられているからだ。
そのため、風紀委員も選挙によって選出され、その任期も学期ごとではなく、一年──すなわち通年である。
三権分立で例えると、立法が学園、行政が生徒会ならば、司法を担うのが風紀委員ということになる。
しかしながら、実績を伴わなければその威厳はお飾りに過ぎず、瞬く間に崩壊するだろう。
だからこそ、風紀委員の品格を守るために日々奮闘する者がいる。
それが風紀委員長──江渕由恵である。
「つまり、試合中の自分のミスが原因で、チームメイトと気まずくなってる気がする……ってことよね?」
「はい……」
「うーん。まずは、杞憂でも謝っちゃおう。謝ったら相手だって許さないってわけにはいかないだろうし、話しあうきっかけにもなって、そのほうがお互いスッキリすると私は思うけどな」
「そうでしょうか……」
「ギスギスしたままじゃ、次の試合だってうまくいかないかもしれないでしょう? もしダメなら、もう一度相談に来て。いつでも一緒に考えるから」
バレー部女子の背中をポンッと押し、由恵は安心させるために笑顔を作る。
「そう、ですね。私、頑張ってみます。由恵先輩、ありがとうございました!」
ソファから立ち上がり、頭を下げたバレー部女子は、軽い足どりで生活指導室を出ていく。
バレー部の部長と顧問にもうまく言っておかないとなぁ……。
由恵は手のひらサイズのメモ帳──タスクリストにサラサラと書きこみをした。
生徒からの多種多様な相談を受け、然るべき処置をする。
これも風紀委員の業務の一環である。
もちろん、風紀委員全員が、このように相談屋の側面を持っているわけではない。あくまでも、生徒たちに親しまれ、慕われている江渕由恵の人間性によるところが大きい。
人間関係、部活環境、成績憂慮──その問題の一つひとつと向き合い、解消すること。
それこそが、「学園の品格と秩序を保つため」に必要であると、風紀委員長としての由恵は考えている。
その日、風紀委員は会議をしながらの昼食であった。
「えー、もうすぐ体育祭なんですが、部活対抗リレーに風紀委員も出撃することになりました」
由恵は声高らかに宣言をした。
「出撃……?」
ざわつく生活指導室。
由恵はお弁当のミニトマトを咀嚼し終わると、続けて言った。
「リレーには風紀委員から四人、出てもらいます。一人は私。あと三人は──」
話の途中ですっと手を挙げたのは、小野寺大和だ。
「委員長。どうして委員会が部活対抗リレーに出ないといけないんですか?」
「それはね」
そっと箸を置き、由恵が机を叩く。
バンッ、と響く音に、一同が怯む。
「生徒会も出るからですっ」
江渕由恵は、常日頃から生徒会に対して尋常ではないライバル心を燃やしている。
「残り三人は、小野寺くん、白井さん、近藤さんで」
「えぇっ⁉ なんで俺なんですか!」
「短距離走のタイムが速い順に選ばせてもらいました」
つまり、委員長の独断である。
──あるのだが。
納得せざるを得ない説明に、大和はそれきり何も言えず、その代わりに大きなため息を吐いた。
黙っていなかったのは、白井あすか──ではなく、一年生の近藤七瀬だった。
「由恵先輩、四人リレーなら普通、男女二人ずつだと思います。どうして女子が三人なんですか⁉」
「それはね」
由恵は国家機密でも打ち明けるような神妙な面持ちで言った。
「生徒会のメンバーが、男子一人、女子三人のチームで出るからですっ!」
生活指導室はざわつきを失い、しんと静まり返った。その沈黙には、数々の呆れや失笑が含まれている。
それきり、もう誰も口を開こうとはせず、昼食を食べることだけに無心していた。
会議と昼食を終えて、それぞれが各々の教室へと戻っていく。
由恵が最後に廊下へ出ると、不意に話しかける人がいた。
「おーおー。昼休みまで会議なんて風紀委員は熱心だねぇ」
古川朔は黒縁メガネを押し上げる。透明なレンズの奥には嘲笑うような瞳。
「何かご用ですか? 生徒会長様」
負けじと由恵は微笑んだ。
「べつにー? 風紀委員長の横暴で昼休みまで拘束されてるなら可哀想だなぁって思っただけだよ、ぶっちー」
ぶっちー、というのは江渕由恵のことである。ちなみに、このあだ名で呼ぶのはどこを探しても朔だけだ。
「はぁ? 全然横暴じゃありませんよ。風紀委員の子たちは真面目ですから。会長こそ、こんな年季の入ったパーカー姿じゃ、生徒に示しがつかないんじゃないですか⁉」
朔のグレーのパーカーの袖口を由恵は引っ張っている。
「僕は冷え性だから、寒くてパーカー着てるだけなんだけど。そもそも、品格と秩序って、外見だけのものなのかねぇ? それって個性潰しとも言うんじゃねーの?」
「個性こそ、外見だけのものじゃないと私は思いますけど」
以下、由恵の心情である。
こんなちゃらんぽらんが生徒会長なんて世の中間違ってる。
どうして会長の発言は、みんなに都合よく変換されて、甘言として届いてしまうんだろう。
それもこれも、この怪しげな笑顔のせいだ。みんなには気品に溢れていて、信頼のおける表情に見えているみたいだけど、洗脳の類いに決まってる。
学園はもはや、乗っ取られているといっても過言じゃない。
最後の砦は、私たち風紀委員だけ!
だからこそ、生徒会には絶対に負けられない!
等々。
表面的な笑顔の応酬は続いている。
生徒会長の古川朔。
風紀委員長の江渕由恵。
何かある度、いや、何もなくても、何かにかこつけて火花を散らす朔と由恵。
星豊学園の犬と猿。または水と油。もしくは北風と太陽──とはこの二人のことである。
「今日は生徒会に勝つために、体育祭でのリレーの選手を決めたんだから。そっちと同じ女子三人、男子一人のメンバーで。これなら負けても言い逃れできませんね、会長」
「へぇ、それは楽しみだ。ちなみにフェアじゃないから教えるけど、うちのアンカーは僕だから、男子をアンカーにしたほうがいいと思うよ」
穏やかな挑発に、由恵は声を荒らげた。
「言われなくてもそのつもり! 会長には、うちの大和が引導を渡してあげますよ!」
どこかで大和がくしゃみをしたとかしなかったとか。
江渕由恵にとって風紀委員とは
かけがえのない天職であり、だらけた生徒会(もとい会長)を正すための、正義の鉄槌である。




