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6 小野寺大和にとって古川朔とは

 小野寺(おのでら)大和(やまと)が極度の泣き虫だという事実を知っているのは、今現在、世界にたった二人である。

 一人は白井(しらい)あすか。

 そしてもう一人は──古川(ふるかわ)(さく)。星豊学園三年の彼は、大和にとって中学時代からの先輩にあたる。


「おーう、大和。たまには一緒に帰ろうぜ」


 自転車の鍵を解錠しようとしていた駐輪場で、朔と鉢合わせた大和はあからさまに嫌そうな顔を作った。


「まさか嫌なんて言わねーよな?」


 朔はポケットに手を突っ込み、セリフと合っていない品のある笑みを浮かべている。


「嫌です」


 そっけなく断った大和は、すぐさまヘッドロックされた。朔のパーカーの灰色で視界が染まり、嗅ぎ慣れたにおいが鼻孔を塞ぐ。


「生徒会長の言うことは素直に聞くもんだろ、大和くーん?」


 ギブアップの合図のように締め上げる腕をバンバンと叩く。

 解放された大和は、涙目になりながらも彼を睨みつける。


「てか、朔先輩、ちゃんとブレザー着てくださいよ! それでも生徒会長ですか⁉」


 ワイシャツの上に羽織るのは、ブレザーではなくグレーのパーカー。

 そして知性的な印象を底上げする黒縁のメガネ。

 それこそが、生徒たちの頂点である生徒会長に君臨する古川朔の象徴であった。


「帰るときはべつに問題ないっしょ」


「俺が先輩を校内で見ると、いつもその格好ですけど?」


「えー? 幻覚じゃない?」


 自分の自転車の前まで歩いていく朔の背中はいつだって飄々としている。

 近くにあっても、絶対に追いつけないし、触れることができない背中。

 中学生の頃から大和が見つめてきたうしろ姿は、いつの間にか、さらに遠くに行ってしまったような気がしていた。


 朔にとって、『大和と一緒に帰る』というのは、大和の家に上がりこむことまで含まれているらしい。


「もうこれ飲んだら絶対帰ってくださいよ」


 ラグの上であぐらをかいている朔の前に缶コーヒーを置く。テスト前にお世話になったブラックのあまりだ。


「はいはい……ってか、お前の部屋、ホント変わり映えしないよなぁ」


 シンプルな部屋を見まわした朔は缶コーヒーを一口飲むと、本棚の下段に手を伸ばした。

 掴んだのは一冊のアルバム。

 大和の中学校時代の卒業アルバムだ。

 当然だが、先輩である朔はどこにも写っていない。

 朔は片手でパラパラとアルバムをめくっている。


「後輩の卒アルなんて見て楽しいですか?」


「楽しいわけねーだろ」


 と、ケラケラと笑った朔の手は、あるページでふと止まった。

 そこには、委員会の紹介ページに生徒会長として写っている中学生の大和が、凛とした表情で前を向いている。


「大和はなんで高校で生徒会に入らなかったの?」


 そう訊かれた大和は、アルバムの中の自分をチラリと見遣る。


「もう生徒会は中学で懲りました。朔先輩の後釜なんて、荷が重いですよ」


 生徒会も風紀委員も優秀な人材が選ばれるのなら、もちろんその人材は両者の間で取り合いになり、それはさながら『はないちもんめ』にも似ている。

 ただ、自薦ができないからこそ、拒否権というものもきちんと存在していて、大和は朔という後ろ盾がありながら、生徒会を拒んで風紀委員に所属する道を選んだ。


「朔先輩が中学卒業したあと、生徒会がどれだけ大変だったか、朔先輩にはわかんないですよ」


 大和は眉間に皺を寄せた。

 そうして思い出す。

 今年の春の、生徒会役員選挙。

 以下、選挙前の朔の演説である。


 えー、三年の古川朔です。僕は二年次も生徒会長をさせてもらっていたんですけど、僕の目指すべき学園生活は変わっていません。

 生徒の自主性を重んじる。

 これは、各々が好き勝手やるって意味じゃなく、自分で判断して正しい道を選び取るって意味です。そのために生徒会は尽力します。

 ──しますが、最終的に責任は個々にあります。個々が自分自身に責任を持ち、一人ひとりが星豊学園の生徒として自立し、模範的な行動をとり、それぞれの正しい道と思う道を邁進していく。それこそが、学園全体の秩序を維持することに繋がっていくわけです。学園生活をより良くするのはあなたです。そうすれば、生徒会も風紀委員も、いずれは必要なくなるでしょう。僕はそんな未来を目指します。

 お願いです。そんな未来を、僕と一緒に実現しませんか?


 等々。

 直訳すると、

「生徒会長としての仕事をなくすために、一人ひとりが頑張ってね」──という無責任な話なのだ。

 ──なのだが。

 どうしてか、朔の品のある笑顔に全校生徒はあっけなく騙される。あの笑みの前ではどんなに中身のない演説やスピーチも、耳に届く頃には高尚な内容に変貌しているというのだから、不思議なものだ。

 そんな魔術のようなスキル、大和にはあるわけがない。実直に実直を重ねても、やっぱり求められるのはカリスマ性なのだと中学時代に嫌というほど思い知らされた。


「僕は、僕の知らないところで大和がメソメソしてるんじゃないかって、心配してやってるだけなんだけど?」


 悪代官のような顔つきで口角を上げた朔に、大和は決して逆らえない。中学時代、生徒会室でこっそり泣いていたのを目撃されてからだ。


「泣いてません。……でも」


「でも?」


「この間、白井あすかに見られました。泣いてるとこ」


「泣いてんじゃねーか!」


 突っ込むと同時に、朔はパタンとアルバムを閉じた。それを本棚に戻すまで黙っていると、「で?」と重めの声で訊いてきた。「極道の娘にバレて、弱み握られてどーなったの? 脅された?」


「俺も、最初は朔先輩と同じように脅してくるんだと思いました。……てか、あすかは極道の娘じゃないです」


「待て待て待て。僕は大和を脅したことなんてないだろ。そりゃ、生徒会の仕事多めに任せたりはしたかもしんないけど……って。ん? あすか?」


「泣いてたのがバレて、『あすか』って呼べって言われました。これってどういうことですか?」


「ほーほーほー」


 鳥か。朔の相槌に突っ込みたくなる衝動を抑えて大和は答えを待った。恥を忍んで訊いたのだ。人の弱みを握ってなにかを要求する気持ちが、大和にはわからなかった。

 わからなかったのだが──。

 知りたい。いつしかそう思っていた。

 脅迫に見えたあすかの言動が、そうじゃないような気がし始めていたからだ。

 朔はニヤニヤとしながら、


「本当の自分を知っても関わってきてくれる人は、大事にしたほうがいいんじゃねーの?」


 と言った。そして「僕も含めて、ね」と笑う。

 全然答えになってないじゃないか。大和は缶コーヒーの残りをあおるように天井を見上げる。

 けれど、不思議だな、と思う。

 しょっちゅう泣いている大和を(面白がっているだけかもしれないが)、面倒だと投げ出さない人。遠ざけるどころか、どうしてか近づいてくる人。

 理解のできない行動に、距離の取り方がわからない大和なのであった。


 小野寺大和にとって古川朔とは、

 偉大な先輩であり、決して敵うことのない、自分の弱みを握る数少ない人物である。

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