3 千葉真琴にとって白井あすかとは
「でね、膝丈スカートにしたら、大和が『いいと思うよ』って言ってくれたの!」
それって知らない人が聞いたら、ただのセクハラ発言じゃないか?
そう思いながら、千葉真琴は「へぇー」と相槌を打った。
あすかが、足首まで隠れていたスカートを膝丈まで短く仕立て直したのは、どうやら風紀委員である小野寺大和の鶴の一声が効いているらしかった。
真琴は、車の窓を右から左に過ぎていく景色に、あすかの話をそっと流していく。
あぁ。あのスケバンっぽい感じが可愛かったのになぁ。余計なことしやがって。くそう。
唇を尖らせながら、心のなかでそう呟く。
目を伏せると、あすかの膝が目に入った。
以前までスカートで覆われていたが、今では黒のストッキングをまとっている。
男に感化されたというのも気に食わないが……ま、これはこれで可愛いか、と真琴はひそかに頬をゆるませた。
千葉真琴は親バカである。
いや、実際には親ではなくいとこだ。つまりは、いとこバカと言うべきだろうか。
「じゃあ真琴、また明日」
送迎の際、先に車を降りるのは決まってあすかのほう。
いつものように手を振ったあと、真琴は頭をサイドガラスに預けた。コツン、と小さな音が鳴る。
真琴の自宅はあすかの家の近所だ。一般的に言えば、それなりに立派な家に分類されるだろう。
けれど、あすかの家とは比較にもならない。
自宅に到着し、車から降りた真琴は、運転手に向かって声をかけた。
「今日も運転お疲れ様、お母さん」
千葉真琴は、単なるあすかのいとこ、というだけではない。
真琴の両親は、大企業の社長である白井家の専属の付き人兼運転手であった。
いとこでありながら、必然的にあすかと真琴には透明な上下関係が発生する。
星豊学園に入学したのも、世間知らずなあすかを見守るために自発的に志願した。
そんな使命感や、卑屈さや、その他諸々を含んだ真琴の複雑な想いなど、もちろん、あすかはかけらほども気づいてはいないだろうけれど。
「あ、お母さん? 今日、あすかと歩いて帰るから、帰りの車は出さなくていいよ」
スマホの熱を受けた頬がじんわりとぬるい。
真琴は電話を切ると、友人に帰りの挨拶するのもそっちのけで、終礼が終わったばかりの教室を出た。
向かったのはあすかの元ではなく、小野寺大和のいる教室であった。
散開する生徒たちのなかで、大和はまだ机に座り、クラスメイトである丹羽敬助と話しこんでいる。
真琴はつかつかと最後方の窓際にある大和の席まで、一直線に勇んで進んでいった。
「大和くん、ちょっと顔貸してもらえるかな?」
あすかが『極道の娘』などと噂されていることを真琴は知っていた。そして自分が、その『護衛』だとか囁かれていることも。
「え、俺?」
真琴の満面の笑みを、大和はそのままの意味には受け取らなかったのだろう。眉根を寄せて、頬を引きつらせている。
そばにいた丹羽も、ただならぬ空気を読み取ったのか、
「あ、じゃあオレ、部活行くから……」視線を泳がせ、一歩後ずさると、「バイバイ大和」
生贄を差し出すように、丹羽はそそくさと立ち去った。
不安そうに見上げてくる大和。それを睨みつける真琴。
「訊きたいんだけど、うちのあすかといつから呼び捨てするような仲に?」
「いや、『あすか』って呼べって言われたから、そうしてるだけだよ」
「ふうん?」
怯えている様子の大和をじっと見る。
まるでチワワのような、震える、潤んだ膜を張った瞳。
人畜無害。真面目で堅物。成績が良いだけで、男としての魅力がどこにあるかはわからない。わからないけど……とにかく無害なら良し!
大和は自覚もないうちに、真琴の独断と偏見による一次審査をパスすることとなった。
そして、
「あっ、ここにいたんだ」
真琴を探し回っていたあすかが教室に入ってきた。
「ていうか、珍しいね。真琴と大和って知りあいだったっけ?」
不思議そうに首をかしげたあすかに、真琴はにっこりと微笑んだ。
「うん。今、友だちになった。──というわけで、今日は三人でアフターヌーンティーを楽しみに行きましょう」
「はぁ⁉」
素っ頓狂な声を上げた大和には、当然ながら、拒否権などなかった。
「スタバにくることをアフタヌーンティーって言う?」
大和は店の象徴である緑色のロゴを見上げて言った。眉間の皺が若くして刻まれてしまいそうで心配である。
「午後のおやつ時にお茶を飲むという意味では、おおむね合ってるでしょ」
すげなく答える真琴の横で、あすかは緊張した面持ちで立っている。それもそのはずで、あすかはスタバの店舗に来たこともなければ、『寄り道する』という行為自体が、初めてのことだったのである。
「飲んだことはあるけど、どうやって頼むのか……ワカラナイ……カスタマイズ……?」
並んでいる列がレジに近づくにつれ、あすかはカタコトになっていった。
そのタイミングで、真琴はポケットから取り出したスマホの画面に目を落とす。
「あ、ごめん。ちょっと電話。あたしの分、アイスのチャイラテ頼んでおいて」
あすかと大和を残し、真琴は店の外へ出た。
入り口近くの壁に寄りかかり、電話のフリくらいはしようかな、と思ってやっぱりやめる。
電話なんて嘘である。
多すぎるメニューに目を回し、慣れない注文に四苦八苦しているあすかを、ガラス越しに眺めた。
いつも真琴が立っていた位置に、今、立っているのは大和だ。
それが嬉しくもあり、寂しくもある。
親心ってこんな感じかな、とため息に似た息を吐く。
手近なテラス席に座っていると、トレーを持ったあすかが近づいてきた。
「見てみて、真琴。すごくない? もうこれドリンクじゃなくてデザートだよ!」
うず高くホイップクリームが盛られたドリンクを前にはしゃいでいる。
トレーには真琴のチャイラテと、大和のアイスコーヒーも並んで載っていた。
「寄り道って、楽しいんだね」
たわいもない話の途中であすかが笑うと、大和が訊いた。
「あすかは普段、寄り道しないんだ?」
「うん。風紀委員的にはオッケーなの?」
「一応禁止にはなってないから、常識の範囲内なら問題ないよ」
「そっか、じゃあまたみんなでスタバ来ようね」
屈託のない言葉。それまで黙っていた真琴は目を細めた。
「これから、何回でも来られるよ」
頷いたあすかの髪がぴょんぴょんと跳ねる。
「私、風紀委員になれてよかったな。大和と友だちになれて、真琴と三人で寄り道もできて」
その笑顔を見た真琴は、チャイラテの中に自分の気持ちを沈ませる。
あすかを風紀委員に推薦したのは他でもない真琴であり、後援者を抱きこみ、当選させたのも真琴の手腕である。
星豊学園の生徒会や風紀委員に所属した経歴は、進学や留学にも良い影響を及ぼすらしい。
だからその経歴があれば、あすかにとってなにかしらの役に立つだろうと考えたのだ。
いささか予定とは違うが、あすかが「風紀委員になれてよかった」と思うなら、真琴にとってこれ以上ない本望である。
──あるのだが。
こんなふうに笑うあすかを初めて目の当たりにして、真琴の胸中は穏やかではなかった。
以下、真琴の心情である。
今まで、あすかが特定の人間に興味を示すなんてありえなかった。
この男のなにが? どこが? 確かに真面目なだけあって、あすかに風紀委員の仕事とかスタバの注文の仕方とか丁寧に教えてくれて、さぞかし面倒見はいいんでしょーね。
けど──。
けどさ──。
今まで一緒にいたのは、ずっと一緒にいたのは……あたしじゃん!
こんなチワワにかっさらわれるために、あすかを風紀委員に推薦したわけじゃないのに!
等々。
千葉真琴は周りの見えない、過度で過剰ないとこバカである。
「小野寺大和!」
突然、名指しで、しかも人差し指を突きつけ、声高らかに真琴は宣戦布告した。
「あすかに相応しい人間になりたいなら、まず、あたしが認める人間になるように!」
「えぇ?」
チワワはわけがわからないといった様子で疑問の声を漏らしたが、
「さっ。優雅なアフターヌーンティーを続けましょ」
言いたいことだけ言ってすぐに切り替えた真琴は、あすかの口元についたクリームをハンカチでそっと拭った。
「ありがと、真琴」
あすかは照れながらお礼を言う。
この笑顔が続くなら──そのためなら、真琴はなんだってできるような気がしていた。
千葉真琴にとって白井あすかとは、
守るべき存在であり、愛すべきいとこである。