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28 白井あすかにとって千葉真琴とは

 年末年始の白井家は目まぐるしいほど多忙である。

 大企業の社長であるあすかの父、そして専務である母。取引先や横のつながりを持つ社長たちを招いたパーティーが連日のように続くのだ。

 冬休みになったというのに、あすかは学園生活よりも忙しない日々を送っていた。両親の体面のため、娘も賓客を丁重にもてなさなければならなかった。白井家に仕える千葉家の娘として、真琴も毎年あすかに付き添っている。


「はぁぁ、疲れたぁ」


 自室に着いた瞬間、あすかは着物のままベッドへ倒れこむ。


「ちょっと、着替えてからにしてよ。シワになるってば」


 自分の帯を緩めながら真琴が眉をひそめる。

 この日、あすかと真琴は一日じゅう玄関に立ち、門松さながらに来客を出迎えた。華やかさを演出するための笑顔を貼りつけていたせいで、二人の表情筋はすでに限界であった。

 新年会を兼ねた祝賀行事もようやくすべての日程が終わった。あすかはのそりと起き上がってふくらはぎを揉む。足先は冷たく、感覚が鈍い。


「着物だとおせちとかも食べれないし、雑煮もまだ食べてないし、冬休みの課題も全然終わってないし」


 あすかはぶつくさと不満を漏らす。

 両親は普段、自分のことを気にかけたりしないのに、こういうときだけ家族の形を整えようとする。嫌だというわけではない。ただ、虚しいと思うだけだ。


「ほら、ぼーっとしてないで。早く脱いじゃいなよ」


 真琴に促され、ラフな格好に着替えてから二人は雑煮を作った。とりあえずの鶏肉と三つ葉だけが入った雑煮を食べると、やっとお正月を迎えられたようでホッとする。

 真琴は餅が伸びた分だけお椀から顔を遠ざけている。平和だ。


「それで、大和くんとはどうなったの?」


 つかの間の平和はすぐに破られた。真顔で問いかけられ、あすかはこの若さで餅を喉に詰まらせそうになった。むせ返っているあいだ、真琴が「どうどう」と背中をさする。


「どうなったって、なに」


「だって、ずっと変だったじゃない」


「なんで知ってるの⁉」


「朝、挨拶運動してるときの二人、微妙な空気だったし」


 つまり、確証はないけど、確信はあったってことだろうか。真琴の鋭さに驚いているが、実際にはあすかが鈍感なだけだ。


「落ちこんでたのバレバレだったよ。だから車で帰るの断ってたんでしょ?」


 隠し通せていると疑わなかったあすかは、ぐうの音も出なかった。

 小さく息を吐いて、真琴に告げる。


「……私ね、やっぱり大和が好きだった」


 真琴は目を見開いた。


「だった?」


「あ、気づいたのが最近って意味で、本当はずっと好きだったんだと思う」


 探りながら紡いだ言葉に、真琴が怪訝な顔をする。


「なにきっかけで好きになったの?」


 思い出していた。泣き顔を見たとき、ひとりにしたくないと思った自分を。そして、思わず大和を抱きしめていた自分を。

 頬が熱くなってきて、手のひらであおいで風を送る。真琴は不思議そうにしながら答えを待っている。


「……泣いてたから、かな」


「え?」


 意味がわからない、と書いてあるような顔で真琴は言った。


「なんで泣いてる人を好きになるのよ。メソメソしてる男なんて絶対ムリ」


 胃の奥がかっと熱くなる。


「何も知らないくせに、そんなこと言わないでよ!」


 気づけば大きな声を出していた。あすか自身も驚くほどに。

 暖房のごうごうという音だけが、懸命に沈黙を振り払おうとしている。

 真琴は目を伏せたまま、


「……片付けてくる」


 と、お椀と箸を持って部屋を出ていった。扉を閉じる直前、「ごめん」と言い残して。

 ひとりになったあすかは大きなため息をついた。酸素を取りこんでも、胸の奥でなにかが沈んで苦しいままだ。

 以下、あすかの心情である。


 何も知らないくせに。

 あれは間違いなく本音だ。

 でも、大和の過去を人に話すわけにはいかない。

 何も知らせていないのは私のほうだ。

 真琴はいつだって、私のことを心配してくれていた。今回だってきっとそう。

 家族の形を知らない私を、いつも守ってくれているのは真琴だ。

 大和にとっての早苗さんがそうであるように、

 私を支えて、見守っていてくれたのは──。


 等々。

 意を決したように、あすかは猛然と立ち上がった。



 白井家の台所で、真琴は細く水を出したまま食器を洗っていた。

 スリッパが床を擦る音が聞こえる。背後に近づくあすかの気配を、真琴はそ知らぬふりをした。だが無視を決めこんだわけでもないようだ。


「真琴……」


「なに?」


 振り返らない背中からの返事は、どこか平板な声だった。


「私も、怒鳴ったりしてごめん、なさい」


「いいよ。あたしも、八つ当たりしただけだから」


「八つ当たり?」


「こっちの話」と、真琴は泡まみれのお椀を水で流していく。

 あすかは、真琴の肩に自分の額をそっとあてた。


「メソメソして泣いてるんじゃないんだよ。私は大和ってすごく強い人だなぁって思ってる。ただ、優しすぎるだけなんだ」


「……うん。私も、訂正する」


 洗い物を終えた真琴が振り返る。水切りかごからポツ、ポツ、と水滴が落ちていく。


「あたしも、泣いてる男子はけっこう好物かもしれない」


「……え?」


「ほら、高校野球とか」


「こうこうやきゅう……?」


「したたる涙が甲子園の土を濡らして、その土をかき集めて持ち帰るんだよ。めちゃめちゃグッとくるよね」


 真琴の力説に、あすかは曖昧に相槌を打った。何か違う気はするが、これも真琴なりの気遣いかもしれない。


「それで、付き合ってるの?」


 事実確認のように淡々と訊かれ、あすかは思考がしばし停止した。


「付き合っては、ない」


 本当のことだ。けれど、「大和が好きだから」と言ってしまったのを、彼はどういう意味で受け取っただろう。

 そして、「またお弁当作ってきてくれると嬉しい」は、どういう意味で受け取ればいいのだろう。

 慌ただしさで忘れていた難問に、あすかは頭を悩ませた。

 真琴は「そっか」とだけ言った。

 その横顔が、何を思っているかはわからない。ただ、先ほどまでの刺々しさはもうない。頬に穏やかなカーブが描かれる。

 あすかの両親は祝賀会の片付けが済むと、お正月だというのに会社へと出かけていった。仕事をしていないと落ち着かないのだろう。

 水滴が刻むリズムも止むと、白井家はより深い静けさに包まれる。年に数回、華やかなイベントが催されるときを除けば、この広い邸であすかはいつもひとりだ。

 でも、本当にひとりきりだと思ったことはない。


「さて、お笑い番組の録画でも観て、お正月を満喫しますか」


 真琴につられるように、あすかも笑う。

 不思議な気分だった。大切なものが増えたのに、元々あった大切なものへの想いは薄れるどころかより濃くなっていく。

 ソファに座り、真琴に言った。


「真琴、大好きだよ」


 新しい年が、始まろうとしていた。


 白井あすかにとって千葉真琴とは、

 かけがえのない家族である。

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