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27 小野寺大和にとって白井あすかの涙とは

 その日は終業式──奇しくもクリスマスイブであった。


「大和はクリスマス誰と過ごすんだよー。千葉さんか? 白井さんか? いいよなぁ。モテる奴は」


 羨ましがっているようで、丹羽の口から真剣な恋愛話というのを聞いたことはない。こいつは結局、他人の恋愛について茶化しているときが一番活き活きしている、と大和は返事の代わりにため息をついた。

 クリスマスよりも、明日から冬休みだという問題のほうが大和にとっては深刻だ。

 今日を逃せば、三学期が始まるまであすかと気まずいままになってしまう。モヤモヤしたまま年越しをするのは気が引ける。

 そのとき、教室の扉が勢いよく開いた。


「頼もーう!」


 神が願いを汲んだのか、大和のクラスへやって来たのはまさしくあすかだった。

 道場破りのようなかけ声が、一斉に教室中の視線をさらう。

 が、終業式もHRも終わった教室はすでに冬休みモードであった。年末年始の予定やお年玉の使い道で生徒たちの頭はいっぱいだ。つまり、余計なことに割くキャパなど残っていない。集まった視線はすぐに散った。ただひとり──大和を除いて。

 あすかも真っすぐに大和を見据えていた。目が合ったまま、ずんずんと距離が近づいていく。大和はただ、ぽかんとするしかなかった。


「大和、ちょっと話がしたい、です」


 恥ずかしそうなあすかの様子を見た丹羽が、ひゅうっと口笛を鳴らした。


「じゃあオレは行くわ。大和、よいお年を~」


 片手をひらひらさせて丹羽が教室を出ていく。しん、と二人のあいだに沈黙が降る。


「あの、教室じゃちょっと……」


 あすかの声が先細る。大和はぎこちなく相槌を打ってから、ゆっくりと立ち上がった。

 黙ってついていくと、あすかは屋上の扉を開けた。

 冷たい北風に思わず身を縮める。あすかは両手に息を吹きかけていた。

 大和は不思議だった。こんなに寒いのに、東京はどうしてホワイトクリスマスにならないのか。 そして同じくらい、どうしてわざわざ屋上に来たのかということも。


「あすか、話だったら他の教室でもいいんじゃない。ここだと冷えるでしょ」


 あすかは強く首を振った。


「ここじゃないとダメなの」


 ベンチには目もくれず、あすかはコンクリートに腰を下ろした。大和も少し遅れて隣に座る。


「ごめんね。急に」


「ううん。大丈夫だけど、どうしたの?」


 答えないまま、あすかは思いつめたような顔をして大和を見た。それから、横に置いていた通学カバンのなかを探りだした。


 ドン、と置かれたのは、つるりとした紺色のお弁当箱だった。

 見覚えがあって、大和は目を丸くする。


「このお弁当箱って……前にあすかがくれたのと同じやつ?」


「同じっていうか、あの日、大和にあげたやつだよ」


「……ん? どういうこと?」


「早苗さんから会長経由で私に届けてもらったの」


「え、ちょっと待って、早苗さんって……あすか、母さんのこと知ってるの⁉」


「うん。このあいだ知り合って、連絡先も交換したから、早苗さんにお弁当箱借りたいって連絡したの」


 頭が真っ白になり、無意識に眉間に皺が刻まれる。状況が呑みこめない。「三者面談の前に会った」とあすかが補足してくれたところで点と点は繋がったが、今度は違う意味で頭を抱えることになった。

 おそらく、裏で暗躍しているのは朔だろうと推測した。俺のいないところで何やってんだ。内ポケットに隠した朔の第二ボタンが存在感を増す。


「うん……それで、このお弁当箱は……?」


 無理やりに自分を納得させた大和が訊くと、


「誕生日、もっかいやり直そう」


 あすかはニコッと笑顔を作った。


「卵焼き、もう入ってないからさ」


 卵焼き。その言葉に、肩がビクッと反応する。


「大和は私に悪いことしたと思ってるんでしょう? でも、私は大和に悪いことしたなぁって思ってるんだ。だからさ、やり直したいんだけど……どうかな?」


 返事を待たずにあすかはフタを持ち上げた。大和の分と、自分の分。二つ並んだお弁当の中身は、前回とは違うおかずだ。

 あすかに箸を渡され、いただきますと二人で手を合わせる。黙りこくったまま、それでもちゃんと食べ始めた大和を見て、あすかはやっと安堵したような笑顔を浮かべた。


「あのね、早苗さんから聞いた。大和の、昔のこと」


 ためらいがちにあすかが言う。そうだろうなと薄々勘づいてはいた。しかし、聞いたという事実を報告されるとは思っていなかったので、大和は咀嚼のタイミングを見失った。


「聞いてないふりも、知らないふりもできそうになかったから……勝手に昔のこと聞いてごめんなさい」


 小さく頭を下げるあすかを見て、大和は声もなく笑った。


「勝手に言ったのは母さんのほうでしょ? あすかが謝る必要ないよ」


「そうかもしれないけど……」


「うん。お弁当、おいしい」


 話を切りあげるように大和は感想を述べた。

 自然な流れになるように箸を動かし続けるが、内心は焦っていた。せっかく話をしに来てくれたのに。表面だけを取り繕いたいわけじゃないのに。

 そのとき、朔の言葉が頭に浮かんだ。

 お前は変わらなくていいから、そのままの自分を好きになれ。

 そんなことできるだろうかと思った。けれど同時に思う。そのままの自分を好きになってほしい、と。


「……一番最初にあすかに言われたよね。泣いてた理由を知りたい、って」


「うん」


 下校する生徒の賑やかさに耳を傾けるように、大和は遠くを見つめた。


「自分でもよくわかってなくて。失敗したり、失望されたり、そうやってみんなに愛想をつかされるのが怖いんだと思ってたけど……」


 確かにそれもひとつの理由だったが、それだけじゃないと気が付いたのは最近だ。

 大和は大きく息を吐いた。


「いつも不安だったんだ。母さんが、俺なんかを引き取って後悔してないか。迷惑をかけ続ける自分が、どんどん嫌いになる」


 自分が大切に思っているひとの期待に応えられているか。そこに居るだけの価値があるのか。

 今まで誰にも話したことのない感情。かさぶたを剥がしたように、喉の奥がひりついた。

 それでも膿が外に溢れるのを止められない。


「どうして自分だけ置いて行かれたのか、わからないんだ。残されるだけの価値なんてない気がして、どうせなら──っ」


 爆発しそうな自己嫌悪を、突然、温かい何かが包みこんだ。ほのかに甘い香りがよぎる。背中に回った手は力強く、どこにも行かないように、と大和を現実に繋ぎとめる。そこでようやく、あすかに抱きしめられているのだと気が付いた。


「そんなこと、言わないでよ。大和のご両親も、早苗さんも、大和が生きてるだけで嬉しいに決まってるじゃん。私も、私だってそうだよ」


 大和はもう、言葉の意味は曖昧にしかわからなかった。涙が止まらなかったのは、制服越しにあすかの温もりが伝わってきたからだ。


「あすかは優しいね」


 勝手に口からこぼれていた。その直後、耳元で「バカ!」と叫ばれた。耳がキン、と鳴る。


「優しいからほっとけないんじゃない! 大和だから、ほっときたくないの!」


 体が離れ、正面で向かい合ったとき、大和は息ができなかった。

 あすかは、泣いていた。


「大和が好きだから、『関係ない』なんて、言ってほしくないんだよ」


 落ちていく涙がきらきらと光っている。まるで、青空から降ってきた星みたいだ。

 生まれて初めて、涙をきれいだと思った。

 子供のように泣きじゃくるあすかの頭を、今度は大和が引き寄せる。

 涙って、自分のためにしか流せないと思っていた。誰かのために、ましてや俺のために泣いてくれる人がいるなんて思わなかった。

 静かに時が流れ、さっきまでの激情が不思議と凪いでいく。誰かと一緒になって泣くのも、大和には初めての経験だった。

 どれくらいそうしていただろう。涙が流れた跡を撫でるように、すーすーと冷たい風が抜けていく。

 取り出したハンカチを濡れたあすかの顔にそっとあてると、急に体を強ばらせたあすかは大和の頬を両手で引っ張った。あからさまな照れ隠しに思わず笑みがこぼれる。


「お弁当、食べようか」


 二人で同時に、同じことを言った。


 

 食事を終えた大和は、男女が抱き合って一緒に泣いている姿を俯瞰的に思い浮かべ、赤面する。

 恥ずかしさを振り払うようにブンブンと頭を振った。それなのに、胸の奥に灯った温かさはいつまでも消えない。消えてくれそうにない。

 大和は空になったお弁当箱をじっと見つめ、口元に手をあてた。


「前に、お弁当箱洗って返すって言ったとき、あすかはこれもプレゼントだから返さなくていいって言ったよね?」


 大和が逃げるように去った、あの日のことだ。


「うん」


「けど、やっぱり……お弁当箱、あすかに返してもいいかな」


 あすかは状況がわからず、「え?」と眉尻を下げた。何か気に障ることをしたかと不安になっているのかもしれない。

 けれど大和が続けたのは、寒さも不安も打ち消すような言葉だった。


「それで……また、お弁当作ってきてくれると……嬉しい、です」


 あすかは意味を探るように大和を見つめた。

 向けられた視線によって熱くなる顔を、思わず手で覆う。鈍感なあすかにも伝わるほど、その顔は真っ赤だ。


「もちろん!」


 とても嬉しそうな返事が、空に上がった。


 小野寺大和にとって白井あすかの涙とは、

 光のない心の夜を照らす、温かい綺羅星である。

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