21 白井あすかにとって古川朔とは
白井あすかは文化祭で賑わう校舎をひとり巡回する。模擬店や演劇のBGMの音量が適切であるかをチェックし、途中で道を訊かれれば答え、廊下にゴミが落ちていれば拾い、あらゆる箇所に目を光らせる。
「風紀委員が歩くだけで抑止力になるから」
大和にはそう言われたが、あすかには風紀委員と書かれた腕章がやたらと重く感じられた。見合うだけの威厳は自分には備わっていないと思っている。
あすかの担当である三階には、おもに三年生のクラスがある。
廊下に響く笑い声。先輩たちにとっては最後の文化祭か、と巡回そっちのけで楽しそうな様子を眺めていると、ふいに
「お姉さん、暇そうだねぇ」
と声をかけられた。はじめ、あすかは自分が言われたのだと気づかなかった。
名前負けしてはいるが、風紀委員の腕章を付けている人物を「暇そう」だなどと茶化せる人間はそうそういない。
いないのだが──。
声の方向には、それが可能である稀有な人間が立っていた。
「会長」
古川朔。現役の生徒会長。由恵や大和とは浅からぬ付き合いがあるが、あすかとの交流は挨拶程度だ。
「風紀委員の白井さん、だよね?」
朔は黒縁メガネの奥の目を細め、トレードマークであるパーカーのポケットに両手を突っ込んでいる。
「奇遇奇遇。僕もちょうど暇でさぁ。ささ、入って入って」
「え、え⁉ 今、巡回中なんですけどっ」
背中を押されて入った三年生の教室は薄暗かった。カーテンは閉め切られ、照明は消されている。わずかな明かりは机の上に不規則に置かれた蝋燭──を模したキャンドルライトだけだ。
そういえば、蝋燭の使用許可の申請を会議で却下にしたのは風紀委員だった。
「本物じゃないけど、LEDの蝋燭もそれっぽいでしょ?」
朔はニヤリと笑う。
並んでいるすべての机には黒い布がかけられていた。机を挟んで向かい合うように椅子が置かれていて、ほとんどの席は人で埋まっている。
机の上に食べ物の類いが置かれているわけでもない。お客である来場者が真剣な眼差しで生徒の話を聞いているだけだ。
こんなに盛況な出し物ってなんだろう。
考えているあすかを、朔は唯一空いている奥の席に座らせた。
人生相談……ならこんなに暗い必要はないし、一対一の対面で暗いシチュエーション……と、ここまで考えて思い至った。
「あ、あの! 会長!」
「うん?」
「私、こわい話は無理です!」
蝋燭の使用許可を出さなかったことを根に持っている朔が、怪談話が苦手な自分に嫌がらせをしようとしているのかもしれない。
危機を感じたあすかが思わず立ち上がると、
朔は面食らった表情のあと、思いきり笑い出した。
「ははは! 違うよ、白井さん。うちのクラスがやってるのは怪談じゃなくて、占い」
拍子抜けしたあすかはへなへなと再び椅子に収まった。
「う、占い?」
「そう。姓名判断とか、誕生日占いとか。ま、無料だし、当たるも八卦当たらぬも八卦、だけどね。占い、好きでしょ、女の子は」
「はぁ……」
「ハイッ、じゃあとりあえず名前と誕生日言ってみて」
「……白井あすか、四月二十一日生まれです」
「へぇ、白井さん四月生まれなんだ」
続きはもちろん占いの結果だろうとあすかは黙って待った。
しかし、よくよく見ると朔以外の三年生は本を片手に占いを行なっている。暗闇のなかからうっすらと『365日誕生日占い』や『動物占い全書』などのタイトルが浮かんでいる。
にも関わらず、朔は何も持たずに頬杖をついているだけだ。生徒会長って瞬間記憶の能力とかあったっけ? と、あすかは一瞬真面目に悩んでしまった。
「大和はね、もうすぐ誕生日なんだよ」
突然言われ、あすかは動揺を隠せなかった。
「なんですか、いきなり」
「いやー白井さん、大和と仲良くしてくれてるでしょ? あいつの誕生日とか知ってるのかなぁと思ってさ」
「誕生日……知らないです」
今まで誕生日の話なんてしたことはなかった。あすかの誕生日である四月は、まだそれほど大和と仲が良かったわけでもない。
「サプライズとかしたら大和、喜ぶんじゃないかなぁ」
「誕生日! 教えてください!」
食い気味で尋ねると、獲物が罠にかかったのを喜ぶように朔は満面の笑みを浮かべた。
「OK。じゃあ、僕の質問にもいくつか答えてもらおうかな」
「質問……」
「白井さん、大和がすぐ泣くの知ってるんだよね?」
飄々とした表情のまま、周りに漏れないように小さくした声。この人は大和の秘密を知っているんだ、とあすかの胸に緊張感が走る。
「……はい。なんとなく、ですけど」
「それを知ってどう思った?」
以下、あすかの心情である。
どう、とは?
会長の質問の意図がわからない。
けど、どう思ったか。その答えはたったひとつだ。なにも偽る必要なんてない、ないはず。
……ないよね?
等々。
あすかは掴みどころのない朔に正直に答えていいものか悩みながらも、
「可愛いと思いました」
真顔で言い切ると、朔が勢いよく横を向いて吹きだした。
「はい、百点」
百点? あすかはわけがわからず、ポカンとしている。
朔は腕を組み、声の音量を元に戻した。
「大和はさ、ひとに弱みとか見せないように頑張ってるつもりだろうけど、たまには見せたっていいんだぜ、っていうのをわからせたいんだよね。そうじゃないと、あいつ、いつかどっかで潰れるだろうから」
「会長って、意外にいい人だったんですね!」
「はは、意外ってなんだろう。ぶっちーの教育の賜物でしかないわ」
いつも由恵が朔を目の敵にしているので、「あの由恵先輩が嫌いなのだから、会長は相当イヤな性格に違いない」と思いこんでいたのだった。
こんなに大和想いの先輩だったなんて──あすかは猛烈に感動していた。
「とにかく、弱みに対しての理解者が必要だと思ってるんだよね。やっぱりそれは男より可愛い女の子の方が良いわけで」
後半の理屈はよくわからなかったが、ひとまずあすかは頷いた。
「確かに、泣いてたのも『誰にも言わないで』って言われました」
可愛いのに。誰かに言いたくて仕方なかったのに。約束してしまった以上、あの日のことは真琴にだって黙っている。
「そうそう。ひとりで抱えこみすぎなんだよ。だから白井さんが大和の彼女になってくれれば一番いいんだけどね」
……ん?
聞き捨てならない言葉があすかの横を通り過ぎていった。
「今、なんて?」
「え、白井さん、大和が好きなんでしょ?」
「違います」
「違うの⁉」
「どこをどうしたらそうなるんですか⁉」
「だって泣いてるのが可愛いなんて、好きな人じゃなきゃ思わないんじゃないの?」
「えぇ⁉ それじゃあ私は大和が好きなんですか⁉」
「なんで僕に訊く⁉」
いつの間にか立ち上がっていた二人に教室中の視線が突き刺さる。暗闇の教室は占いの館を演出しているはずなのに、朔とあすかの言い合いのせいで神秘的な雰囲気はぶち壊された。
朔は咳ばらいをし、ゆっくり着席しただけでその場を取りなした。ほどなくして、静謐な空気が教室に戻ってくる。
「……会長は、私が大和のこと好きだって思いますか?」
泣いてる姿を可愛いと思ったらそれは恋なんだろうか? 他の男子が泣いているところなんて見たことがないから、あすかには答えがわからない。
「うーん……わからないけど、人に言われて好きだと思うなら、それは本当の好きとは違うんじゃない?」
「よくわかりません」
「ま、僕もそういうのは詳しくないから。大いに悩め、若人よ」
最後に朔は、「大和の誕生日は十一月十九日だよ」とあすかに教えた。
物悲しい秋の終わり。
冬の気配に怯えて、静かに葉を落とす木々。
その姿はどこか大和に似ている気がした。
「弱みに対しての理解者、かぁ」
朔と別れたあと、窓の外の黄色いイチョウを眺め、思う。
イチョウも、モミジも、きっと知らないのだろう。色づく紅葉が、人の心をどれほど震わせているのかなんて。
どうやったら伝わるかなぁ。
風が吹いて、枝の上の葉がゆったり揺れた。
大和の誕生日まで、あと少し。
あすかは腕章の位置を確認し、巡回に戻っていく。
白井あすかにとって古川朔とは、
下手な占い師よりも核心を突いてくる、タチの悪い千里眼を持った人物である。




