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2 白井あすかにとって秘密とは

 白井(しらい)あすかはズンズンと廊下を歩いていく。

 わざとそうするのは、バクバク鳴る心臓の音を紛らわせるためだ。

 生活指導室にいた大和(やまと)は、目を真っ赤にして泣いていた。まるでうさぎみたいだと思った。

 大和は気づいていなかっただろうが、それを見たあすかの頬は赤くなっていたのだ。

 以下、あすかの心情である。


 泣いてた。

 高校生の男子が泣くって……。

 泣くって……。

 いい年して泣くって……。

 ────可愛すぎるでしょぉ──っ!

 なに⁉ あれ! 萌えしか勝たん!

 やばい。にやける。

 思わず逃げてきちゃったけど、理由とか聞けばよかったかな。「ヨシヨシ」とかしてあげればよかったかな。というか、してあげたかった!


 等々。

 あすかは、世に言うギャップ萌えの真っ最中であった。

 今からでも戻って「ヨシヨシ」してあげるべきか⁉ そう思って来た道を振り返ると、


「あ、いた。あすか」


 そこには千葉(ちば)真琴(まこと)が立っていた。


「お迎えの車来たから、早く帰ろうよ」


 彼女が告げたのは無情の知らせであった。

 あすかは渋々、後ろ髪を引かれる思いで校舎を後にした。


 

「明日、どんな顔して小野寺くんに会えばいいんだろう……」


 送迎の車の中、走行音に掻き消されそうな音量で呟く。


「小野寺くんって、風紀委員の?」


 真琴は地獄耳である。

 さきほどの出来事を話してしまおうかと考えたが、口を開きかけて思いとどまる。

 ──「言わない。絶対言わないから」

 大和と約束した言葉を思い返す。

 それに、

 こんなにキュンキュンする出来事を、他の人に話してしまうなんてもったいない!

 あすかは今日の出来事を、ひとりで楽しむのが吉と判断した。


「いや、朝の挨拶運動で、小野寺くんに『ハッキリ発音したほうがいい』って言われたから」


「挨拶?」


「ほら、このあいだ真琴に教えてもらった、『おざーす』」


「ああ!」


 真琴はわざとらしく、手のひらに拳をポンと振り下ろした。


「おかしいなぁ。今の若者は『おざーす』を気だるげに『ざーす』って挨拶するのがトレンドなんですけどねぇ」


 あすかは疑わなかった。真琴があすかにとって、唯一、世間の流行を知る情報源であるからだ。

 ちなみに、「おざーす」の他にも、「萌えしか勝たん」など、流行に疎いはずのあすかがこうした言葉を口にするのは、真琴の調教の賜物であった。

 真琴はあすかの付き人であるとか、護衛役であるとかまことしやかに囁かれているが、実際にはなんのことはない、あすかのいとこである。


「けど、風紀委員にトレンドなんて関係ないよね。次からはちゃんと挨拶する」

 

 そう決意したところで自宅に到着した。


「じゃあまた明日ね」


 手を振る真琴を連れて車が走り去る。あすかは立派な門戸の自宅を見上げた。庭付きの白亜の邸宅──世間一般で言う『豪邸』である。

 けれど、あすかにとって自宅は安らげる場所ではなく、感情をさらけ出すことが許されない鳥かごのようなものだった。

 だからだろうか。

 目を真っ赤にして泣くうさぎを、羨ましいと感じたのは。


 翌日は風紀委員の活動日だった。

 風紀委員の仕事は多岐に渡るが、ざっくりと言えば、『学園の品格と秩序を保つため、規律から外れる行為の未然防止、または指導』である。

 そんなわけで放課後のおもな任務は一に巡回、二に巡回だ。

 大和とあすかはいつもと同じように、西日が差す校舎を歩きながら、校内の様子に目を光らせる。

 巡回と言っても、のどかな牧場のようなこの学園で、窓ガラスを壊してまわったり、盗んだバイクで走りだすような非行少年少女はもちろん存在しない。そもそも、バイク通学は禁止である。

 そうなれば、大和とあすかがやっていることは、傍目からすれば、ただの校内散歩と変わらない。


「そろそろ生活指導室に戻ろうか」


 と、大和が言ったので、あすかも頷いた。

 大和はいつもと変わらない様子だった。

 変わらなければ変わらないほど、どうして泣いていたんだろう、と気になって仕方がない。

 モヤモヤしながら階段を上っていると、足先でスカートを踏んでいる感覚がした。

 気づいたときにはもう遅く、バランスを崩し、あすかは後ろ向きのまま倒れそうになった。

 視界に天井が映る。舞い上がった埃がきらめいている。

 しかし、

 傾いた身体はすぐに押し戻された。


「おわっ」


 肩を抱きとめてくれたのは、大和だった。


「大丈夫?」


 大和はそう訊いたが、あすかの耳には届いていなかった。

 そういえば、エスカレーターや階段で、女性がつまづいた場合に支えられるよう、上りではうしろに、下りでは前に立つのが紳士のマナーだと聞いたことがある。

 つまり、小野寺大和は紳士!

 あすかはそう確信した。キュンキュンすることこの上ない。


「白井さん?」


 心配そうに覗き込む大和と目があって、あすかは我に返った。


「あっ、ごめん。重かったよね。ありがとう」


 放っておくと上がりっぱなしになる口角を手で抑えながら、近づきすぎた距離をパッと離す。

 触れられた肩がいつまでも熱い。

 照れ隠しのためにスカートを手で払うと、大和はその陰に隠れたあすかの足首を透視でもするかのように目を凝らしている。


「白井さんは、どうしてそんなにスカート丈長いの?」


「えっ」


「長いのにこだわる理由があるの?」


「こだわりというか……なんというか……」


 口ごもるのは、それが、人には決して知られたくない秘密だからだ。

 以下、あすかの心情である。


 言えない。

 だって、スカート丈を長くしているのは、

 わざとそうしているのは、

 ──肌や脚を露出させるのが恥ずかしいからだなんて、言えるわけないでしょぉっ!

 世の中の女子高生はどうしてあんなに堂々と膝上にして脚を見せるの⁉

 嫁入り前だっていうのに!

 恥じらいや羞恥心はないの⁉

 でも、そんなこと言いだしたら、また中学の頃みたいに白い目で見られるに違いないし……。


 等々。

 そう。

 白井あすかは、『極道の娘』などではない。

 上流家庭に生まれたがゆえの、単なる箱入りどころか、重箱に折り目正しく詰められた、生粋の世間知らずなのであった。

 大和は、沈黙の意味を汲み取ることもなく話を続けた。


「スカート丈、あんまり長いのも危ないと思うよ。今みたいに。災害時とか、走る必要があるときに転ぶかもしれないし」


「うーん……確かに、そう、だね」


 歯切れの悪い返事に、少し考えてから大和は提案した。


「タイツとかじゃダメなの?」


「え?」


「俺は詳しくないけど、タイツとかストッキングとかじゃなくて、スカート自体が長くないとダメなの?」


「タイツ……」


 考えたこともなかった。

 倒れそうになった自分を助けてくれる人。

 次は倒れないようにと心配してくれる人。

 新しい可能性をくれる人。

 こんなにも、他人を知りたいと思うのは初めてだった。


「小野寺くん!」


 急に大きな声で呼ばれ、大和はたじろいで返事をした。


「小野寺くんのこと、大和って呼んでもいい?」


「……え? 別にいいけど……」


「それで、私のこともあすかって呼んで!」


「えぇ⁉」


「昨日泣いてた理由、詳しく知りたいの」


 泣いていた理由を知りたいというのは、あすかにとっては純粋に、大和と仲良くなりたいという意味である。

 そこで取ったのは、『形から入ろう作戦』であった。

 あすかは他人との距離の縮め方など知らない。それゆえ、漫画やドラマから得た知識ではあるが、呼び方を変える、しかも、下の名前で呼ぶということは、最上級の愛情表現だと思いこんでいる。

 ──いるのだが。

 大和のほうはそんな事情など知るはずもない。自分が泣いていた話を持ち出された時点で、大和にとっては脅迫以外の何物でもなかった。

 が、戸惑う大和に気がつかず、あすかはキラキラと輝く星夜に似た眼差しを向けている。頑なに隠し続けてきた秘密を、この人になら、差し出せるかもしれないと思いながら。


 白井あすかにとって秘密とは、

 世間知らずな弱い自分を守るための鎧である。

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