16 丹羽敬助にとって小野寺大和とは
大和はいつも学生食堂で昼食をとる。昼時にはバーゲンセールのようになる購買で、もみくちゃにされながらパンを買うのは嫌だからだと言っていた。
「弁当は?」当然のように訊いた丹羽敬助に、大和は「母さんは仕事が忙しいから」と言った。
丹羽はちょうど母が作った弁当の蓋を開けたところで、ぎゅうぎゅうに詰められたおかずを前にした自分がなんだかひどく子供のように思えたのであった。
それ以降、丹羽は学食で大和と定食を食べることにしている。
「なぁ大和、お前は進路希望なんて書いたの? てか、どう書くのが正解なわけ?」
向かいで生姜焼き定食を口に運ぶ大和の動作はゆったりというのか、優雅というのか。とてもじゃないが購買で一番人気のカレーパンを勝ち取ってこれないそうにはない。
「ていうか、丹羽。食べ方間違ってるぞ」
丹羽は購買で最後のひとつだったカレーパンに、あろうことか食堂で頼んだカツカレーのルーをつけながら食べていた。
「どんだけカレー好きなんだよ」
「うるせー。カレーは国民食なんだからいいだろ」
大和はため息をついてから本題に戻した。
「進路希望なんだから別に何書いたって自由だと思うけど、お前のは根本的に間違ってるよ」
「自由なのに間違ってるっておかしいだろ!」
「だって『第一希望 箱根駅伝』って、何の希望だよ」
「箱根駅伝に出られる大学ってことだよ!」
「それ、全っ然伝わってないからな!」
陸上部である丹羽はさらに、『第二希望 出雲駅伝』『第三希望 全日本』と三大駅伝を挙げ、そのまま提出し、さきほど担任にこっぴどく叱られたばかりである。
あるのだが──。
ちっとも反省はしておらず、むしろむくれている。
「それなら外部受験って書いとけばいいんじゃないの」
「あ、そういうことか。なんだよ。だったら最初からそう言ってくれよなー」
質問を曲解して駅伝の名前を記入するなんて丹羽くらいのものだが、本人は至って真面目に答えたつもりであった。
「大和は? 普通に内部進学?」
「うーん……まだちゃんとは決めてないけど……」
大和はいったん箸を置いて深刻そうにうつむいたが、丹羽は「食欲ねぇのかな」としか思わない。気にせずに頬張ったカツはしっとりとしている。全面的にルーをまとわせて、サクッとした食感をあえて消すのが丹羽の好きな食べ方だ。
「第一希望は、外部にした」
「へぇー……外部⁉」
ワンテンポ遅れて驚いた拍子に、カツが喉に引っかかってむせた。
「げほっ……なんで外部なんだよ。いや、大和は頭いいから別に変じゃないけど、お前だったらすんなり内部進学決めて、世の受験生が勉強してる時間を大学で学ぶことに充てたほうが有意義だ、とか言いそうじゃんか」
「めちゃくちゃ俺の性格を理解しすぎてて微妙に腹立つな」
ムッとしながらも笑った大和だったが、すぐに表情を戻して生姜焼きに目を落としている。
食欲ねぇならオレがもらっちゃうぞ。生姜焼き。
丹羽は言いたくて仕方がないが、グッと我慢する。こういうときの大和は、悩みを話し出すまでに時間がかかる。ゆっくりとした食べ方と一緒で。
「……国公立ならさ、学費が楽だろ」
やっと砂を吐き出した貝のように、だけども口をパックリとは開かない。大和はすごく面倒くさい性格をしている。
「そういやお前、学費稼ぐためにバイトしてるもんな。すげぇよな。オレには絶対無理だわ」
「丹羽は陸上頑張ってるだろ。そっちのがよっぽどすごいよ」
謙遜でも皮肉でもない。それが本心だと、鑑定書をつけて保証できるくらいには、丹羽は大和のことをわかっているつもりだ。
以下、丹羽の心情である。
はぁぁ。こいつといると自分が嫌になるわ。
オレがどれだけ恵まれてるか。
大和みたいに必要に迫られて何かをしているわけじゃないのに。
大和のほうがずっと偉いし立派だし、とにかくすげぇよ。ま、言っても信じないだろうから、もう言ってやらないけど。
面倒くさい性格で、面倒くさいから自分で自分を苦しめて。本当に面倒くせぇ。
等々。
声にならない悪態をつきながら、丹羽はくだらない妄想をする。「カレーと大和、どっちのほうが好きか?」と訊かれたら──迷わず即答できる自分が誇らしいやら馬鹿らしいやら。
残りのカツカレーをかきこんで、そして言ってやる。
「お前の好きにしたらいいんじゃねぇ」
再び箸を進め始めた大和が顔を上げる。
大和が食べていると、生姜焼きさえも上品な料理に見えてくるから不思議だ。そんな人間が、学費問題で進路を悩んでいるなんて、もっともっと不思議だ。
「学費うんぬんは抜きにしてさ。奨学金とか、方法はいくらでもあるんだし、気合いでどうにかなるっしょ」
「丹羽の気合いほど信用できないものはないんだけど」
「ひでぇ! 人が真剣に答えてるのに! 全生徒の相談役であるお前の相談にのれるのなんて、オレくらいなんだからな!」
「まぁ、それはそうかもしれないけど」
急に素直に認めた大和に、丹羽は気恥ずかしくなってしまう。
こういうところが、女にモテる理由だろうか。知らんけど。
「とにかくさ、学費のことは気にせず、自分が進みたいと思った進路に進めよ。大和なら奨学金借りたとしても、将来官僚とかになって年収一億は楽勝だろ」
丹羽があっけらかんと言うと、大和は生姜焼きを口に入れる手前で箸を止め、
「……ありがと」
と怪訝な顔をしながらもお礼を伝えてきた。
小動物のようにモグモグと頬を上下させる大和を眺めながら、丹羽は「面倒くさすぎて飽きないわ」と笑いを堪えていた。
食事を終えて食器を返却した直後、丹羽は大和の名前を呼んだ。
振り返った大和の胸元へ、キャッチボールでもするみたいに丹羽が軽く放った。
ビニール袋がクシャリと鳴る。驚きながら大和が両手で受け止めたのは、ずっしりとしたクリームパンだった。
「さっき購買で買ったやつ。部活の前に食おうと思ってたけど」
「なんで」
「辛気臭いお前見てたら食欲も失せるって。でも、あげるんじゃないからな。年収一億になったら、そのクリームパンは百万にして返せよ」
「だとしたら百万円分のクリームパンにして返すよ」
「いらねぇ!」
丹羽の絶叫に、大和は肩をすくめてから、
「次は俺の分もカレーパン買ってきてよ」
と小さく笑った。
「おう。任せとけ」
くだらないやり取り。なのに、とても大事な約束をしたような、そんな気持ちだった。
丹羽敬助にとって小野寺大和とは、
毎日食べても飽きないカレーのような、なくてはならない相棒である。




