15 小野寺大和にとって恋愛相談とは
どうしてこんな状況になってしまったのか。
小野寺大和の心を苦く浸食するのは後悔。
「どう思う? 大和くん」
人払いをした生活指導室で、気落ちした様子の同級生・田中くんと向かい合っている。
「どう思うって……」
相談したいことがある、と言われ、相談のための個室を用意し、お膳立ても心の準備も完璧だった。
ただひとつ、大和は勘違いしていた。
「付き合ってる彼女にキスしたいけど、してもいいものかわからないんだ!」
田中くんは身を乗り出して訴えた。その目は切実だ。
これまで、大和が受ける相談の内容は、
勉強を教えてほしい、
勉強方法を教えてほしい、
人間関係の悩み、
等々。
告白する勇気がない、という恋愛相談はあったものの、そんな相談は背中を押してあげれば解決できた。
できたのだが──。
よりによって田中くんは、ガチの恋愛相談、しかも、大和にとって未知の領域について相談してきたのであった。
「いやぁ……そういうのは由恵先輩とかに相談したほうがいいんじゃないかなぁ」
お茶を濁しに濁した大和だったが、田中くんは引き下がらなかった。
「恥ずかしくて、女子に相談なんてできないよ」
俺に相談するのは恥ずかしくないのか。
突っ込みそうになったが、堪えて適当に頷く。
「大和くんモテるから、そういうの百戦錬磨でしょ?」
顔を上げると、田中くんは真顔だった。冗談を言ったわけではないらしい。
以下、大和の心情である。
え、俺ってどういうふうに周りから見られてるんだ? 女遊び激しいとか、遊びまくってるとか思われてるのか?
風紀委員の仕事をこんな真面目にこなしてるのに? 勉強だってちゃんとやってるのに、まだ足りないのか?
悪目立ちしたくなくて、努力して表面を取り繕っても、隠しきれてないんだ。底の浅い、俺の本当の価値は。
等々。
大和は悲観的思考に陥り、すっかり泣きたくなっていた。
が、人前で泣くわけにはいかない。
そして同時に考えていた。
ここで正直に「恋愛経験がない」と暴露した場合。
「大和くんってぇ、実はいろいろと未経験らしいよぉ?」
「ダッサ! あんなに偉そうにしてて、女と付き合ったこともないとか、マジウケル」
学園中に噂が広がり、冷笑の渦に飲みこまれ、風紀委員としての威厳も保てず、卒業まで肩身の狭い思いをすることになるだろう。
最悪の未来が頭をかすめ、追い払うようにブンブンと首を振った。
バレたら終わりだ。
ここはなんとしても、知ったかぶりで田中くんの相談に乗り切らなければ!
大和は手汗で湿った手のひらを握りしめる。
「田中くんは……彼女と付き合ってどれくらいなの?」
「夏休みの前だから二か月くらいだよ」
二か月でキス。早いのか遅いのか、それとも普通なのかの判断すらできない。
「彼女のほうに訊いてみる……っていうのは?」
大和が提案のつもりで促すと、田中くんは怪訝な顔をした。まずい回答だったのは一目瞭然だ。
「大和くん何言ってんの。ああいうのは雰囲気が大事なんだから、事前に訊いたらムードぶち壊しだよ」
「あぁ……そっか……」
よくわからないまま大和は相槌を打った。
だって無理やりキスなんてしたら不同意で罪になるだろ。じゃあどうすればいい。
不同意じゃなく……無理やりじゃない方法……雰囲気づくり……。
大和は脳をフル回転させた。
そして、「あ」、と声を上げた。
「例えば、こういうのはどうだろう」
そう切り出すと、田中くんの背筋がピッと伸びた。
「遊園地の夜、秋の風は肌寒い。身を寄せ合って、幻想的なイルミネーションのなかを二人歩いていく。心はポカポカ、彼女の笑顔も輝いている。ロマンチックな雰囲気は最高潮。そこで──」
田中くんの瞳に希望が差し、爛々と光が宿っていく。さらに大和は続けた。
「そこで──事故を装ってキスすればいい!」
考え得る限り最低の回答。
だが、大和はそれこそが正解に違いないと自信満々に口にした。無理やりじゃない方法を優先した結果である。
幸か不幸か、田中くんもまた、大和と同じ感性を持ち合わせていたのであった。
「おぉぉ! それだ!」
「階段でつまずいて、とか、人波に押されたふうに、とか自然な感じでさ!」
「大和くん天才! 少女漫画でも、曲がり角でぶつかって事故チューとかよくあるもんな!」
よくあるはずがない。
ないのだが──。
二人は妙なテンションに侵され、正常な思考能力を失っていた。
「遊園地なら非日常だしな、そういう過ちすらもドラマチックに変換されるだろう」
なにやら田中くんはうっとりしている。都合の良い想像のなかをさまよっているみたいだ。
「さすが大和くん。大和くんに相談して本当によかった」
「役に立ててよかった」
本当に、本当によかった。大和は安堵から力が抜けた。大きく息を吐きだし、背中を椅子に深く預ける。
「俺、遊園地の計画立ててくる!」
いてもたってもいられなくなったのか、田中くんは椅子が後ろに倒れそうなほどの勢いで立ちあがった。
「遊園地の夜はいいけど、十一時以降は補導の対象になるから気をつけて」
念のため大和は風紀委員らしく付け加えた。
「大和くん、ありがとね。またなんかあったら相談させて!」
「う、うん。待ってる」
できればこれ以上の相談は遠慮したい。
大和は引きつった笑顔で、意気揚々と去る田中くんを見送った。
生活指導室の出口に近づき、音を立てないように内鍵をそっと閉める。
そのまま扉に背中をつけ、へなへなと力尽きたように座りこむ。膝を抱え、我慢していた涙をやっと流すことができた。
なにが悲しくて何度も泣くのか、大和は自分自身でさえよくわかっていない。
ただ、自信がないのだ。
相談を受ける人間性も、誰かを好きになる資格も、他人に弱音を吐く強さも、本来の自分のなかにはないものばかりだから。
田中くんが満面の笑みを浮かべて大和に耳打ちをしてきたのは、しばらく経ってからの朝の挨拶運動の最中であった。
「大和くん、遊園地作戦、うまくいった」
別に聞きたいとも思っていなかったが、風紀委員としての役目を果たせたことは大和だって素直に嬉しい。
が、田中くんはこうも言った。
「なんか、彼女も同じ気持ちでいてくれたみたいで、自然といい感じになった」
だったら相談の意味なんかないじゃないか。
憮然としていた大和だったが、災難はそれだけでは終わらなかった。
風紀委員の日報を提出しに行った際、上目遣いの由恵がニヤニヤしていた。
「なんですか」
気味悪がって訊くと、由恵は受け取った書類には目もくれず、含み笑いを保っている。
「大和、キミ、最近噂になってるよ」
「噂⁉」
大和は身をすくめた。
噂なんて、悪い噂に決まってる。ついにボロが出たのか、それとも根拠のないでまかせか……。
考えこんでいると、おもしろがっている由恵が言った。
「恋愛の達人なんだって?」
「……は?」
「大和が恋愛の達人だって、みんな相談したいって噂してるよ」
「なにかの間違いでしょう」
「だって田中くん……だっけ? 言いふらしてたよ」
田中っ! アイツ!
大和は唇を噛んで悔やんだが、すでに手遅れであった。
それからというもの、
告白のセリフ考えて、
彼氏と仲直りする方法教えて、
カップルの最適な連絡の頻度は?
等々、
大和のもとへ恋愛相談をする生徒が怒涛のごとく押し寄せたという。
大和は恋愛指南役として学園に名を轟かせたが、その実態はハリボテの未経験者だ。
アルバイト先の書店で、大和が恋愛のハウツー本を熱心に立ち読みしたのを知る人物は、誰一人として存在しない。
小野寺大和にとって恋愛相談とは、
雲を掴むように捉えどころのない話であり、数学の公式よりもよっぽど難解な謎解きである。




