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13 白井あすかにとって恋とは

 そもそも、風紀委員になるより前、あすかが大和(やまと)に抱いていたのは、「よくわからない人」という印象であった。

 入学して早々、小野寺(おのでら)大和の名前が学園中に知れ渡るきっかけになったのは、一年生にして風紀委員に選ばれた際の圧倒的な得票数だった。

 大和を推薦したのが生徒会長の古川(ふるかわ)(さく)であるというのだから無理はない。その人脈によって大和の人気と知名度はうなぎ上り。

 一年のころのあすかは、定期的に耳に届く大和の評判や噂を聞くたび、他の世界の話のように思っていた。接点がないのに、一方的に相手に詳しくなるというのは不思議なものだ。

 だからだろうか。大和と初めて言葉を交わしたとき、あすかはまるで遊園地のキャラクターに会ったときのような気分だった。


「小野寺くんって、本当の本当に実在してたんだ」


 二年になり、風紀委員に選ばれ、最初の顔合わせであすかは思わず心の声を漏らした。

 大和は「え?」と返したが、深く訊いてもこなかった。

 成績良し、人柄良し、信頼と実績を兼ね備えた大和に握手を求められる。


白井(しらい)さん、これから一年、よろしく」


 穏やかな笑顔。あすかは訝しげに手をのばした。

 以下、当時のあすかの心情である。


 この人って、完璧すぎて偽物っぽい。


 以上。

 風紀委員になったばかりのあすかは、大和のことをつかみどころのない人間だと思っていた。


「俺と白井さんは挨拶運動とか、放課後の見回りとか、一緒に組むことが多いと思うから、なにかわからないことがあったら訊いて」


 風紀委員の仕事を丁寧に説明をしてくれる。間違いなく善人。大和を妬むひとはいても、心の底から嫌いという人はきっといないだろう。



「私、苦手かもしれない。小野寺くん」


 いつだったか、帰りの車のなかでこぼしたことがあった。そのとき、目をしばたたいた真琴(まこと)がこう言ったのをよく覚えている。


「あすかがひとに興味を持つなんて珍しい」


 言葉の意図が通じなかったのかと、あすかは眉間を寄せた。


「興味じゃなくて、苦手意識だよ? 風紀委員、一年もできるかな」


「苦手って、どういうところが?」


「良くも悪くも当たり障りがないというか……」


「当たり障りないっていうか、人当たりがいいんでしょ? 苦手になる要素ある?」


「ないけど……」


 口ごもってあすかは黙った。

 あの人は、つかみどころがないんじゃなくて、本当の自分を押し殺しているのかもしれない。

 あすか自身も身に覚えがあった。作り物のような穏やかな大和の笑顔。あれは、何度も鏡で見てきた自分の表情とよく似ていた。



 あの日がもう、ずっと昔のことみたいだ。


「えっ、小野寺くん?」


「あ、うん。寝てるの邪魔してごめん」


 数か月前、生活指導室で泣いている大和に出会ったとき、


「あの、白井さん、申し訳ないんだけど、他の人に言わないでもらえるかな」


「え?」


「俺が、その……泣いてたってこと」


「あ、う、うん」


 あのとき、大和を誰よりも人間らしいと感じた。

 思えば、大和が気になり始めたのはあれからだった。

 だけど、まだ、泣いていた理由は教えてもらえていない。

 大したことじゃなくても、そうじゃなくても、頼られないことをあすかは寂しいと思うようになっていた。そう思っても許されるくらいには仲良くなった、はずだ。おそらく。


 タオルケットからのぞいた窓に陽が差している。

 以下、現在のあすかの心情である。


 夏休みが終わってしまう。 終わってほしいのに、ほしくない。

 明日は始業式で、風紀委員全員で校門に立って挨拶運動をすることになっている。

 私は普段、どんな顔で大和と並んでいたんだっけ。

 体育祭で手が触れて心臓が止まりそうになったのも、花火を観に行ったのに花火に照らされる横顔ばかりをチラチラ気にしてしまったのも、思い返すだけで息苦しくなる。

 これは、もしかして、もしかすると──。


 等々。

 脳内でパニックを起こしていたあすかは、ドアノックの音にもまるで気が付かなかった。


「あすかー課題の答え合わせしよーっ」


 勢いよくあすかの部屋の扉を開いた真琴の目に飛びこんできたのは、タオルケットに包まってジタバタしているあすかの姿であった。


「え、なに暴れてんの?」


 恐る恐る部屋に足を踏み入れた真琴は、得体の知れないものでも見たような表情をしている。

 あすかはのそりと起き上がり、ためらいながら口を開く。


「……あのさ、ちょっと訊きたいんだけど……」


 すがるような気持ちだった。こんなことを相談していいものかわからないが、友人の少ないあすかには、他に打ち明けられる人も思いつかないのであった。


「たとえば……例えばさ、ある特定の人を目で追っちゃうとか、その人に会えるのが嬉しいのに怖いような気がしたり、その人のことを考えると緊張したりするのは恋……ですか?」


 真琴の取り出していた課題が手から滑るように床に落ちる。バサバサバサッと乾いた音が静寂に響く。真琴の目は文字通り点になっていた。


「あっ、いや、ちがっ……今読んでるマンガの話!」


 慌ててあすかが付け足すと、


「いやいやいや、それどう考えてもあすかの──」


 真琴は言いかけて、一拍置いて咳払いをした。


「あぁなるほど。マンガの話ね、うんうん」


 真顔で納得する真琴に、あすかは胸を撫でおろした。誤魔化せたとホッとしている。


「恋ってどういうものか、よくわかってなくて……その……しゅ、主人公が」


「あぁ、はいはい。『主人公』がね」


 真琴は顎に指をあててから、


「『主人公』は、それが恋かどうかわからない?」


 と訊いた。

 あすかは「わからないから訊いてるんだけど」とは言わずに、こくりと頷いた。


「わからないような恋は恋じゃない」


 真琴はすぐさま答えた。

 目の前に突き立てられた爪は、透明なマニキュアが塗られているのか、ツヤツヤして光を飛ばしている。


「いい? 恋は落ちるものなんだよ? 落とし穴に落ちたことに気が付かない人がいますか?」


「いません」


 真琴の強い口調に、あすかもつられて即答した。


「そういうことです」


「なるほど」


 真琴が言うのならそうなんだろう。腑に落ちたあすかに、真琴がぼそっと呟いた。


「ま、落ちてる真っ最中なら気づかないかもしれないけどね」


「え?」


「なんでもありませーん」


 真琴は落ちている課題を拾い始めた。

 きっと、長い休みのあいだに、『いつも通り』を忘れてしまっただけだ。

 忘れてしまったから緊張するだけで、これは恋のドキドキとは違うのだ。

 あすかはそう結論付けて、しゃがんでいる真琴に声をかけた。


「真琴、ありがとう。これで明日、モヤモヤしないで学校行けそう」


 課題をかき集める手を止め、真琴はため息とも嘲笑ともつかない息を漏らした。


「学校行けなくなるほど悩んでたんだ? その『主人公』のことで」


 そういえばそういう設定だった。

 ハッとしたが、もう言い返そうとは思わない。

 大きく伸びをしたあと、ベッドから立ち上がったあすかは、どこか吹っ切れたような表情をしていた。


「主人公の続きがどうなるのか、楽しみになってきた」


 夏休みが終わる。

 新しい季節が、始まる。


 白井あすかにとって恋とは、

 まだ深い穴に落ちている途中であり、着地するのはもう少し先のことである。

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