11 丹羽敬助にとって花火大会とは
夏──それは青春史上、最もまばゆい光を放つ季節だ。
だがその輝きは、夏休みをどう過ごすかによって、まるで別物になってしまう。
そんな貴重な夏休みを、無為に過ごしている三人がいた。
小野寺大和、白井あすか、千葉真琴。
屋内にこもりきりの彼らを太陽のもとへと引きずり出したのは、陽キャ代表、丹羽敬助である。
時刻はまもなく夕方である。といっても、夏の日は長い。まだまだ強い日差しは、日陰で引きこもってきた三人のなけなしの体力をあっという間に焼き尽くしてしまった。
「よう大和! 元気だったか?」
丹羽は肩を組んで大和にじゃれつく。
「暑いから離れろって。なんでそんなに元気なんだよ」
「だって陸上部は暑くても走ってんだぜ? こんなのオレにとっては涼しいくらいだね」
「体力おばけ……」
暑苦しい大和と丹羽を見ていた真琴が、ペットボトルのお茶を飲みながら呟く。
「丹羽くん、今日は誘ってくれてありがとう」
あすかが礼儀正しく言うと、丹羽は満面の笑みを浮かべた。
「白井さん、おざーす」
思いきり大和に頭をはたかれた丹羽。大和の話を聞いて以来、丹羽のなかであすかは「『おざーす』と挨拶する風紀委員の面白い人」の位置づけのままである。
「てか、急に花火大会って」
大和の言葉に、丹羽は得意げに答える。
「夏といったら花火だろっ! オレが場所取りは済ませておいたから、感謝してくれていいよ」
駅周辺には花火大会の観客がごったがえしている。三人が疲労しているのは、暑さだけでなく、人酔いのせいでもあった。
大混雑のスーパーで買い出しを済ませ、丹羽が場所取りしたという河川敷に向かう。
数えきれないほどの人。雑草や地面が見えないほど、たくさんのレジャーシートで河川敷が埋め尽くされている。
その一角に、四人が大の字で寝っ転がれるくらい広い敷地を、丹羽は確保してくれていた。
「丹羽って、二人と知り合いだったの?」
大和の問いに、丹羽は飲み物やお菓子をシートの上に並べながら答えた。
「千葉さんと補習で仲良くなった」
真琴は補習のことを言われて気に障ったのか、黙っている。すると、
「じゃあ今日花火来れたの、真琴のおかげだね!」
屈託のないあすかが言った。
丹羽は少し驚いた。
以下、丹羽の心情である。
へぇー。白井さんってこんな顔で笑うんだ。
なんかもっと尖ってるひとだと思ってたから、意外かも。
これなら、大和が気にかける理由がちょっとはわかるかもなぁ。
いやいや、でもオレは千葉さんを応援してるんだ。千葉さんと大和をくっつけるための花火大会だろ!
……つっても、オレがみんなで花火見たかっただけでもあるけど。
等々。
丹羽はいまだに、真琴が大和が好きだという勘違いをしたまま暴走していた。
「あー、オレ飲み物買ってくるの忘れたなぁ」
突然、丹羽の棒読みが和やかな空気を割いた。
「飲み物なら買っただろ」
大和の反論に丹羽は言い返す。
「どうしても飲みたいんだよっ。桃ジュース!」
「はぁ?」
「あー、やっぱどうしても飲みてぇわ。桃ジュース。ちょっと探してくる。白井さん、お願い! 一緒に来て!」
手を合わせて頼みこむ丹羽に気圧されたあすかは、頷くほかない。
そうして、大和と真琴を二人きりにする。
去り際、丹羽は真琴に向かって親指を立てた。
「グッドラック」
真琴は状況が理解できないような顔をしていたが、丹羽にはそれが緊張しているように見えたらしい。
丹羽という男は、自分に都合のいい事実を捏造できる、実に便利な体質なのである。
これでオレの任務は完了だぜ。
軽い足どりで進んでいく丹羽。横に並んでいるあすかは不思議そうな顔をしている。
「オレ、白井さんとちゃんと話してみたかったんだよね。大和から話聞いててさ」
「話って……『おざーす』の話?」
お、いじったことに気づいてたのか。
丹羽が「そうそう」と返事をすると、あすかは神妙な面持ちで言った。
「風紀委員なのに省略した挨拶なんてもっての外だよね。今はちゃんと気をつけて挨拶してるよ」
「……いやっ真面目か!」
思わず突っ込む。もしかして、白井さんと大和って似てるのかもしれない、と丹羽は思った。
「白井さん、なんか前と変わったんじゃない?」
「え?」
「いや、ほぼ初対面のオレに言われても、って思うだろうけどさ」
「変わった……スカートの丈とか?」
あの長さが異常だって自覚はあったんだ、という呟きは心のなかに留めた。
「うーん。目に見えるとこだけじゃなくて……雰囲気というかなんというか……」
言葉を探している丹羽に、あすかは一拍置いてから口を開いた。
「風紀委員になってから、かな。自分のことだけじゃなくて、周りのことも考えなきゃいけないって思うようになった……ううん。前は、自分のことも考えてなかった」
「ふうん。じゃあ、白井さんを変えたのは大和でもあるわけだ」
「そうだね。そうかもしれない」
不意の笑顔に、心を鷲掴みにされる。
あぁ。この子、いい子だわ。
途端に不思議になる。あすかといい、真琴といい、どうして大和ばかりがモテるのか。
それは丹羽にとって、悔しくもあり、どこか誇らしくもある。
「まぁ、大和はいい奴だからねぇ」
こぼれでた声は、ほとんど独り言になった。
河川敷からしばらく歩くと、一台の自販機を見つけて、丹羽は小銭を入れた。その指は迷わずに桃ジュースのボタンを押す。
ガコン、と落ちてきた缶をつかむ。手のひらに冷たい感触。
丹羽は手のなかの缶を見つめ、顔を上げると、すぐにまた自販機に小銭を押しこんだ。
「え⁉ 丹羽くん、何本買うの⁉」
慌てているあすかに、丹羽は歯を見せて笑う。
「四人分! 青春の花火大会を桃の味で染めてやるっ」
そうして丹羽は決意した。
真琴のことも、あすかのことも応援する。
どちらがうまくいっても、いかなくても、
全力を尽くして、後悔が少なくて済むように、オレはそのために二人を応援しよう、と。
丹羽とあすかの両手をふさぐピンク色の缶は、まだ開けてもないのに、甘ったるいにおいが漂ってきそうな気がする。
河川敷に戻ると、まもなく花火が始まった。
響く重低音。星夜を染める万華鏡。
桃の香りに包まれながら、四人は同じ空を見上げている。
丹羽敬助にとって花火大会とは、
桃ジュースを飲むたびに思い出すであろう、ある夏休みの一日である。




