悪役令嬢指南・特訓
学院サロン。白亜の柱が天井までそびえ、窓から柔らかな陽光が広間いっぱいに差し込む。普段なら貴族の子女たちが優雅におしゃべりを楽しむ場だが、今日はまるで別世界――「エレオノーラ道場」の開幕である。
背後には銀のトレイに乗せられた紅茶と茶菓子が並び、数人のクラスメイトや通りすがりの生徒が、興味津々の目でこっそり見物している。窓の光が彼女たちの好奇心をほんのり照らし、静かなざわめきがサロンに漂っていた。
エレオノーラがゆったりと扇子を開き、きらりと光を反射させながら告げる。
「背筋を伸ばし、首をわずかに傾けて――そう、“上から目線”が基本ですの」
レオナはぎこちなく真似をするが、気がつくと猫背に逆戻り。
エレオノーラはため息をつき、机の上の分厚い本をひょいと手に取ると、こっそりレオナの頭上に乗せる。
「わ、わっ! 落ちちゃう!」
その姿に、そっと見守っていたクラスメイトたちから思わず吹き出す声。
「ぷっ……かわいい……」
レオナは真っ赤になり、必死で本を支えながらも、どこか楽しそうな表情を隠せない。
エレオノーラがゆったりと扇子を開き、鋭い目線をレオナに向ける。
「相手を侮辱するのではなく、あくまで“優雅な皮肉”を。棘はあっても、花びらで包むのですわ」
レオナは小首を傾げながら、ぽつりと呟く。
「えっと……“お前の顔、面白いね”?」
その瞬間、エレオノーラがバシッと扇子を机に叩きつける。
「……それはただの失礼ですわ!」
教室の端で見物していた生徒たちが、思わずクスクスと笑いを漏らす。
レオナは頬を赤らめ、恥ずかしさと楽しさが入り混じった表情でうつむく。
エレオノーラが扇子を手に取り、ゆったりとした動作で開く。
「パチンと一閃、相手の視線を奪うのが肝要です――このように」
手本通りの優雅な所作に、レオナは目を輝かせて真似をする。
だが、勢い余った瞬間――扇子がふわりと手を離れ、壁にカンッと当たって床へ落ちた。
「ひ、ひゃあっ! ごめんなさい!」
レオナが慌てて拾い上げる間、エレオノーラは額に手を当てて深くため息。
しかし、周囲の生徒たちの視線には「まるで仲良し姉妹のよう」と映り、ひそひそと「……なんか楽しそう」という囁きが広がる。
額に手を当て、深くため息をつくエレオノーラ。
(……どうしてこうなるのかしら。シナリオが崩壊するどころか、この調子では“悪役令嬢道場”なんて新ジャンルが開幕してしまうじゃない)
一方、必死に扇子を拾い上げるレオナの瞳は輝きに満ちていた。
(すごい……! エレオノーラ様はやっぱり完璧だ……! 私も絶対、あんな風になりたい!)
二人の間に、微かに緊張と期待の入り混じった空気が漂う。
廊下の窓際、柔らかな午後の光が差し込む中、エレオノーラとレオナのやり取りを遠くから見守る王子の視線があった。
彼の瞳は、普段のようにレオナだけを追うものではなく、今はエレオノーラに向けられている。
(……あの二人、なんだか楽しそうだな……)
王子は軽く眉をひそめつつも、思わず微笑む。
その視線を知らぬ二人は、相変わらずコメディ特訓に夢中で、扇子が飛んだり本が頭に落ちたりと、賑やかな光景が続く。
エレオノーラ(内心):
(……ふふ、王子まで観客に巻き込むなんて、悪役令嬢としては上出来ね)
レオナ(内心):
(王子様も見ている……! これは絶対、もっと頑張らなきゃ!)
こうして、薔薇園道場の新たな日常が静かに、しかし確実に始まった。
レオナは両手を胸の前でぎゅっと握りしめ、無邪気な笑みを輝かせる。
その姿を横目に、エレオノーラは扇子を静かに閉じ、優雅に立ち上がった。
(……面白半分で言ったのだけれど。さて、この“バグイベント”、どう転ぶかしらね――)
心の中でそう呟きながらも、顔にはいつもの微笑を浮かべる。
庭園に吹いた一陣の風が、薔薇の花びらを宙へと舞い上げる。
紅と白の花弁がひらひらと降り注ぎ、光に照らされてまるで舞台の幕開けを告げる演出のよう。
エレオノーラは微笑を崩さず、背後に舞う花びらを纏うように、静かに歩み出した。
――新たな物語の幕が、静かに、しかし確実に上がろうとしていた。