悪役令嬢協会からの依頼
夜の帳が学院寮を包み込み、エレオノーラの私室には、暖炉の火が静かに揺れていた。
橙色の光が壁や天蓋ベッドを柔らかく照らし、カーテンの隙間から覗く満月が淡く雲間に隠れる。
机の上には、羽根ペンと書きかけの手紙、湯気の立つ紅茶。
香り高いその湯気が、ほんのりと部屋に漂う中、彼女は椅子にもたれ、炎の揺らぎを見つめていた。
――まるで、この静けさが次の騒動の予兆であるかのように。
コンコン――静寂を破る、軽やかなノック音。
「失礼いたします」
黒髪をきちんとまとめたモードが、銀の盆を両手に抱えて入ってきた。
盆の上には、一通の封筒。
深紅の封蝋には、薔薇と仮面をあしらった紋章――悪役令嬢協会本部の印が、くっきりと浮かび上がっている。
「……また何か面倒ごとね」
エレオノーラは小さくため息をつきながら封筒を受け取り、優雅な手つきでナイフを滑らせ、封を切った。
便箋を広げると、そこには流れるような筆致でこう記されていた。
『エレオノーラ殿
今季の断罪劇は、例年以上に派手に行ってほしい。
新規入会希望者向けの教材映像に使用するため。』
一文一文が、まるで舞台の台本のように端正だ。
読み終えた瞬間、エレオノーラはゆっくりと瞼を伏せ、口元だけで笑う。
「……教材用? つまり、私の断罪劇を撮影する気なのね」
暖炉の火が、彼女の瞳に赤い光を宿した。
モードが湯気の立つ紅茶をそっと置き、肩をすくめる。
「まあ……お嬢様なら、派手なくらいがちょうどよろしいでしょう」
エレオノーラは便箋を机に置き、指先で軽くトントンと叩く。
その唇の端が、ゆっくりと吊り上がった。
「ふふ……いいわ。それなら、ついでに――新しい悪役令嬢ムーブを試してみようかしら」
暖炉の炎が揺れ、彼女の銀髪に紅の反射を落とす。
その瞳はすでに、断罪式という名の舞台を鮮やかに思い描いていた。
暖炉の火がパチリと弾け、淡い光の粒が部屋の中を舞う。
窓から差し込む満月の光が、彼女の銀髪を静かに照らし出す。
――88回目の断罪劇は、間違いなく記録に残るものになるだろう。
エレオノーラは微かに笑みを浮かべ、次の“舞台”を心の中で演出していた。
夜の帳が学院寮を包み込み、月明かりが窓からそっと差し込む。
カーテンは静かに揺れ、床には銀色の光が淡く波打つように広がった。
その光の中、エレオノーラは窓際の椅子に優雅に腰掛け、扇子を手にひらりと開く。
銀髪が月光に照らされ、まるで光の輪が彼女を包むかのように煌めいていた。
エレオノーラは扇子をひらりと開き、指先で軽く弾きながら小さく独り言をつぶやいた。
「さあ、第88幕の開演よ。
でも……王子が最初からこっちを見てるのは、想定外ね」
月光が銀髪を照らし、サファイアブルーの瞳が淡く輝く。
その微笑みには、過去88回の経験による余裕と、ほんの少しの胸の高鳴りが混ざり合っていた。
カメラの視点が静かに上空へと移動し、視界が幻想的に広がっていく。
遠く、夜空に浮かぶ女神フェリシア――人間の姿を取って降臨していた。
手にはシナリオ台本が握られ、ページは風に揺れてひらりと舞う。
眉をひそめ、フェリシアはその台本をぐしゃりと丸めた。
「もう、こんな台本通りに行くわけないわ……!」
視界の端には、88回目の悪役令嬢――エレオノーラが悠々と扇子を操る姿。
女神の嘆きと、令嬢の余裕。その対比が、物語の新たな幕開けを静かに予感させた。
窓辺に差し込む月光、暖炉の残り火が揺れる室内、そしてそこに浮かぶエレオノーラの微笑み。
――物語は、まさに今、新しい展開へと動き出そうとしていた。